流転の海 第5部 花の回廊 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (507ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101307541

感想・レビュー・書評

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  • 在日朝鮮人と言われた人々の暮らし、思想、逞しさが伝わってきた。毎回のように、重厚なテーマが物語の根底に流れていて、読み応えがある。
    人間性を形作るのは環境。まさにその通りだと思う。特に子供の時分はその影響力が計り知れない。良い環境とは何か。考えるきっかけにもなった。

  • 凄惨な人間生活。
    熊吾の激しさ(暴力と経済力)が、そして運が回復してきたように感じる。
    それと対になる、蘭月ビルの人々の生活。破滅的な生き方をする者、他人の生き血を吸う者、そうした生活の中でも文化的に精神的に生きる者、ぐれずに育つ子供たちの純真さ。
    人間と人間の打ち合いの中で鍛えられる伸仁。

    コンプラや、多様性、パワハラはなどなどは、大切なことだが、他方でこうした人間との打ち合いによる鍛え方の機会をなくすのかも知れない。だが、果たして、人間のそんなものが無くせるはずもなく、綺麗事とお題目だけで、楽園を実現することもできない。自分の中にも、そうした闇はあるし。自覚できない中で。。
    そうした人間への耐性をつけるというか、打ち合うこともどこかで大切なのかもしれない。それも、人間理解というやつか。。。私自身にとっても、そうした打ち合いは足らず、自身の闇にも漸く気が付き始めたところ。

    人間の汚さ、怖さと共に、恩を返そうとする人間もいるという実相も描かれて、儚くも希望も感じさせる。
    歴史の実相も折々に描かれていて、親や、祖父世代がどの様に感じて暮らしてきたのか、そんなことも追体験させてくれる。

    解説を読んで、熊吾を主人公として人間を描くだけでなく、子どもの視点からのビルドゥングスロマン小説、芸術小説という二重性があるという捉え方を教わる。親子関係、もっというと人間関係とは、とは、こうした両義性を持つものなのかも知れない。同じ時代を過ごしていても、同じ現実に則していても、異なる実相にいるという、そうした捉え方を提示しているのかも知れない。

    それにしても、厳しく育てながらも、最大限の本質的な愛の言葉である、お前の心根は綺麗だということを直接息子へ伝えるシーンがあり、熊吾と房江の伸仁への愛情深さを強く感じた。

    会社の同僚と、家族ぐるみでの飲み会の時の、親としての顔を見て改めて、親子、家族というものの良い面を感じる。

  • 読み終えてやっと、花の回廊は蘭月ビルも表しているのだと気がついた。花の回廊とはいうが華麗な花とは対極にもあるような人間の汚さや妬み脆さや危うさが混ざり合っていて、読んでいる自分にも重くのしかかってくる。
    そのような闇ともいえる場所でさえも伸仁は自分なりに向き合って、人間の部分を成長させているように見えた。次から次へと起こる事柄にひとつひとつ優しさで対応しているところを眩しく感じた。
    この花の回廊では熊吾の活躍があまりなく、やはり息子の伸仁へと重心が移っているのかなと思った。
    メモ 茶:侘茶  倨傲と卑屈

  • 蘭月ビルが中心に展開する。伸仁の体験はすごい、としか言いようが無い。同じ年代の娘が私にもいるが、とても伸仁のような人生経験はさせられていない。

    この小説は大河だ。大きな流れの中で、読者はストーリーに迫ったり、離れたり。私自身も読み始めてから、相当な時間がかかってしまっている。

    一つには、何か悪いことがあると、切なくなり、しばらく読み進められなくなってしまうのだ。しかも前触れも無く、いきなり悪いことが起こるのが、この流転の海である。

    今回はモータープールの話が進む。少しずつ前に進み始めている熊吾たちの生活。すでに全10巻が完成している。次はすんなりと読み進められるだろうか。

    このような小説とのつきあい方も、実は楽しみの一つだったりする。つまり時間の流れを味わうという意味で。

  • この物語は、
    なぜこんなにも惹きつけて止まないのか…

    一部・二部の頃の、房江に向けたクソのような暴力には、嫌悪感しか覚えなかったけれど…。

    陰と陽。
    正と負。
    相反する両極の性質を内包する、
    人間というもの…

    主人公・熊吾の卓越した洞察力。
    そして、年齢・性別・国籍・身分を問わず自分間違いは素直に認める公平性(feirness)。

    その底に棲む禍々しい暴力性。


    房江の優しさと慈愛、
    次々に襲いかかる災厄に負けない強さと時折のぞくお茶目な一面。
    一方で、彼女の人生に、べったりと張り付て離れない不安(不幸)の陰。


    伸仁の脆弱な身体に宿る、
    しなやかな強さを持つ心。

    そんな、大きな矛盾を抱えた人間の生き様に、感動と共感を得ずにいられない。




    久保敏松の裏切りにより一文無しとなった熊吾は、伸仁を富山に残し房江と共に大阪へ戻るが、結局一人の寂しさに根を上げた伸仁を迎えに行く事に。

    熊吾と房江は電気も水道も通っていない船津橋のビルに住んでおり、二人共深夜まで戻らない事が多い為、伸仁は尼崎の蘭月ビルという長屋に住む妹のタネに預ける事となる。

    中古車のエアー・ブローカーで糊口を凌ぐ熊吾は、旧知の柳田元雄に出資させ、福島西にある女学院の移転に伴う千二百坪の跡地を使って巨大なモータープールを作る計画に邁進する。

    一方房江は、大阪灘波宗右衛門町の小料理屋「お染」で働き、底意地が悪く嫉妬深い店主・田嶋カツ代の嫌がらせに耐えながら得意の料理によって顧客の心を掴んで行くが、偶然来店した、新町の「まち川」時代の売れっ子芸者・千代鶴(島津育代)との再会以後、育代から執拗な嫌がらせに遭う。

    そして…
    貧乏人の巣窟であり、
    社会的規範の外に生きる者や、祖国が南北に分かれ反目し合う朝鮮人達の巣食う蘭月ビルで、逞しくしたたかに育ってゆく伸仁。

    そんな中でも、
    音吉の尽力で熊吾の母の消息(死亡)が判明し、千代麿が愛人に産ませ、浦辺ヨネ(わうどうの伊佐男の子を産んだ愛人)に預けていた娘・美恵を、ヨネの死亡により引きとる事になったり、
    また、かつて井草が持ち逃げした金五十万が海老原太一へと渡っていた証拠の名刺が見つかったりと周りも慌ただしい。

    やがて、
    ついに土地の買収に成功した熊吾は、柳田の下での期限付き運営責任者としてながらモータープールの経営に本腰を入れる。
    そして、房江も「お染」を辞め伸仁も戻り、松坂一家は管理人としてモータープールの一角に住み込む。

    事業の順調な滑り出し、そして、蘭月ビルの住人・ヤカンのホンギの結んだ縁によって再会した亀井周一郎が熊吾の再起への助力を約束し、漸く明るい兆しが…

    だが、
    蘭月ビルで出会った絶世の美少女・津久田咲子の存在は、どの様な禍いをもたらすのか…

  • 自尊心よりも大切なものを持って生きる

  • 2021 3/24

  • 感想は最終巻に。

  • 周囲を圧倒する力と進取の気性に溢れて前進してきた熊吾。少々の失敗や様々な抵抗があってもものともせず、豊かさを享受していたのは過去。第5部の本作は「貧民窟」が舞台となる。貧困、差別、反社会、虐待、放置子、不健康、不健全。どの言葉でそれを充分に言い当てられるのか、戦後の在日朝鮮・韓国人家族が集まる迷路のような「蘭月ビル」で繰り広げられる暴力の描写や、そこに住まう人々の幸薄い生活ぶりに度々胸が塞ぎ、読むことが辛くなった。
    新たな事業を探し大阪に戻った熊吾家族は、光熱費も払えず交通費すら惜しむ日々。夫婦で苦杯をなめながら、息子伸仁だけは豊かに育てたい気持ちは私も親だからよくわかる。そしてか弱い存在と思い込んできた伸仁が、予想外にも蘭月ビルの住人達と馴染みを見せ、学校でもしたたかさを見せ始める展開に今後が気になる。

    関西圏は私の生活から縁遠いので地名からイメージが沸きにくくて、それが残念。戦後の南北朝鮮問題や、在日という敏感なテーマもこの作品で垣間見ることが出来て、まだまだ自分が知らないことは多いのだと首肯。

  • 昭和32年。松坂熊吾大阪房江と空きビル。10歳の伸仁は尼崎の欄月ビルの叔母に預けられる。朝鮮人が多く壮絶な人間模様に巻き込まれる。大規模な駐車場経営に乗り出す。3人一緒の生活

著者プロフィール

1947年兵庫生まれ。追手門学院大学文学部卒。「泥の河」で第13回太宰治賞を受賞し、デビュー。「蛍川」で第78回芥川龍之介賞、「優俊」で吉川英治文学賞を、歴代最年少で受賞する。以後「花の降る午後」「草原の椅子」など、数々の作品を執筆する傍ら、芥川賞の選考委員も務める。2000年には紫綬勲章を受章。

「2018年 『螢川』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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