ビューティフル・ネーム (新潮文庫)

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著者 : 鷺沢萠
  • 新潮社 (2006年12月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101325217

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ビューティフル・ネーム (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • ゆっくりと静かに、しかし大きく魂を揺さぶる。モノの名前とは違って、人間の名前というのは他者によって識別されるためのものである以外に、自らの生き方を規定するものであるらしい。自らの名前を名乗ることが、他者の魂を揺さぶり、美しいと感じさせるとはどういうことだろう。その人達の意志と関わりなく、歴史や制度がそうさせたのだと思うと、ものすごく切ない。

  • 帯には『早すぎる遺作』の文字。
    まったくもってその通りだと思う。

    在日韓国人3世を描いた3つの話から構成される…はずだったお話である。
    3作目は著者の絶筆。
    その続きを永遠に知ることがないと思うとますますこの作品への思いは強くなる。

    願いをこめられてつけられた名前はあまねく『美しい』。
    在日韓国人であるがために韓国名と日本の通名の2つの名前。
    日本における彼らの心のありようが少しでも感じられれば…と思う。

  • …のあとの!や!?、はアアッ?がポップだ。
    在日のこと、私は当事者じゃないから…と言って腫物に触るように、それどころか危うきに近寄らず、みたいな構えをとってしまいがちだけれど、そうじゃなくて、ここに出てくる人たちを思うと、なんというかなんというか。全然言葉にまとめられない…。

  • 2004年、35歳で急逝した鷺沢萠が生前から構想していた、1つの主題に貫かれた3つの物語。最終篇は未完に終わった。また、自身の高校時代を描いたと思われる絶筆も併録。書くことに走り続けた作家が最後に遺した小説集。

  • 【本の内容】
    「Yes,I am.I am a Japanese.(えーっと、ホントは違うんですけど)」。

    在日韓国人三世の崔奈蘭は、中学高校の6年間だけ「前川奈緒」だった…。

    国と名前をめぐって編まれた三つの物語と、パソコンから見つかった未完の遺稿を含む鷺沢萠の絶筆。

    35歳の若さで世を去るまで、きりりと明るく、人間を深く肯定する物語を届け続けた希有な才能が、いま作品のなかに永遠の生を得て、光り輝く。

    [ 目次 ]


    [ POP ]
    「美しい名前」。

    素晴らしすぎてタイトルを見るだけでじわっとくる。

    読んでいる最中、何度も何度も繰り返しタイトルを見た。

    あたたかく美しいそのタイトルが本文とともに、新しい優しさを心に運んでくる。

    在日朝鮮人、思春期。

    「どうして私は韓国人なの?」「どうしてこんな名前なの?」。

    日本に潜在的に存在している在日外国人への差別は、彼らに容赦なく襲いかかる。

    通名を使い日本で生きる少年たちの苦悩と熟考が、非常にリアルな言葉で、しかし驚くほど読みやすく綴られた短編集だ。

    これから先、私たちが嫌でも考えていかなくてはならないことが、著者の脳みその中にはめいっぱい詰まっていたはずで、読みながら彼女の言わんとしたことを必死で酌もうとしたけれど、たぶん彼女が伝え残したことはまだまだたくさんあるような気がする。

    小説として無邪気に読むには痛すぎるのに、その内容と反比例するような無邪気な文章の書き方が本当に素晴らしかった。

    ただただ続きが読みたかったと残念に思います。

    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • その名前が私を形作る。

    未完の遺稿については、やはり完成したかたちで読みたかった。「眼鏡越しの空」については、自分が理解できない壁を感じる。理解したいと思っていても、なぜか壁が隔たるもの。チマチョゴリとキャミソールの話は、どうしても説得できない自分を感じた。アトナオにも奈蘭にも全面的に同意できないもやもやしたものを感じる。

    「故郷の春」の主人公は、字面から陽気な、というか明るい口調が音で聞こえてくる。でもそれは、作った明るさのようにも感じられ、自分というか、自分と名前に所属する自分を受け容れるまで、アイデンティティーの確立までの葛藤をなんとなく感じてしまう。

    チュー先輩のキャラクターは、とてもカッコイイ。もしかしたら、彼女も色々と考えたり恨んだりすることがあるかもしれないけれど、高校生の時点で、そうやってあっけらかんと、少なくとも外向きにそのように振る舞える時点で、とてつもなくカッコイイ。ところで、未完の「ぴょんきち/チュン子」の主人公もどうやらチュー先輩と同じ春純という名前だけど、同一人物だろうか。

    容易に、~だった、良い話だったと言えない、自分で消化できない。自分の名前に対する誇りの話と一般化することもできない。消化不良のまま、当分抱えておきたい話であった。

  • 在日一世の苦労や生活がうかがいしれる。また、そのまま日本に滞在しつづけた理由も、おそらく、この小説に登場する人物のようなケースが多いのだと思う。

  • 初めて未完の作品を読んだ。
    唐突にぷつんと終わってて、本当に途中ってかんじでどきっとしました。

    在日韓国人が主人公で、名前や環境にまつわる話を集めた本。
    自分は日本人なので、そういう気持ちを持っている人が居るということを考えたことも無かった。
    在日韓国人とかそういうことって、全然気にすること無いよって言ってあげたいと思った。

  • オビに、「鷺沢萠、最後の小説」とある。
    使用されていたパソコンから見つかった未完の小説を含む、短編集で、鷺沢さんの繊細さが伝わってくるような物語。
    通名については、在日外国人である人にしか分からない感情や経験もあろう。そして、名前の持つ影響力の大きさよ。
    自分の名前について悩みながら、ビューティフル・ネームと言える主人公たちの強さとしなやかさ。

    解説は重松清さんで、フリーライター時代に著者にインタビューしたときのことを書いており、その内容が印象的。
    〈他者なしの自分というのはあり得ないと思っています。言葉にするときれい事になってしまうんですけれども、私という自分は他人によってつくられていると思っているんですよ〉
    〈(略)最近のフリーターとかをやっている女の子の不安感て、そういうところにあるんじゃないかな。自分が誰かの役に立っていないと、自分て誰にも認識されないんですよ。私が切ないほど誰かの役に立ちたいと思うのは、自分を生かすための方法だったりするんですね〉

  • タイトルの意味は読み出すとすぐ分かる。
    情景や登場人物の気持ちがぱぁーっと目の前に浮かんでくるような感じ。

    あー、これが遺稿だなんて本当に本当に悲しい。
    未完の「春の居場所」が途轍もなく好き。最後まで読みたかった(>_<)

  • 鷺沢萠氏の遺作にして、傑作。『眼鏡越しの空』は2つの名前を持った在日コリアンの逡巡を描く、青春小説。『故郷の春』は読みやすい文体から、琴線に触れてくるので、不思議な感覚に陥る。解説にもあるように「鷺沢萠」という名前が故人であることが、とても、哀しい。

  • おそらく鷺沢氏が亡くなる直前の作品。
    春の居場所という作品の最後の一行が途切れている。
    何かに行き詰ったのであろうか。最後の迷いとか想いを汲み取れる。
    貴重な遺作。最後の一行は、何度読んでも悲しい。
    また、氏のフロッピーから復元された編集者の皆様方には感謝。
    信頼関係があればこそのなせる業。

  • 「名前の大切さ」

    <マイ五ツ星>
    共感度:★★★★★

    <あらすじ>-ウラ表紙より
    「Yes,I am.I am a Japanese.(えーっと、ホントは違うんですけど)」。在日韓国人三世の崔奈蘭は、中学高校の6年間だけ「前川奈緒」だった……。
    国と名前をめぐって編まれた三つの物語と、パソコンから見つかった未完の遺稿を含む鷺沢萠の絶筆。35歳の若さで世を去るまで、きりりと明るく、人間を深く肯定する物語を届け続けた希有な才能が、いま作品のなかに永遠の生を得て、光り輝く。

    <お気に入り>
     十代のころには、自分の中にたくさんの「ゼッタイ」が存在する。あたしは「ゼッタイ」こう思う。あたしは「ゼッタイ」こういうことはしない。あたしは「ゼッタイ」誰々のことは好きになれない。
     世の中の多様性を知らぬがゆえに、また、経験則の不足のせいで、人間の気持ちというものは分刻みで変貌してしまう可能性を常に孕んでいるものである、という普遍的事実をまだ知らぬがゆえに、それらの「ゼッタイ」がほんとうに「絶対」であるかのように思いこんでしまう。

    <寸評>
    (今回は自分の体験談ばかりですが…)

     「名前」はかけがえのない大切なものだと思うようになった、エピソードがある。
     中学2年のとき、当時「寮新聞」の編集員だった俺の、ある原稿を見た同級生が、声をかけてきた。
    「俺の名前ホンマの字で書いてくれたの、塁くんが初めてや!」
     彼は「紘義」というのだが、「紘」を「絋」と、いつもいつも書かれてしまうのだという。中学生ぐらいでは、まだ「知っている漢字の組み合わせ=糸+広」でついつい書いてしまうからだろう。
     俺は確かにそれは意識して正しい字を書いたものだった。編集部には全校生徒の名簿があり、人名は必ずチェックするようにしていた。それは俺自身「塁」という変わった名前で、よく年賀状などで「里」だの「墨」だの書かれた経験からである。だがまさかこのように気付いてくれて、お礼まで言われるなどとは思いもしなかった。
     その一件で仲良くなった紘義とは、今でも親友と呼べる間柄であり、彼のハワイでの結婚式にも、パスポートを取って駆け付けた。

     本書『ビューティフル・ネーム』は、その名の通り「名前」と、そこに根差すアイデンティティがテーマの連作短編である。
     本書の一編『眼鏡越しの空』の主人公・崔奈蘭は「さい・ならん」という言葉の響きが嫌で、幼少時に「サイテーだよ!こんな名前!」と両親にあたってしまう。そして日本式の名前「前川奈緒」として思春期を過ごす。
     そんな彼女の前に高校時代に現れた、同じく在日の白春純(ペク・チュンスン)という名の先輩。本名のままで生きる彼女に、初めに抱いたのは、嫌悪感だった-。

     俺はこの崔奈蘭にものすごく共感する。俺も「うえだ・るい」という名を、小学校高学年~中学まで「ダルイ」などと小バカにされた。当時は親を恨んだりもした。
     もっとも、ガキ大将的な位置にいた俺は被害は少なかった方だと思う。しつこく言ってくるのは同級生の中でも幼いヤツや、同い年には何も言えない弱い先輩ばかりだった。(笑)。

     そして、今では自慢の名前である。一発で覚えてもらえ、そのうえ「名前で呼んでもらえる率」がケタ違いに高い。「ウエダくん」より「ルイくん」、「ウエダ先生」より「ルイ先生」……。当面の悩みといえば、生徒から「ルイちゃん」などと身も蓋も無い呼び方をされることと(もちろん「ダレが『ちゃん』じゃ!」と一喝する・笑)、飼いイヌに「ルイ」と名付ける生徒が何人かいて、「昨日はずっとルイにくっついて勉強してた~(寒さ対策?)」などと女の子が言うのを聞いてビクリとすることぐらいだ(「ややこしい... 続きを読む

  • 鷺沢 萠 の作品に出会ったのは、たしか大学受験勉強中に目にした『葉桜の日』だったと記憶している。「本の虫」と言われることを密かに喜んでいた私にとって、国語の受験勉強(小説に限る!)は、親に咎められることがない読書タイムの時間でもあったのです。大学受験が終わったら読もうリストに加えたはずなのだけれど、すっかり忘れてしまっていて、ここ数年で読み始めました。

    彼女自身も在日の方だったと思うのですが、そんな彼女が「在日」をテーマに書いた作品集がこの本。残念ながら、2004年に自ら生涯を閉じてしまったために、パソコンに残されていた未完成の作品も2つ収録されている。

    特に「眼鏡越しの空」で揺さぶられる。
    2つの名前を持つことの意味と本人の葛藤、殻、違和感、仮面をかぶるような感覚。
    そして、周囲の人間の戸惑いと思慮。
    それをめぐるetc.・・・
    知らないということは、無邪気だ。だけれども、人を悩ませることにもなる。
    それでも、知らないことに気づいたら、アトナオのように知ろうと努力すればいいのだ。
    そして、考えればいいのだ。

    「在日」であるマエナオ、「日本人」であるアトナオ、どちらにもやさしさが注がれたお話だった。
    うまく言葉で表現できないのだけれど、何かとても大切なことが語りかけられている。
    (2008.8.16)

  • 鷺沢は初期の頃から好きで、でも本から離れていたときに突然亡くなった。この本は彼女のアイデンティティなのだとおもう。未完の一篇が残念でかなしい。「眼鏡越しの空」はいとおしい。

  • 彼女の小説は20代半ばからずっと読んでた。
    彼女の小説が好きだったかどうかと言うと分からない。
    彼女は35歳で自ら命を絶った。
    その後から私は彼女の本が読めなくなった。
    持ってた本は全部売り払い家に置きたくなかった。

    なんでそうしたかったのかは分からないけど。

    ショックだったのかな。やっぱり。
    二十歳を過ぎて自分のおばあちゃんが韓国人だったと知った作者。
    それからの作風は在日韓国人、日韓関係などについてが多くなった。
    私も夢中で読んでた覚えがある。
    韓国語を習ったのも少しそういう思いもあったのかもしれない。
    この作品も在日韓国人の通名、つまり日本名をめぐる物語。

    二つの名前を使わなければならない彼ら。(使わない人も勿論いるが)
    その気持ちの葛藤、移り変わりなど細かく書かれてる。
    そこまで彼らに近づき、彼らの代弁者ののように書きまくって一生を終えた彼女。
    まるで自分の使命のように。

    そうだったのかな?もっともっと書きたかったことあったんじゃないかな?
    もっと書いてほしかったな。。。
    なんで今、読もうと思ったのかはわからないのだけど本屋で見かけて手に取ってた。
    5年ぶりに読んだ彼女の小説はやっぱり彼女だった。
    そこに彼女はいた。確かにいた。。。

    やっと読めたのはやっと認めることが出来たのかもしれない。
    彼女はもういないんだよね。。。

  • 2010年3月5日購入。

  • 遺作になってしまったこと、とても残念に思います。
    これを最後にせず、彼女の文章をもっともっと読みたかった。

  • 在日韓国人の方の名前の話。
    著者自身もそうですが。
    それを、非常に普通に聞いてストーリーにしていくのは
    やはり鷺沢さんの力量だと思う。
    これはぜひ読んでほしい本。

  • 在日コリアンの名前への複雑な感情、葛藤、戸惑い。鷺沢さんには、もっと長く生きていて欲しかった。

  • 鷺沢萌の最後の作品。本当は、ウェルカムホーム探してたんだけど、買っちゃった☆在日朝鮮人の話で結構おもしろくよめた。やっぱり。差別でもなんでもその立場になってみないとわからないものなのね。
    原稿は途中で終わってしまっていたらしく中途半端に終わっているところが生ナマしい。でもそれこそ生きていた証拠なんだろうな。ただの本じゃない。そう感じた。

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