- Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101295923
作品紹介・あらすじ
明治28年生まれの祖母は、著者にとっていつも輝ける星だった。青山の大病院のお嬢様として生れ、九歳で齋藤茂吉と婚約。一流を好みながら贅沢を嫌い、権威をものともせず、常に前向きマイペース。関東大震災、病院の全焼、東京大空襲などの災難を、気骨をもって毅然と乗り越え、89歳で大往生を遂げるまでに海外108ヶ国を踏破。気高く烈しいその生涯を孫娘が丹念に綴った傑作評伝。
感想・レビュー・書評
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斎藤茂吉の妻で、著者の祖母だった輝子の話。大病院の跡取り娘で小さい頃は乳母日傘で育ち、9歳の時に養子縁組していた帝国大学医学部の21歳の茂吉と婚約し、18歳で結婚して4人の子供を産んだものの、本当は歌人になりたかった茂吉が日々の軋轢を輝子にぶつけることで夫婦の仲は冷め切っていたが、それを乗り越え、ダイナミックにマイペースな人生を送ったことの孫からみた伝記。
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齋藤茂吉の妻であり、齋藤茂太、北杜夫の母である齋藤輝子について孫である著者が書いた本。
猛女とはすごい呼び方である。
けれど本書を読むと納得である。
79歳で南極に行き、80歳でエベレストをトレッキングする驚異的な行動力には驚いた。
いくらお付きの人がいたところで、そこに行こうとする気力が凄い。
しかし、彼女は家事も子育てもしなかったようだ。
仕事もしていたわけではないし、夫の死後は旅行に明け暮れていたようだ。
人生において何かを成し遂げることを良しとしたり、人生そのものに意味を見出そうと考えてしまう私などからしたら、(本書を読んだだけだが)彼女は自由奔放に好きなように生きただけのように思える。
けれども、その中で息子や孫たちに刺激を与えたりとそのバイタリティーは周りにまで派生している。
そしてそれ以上に、人生の意味など考えることがちっぽけなようにも思えてくる。
何かを成し遂げなくても、幸せに生きて、そこに意味など見出す必要もないと教えられたような気がする。 -
帯文(裏表紙):”気高く烈しい生涯を孫娘が丹念に綴った傑作評伝。”
目次:プロローグ 茂吉の「をさな妻」、第1章 輝子と父の物語、第2章 世界百八ヶ国豪傑旅行、第3章 失われた日記、第4章 追憶の輝子、エピローグ 三十年ぶりに見つけた絵葉書、解説 淑女の品格 兼高かおる -
【本の内容】
明治28年生まれの祖母は、著者にとっていつも輝ける星だった。
青山の大病院のお嬢様として生れ、九歳で齋藤茂吉と婚約。
一流を好みながら贅沢を嫌い、権威をものともせず、常に前向きマイペース。
関東大震災、病院の全焼、東京大空襲などの災難を、気骨をもって毅然と乗り越え、89歳で大往生を遂げるまでに海外108ヶ国を踏破。
気高く烈しいその生涯を孫娘が丹念に綴った傑作評伝。
[ 目次 ]
プロローグ 茂吉の「をさな妻」
第1章 輝子と父の物語
第2章 世界百八ヶ国豪傑旅行
第3章 失われた日記
第4章 追憶の輝子
エピローグ 三十年ぶりに見つけた絵葉書
[ POP ]
斎藤茂吉の妻であり、斎藤茂太・北杜夫兄弟の母である輝子は、戦前の東京で威容を誇った「青山脳病院」の一人娘。
ずば抜けたバイタリティーと豪胆さで激動の時代を生き抜いた生涯を孫娘が描く。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
お嬢様っていうのはいたんですね。
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斉藤家はどんな家なんだろうか?
《本文より》
日常の些細なことで思いわずらい、落ち込んだりする時、おばあちゃ まなら何と言って私を励ましてくれるだろうか、と思ったりする。おそら く、「由香はそんな小さなことでお悩みなのね」と一言のもとに切って 捨てられると思う。
「なんで男にうまれなかったのか」
精神科医であった父・斉藤紀一をして嘆かせたほどの器の大きな輝 子のことだ。私ごとき小物の悩みなど、歯牙にもかけなかっただろう。
目を閉じると目の前に現れてきそうな表現である。
《本文より》
艶やかな派手すぎるくらいの着物姿に肩までの長い髪で大きなリボン を結んでいる。このヘアスタイルは庇髪(ひさしがみ)というもので、当 時、流行していた。輝子の艶やかな髪や、ふっくらした頬、強い意思を 持ったつぶらな瞳は周囲からチヤホヤされて育ったであろうと思われ る雰囲気が漂う。文字通りの「お譲様」だが、輝子は他の令嬢が遊ぶ ような、あやとりや、お手玉などは好まなかった。馬に乗ったり、かけっ こをしたり、水泳をする快活な少女だった。 -
この間北杜夫氏と輝子様の対談を読み、興味を持ったので図書館で借りてみました。可愛がられた孫が祖母の事を語る、と言う内容でした。詳しく知るには茂太氏の著書を読んだ方が良かったかな、と思いました。
輝子様はあまり茂吉氏の作品に精通していなかったようですが何となくその気分はわかるなあ…と思いました。文章を書く人は事件が起こると自分の都合の良いように物事を公表しがちなので周囲の人はたまったものではないだろうなあと思うのです。特に私小説を書かれる方の身うちは大変だろうな、と察するに余りあります。(百閒先生や檀一雄氏や太宰治氏とか…)夫婦喧嘩一つとっても作家は自分の言い分を思うように世間に公表出来るから良いですが反論するすべを持たない奥さんは悲惨ですよねぇ。そりゃあ当時の事を思い出すだろうし当事者であるところの輝子様が茂吉の作品を読みたがらない気分もわかるような気がします。(檀一雄氏の奥様も火宅の人はもう読みたくないって言ってらしたそうだし)文学として楽しむよりも一個人としての作者が透けて見えてしまうと純粋に楽しめたり、感動出来たりしないんだろうなあ。そんなことを思いながら読みました。
それにしても同居していた伯母さまは大変だったろうなあ…。言葉遣いが丁寧なのでその辺りは古き良き美しい日本語(古き良きと過去のものにしてしまって良いのかは問題ですが)に久々に触れた気がしました。昔の人は言葉が綺麗で素敵だなあと思うのです。後書きの淑女の方が面白かったです。 -
あんまり魅力的に書けてないのは、著者自身が祖母の輝子さんから直接いろいろ聞いたりの交流が少なめだからだろう。
半分読んだら十分で、最後まで読めなかった。 -
2011年119冊目