- Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101304816
感想・レビュー・書評
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禅僧が書いた小説
老師と少年の対話で、仏教的な考えが小説として提示される。
余韻のある、簡単な答えじゃないフレーズがたくさん
「『本当の何か』は、見つかったとたんに『嘘』になる」
「友よ。君は賢い。昔の私よりはるかに賢い。何かが正しく、何かが間違っていると考え、正しいことを知ろうとする。だから、見えない。わからない。君が知った『正しいこと』が、全てを隠す」
「理解できないことが許せないとき、人は信じる。信じていることを忘れたとき、人は理解する」
「大切なのは答えではなく、答えがわからなくてもやっていけることだ」
「生きる意味より死なない工夫だ」
「その笑いの苦さの分だけ、君は私を知ったことになる」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者が子供のときから悩み続けてきた問いについて、老師との対話形式で書き綴ったように思われる。こうした問いに向き合うために、仏門に入ったのかもしれない。
直哉さんの別の著書を読んだときに、人生の目標は生き抜くことにしようと思った。この目標なら重たく感じることがないかなと。 -
難しようでいて簡単?
シンプルな問いが一番難しい。
誰しも、こんな問いを考える時があるのではないだろうか。
答えなんか無いのだろうけれど、問うてしまう。
そこに真摯に向き合う事も時には大切。 -
自問自答の一冊
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なぜなぜが湧いてくるのが青少年期。自分とは一体何なんだろう。成人でも何かをきっかけに悩み苦しむこともある。突きつめていくことは大事だが、突きつめても何もないことに気づくことも大事。「生きる意味より死なない工夫」。一度読んだだけで感動しないのは読みが浅いからか。2019.7.17
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ぼくはいつか死ぬ。
たったひとりで。
なのに、大人は平気で生きろと言う。
理由なき世界に生み落とされた少年は、「ただ死んでいく」のではなく、自ら「生きていく」ことを選びたいと願った。
そして、月に照らされた森を抜け、老師の庵へとたどり着いた。
九夜にわたる問答を通して語られる、命の苦しみ、尊さ。
気鋭の禅僧の精錬された文章と行間が魂の奥へ突き刺さる現代人必読の物語。
(あらすじより)
ストーリー性はほぼ無く、老師と少年がまさに禅問答をする形式で進みます。
自分の生に意味を見出したい、理解したい少年に対して、老師は明確な答えは出さずに、伝えます。
本文から印象的な部分を抜粋します。
人は、自分が存在する。自分が生きている。そう思うから、人は自分とは何かを問い、なぜ生きているのかを問う。
しかし違うのだ。
「断念せよ。自分を脱落せよ。ならば問いは消滅する」。 つまり『解脱』を説いている訳だと思います。
少年にとっては身も蓋もないと言う印象ですが、仏教の教義としては当然です。
仏教最古の経典スッタニパータに「〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ」という言葉があります。 「輪廻の流れを断ち切った修行僧には執着が存在しない。なすべき善となすべからざる悪とを捨て去っていて、彼には煩悶が存在しない。」
つまり、悪いことだけではなく良いこともしない。そもそも善悪について悩まない。
考えること、感じることを捨て去る『究極的な無』がブッタの教えの目標なのです。
極めて死に近いながらも自殺すれば良いわけではなく、たぶんこの境地に達すると、生きながらに死ぬのでしょう。
それが出来ないから、我々は悶々と悩んだり、悩むことを一時的に忘れて能天気に生きたり、時にはどうにもならなくなり死を選ぶわけです。
どれが正しいのか?
そうやって悩むこと自体、煩悩に囚われている証拠です。
たぶん -
いやー、著者の評論は好きだけど、この小説はなにやら深淵すぎて。。。はじめて著者の本を読む人は「なんじゃこりゃ」と思うだろうなあ。
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p.32「いま、ここ、だ。私はそこについた印なのた」
p.55「生きていくことの苦しさと、生きていることの苦しみは違うのだ」
自分とは何者か、死とは何か、人生とは何なのか、どんなに考えても答えは出ないし考えるだけ虚しいけれど、生きていくなかで一度は向き合わないといけないものだと思いました。 -
「生きる意味より、死なない工夫」この一言に全てが集約される。
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般若心経だな