- Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101325125
感想・レビュー・書評
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19歳のジョージ、44歳の滋賀さん、65歳のおじいの関係は、家族のような親戚のような不思議な距離感で魅力的。だけどそこには秘密が隠されていた。
桜が花から葉桜になるまでの数日間の物語。
明かされる秘密と死装束に拘るおじい。
真実でいきてなきゃ、どうすんのよ。
みんな、自分が誰かなんて判っちゃいねえよ。
人は皆、自分を偽りながら生きているのだろうか。
鷺沢萌さんの命日4月11日を葉桜忌という事を知った。もちろんこの「葉桜の日」に由来する。
若くして亡くなった鷺沢萌さんの、22歳の抑制的に綴られた青春小説。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アイデンティティが確立しにくい時代と言われてます。実際〝自分は誰なんだろう?〟と思ってる人も多いんじゃないかなぁ。わたしはよく思います。
思うたびに、前はこうだったけど今は違うなー、とその時々で変わってるんじゃないかという感覚があります。たぶんそれでいいんだろうな。たぶん。
僕は、ホントは誰なんだろうね?
(葉桜の日)
ふちの欠けたグラス
(果実の舟を川に流して)
あやふやな想いがあやふやのまま、
あやふやなさがはっきりとわかる。
なんだろう?
否定でも肯定でもない、
ただこのままでという、
わからなさ。
葉桜忌、4月11日に、
また思い返す、かも。 -
ずっと奥底に残してる本。
行き場のないナイーヴな心。 -
ジニのパズルを読んで読むシリーズ その1 川崎特有の地理感覚
鷺沢萠さんという、10年ほど前にその訃報を聞いて知った作家さん。
18歳で文学界新人賞受賞。当時最年少受賞。
上智大学の1年生でこのビジュアル、となると当時騒がれたのでしょうねぇ。
しかし、その後取材を通して自分の父方の祖母が韓国人だと知り、そこから韓国へ留学。
とウィキペディアに書いております。
自分が全くそうだと知らなかった人による作品ということで、これまた他の作家とは異なる体温ではあります。幼少期の差別、ということがもちろんなかったわけで、登場人物も成功してお金持ちのお宅が多いです。
2作品が入っております。
葉桜の日
「葉桜の日」の舞台のひとつは、第三京浜の川崎インターを降りて車で15分南下した、南武線の線路沿いの弁当仕出し工場。
ここで皆さまが正しく読み解けたかが疑問であります。
実際問題、第三京浜の川崎インターを降りて車で15分南下したら、南武線から離れて横浜方面へと進んでしまうのですよ。
川崎特有の地理感覚というものがありまして、ここでいう「南下する」とは、川崎方面に向かうことを指します。東なんですね。
川崎では東側のことを「南部」と呼び、西側を「北部」と言います。
アメリカでは農業が盛んな南部、工業が発展する北部でありましたが川崎では南部が工業、ブルーカラーに対して北部がホワイトカラーなイメージであります。
つまり、川崎インターを降りて車で15分の南武線沿いってなると武蔵中原と武蔵小杉の間
ぐらいかなぁ、と読み解くのですがこれ読者のどれだけの人にわかるんだ。
「川崎南部」って言い方をしているので、鷺沢さんはこのあたりを取材なりなんなりで把握したうえで書かれているんですね。
韓国の方も多いのだけど、実際他の国の方も実は多くって、もはやナニジンだからってどうこうしてられない地区だったりするわけですが、そこで主人公ジョージは
「僕は、ホントは誰なんだろうね?」
という疑問を抱くことになります。
このジョージの思いは取材の上で自分の知らないことを知ることとなった鷺沢さんの疑問そのものであったのかな。
冒頭、志賀さんが言ってる
人の生きていく方法や道はさまざまで、どれが最高ということはない。ただ、自分のめいっぱいに真実で生きていればいい。
ということばは、結構わたしの胸にああ、そうだなと響いたんだけどね。
19のジョージは、これから悩んで行けばいいんじゃないかなぁ。
果実の舟を川に流して
「果実の舟を川に流して」は、中華街での話。あのあたりの赤い独特なネオンを浮かべながら、読みました。
一転、ヨコハマの人たちが織りなす、おしゃれな空気が流れる作品。
巻末の解説を読んで確かに、22とか23歳で書かれた本には思えないなぁと、若い者らしい甘え、のようなものの排された文章を見て、思いました。
もう一冊を読むのが楽しみになりました。 -
高校か大学1年の頃、妙に鷺沢先生の小説にはまった時期があった。
今となってはその理由がさっぱり思い出せないのだけれど、はっきりしているのは、多分、あの頃の私はこの話をよく理解できなかっただろうということだ。
年齢的には、あの頃の方が登場人物に近いはず。
けれど、生活するということ、生きるということをいまいち分かっていなかったあの頃には、この本にちりばめられた桜の花弁も、きれいごとでも格好のいい話でもない、普段なら気にも留めない人々の、気にもならない日々も、目に映らなかっただろう。
今の私はジョージの年も健次の年も超えている。
次は、誰の年になるのだろう。
その頃にもう一度読めば、また見えなかったものが見えてくるのかもしれない。 -
「葉桜の日」「果実の舟を川に流して」の2編からなる。
「葉桜の日」は、出生の秘密を知ることになる主人公と周囲の人が葛藤する。
自分探しは永遠のテーマだと思うが、そばにいる人との関係や距離によって知っていくのだなぁとつくづく思った。
在日という壁もでてくるが、これは作者本人が20歳の時に知ったという現実とシンクロしているのではないか。
「果実の舟を川に流して」は、タイトルが秀逸だと感じた。
バナナボートという飲み屋を舞台に社会との距離を主人公が感じてゆく。
これを書いた作者の年齢のことは書きたくないのだが、ついつい考えてしまいながら読んでいる自分がいた。
天才とは、儚いものである。 -
表題作と『果実の舟を川に流して』いずれも丁寧に書き込まれている。女性が描く主人公の男の子たちは透明感がある。純で気持ちいい。
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非常に巧い小説だと思います。
自分は一体、誰なんだろう?
そんな思いを抱えながら生きてきたジョージ。
彼が自分の出生の秘密、志賀さんの秘密を知った後、本来ならば、ようやく自分が誰だったのか分かるはずなのに。
自分が余計分からなくなってしまうジョージが繊細に描かれていて、
「僕はホントは、誰なんだろうね?」
彼のこの一言が非常に鮮烈で染みました。
大人への反抗心をむき出しにするわけではなく、若さを生き生きと描く、秀逸な作品。
これを二十代前半で書いたというのだから、本当に鷺沢さんには舌を巻いてしまいます。
天才っているのねー。 -
言っても仕方ないこと、考えても仕方ないことは、生きていれば山ほどある。自分は何者なのか。若者特有の青臭い考えは葉桜のむせる若葉の季節によく似合う。
焦りや苛立ちを書かせたらピカイチの鷺沢萠が切り取る世界は、地続きで、バーのカウンターでたまたま隣り合わせた他人の身の上話に似た雰囲気がある。
当事者なのにどこか他人事。どうしようもない日々を生きていて、何が悪い。 -
2013年5月8日(水)、読了。