老師と少年 (新潮文庫)

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著者 : 南直哉
  • 新潮社 (2009年11月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101304816

老師と少年 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 友人に薦められた本。

    これは、星が5つでは足りない。
    挟まれた付箋紙の数がそれを物語っている。

    以下、ネタバレ







    「選べるからなのだ。選べるから、死ではなく、生を選ぶ。理由のないこの決断が、すべての善きことをこの世に作るのだ…そうだ、理由もなく生を選ぶ。それだけがこの世の善を生み、善を支える。」
    「生きていくことの苦しさと、生きていることの苦しみは違うのだ」
    「信じる」ということは、隠すことに過ぎない。<神>は永遠の夜なのだ。
    「理解できないことが許せないとき、人は信じる。信じていることを忘れたとき、人は理解する」
    「自分が自分であること、自分がいまここに生きていること、それを
    受け容れたい。ただそれだけの欲望が答えを求めるのだ。
    そしてこの欲望だけが、生きていることの苦しみなのだ」
    「他人に欲望されることで、自分を支え、生きていることを受け容れる」
    「この世にたった一つしか無いものは、だから大切なものなのか、だから
    無意味なものなのか、どちらだと思う?…本当に一つなら無意味だね。
    …でも、その一つが自分だと無意味とは思えない。だから人は苦しいのだ。」
    「大切なのは答えではなく、答えがわからなくてもやっていけることだと、
    彼はどこかで感じたのだ。」
    「生きる意味より死なない工夫だ」

  • 「人は、自分はどうして生きているのか?」堂々巡りをしながら悩んでいた10代の頃を思い出した。私には老師はいなかったが、友人がいた。胸に迫り来る想いを、毎日毎日話し合った。

    いつの間にか、当たり前のように生きていた。

  • 何度か読まないと理解できない。いや、理解できないという表現は適切ではない。理解するというより、自分なりにこの本を消化するには何度か読む必要があるということだ。
    一読した時点で思ったのは、この本が伝えたいのは、「考えても答えは出ない。考えるのをやめて、とにかく生きろ。」ということ。
    少年は「私は何者なのか?」のような哲学的な疑問について老師と話しているが、考えても答えは出ないということが全ての悩みに通じるのではないだろうか?…と考えれば、この本を日常生活に活かせるような気がする。

  • 気付いてしまった少年と気付いてしまった人として葛藤してきた老師の交流と伝承の物語。どう死ぬということ生きるということを考えるのか。テーマとしてもその「解」にしても正直すぎる葛藤を抱える「ぼく」たちの話。一神教や密教だろう信仰の構造を批判的に参照しつつ、「生きる」ことを「善い」こととしてどう選ぶのか、少年の葛藤を老師自信の葛藤や老師の恩師との出逢いを振り返る形で探っていく。

    個人的には、この老師の話は木村敏の『心の病理を考える (岩波新書)』と同じ着地地点じゃないか、と感じた。これが仏教ベースの思想なのかぼくには分からないけれど、著者の僧侶としての修行の中である意味、悟った境地なのかもしれない。そして、この少年はこれからも葛藤して、葛藤することで成長し、人と出会っていくのだろう。傍らでその少年と老師をことを見つめていた少女と少年の出逢いはどんなものだったのだろう。

  • 生きる意味、生きる意義、思考する意味。 読み返そう。

  • 「生きる意味より、死なない工夫」この一言に全てが集約される。

  • なかなか就職できなくて悩んでいた青年がこの本を読んで何が吹っ切れたのか、何もかもが変わり不思議なことに見事就職できたという本である。ただ、その青年は数年後にはその就職した会社を辞めることになるのではあるが。

    その青年から久しぶりに会って話をしないかと誘われたので、この本を思い出して読んでみた。年老いた師が、少年の「生きるとはなにか。」「自分とはなにか。」という問いに答えるという内容である。もちろん、禅問答。

    わからないけどわかるということもある。それで元気づけられるということも。今の社会は生き物の生気を枯らすように枯らすように回り続けているようで時折こういう本を読んで元気を取り戻すことが必要だ。

    Mahalo

  • 選べるから、死ではなく生を
    ~でも構わない、しかし 尊さはそこに

    自分が存在するのではない。存在するのだ。自分が生きているのではない。生きているのだ。問いはそこから始まる。『自分』からではない。

  • 「唯識論」スタンスの自分から見ると若干「?」と止まってしまう点がいくつかありました。この本は、予め「少年」が持つ疑問について考えたり感じたり、何らかの本を読んである程度の意識が備わっていないと、全く意味を為さない一冊のような気がします。これをきっかけに考え始めるか、これを終わりに考え続けるか。
    こねくり回しているような会話が進むだけなのですが、「生きる意味より死なない工夫」と云う一行に凝縮されていると思います。流石禅問答。

    コミカライズするなら島本和彦先生が良いと思います!

  • あんまり期待しないで読み始めたけど
    なかなかよかった

    自分探しの旅とか生きてることの意味とか
    共感できないなぁ…と思っているので
    この本の内容はスキだ
    途中、ちょっと意見が違うかな?と思うところもあったが
    大筋、こんな風に感じていたので星4つ

    生きるのに意味が必要だと思っている人や
    自己顕示欲の強い自分探し大好きな人には
    ゼッタイにオススメしない本ではあるw

  • 研ぎ澄まされた言葉ばかり。何度も読み返さないと腹まで落ちてこない。唯我論の袋小路からの飛躍がすばらしい。

  • 考え続けることが大切
    答えを出す/実現させることは誰でもできることではないけど、考え続けることは誰でもできる

  • なかなか、いやかなり難しいです。老師と少年による禅問答を物語化したものというべきか。生きるとは、死とは、自分とは何かを問う。少年の悩みに対して老師は快刀乱麻な明確な答えを示すのでなく、考える道筋を示します。いや考えること自体が違うのかな。これは何度も読み返すことによって自分なりの答えが導き出されるのかも。いや、答えを出すというのは違うのかな。などなど色々と思いを巡らせる、そんな物語です。

  • 「自分とは何ぞや」と考えるときのみ存在するのが自分、
    という感じでしょうか。

  • この本の著者、南直哉さんは、アスリートの為末大さんの『禅とハードル』を読んだときに知った。変わった人だと思う。おそらく、禅僧の中でも変わっているのではないだろうか。

    本人は、早稲田の文学部を卒業後、サラリーマン生活を経て永平寺に入門。20年の修行生活をした。現在は、青森県恐山の院代(山主代理)をされている。

    この本は、悩みをもっている少年が、老子と出会い会話をすることで自分の問いに迫っていく。たぶん、南さん自身の若いころをトレースしているのだと思う。

    「ぼくはどこに行くのか知りたいのではない。どこに行こうと行くまいと、死ぬとは何か、それが知りたいのです」

    「ぼくは考え続けていいのでしょうか。考え続けた方がいいのでしょうか」

    「それは幸福なことなのですか」

    「なぜ、ぼくはいつでもぼくなのでしょう」

    「すべてが虚無ならば、私はこの世界で、どうしたらよいのですか」

    少年の悩みは、彼の「問い」に対する「答え」が見つからないからだ。誰しもが抱いたことがある「問い」だろう。でも、大人になるにつれて、その「問い」を忘れてしまう。それに答えはないのだと、大人になるどこかでケリをつけるのだろう。

    本書は、その少年の切実な「問い」をもち続けることが大切だと教えてくれる。「大切なのは答えではなく、答えがわからなくてもやっていけることだ」と。「やっていく方法は自分で見つけるしかない」。そして、「生きる意味より死なない工夫だ」。そして、笑うことができることが大切なのだと。

    解説には、茂木健一郎、三浦じゅん、土屋アンナの3名が寄せている。茂木健一郎の解説はつまらない。土屋アンナの解説には共感が持てる。彼女が好きになりそうだ。(笑)

  • 月の夜、九夜にわたり老師と少年が問答を通して、「生きること」「自分とは何か」を考えていく話。


    著者が禅僧さんなので、物語というよりは、お説教をわかりやすく説明しようとしている感じがしました。

    「師よ」
    「友よ」
    という呼びかけのリズムが心地よかったです。

    読み終わっても私はよくわからない。簡単に答えが出ることではないってことだ。
    いつか読み返すことがあれば、その時はまた違ったことを感じるのだろうなと思います。

  • 自分にとってはあまり考えない、自分とは何か、生きるとは何かということ。
    ここまで悩むことがないから実感はわかないが、少年を諭す老師という関係に、自分もこういう指摘をしてくれる存在がいたらとうらやましく感じた。
    なんだかとてもいいお話に思え、心が温まった。

  • 「死ぬこと」や「生きること」について、子供の頃から考えていたオイラですが、この本を読んでも、やはりわからなかった。

    いつも、考えて考えて、答えが出るはずもなく、「考えるのやーめた!」とテキトーにチャランポランに生きてきたのです。

    お風呂につかりながら読んでいて。
    読み終わってから、「生きること」と「死ぬこと」を何となく考えながら、体を洗っていたら、プップー♪プププー♪とおならをこいてしまいました。
    その旋律が、"I can't get no satisfaction"だったので、鼻歌まじりでシャウトしてしまいました。
    やっぱり、幸せとか満足なんて求めて、満たされるものではないよなあなんて。

    一番最後の師の言葉、「生きる意味より死なない工夫だ」がとても心強く響いたのでした。

    点数はつけられなかったです。

  • 月夜が舞台の物語。
    その空気のままに、静かに問答が染み入ります。
    死について問う内容ですが。以前天声人語だったかに、子供かそんな疑問ん持つことがおかしいというものが乗っていて。それに対して不快感を覚えたが、その答えん読んだよう。

  • 極めて明晰。

    自分、というものを不定としたときに、色々な問いに答えるのが言語的に不可能になる。森博嗣の『笑わない数学者』の最後を思い出した。

    それでも、問いは生の問題としてあなたの前に立ち現れる。その時に、生きる意味より、死なない工夫、がプラクティカルに役に立つ。

    それは問いを妨げる誰か見つけることかもしれないし、問いを忘れさせる何かを見つけることかもしれないし、お風呂に入ってビールをかっくらうことかもしれない。

  • あくまで、個人的な感想ですが。
    この本を読んだあとの読後感は、温泉にゆっくりつかったあとの
    脱衣室の籐椅子に座っているような感覚。
    なんだか、心がゆったりして、ほぐされる感じがしました。
    内容は、優しい言葉で禅問答。
    この本で心も遠赤効果でほかほかに。

  • 表紙裏
    ぼくはいつか死ぬ。たったひとりで。なのに、大人は平気で生きろと言う。理由なき世界に生み落とされた少年は、「ただ死んでいく」のではなく、自ら「生きていく」ことを選びたいと願った。そして、月に照らされた森を抜け、老師の庵へとたどりついた――九夜にわたる問答を通して語られる、命の苦しみ、尊さ。気鋭の禅僧の精錬された文章とその行間が、魂へ深く突き刺さる現代人必読の物語。

  • 読んでいると、とても静かな気持ちになる。
    そして、情景が浮かぶ。

  • 驚きました。ただの小説かと思いきや、生きることに対する深い洞察を老師と少年という構図を持って思索している、思想的教書だったんですね。現代にはちょっとそぐわない仙人のような老師。インドの山奥かと思ってしまいました。夜な夜な森を抜けてくる少年や、老師の身の回りの面倒を見る乙女もおおよそ現代的ではありませんが、はなしのお膳立てとして良い雰囲気を醸し出しております。まるで古典文学のよう。問いを忘れて、当たり前の大人になってから読むのではなく、まず最初に思春期のころに読むべき本だったのだと思う。そうして大人になってから読み返すと更に含蓄があって良かったりするのだろうね。

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