ゴランノスポン (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101319339

作品紹介・あらすじ

最高ってなんて最高なんだろう。僕らはいつも最高だ。明日またくる朝。浅漬――。現実から目を逸らし、表層的なハッピー感に拘泥する表題作「ゴランノスポン」。自らの常識を振りかざす人間の暴力性を浮かび上がらせ、現実に存在する歪みを描く「一般の魔力」。現代と中世が書物を介して烈しく混ざり合う「楠木正成」他、秘蔵小説7編を収録。笑いと人間の闇が比例して深まる、傑作短編集。

感想・レビュー・書評

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  • 相変わらずの町田節に翻弄された7つの短編集。

    一番印象的なのは『末摘花』。
    色々な作家さんが描く光源氏を読んだけれど、町田訳・光源氏も躍動感があっていい。
    これぞ男の本音、という心理描写が面白い。光源氏ファンには怒られそうだけれど。。
    あと、頭の中将ってこんなにウザい男なんだ。。
    普段モテモテの光源氏が末摘花に焦らされてキーッとなる過程は、ざまあみろ、といった感じ。ま、自業自得ですね。
    町田訳・六条御息所もぜひ読んでみたいので、町田さんいつか描いてくれないかしら。

    『楠木正成』を読んていたら、以前読んだ『ギケイキ』を再読したくなった。
    大河ドラマの菅田将暉の演じる源義経が『ギケイキ』の町田訳・義経とイメージにピッタリかも。

    ラストの『先生との旅』。
    何度も出てきた「日本中世におけるポン引きと寺社権門」。内容がとても気になってしょうがない。

    表題の『ゴランノスポン』。
    てっきり何か意味のある言葉かと思っていた。
    表紙のイラストもかわいいし。
    中村文則氏の『解説』によると「この番組はご覧のスポンサーの」からきているらしい。現実逃避していたのに現実に引き戻される瞬間を効果的に表すため、とある。
    言葉が途中なのは主人公が現実に戻るのを拒否するためチャンネルを変えようとしている、らしい。
    各短編の誰もが何かから「醒めた」瞬間を経験しているから…なるほど、と最後で納得。

  • お尻の彼よ 健やかなれ
    表題作のやうに
    泉に感謝してる描写を読んでみたひナ

  • 著者の小説、初読み。猫エッセイの文体そのままに、不条理な世界の短編小説が7編収録されていた。表題作「ゴランノスポン」が「ご覧のスポンサーの……」からという解説にショックを受けた。カバーの奈良美智の絵から「ゴランノスノポン」という変な単語が頭の中に何度も出てきてしまった。難しい単語が、ルビもなしにポンポンでてきて、これまた大変だったな。昔読んだ筒井康隆を思い出す。

  • 表紙の絵が奈良美智なので、本屋でみかけた時てっきり吉本ばななの本だと思って手に取ったら町田康でした(笑)。

    歴史モノ?と呼ぶには語弊があるけれど歴史上の人物が出てくる「楠木正成」と、源氏物語のアンソロジーで既読の「末摘花」は別として、他の5つの短編は、題材は違えど同じテーマだった印象です。リア充な幻想というか中2病的な妄想だったり、いずれもなんらかの錯覚から醒める瞬間のお話。

    愉快な仲間たちとピースフルに生きている自分という幻想、快適な生活という幻想、そこそこの会社に正社員で入った勝ち組という幻想、尻から浄めの水が出る自分は選ばれた人間だという幻想、自分が同行してるのは偉い先生だという幻想・・・薄皮いちまいの仮面の下は嫉妬や不満、憤怒がマグマのように渦巻いているのに、それに蓋をして自分を騙し続けても、いつかそれは破綻する。

    表題作のタイトルの意味がわからなかったのですが、中村文則氏の的確な解説にて解決。いわゆるテレビ番組の最後に流れる「この番組はご覧のスポンサーの提供で・・・」というあれ、あれを部分的に抜粋したのが「ごらんのすぽん」ではないかと。なるほど!つまりそれは、テレビというフィクションの世界から「現実に引き戻される瞬間」のこと。なるほど!

    ただ個人的には、町田康にしては全体的に破壊力(?)が物足りなかったかなあという気がします。なんだろう、文学作品として小ぎれいにまとまってる感じがして。もっと破天荒でいいのになあ。

    ※収録作品
    「楠木正成」「ゴランノスポン」「一般の魔力」「二倍」「尻の泉」「末摘花」「先生との旅」

  • 短編集
    楠木正成、末摘花の歴史をなぞった短編は自分の知識量が足りないのもありついていけなかった。
    「一般の魔力」「尻の泉」はどんな人生を歩み、どんな心理状態になればこんなぶっとんだ発想の小説を書けるのか笑いながらも驚くばかり。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/682492

  • 2023/1/4購入
    2023/5/28読了

  • 読む前も、読んでる途中も、読み終わってからも、
    テレビのCM前に流れる「ご覧のスポンサーの提供でお送りしました」から、タイトル思いついたのかなと、どうでもいいことが頭から離れなかった…

    全く関係ないけど


    オススメは、楠木正成

    全体的に 怖い 人間的な怖さ
    こんな人が身内にいたら、嫌だなって思うのと、
    自分にも、気付いていないだけで、もしかしたら、こういう嫌な部分あるのかも、という葛藤

  • 町田康にはまったきっかけの本。オカンは嫌がってた。

  • 途中で挫折

  • 仕事でも日記でもレビューでも、自分が文章を書くときには一応の約束事に乗っかって書いている。「一文を長くしすぎない」とか「文語と口語を区別する」といった、学校で習うような約束事だ。その約束事に乗っかることでどんな内容を書いてもある程度の読みやすさが保たれると思っている。
    しかし、町田康の文章ではそういう約束事がまるで無視されているように感じることが多々ある。
    頭の中で流れる言葉をそのまま文字にしているような、夢の中で読んでいる文章のような、変な感覚。にも関わらず、内容が入ってくる。
    どんな読書体験を経ればこのような文章を書けるに至るのか。

    「ゴランノスポン」の陽キャ集団。
    「一般の魔力」の常識人ぶった嫌な男。
    「二倍」の実態が掴めない会社。
    「先生との旅」でずっとあわあわしている男。
    どれも楽しかった。

  • 「楠木正成」
    楠木正成はいくさの天才で、いくさに命をかけている
    それゆえ、つねにやばい状況へと吶喊をかけずにはいられない
    そういう人なんだと思う
    平和ボケしてロマンチストな現代人たる語り手は
    ミーハーな気分でそれに近づき
    適当にあしらわれた挙げ句、流れ矢に当たって死ぬ
    複雑な南北朝時代の動きを
    まあまあわかりやすく解説してくれた語り手だったのに…

    「ゴランノスポン」
    偽の村上春樹みたいな文体でエコだのロハスだの言い
    関係性の広がりが人間を高めるとかいったポストモダンな希望を謳い
    それでいて狭い身内の外に対しては極めて冷酷な
    そういうナルシストの偽善が
    ひとりの仲間の自死によって露呈してしまう

    「一般の魔力」
    公共の道徳にかこつけて八つ当たりや嫌がらせを繰り返している
    そんな彼は、自分を模範的な市民だと信じこんでいるのだが
    根は怠惰な臆病者なので
    娘のエゴや、親としての責任に真っ正面から向き合うことができない

    「二倍」
    演技で成り立つ演技会社に運良く入社できたものの
    仕事上の失敗は演技と言って済まず
    クビになってしまう
    ダブルスタンダードじゃないか、と言っても無駄なんだ
    常識でものを考えてほしいところだ
    しかしそれにしても
    通常業務に加えて演技までさせられる現代社会とは
    実に世知辛いところであるよなあ

    「尻の泉」
    清浄な泉が尻から湧いている
    そのため常に下半身がずぶ濡れで
    常にオムツをつけてなくてはならない
    そういう、一種の聖痕を持つがゆえに世間から浮いた我が身の屈託
    それが彼の人生をめちゃくちゃにしたのだ
    しかし堕ちるとこまでとこまで堕ちたとき、尻の泉は枯れ果て
    そのかわり頭に知恵が湧くようになり
    彼は成功者になった
    すべては神の試練だったわけである
    そしてそれをクリアしたおれはすごい奴だぜ
    と思ってたら、実はまだぜんぜん試練は終わってなかったという

    「末摘花」
    子供のころ、占い師から不吉な予言を言われるなどしたために
    光源氏は屈折したやりちん男に育った
    女性に対してはマザコン的な高い理想を要求する一方
    滅びゆくものたちにシンパシーを感じるニヒリストでもあった
    それで、零落した貴族の娘に興味を持ち
    当時のことだから顔も見ないで同衾するのだけど
    あとになってこれが、とんでもない醜女であることが発覚した

    「先生との旅」
    本当はやりたくないんだけど
    後々のしがらみを考えると断れなかった講演会
    失敗は目に見えているが、なるべくなら大目に見てほしい
    つーかできれば、理由をつけて逃げ出したい
    そんな無責任からくる依存心が
    救済ともなる災いを呼び込んだのだろうか

  • あー面白かった。
    ゴランノスポンというタイトルからしてまず感動した。
    ご覧のスポンサーの提供でお送りしました。これを幼少期のわたしは、ゴランノスポン、サーノテーキョウでお送りしました、だと思っていたので、このことばをこんな所でみるとは…!!と、幼少のみぎりのぼんやりとした記憶を呼び起こすとともに衝撃を受けた。

    中身も本当に面白かった。どれも胸糞悪くて嫌な気持ちになる読後感でとてもよかったけど、特に一般の魔力がすごい。こいつこそクズ男だよなー、ていうそこら辺にいそうな普通の人で、でも愛猫家愛犬家の町田康がどんな気持ちでこの話書いたんやろうと考えてしまった。
    求めていた胸糞悪さがどの話にもあるから堪らないよ。

    楠木正成と末摘花は雰囲気違うというか、元々あるものに町田節を無理矢理ひっつけた感があって自然な町田康の感じ感を感じなかったのでほしいっこ減らしちゃったよ。
    末摘花は雑誌掲載時に読んどったんやけど、源氏のクズさが引き立ってるよね。

  • 短篇集。面白いのとパッとしないのとあるんだけどその辺は好き嫌い次第かな。独特の文体が活きてる作品は普通の文体の作品にはない面白さがある。「一般の魔力」とその前後の作品が面白かった。一番最初のは個人的にはぱっとせず。読み進むと面白い作品に遭遇。文体の珍妙さに依るところが大きいのでそのへんを楽しめるかどうかが鍵かな。

  • 源氏物語や楠木正成といった歴史物・古典をの町田調に軽快に訳してあったりといった短篇が幾つか。
    先生との旅、ゴランノスポン、尻の泉…いちいち笑わされる。最期がすう、と消えるように終わるのも良い。
    町田節を真似て文章を書いてみても、特に古典の町田訳を読んで切に感じるが、古語・口語体・カタカナの多い若者ことば・擬音の入り乱れたそれこそDJスタイル、次々に繰り出されることばのミクスチャーにこりゃ敵わん、とただただ感服する。
    中村文則の解説に「ゴランノスポン」は「ご覧のスポンサーの…」の途中だと書いてあって、成る程納得した。どうやら単行本では帯にそのようなことが書いてあったそうだが。
    何故表紙が奈良美智なのかも最早笑えてくる。

  • どれもこれも思い当たる節のあるストーリーで心が痛い。「表層的なハッピー感に拘泥する」ゴランノスポンは就活でよく聞く「仲間に感謝」の行にインスパイアされてる?しかし表層ハッピーは続けられない。一点の綻びから本性があらわになる。
    一般の魔力も思い当たる節があってつらい。自分を棚に上げて他人を批判、自分に非があることはすぐ忘れる。自分の嫌な気分を相手に察っしさせたい。この感情は普通なこと?
    先生との旅は相手の能力を過大に評価して身動きが取れなくなってしまう物語。自分の中の普通と相手の普通が違うと思い込んでいることが元凶である。そこに至るまでのなんだかんだ理由をつけて断りのメールという嫌なことを先延ばしにする姿勢も私にそっくり。
    というか全体的に見に覚えがありすぎてつらい。見られてたのかと思うほどにしっくりきてつらい。
    ゴランノスポン(ご覧のスポンサーでお送りしました)というタイトルで幻想から醒める瞬間を表現した物語群らしい。醒める前はあるあると思うことも多いが、醒めた後は完全に町田康の想像。綺麗にまとまりすぎているという感想もあったが、やっぱり結論があったほうがすっきりする。

  • 町田康の小説は、その他大勢の群衆に埋もれて生きるひとの決して尊くない哀しみが、ぱっと見、明らかに哀しいのに読めば読むほど哀しみに思えず、哀しみであることを忘れさせる。
    ページを閉じたあと、もやもやとした形で「哀し…」と脳内を哀しみのもやもやで薄く埋め尽くす、その清々しい脱力というか諦念が堪らない。
    そして、でも結局はフィクションなんだよなと、心置きなく離れられる軽さ。
    丁度よい悲壮。
    短編小説だからこその軽さであって、長編小説では、拭っても拭いきれない後味が残る。
    それはそれで、またいいんだけれど。

  • 「楠木正成」はよくわかりませんでした。ごめんなさい。
    「一般の魔力」が印象的。自分のものさしが絶対だと信じてやまない人、恐ろしいな。

  • あまり好きではなかった。。著者の猫エッセイに大感動しただけに、期待が空振りしてしまいました。。

  • 町田康の短編集。『一般の魔力』という話の毒気がきつかった。以前の本と比べて読みやすい感じだ

  • 2014年6月
    ブックオフ五反田店

  • 痛快!現代をひたすら皮肉る。最新から最後までにやにやして、たまに声出して笑ってしまう短編集。
    「末摘花」は源氏物語のアンソロジーにも収録されていて、多分3回目ぐらいなんだけど、毎回同じ場所で笑う。一番気に入ったのは「尻の泉」。町田康特有のリズムで綴られるいかれた意識の流れ。くだらなさ。尻から泉が出る体質のせいでシャブ中にまで落ち込むどうしようもない主人公の悲しさ。各作品オチが秀逸でした。

  • 笑った。これぞ町田節。

    表題作は‘最高’‘いい感じ‘‘感謝’が口癖の主人子が最低でクズな現実を‘最高’‘いい感じ’‘感謝’という言葉で糊塗できなくなった瞬間、感情が爆発するストーリー。構成が秀逸。源氏物語「末摘花」の現代訳ならぬ町田訳なんか最高。ゲラゲラ笑って読んで欲しい

    ドス黒くてユーモアたっぷりの短篇集。

  • 他にも書いてた人がいたけど、
    前半の作品の方が圧倒的に好み。書いてた時期が違うのかな?

  • 町田康 短編集 世にも奇妙な物語もあり 主人公にむかついたり 笑ったり。 源氏物語の末摘花知ってたらもっとおもしろいんだろうなぁ。 

  • 長い電車旅のお供にぱらぱらめくっていた本

    満員電車の中で読むと、うっとする車内がさらにうっとする気がした。
    それが作者の思惑通りである気もするけど、「ハッピー!もう一度、読み直そう!」という気は起こらない本であった。

    世の中の軽薄なところ、ややもするとお下品なところが詰め込まれている。

  • 町田康は、たしか「夫婦茶碗」と猫のエッセーを読んだことがあるのだけれど、どうもついていけなくて挫折した覚えが。にもかかわらず、今回手に取ったのは、ひとえにタイトルに惹かれたから。

    しかし、やっぱり肌に合わなかった。最初の二編くらいまでは、ニンマリさせられたりしながら、まあ楽しく読んだのだけれど、後半はもう辛くなってきた。

    溢れ出てくる言葉のセンスは分かるのだが、根本を貫いている、“ひたすらいい加減”な感じが、ダメなのかな…。

  • 初めて町田康を読んだ。すごい文章。こういう文章力も文章力なんだと認識。ただ伝わるものと伝わらないものの差が激しく、そこはついて来いと言わんばかり。三つめの「一般の魔力」が一番わかりやすくもあり、面白かった。

  • 『目を覚ましたらブラインドから縞の光が差しこんでいた。
    素晴らしいことだと思う。
    太陽が僕たちに降り注いで生命が育つ。大地が潤う。そんななかで自然の一部として僕らは生きているんだ。そのこと自体がとてもありがたい。感謝。誰へ? すべてにだよ。すべてに感謝して生きていく。空に、海に、きみに、自分に。』

    『それぞれがそれぞれとしてそこにある。それこそが素晴らしい。空が美しい。感謝。』

    『それぞれがそれぞれであること。
    それが一番大事だと思う。
    それぞれが大事なのさ。』

    『けど同じことなんだよ。だってこんなに心がひとつになってるじゃないか。同じ、同じなんだよ。それぞれがそれぞれにみな同じひとつの音楽を聴いてる。あれ? ということはそれぞれの魂じゃないってこと?』

    『すべてとすべてとすべてに感謝。自分のすごさを常に忘れないこと。そして感謝すること。』

    『僕らはポジティヴな話しかしない。ネガティヴなことをいう奴はひとりもおらないのだ。世界中が僕らみたいな奴だったら戦争なんか一瞬でなくなる。感謝。』

    『最高ってなんて最高なんだろう。僕らはいつも最高だ。』

    『だから僕なんかは彼らを見て悲しくなる必要は毛頭なく、むしろ生きる勇気みたいなものを貰っているはずなんだ。ホームレス、最高。そして。感謝。』

    『本日がデッドということで、そのデッドを超えてデザインが来ないということはどういうことかというと、もしできなかった場合、関係者全員(勿来山先生と事務所の人を除く)が切腹して死ななければならないということである。優秀な介錯人がいればそうでもないが、そうでない場合、切腹というものは苦しいもので、そしていまは介錯ができる人なんてそういないから、切腹は間違いなく苦しいもので、首つりじゃ駄目ですか? といいたいところである』

    『ふっふーん、この繋がりはまったく意味が分からないが、よほど深い意味があるのだろう、と勝手に深読みしてくれる可能性がゼロとは言いきれない雰囲気が醸成されない可能性がないこともないこともない。』

  • 中村文則さんの解説でゴランノスポンの由来を始めて知り、妙に納得し、町田康氏の思慮深い設定に只々感心させられて思わず感嘆の溜息が読了後でてしまった。 現実と夢の狭間で誤魔化しなが毎日を過ごしている。そうでないとやっていられないストレスがある。趣味に没頭したり、旅に出たりして現実逃避する。そして人は自分のやっている事は間違いなく、自分の中でありえない真実は受け入れ難いという傾向があり、ある瞬間それがひっくり返る時に感じる恐怖と滑稽さや人間の傲慢さや信心深さが招く憐れな姿が描かれている。所々、いや随所に笑のツボがあるが、笑ながらゾッとするのは町田康氏ならではだと思う。

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著者プロフィール

町田 康(まちだ・こう)
一九六二年大阪府生まれ。作家。九六年、初小説「くっすん大黒」でドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞。二〇〇〇年「きれぎれ」で芥川賞、〇五年『告白』で谷崎潤一郎賞など受賞多数。

「2022年 『男の愛 たびだちの詩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

町田康の作品

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