東電OL殺人事件 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (541ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101316338

作品紹介・あらすじ

彼女は私に会釈して、「セックスしませんか。一回五千円です」といってきました-。古ぼけたアパートの一室で絞殺された娼婦、その昼の顔はエリートOLだった。なぜ彼女は夜の街に立ったのか、逮捕されたネパール人は果たして真犯人なのか、そして事件が炙り出した人間存在の底無き闇とは…。衝撃の事件発生から劇的な無罪判決までを追った、事件ノンフィクションの金字塔。

感想・レビュー・書評

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  • 「毒婦たち」で上野千鶴子さんがボロッかすに 書いていた佐野氏について
    読んでみたいと思って手にしたが ほんとうに つまらなかった
    事実だけを知りたいと思って読み始めたので なおさら
    自分の表現に酔っているかのような佐野氏の文章が鼻についた
    読売新聞社の「東電OL殺人事件」の方が事実関係をたどりやすかった

  • 本当は星ゼロにしたかった.
    妄想を書き連ねたものでがっかり.
    ノストラダムスの大予言を紐解く,といった本と同じようなレベル.いろんな街のいたるところで,被害者の影を感じた,とかなんとか言われても,何の情報にもならない.

  • かなり飛ばし読みしてしまった。作者の表現が自分の感情に浸っているような箇所が多くあまり好みではなかった。
    被害者の女性の暮らしぶりが不可解で、精神的な病に近い状態だったのだと思うが、どうして退廃的な売春に走ってしまったのかよくわからない。本人にもわからなかったのかもしれないが。39才で殺されていなかったとして、どんな人生になっていたんだろう。普通は明らかにならないだけで、彼女のように生きてる人は多数いるのかもしれない。

  • 97年に起きた殺人事件の真相を突き止めるべく、筆者は被害者と加害者とされるネパール人の足跡を辿っていく。
    取材自体は綿密なのだが、筆者が被害者に入れ込みすぎている。その境遇や事件に至るまでの経緯に共感することはあっても、それを前面に押し出した文章にする必要性はないと思う。
    事件に「発情」する、被害者の巫女性、といった性的な主観描写がとにかくキモい。と思った、という言葉で締める文章もとにかく多い、多すぎる。
    事件の概要よりも、被害者に一方的な感情を押し付けまくって偶像として飾り立てていく筆者がおぞましい。

  • 東電と犯行現場の因縁に背筋が寒くなった。
    著者の思い入れの強さには畏怖の念を抱く。
    良くも悪くも。

  • 冤罪容疑者や被害者に感情移入しまくって書かれたノンフィクション(?)。「佐野眞一が見た!東電OL殺人事件」にタイトル変えた方がいいと思った。

  • 夜中までぶっ通しで読んでしまったせいで翌朝遅刻した。それぐらいの力作ではあるけれども、あえて違和感を書いておきたい。
    読んだのは2018年。事件は1998年頃なので、20年前の事件となる。元号でいえば平成10年ということになるが、「昭和最後の事件」という感じがした。

    公判と並行しながらの月刊誌連載ということですごいことをするものだと思うが、それゆえに「20年前の世紀末の日本」の様相が透けて見える。それは、著者があらゆる昭和なフレームを当てはめてみようと努力しているが、実態というべきものがそこからこぼれ落ちているからだ。

    円山町の起伏に溢れた町の山陰に残る水たまりのような光景。これは実感としては分かるが、切り口としてはダム工事や大平元首相の息子を出してきても駄目だった。「昭和」「戦後」「焼け跡」が無効になった話だった。

    「経済大国日本」VS「途上国の出稼ぎ労働者」というフレームも外した。そんな単純な構図ではないというのが、実際が明らかになればなるほど分かってくる。
    (しかし書いてみて思ったけど、経済大国日本ってフレーズは昔はよく見たけど、改めて書いてみるとこっ恥ずかしい単語だな。よくこんな単語使ってたよな。)

    中流家庭とその家族神話というのは、この本的には最後の結論っぽかった。父を崇拝する娘と、近親相姦的な自己処罰からくる拒食症など。家族という神話に切り込んだわけだが、
    これも外している。被害者の家族から取材できなかったという事情もあるが、できても同じだっただろうと思う。

    ではなんだったのか。
    私は「OL」だと思う。

    東電のエリート社員にして下層の街娼をやっていた被害者。彼女の几帳面な売春の記録と零落した最期をみると、私は永井荷風みたいだと思った。
    永井荷風は文学だが、彼女は猟奇的な奇談にしかならない。
    これは本人の違いではなく、受け止める側の問題である。

    そもそも、もしこれが慶応を出て東電でエコノミストを勤めるエリート男性が夜な夜な外国人の街娼を買っていてついには安アパートで殺されたという事件があっても、大したニュースにもならないし衝撃にもならないと思う。「挫折したエリートが風俗狂いになって身上つぶした」というのは、よくある話のたぐいでしかない。
    売る側と買う側の違いはこのケースの場合はあまり関係ないと思うが、上の話を「夜な夜なハッテン場でウリをしていた」としても、大して変わらない。

    破滅については、佐野眞一のフレーズをもらうのなら坂口安吾風の堕落については、男性にはロールモデルがある。社会的了解もある。言葉もある。女性にはそれがない。
    これがつまり「女性総合職一期生」たる彼女が直面したことそのものではないのか。

    私は、彼女のライバルに擬せられた東大卒の女性の方により時代の狂気を感じる。彼女は一般職OLの制服を着てお茶くみをして東大卒が目立たないようにした。その後社内選抜に通ってハーバードに留学した人がである。
    私は、渋谷で街娼をした彼女よりも、このハーバードに留学した女性の方に、より社会の闇を感じる。狂っている。

    そしてこの闇は、著者にまで及ぶ。
    この本のタイトルである。
    OLという言葉は、まだ使うのだろうか。
    私は死語だと思っているが、まだ使うところに行けば使っているのかもしれない。
    20年前は死語ではなく、どこでもみる普通の言葉だったわけだから、今からこれを言うのはよくないのかもしれないが、仕事と待遇とビジュアルと、おそらく内面や期待される振る舞いまでがワンセットになった、そのくせそんなことは誰も定義していない、徹底した他社の定義によって成り立つこの「OL」という存在。
    その言葉で彼女を説明することに何の違和感も感じなかった20年前の社会こそが、円山町の起伏の日陰の消えない水たまりの隠花植物そのものである。

    あとそれと、たぶんこの事件って、携帯電話とインターネットが出てこない最後の事件だと思う。その意味でも昭和最後の事件だと思った。
    もっというと、もし当時インターネットがあって(あったけどさ)、2ちゃんねるとかTwitterとかあったら、彼女はたぶん・・・よくいるネットのちょっと奇矯な人だったと思う。それで済んでいたと思う。
    せめてあと5年遅く生まれていればと思うし、今はもっと多くの人がこれで救われているのかもしれない。
    昭和は遠くなりにけり。合掌。

  • 東電OL事件のルポ。ほとんど古典となっているが、やはり面白い。著者のフェティッシュと言っていいほどの被害者に対する思い入れ(おそらく性的なものが含まれている)。「遺族のプライバシーを尊重して」と断りながらも、実際はまったくそれを無視して暴きたい放題。東電OLに触発されて登場人物たち(著者も含めて)の「いびつさ」が逆照射されるところにこのルポのロマネスクがある。ルポというより小説だからこそ、ぐいぐい読ませる。

  • 著者が意図していた「何故エリートOLがこれといった負債を抱えているわけでもないのに場末の娼婦へと堕ちていったのか」というテーマから「容疑者の冤罪事件」へスライドしてしまっています。更に、坂口安吾の「堕落論」など、事件とは関係のないものを持ちこんで話が脱線することが多く、肩透かしを食らいました。
    また、主観的過ぎる見解は危険な気がしました。未解決事件だからこそ、様々な視点と客観的な解釈が必要だと思います。

  • 予断と偏見に満ち、不十分な取材の元、著者の心象がそこここに散りばめられた醜悪な文章で綴られた最悪なドキュメンタリー。

    事件自体は2012年12月に容疑者とされていたネパール人の無罪が確定した。冤罪事件の経過を辿るために読むのであれば、裁判の傍聴記録、著者の主観が紛れ込まない発言の抜き書き部分のみは読む意味がある。ただし、無駄に挿入される著者の主観が邪魔すぎる。

    また、被害者の病的と言える行動に関心があるのであれば、まったく読むに値しない。多くの関係者から取材を拒否され、多くの部分が信憑性の極めて低い噂話で構成されている。唯一の取材らしい取材はネパールへ容疑者とされていた人の関係者に対するものであるが、移動にばかり時間をかけて肝心な取材はわずかな時間のみで行われた不十分なものである。

    この作者は、つい先日週刊朝日での橋下徹・大阪市長連載記事が「誤った考えを基調としている」「事実の正確性に関しても問題がある」などと指弾をされている。この本に関しても同じことが言えるようである。

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著者プロフィール

1947年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。編集者、業界紙勤務を経てノンフィクション作家となる。1997年、民俗学者宮本常一と渋沢敬三の生涯を描いた『旅する巨人』(文藝春秋)で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年、『甘粕正彦乱心の曠野』(新潮社)で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。

「2014年 『津波と原発』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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