エンキョリレンアイ (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101309729

感想・レビュー・書評

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  • あなたは”運命の出会い”を信じますか?

    人は集団社会の中で生きる生き物です。私たちが生きていく中では複数の人たちと日々繋がりあって生きています。学校や職場での繋がり、友だちとの繋がり、そして家族との繋がりというように、私たちは複数のコミュニティで複数の人たちと繋がっています。では、そんな人たちとはどのようにして繋がったのでしょうか?分かりやすいのは会社の同僚でしょう。人事発令によってある意味強制的にあなたは隣に座る人、目の前に座る人を指定されました。そこで、会社の同僚として付き合っていく限りはただそれまでのことです。しかし、そこからそんな人たちと一生を通じての友だち関係になる、さらには愛が生まれ夫婦となる未来が待っていたとなると、その出会いは単なる人事発令の結果以上の意味を帯びてきます。まさしく”運命の出会い”です。

    そんな出会いはもちろん職場の中だけということに限りません。思いがけず、思いもしなかった場所で、思いもしなかった出来事がきっかけとなって人と人とが繋がっていく、それは決して珍しいことではありません。思えばこの世は、そんな”運命の出会い”によって成り立っているとも言えます。

    さて、ここにそんな”運命の出会い”を果たした一人の女性が主人公となる物語があります。『その日は、わたしの最後のアルバイトの日だった』という女性が働く書店を偶然にも訪れた一人の男性。そんな男性が『絵本をさがしています』と主人公に声をかけたことから始まる二人の物語が描かれたこの作品。そんな二人の『アイシテル トオクハナレテイテモ ワタシタチハ ツナガッテイル』という”エンキョリレンアイ”の日々を見るこの作品。そしてそれは、そんな二人の”運命の出会い”の先に続いていく”純愛”の形を読者が目にすることになる物語です。
    
    『出会ったのは、三月。忘れもしない、三月十七日。わたしの二十二歳の誕生日だった』と語るのは主人公の桜木花音(さくらぎ かのん)。そんな花音は『京都駅の裏に立っている』ビル六階の『大きな書店』でアルバイトをしています。そして、大学卒業に伴い東京に戻るという花音は『わたしの最後のアルバイトの日』に『絵本をさがしています』と一人の男性に声をかけられました。『売場にご案内いたします』と向かった児童書売場で『ちょっと助けていただけると、嬉しいです』とその男性は花音に絵本探しを依頼します。『プレゼントしたいんです。いとこの子に』という求めに『喜んでお手伝いします』と『心からの笑顔で』答えた花音は、『絵本が大好きで、いつか絵本作家になりたい』と『中学生の頃から憧れてき』ました。『三つの女の子です』、『高田しょうこといいます。文章の「章」』と説明する男性に『何かヒントを下されば』ともう少し具体的なイメージを求める花音。そんな花音に『そういえば彼女、もうすぐ弟が生まれるんで、それが楽しみで楽しみで』と答える男性の言葉の中の『弟』という言葉に『玉手箱の蓋があくように、頭の中で一冊の絵本の扉が開いた』という花音は『はるになったら』という本を手渡します。そんな書名を『胸がふるえるほどに、懐かしい響き』と感じる花音は『泣き虫花音』と呼ばれていた過去を振り返ります。『ほんのちょっとしたことで』泣く花音を『どうしてそんなに泣くの』とまわりの大人たちは口を揃えて言います。『わたしが泣き続けている本当の理由を、誰も知らなかった』と思う花音は、『泣いてさえいれば、また会えるような気がした。泣き続けているあいだだけは、わたしのそばに戻ってきてくれる』と、『三つの時、貯水池に落ちて死んだ、弟の森彦』のことを思うのでした。そんな時、『桜木さん』と呼ばれ名札を見つめている男性に気づいて現実に引き戻された花音は『あくまでも、わたしの好みですから』と言い『持ち場に戻ります』と告げました。そんな花音に『決めました。贈り物はこれにします』と告げる男性は『レジはあちらです』と案内する花音に『あとひとつ、忘れ物しちゃいました』と右手を差し出してきました。それに『ほとんど反射的に、わたしはその手を握っていた』という花音。そんな花音に『また会えますよね。俺たち、きっとどこかで』と言う男性は『井上…といいます』と自らの名を名乗ります。そんな時、店内放送で呼び出された花音。『あなたは、誰』、『どこから来たの?』、『どこで、どんな仕事をしているの?』と『訊きたいことも、伝えたいことも、あり過ぎるほどあるのに、何ひとつ、言えない』と、やむなく呼び出されたカウンターへと向かう花音。結果として『連絡先を伝え合うこともなく、別れた』二人。そして、『それがわたしたちの、最初の出会いと、最初の別れだった』という二人の”純愛物語”が描かれていきます。

    “遠く離れても、熱く想い続けるふたりのゆくえ。圧倒的な支持を受ける、涙の純愛小説”と宣伝文句にうたわれる全十章から構成されたこの作品。私はこの作品で初めて小手鞠るいさんの作品を読みましたが、その美しい、もううっとりとするような比喩表現の数々に魅せられっぱなしの読書の時間を過ごすことになりました。そんな比喩表現の数々をまずご紹介しましょう。

    ・『呼び出し音一回で、飛び込んできた。真夜中の海を照らす、灯台の明かりのようなあのひとの声』。
    → 留守番電話に残っていた彼のメッセージに折り返しを考える花音は『こんなに夜遅く電話して、大丈夫だろうか』と戸惑います。『でも、声が聞きたい。もう一度、話したい』、『呼び出し音を五回鳴らして、誰も出なければ、切ろう』と決意してかけた電話を『はい、もしもし』と彼が出た時の気持ちをこんな風に表します。

    ・『空しい疑問符に搦めとられたまま、ベッドにどさっと倒れ込む。失望がぐるぐると、全身を駈け巡っている。両手で抱え込んだ枕に顔を押しつけて、悲しくて泣いている女の子のふりをしてみる。まるで、水槽から外に飛び出してしまった金魚のように、なす術もなく、足掻いている心を持てあましながら』。
    → アメリカへと旅立った彼から連絡が『先週は、届かなかった』、『先々週も、届かなかった』と不安になる花音。『ねえ、どうして。どうして、メールをくれないの?』、『あなたは今、どこで、何をしているの?』、そして『もうわたしのこと、忘れてしまったの?』と切ない心持ちにある花音の思いをこんな風に表現します。

    ・『窓の外は、篠突(しのつ)く雨だった。許すことを知らない、優しくない雨だ。強風に煽られ、斜めに降っている。まるで地上に突き刺さる、銀色の無数の針のように』。
    → 『メール、何度か送ったんだけど、ずっとお返事がない』という状況に不安になる花音。『相談したいこともいろいろあります』と人生の悩みの渦中にあり、なんとか彼と連絡を取りたいのに取れないという思いに苛まれ『細く透明な蜘蛛の糸が、ぷつん、と切れてしまった』と思う花音の心情を表現します。

    三つの比喩表現をご紹介しましたがいかがでしょうか?いずれも主人公・花音が、アメリカへと渡った彼・井上海晴への想いを表現したものです。『同じ時間に同じ空、見られないでしょ』とも語る花音と海晴の会いたいのに会えない”エンキョリレンアイ”。読者に切々と伝わってくる花音の切ない思いを見事に表した絶品の比喩表現の数々だと思いました。

    さて、あなたは”エンキョリレンアイ”をしたことがあるでしょうか?また、何をもって、もしくはどの程度の距離が離れたら”エンキョリレンアイ”と言えるのでしょうか?この解は二人の境遇や時代背景によっても大きく異なってくると思います。今の時代であれば地球の裏側であっても科学技術の力によって幾らでも顔を画面上に見ながら実質無料で会話することができます。また、メールやLINEなどによってその繋がりも限りなくリアルタイムです。こうなってくるとかつてイメージされた”エンキョリレンアイ”という言葉から浮かぶイメージと少し異なった世界がそこには見えてきます。”私は、小説にはケータイは介在させたくないという想いがあって少し前の時代設定にしたんです”と語る小手鞠るいさん。そんな小手鞠さんは”ケータイって、常に連絡し合っていても、逆に心のすれちがいがあると思うんです。あるがために相手に気持ちが伝わらない”と続けられます。そんな小手鞠さんの意図もあってこの作品は現代ではなく、時代設定を過去に展開します。そんな物語にははっきりと時代を特定する日付が登場します。『一九九四年四月八日』というその日付によって、確かにメールというツールは少しづつ世の中に登場し始めてきているものの今の時代のように世界中のどこにいても常時繋がっている感覚とも違うある種の不自由さの中での”エンキョリレンアイ”のイメージがそこに生まれる、非常に絶妙な時代設定だと思いました。

    そんなこの時代設定の絶妙さを活かしたのがメールの存在です。まだ、ケータイで見るのではなく『パソコンの電源を入れる。メール、届いてるかな』、『わたしはあわただしくマウスを動かし、キーボードを叩く』、そして『メールボックスに、新しいメールはありません』という表示を見るという一連の儀式のような流れが、手軽に着信を確認できる今の時代と違って、逆に主人公・花音の気持ちの昂ぶりから落胆までを上手くイメージさせます。そして、この作品で特徴的なのが”片方向”のメールの内容だけが記されているという点です。手紙やメールのやり取りで小説を魅せていく作品としては計56通の手紙のやりとりが登場する湊かなえさん「往復書簡」、計179通の手紙のやりとりに圧倒される三浦しをんさん「ののはな通信」などがあります。しかし、それらは”双方向”のやりとりです。一方で、この作品では、アメリカにいる井上海晴と東京に暮らす桜木花音との間のやりとりにも関わらず海晴から花音へのメールのみが大量に登場します。せっかくなのでいつもの如くその数を数えてみました。

    ・第四章〈恋よりも烈しく〉: 1通
    ・第五章〈コンソメの作り方〉: 11通
    ・第六章〈八番目の曜日〉: 2 通
    ・第七章〈詩人の散歩道〉: 12通
    ・第八章〈真夜中の雨音〉: 1通
    ・第十章〈愛よりも優しく〉: 1通(手紙)

    計28通の”片方向”だけのメール(手紙)が強いインパクトをもって読者に迫ります。”片方向”だけだと二人のやりとりが理解できないようにも思いますが、そこは小手鞠さんの絶妙な塩梅によって、花音がこう書いたであろう内容を絶妙に匂わせながらの内容となっているので心配はいりません。それよりも”片方向”だけのこれだけのメール(手紙)を読んでいると、それは、自分自身に宛てられたものであるかのように感じてもきます。まるで自分が花音になったかのような心持ちです。特に女性の方にはこの構成、私が感じた以上の大きな効果をもって読者の心に畳みかけてくるのではないかと感じました。そういう意味でもこの作品は女性の方にこそ、是非読んでいただきたい、そう思いました。

    私は”エンキョリレンアイ”というものをしたことがありません。しかし、上記したような小手鞠さんの絶妙な構成の工夫をもって、主人公・花音の気持ちのアップダウンが痛いほどに伝わってきます。最後にそんな花音の心の内側を巧みに描写した表現をご紹介しましょう。

    ・『切実に、思った。果てしなく、きりもなく、祈るように。あのひとにもう一度だけ会えるなら、それと引き替えに、わたしが大切にしているものをひとつ、ここで今すぐ手放してもかまわないと。いいえ、ひとつじゃなくて、すべて、でもかまわない』。
    → 京都での初めての出会いと別れのあと、花音の中に海晴への思いが”確信”に変わる瞬間を表現します。『きっと、それが、恋?』

    ・『つながるのは心と心。それ以外では、人はつながることなどできない』
    → アメリカへと旅立った海晴。そんな彼からの連絡をただひたすらに待つ花音。『相手を想っていれば、それはつながってることになる』と言い残した海晴の言葉を思い出す花音の切ない心情を表現します。

    ・『あのひとはいつでも、わたしのそばにいてくれる。あのひとはいつでも、わたしの手の届かない場所にいる』。
    → アメリカから花音のことを思いやってくれる海晴。その一方で直接会うことの叶わない花音の思い。『会いたくて、会いたくて、たまらない。そばにいて欲しい。抱きしめて欲しい。なのに、会えない』という切実な花音の思いを表現します。

    いずれも花音の切なさが痛いほどに伝わってくる表現の数々です。もちろんこのような抜き出しでは十分には伝わらないと思いますが、このように”エンキョリレンアイ”に臨む花音の心の内がもう痛いほどに伝わってくる表現がこの作品にはもう全編に渡って散りばめられています。宣伝文句にうたわれる”涙の純愛小説”という、ちょっとクサい表現ではありますが、その言わんとするところがとてもよくわかるとともに、一にも二にも文章表現の魅力に満ち溢れたとても素晴らしい作品だと思いました。

    そんなこの作品、私の拙いレビューではありますが、もし興味をお持ちになって手に取られるとすると一点どうしてもお伝えしておきたいことがあります。それは、他の方のレビューにマイナス印象として書かれている”都合のいい展開”、”ありえない”、”リアリティがない”という難を感じるストーリー展開との兼ね合いです。私もその考え方に全く異論はありません。書店での短時間の出会いでここまでの恋に落ちるものなのか?都合よく物語が展開しすぎではないか?結末はいくらなんでもやりすぎではないか?(結末には本当は違う見方があることを小手鞠さんはインタビューで語られてはいますが…)と私も思います。しかし、小説とはそこに何を見るかです。物語としての現実性を重視すればこの小説はそもそもありえないでしょう。しかし、この作品の魅力はそこではないと思います。上記した巧みな構成によって”エンキョリレンアイ”という状況に置かれた一人の女性の感情の微細な変化、それをうっとりとするような美しい日本語による比喩表現と、切ない感情を見事に文字にする巧みな文章表現によって読者の心を鷲掴みにしていくこの作品。そう、この作品はそんな雰囲気感を味わう作品、一種のファンタジーとも感じるその世界に没入できる喜びを感じる作品、それこそがこの作品世界の何よりもの魅力なのだと思いました。上記にも触れましたが、その意味でもこの作品は女性の方にこそ読んでいただきたい、まごうことなき絶品だと思いました。

    『初めて出会った日、あのひとは言った。また会えますよね。俺たち、きっとどこかで』。

    ”運命の出会い”から始まった二人の”エンキョリレンアイ”の日々を綴ったこの作品。うっとりするような比喩表現の数々と、”片方向”からだけのメールの内容のみを記すという構成の工夫、そして花音の心情を痛いほどに紡ぎ上げる小手鞠さんの筆の力が読者の心を鷲掴みにして放さないこの作品。“純愛小説”が魅せるファンタジーにも似た作品世界にすっかり心を囚われてしまった絶品!でした。

  • 主人公の桜木花音は、22歳の誕生日の日に、京都で過ごした学生最後の書店アルバイトをしていました。そこに、翌日からアメリカのシェフ学校への留学を控えた井上海晴が現れ、運命の恋に落ちます。東京の会社に就職が決まっていた花音は、翌日新幹線で東京に向かいますが、ニューヨークに旅立つ海晴に会うために成田に向かいます。成田で10分の再会をした花音と海晴ですが、東京とニューヨークとのエンキョリレンアイが始まります。連絡がつかない海晴、届かないメッセージに翻弄され、心が揺れますが、二人は想い続けます。花音が愛について考えたり、心が揺れ動いたり、遠距離は切なくもあります。海晴が多少おおらかなのも、やきもきさせます。
    読みやすくて素敵な文章だと思いました。

  • 文庫本

  • 彼氏に会いたくなった。言葉が柔らかくて優しくてほんわかしてよかった。

  • 13年間、遠く遠く離れていた。
    それでも、お互いを想わない日はなかった。

    タイトルの通り、エンキョリレンアイのお話。
    遠距離恋愛でもなく、えんきょりれんあいでもなく。
    エンキョリレンアイ。
    出逢いから何から、すべて淡いさくら色のような世界でした。
    恋っていいなって思える作品。
    擦れ違いがあっても、距離や時間が遠くても、想い合っていれば必ずつながる。
    恋をしてる人にも、そうじゃない人にもオススメです。
    油断すると、いつまでも涙があふれてくるよ。

    生きているとどうして?と聞きたいことがたくさんある。
    そしたら私はこう答えたいな。
    理由なんてないよ。ただ、決まってたんだ。
    最初から決まっていたんだ、と。

  • 大学の生協で販売されており、タイトルに惹かれ購入。その日に泣きながら夜通しで読了(笑)でも、すごく共感できる部分があり、すごい感情移入してしまった。小手鞠るいさんの作品は、わかりやすい表現が多く、読みやすいしわかりやすい。

  • 泣いた、気持ちがよくわかる

  • 幾度となくすれ違っても、又めぐり合ってしまう。こんなのを赤い糸で結ばれた人というのでしょうね

  • もーこれは何度読んでも間違いない!ちまたでどんなに人気のラブコメ小説でさえ、これを読んだ後では薄っぺらく安っぽく思えるから、ある意味罪づくりな作品。主人公の心理描写や、風景描写が、とにかく言いえて妙。そしてそれが、物語に深みや繊細さや鮮やかさをだしているように思われる。ラスト、押し寄せる感動は私が保証します。なんていったてこれは、うえむら的ベストオブ恋愛小説ですから!

  • 運命の出会い的な?(#^.^#)
    小説の中での書店での出会いって、どうしてこんなにも素敵なんやろう?
    アタシが行く本屋さんでは色んな意味で絶対にあり得ない(笑)
    東京⇔NYこの間にある距離が、そのまま心の距離になるとは思わへんけどヤッパリ距離と時差は少なくとも恋愛では障害になってしまうのも仕方がないんかなぁ。

    小説を読んでるのに心地よい音楽を聴いてるような詩を読んでいるような感覚になるのは作者が詩人でもあるからかしら?
    表現がイチイチ心地良い( ´艸`)
    そんな中でアタシが好きな表現は花音が息せき切った口調で話す事を「五十音では言葉が足りない」ってフレーズ♪
    久々に有川浩さん以外でキュンってなった感じ(*^。^*)

著者プロフィール

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒業。ニューヨーク州在住。
『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(講談社)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。主な著書に『優しいライオン やなせたかし先生からの贈り物』(講談社)『星ちりばめたる旗』(ポプラ社)ほか、主な児童書に『心の森』(金の星社)『やくそくだよ、ミュウ』(岩崎書店)『シナモンのおやすみ日記』(講談社)など多数。

「2024年 『新装版 まほうの絵本屋さん』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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