絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101325323

作品紹介・あらすじ

絶対貧困-世界人口約67億人のうち、1日をわずか1ドル以下で暮らす人々が12億人もいるという。だが、「貧しさ」はあまりにも画一的に語られてはいないか。スラムにも、悲惨な生活がある一方で、逞しく稼ぎ、恋愛をし、子供を産み育てる営みがある。アジア、中東からアフリカまで、彼らは如何なる社会に生きて、衣・食・住を得ているのか。貧困への眼差しを一転させる渾身の全14講。

感想・レビュー・書評

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  • 面白い本は人それぞれだと思いますが、私が世界の全ての人に何か一冊本を読んでもらえるなら、この本を読んで欲しいです。感想は人それぞれあると思いますが、私はこの本を読んで自分がいかに幸せかを思い知らされました。人種性別老若男女問わずにおすすめです。

  •  著者は1977年生まれの若いノンフィクション作家。これまでにアジア・中東・アフリカの途上国を中心に何十ヶ国と回り、現地の貧しい人々と生活を共にしながら取材をつづけてきた。

     本書は、体を張っての豊富な取材体験をふまえ、各国の「最貧民」の暮らしぶりを紹介したもの。「スラム編」「路上生活編」「売春編」の3部に分かれた、「世界リアル貧困学講義」である。
     著者自らが撮ったたくさんの写真、図やデータを随所にちりばめて、全14講の「講義」がなされていく。

     そう、長編ノンフィクションではなく、世界の貧困の実態を教える「講義」なのだ。とはいえ、堅苦しさはまったくなく、話し言葉の文章は平明であたたかい。あっけらかんとしたユーモアさえちりばめられている。

     しかし、語り口こそ軽快だが、次々とくり出されるエピソードはとてつもなくヘビーである。日本社会における貧困など、途上国の最貧民が直面する現実と比べたら、牧歌的に思えてくるほど。

     たとえば、映画『スラムドッグ$ミリオネア』にも出てきた、インドの犯罪組織がスラムの孤児たちの目をつぶして物乞いをさせる(=障害児のほうが同情を引いて稼げるため)というエピソードが、本書にも登場する。しかも、著者が目の当たりにしたその実態は、『スラムドッグ$ミリオネア』に描かれたよりもさらに無惨なものなのだ。

     ……というふうに紹介すると、よくある、“正義を振りかざして社会悪を告発する、サヨっぽいルポ”だと勘違いする向きもあるかもしれない。
     だが、そうではない。むしろ、本書はそうした“告発目線”、ひいては「最貧民」たちを過度に美化する姿勢からまったく自由である。
     著者は言う。

    《これまで貧困問題というと、「青少年のための議論」ばかりがなされてきました。世の中の不条理が集まる汚い世界なのに清純なテーマばかりが取り上げられてきたのです。マスコミが作り上げる「涙を浮かべる栄養失調の子供」の姿などがその象徴でしょう。
     もちろん、それはそれで一つの側面として間違ってはいません。しかし、スラムだって路上だって、売春宿だって、そこで生きているのは私たちと同じ人間なのです。恋もすれば、嫉妬もするし、自慰だって不倫だってするわけで、かならずしも涙に暮れた純粋無垢な被害者しかいないわけではないのです》

     「最貧民」たちを、世の不条理の無垢なる被害者として“上から目線”でとらえるのではない。著者は彼らと同じ目線に立ち、不条理と悲惨の中でもしたたかに生きる姿を、いきいきと描き出していくのだ。

     性も含めた生活の全体像にストレートに迫っているため、「眉をひそめるようないかがわしいことも、信じられないような悲惨なことも、思わず噴き出してしまうような滑稽なこと」も、ごちゃまぜになって登場してくる。従来の日本のマスメディアが途上国の貧困問題をテーマにするとき、悲惨と無垢にばかり目を向けて「いかがわしいこと」や「滑稽なこと」から目をそらしがちだったのとは対照的だ。

     すさまじいエピソードの連打。そして、ぎりぎりの生の中で貧しき人々がふと見せる人間性の輝きが胸を打つ。

     たとえば、著者がタンザニアで出会った、「マドンナ」という名の「路上生活者の産婆」のエピソード。

    《マドンナは遠くから路上生活者の妊婦が噂を聞きつけてやってくるほど人気があり、頻繁にお産を手伝っていました。ある日、私は彼女に「少しでもお金を取ればいいじゃないか」と言いました。そうすれば路上で寝泊まりせず、バラックに暮らすぐらいのお金はできるはずだからです。しかし、マドンナは苦笑して次のように答えました。
    「アフリカでは、みんなお金を目当てに戦争をしたり、虐殺をしたりしている。私は赤ちゃんが生まれてくる時ぐらいはお金に関係なくやってあげたいのさ。生まれた時から赤ちゃんをお金の毒にさらしたくないんだよ。だから、私は路上の産婆で満足なんだ」》

     もう一つ、マニラの「ジャパニーズハウス」(日本に出稼ぎに行かせた子供たちの稼ぎで立てた豪邸)に暮らす「ゴッドマザー」のエピソード。

     日本帰りのフィリピーナたちが金持ちになるとはかぎらず、むしろ親戚たちに稼ぎを吸い取られて無一文になる例が多いという。彼女たちは「外国人に体を売った薄汚い元売春婦」として蔑まれ、「職に就くことも、夫をもつこともできず、わびしい生活を余儀なくされて」いる。

     著者は取材の途中、そんなフィリピーナの1人にカメラを盗まれる。「警察に訴える」と怒る著者に、ゴッドマザーは「私がカメラを弁償するわ。だから彼女を許してあげて」と言って、数万円をポケットにねじこむ。盗んだ女の親戚でもなんでもないにもかかわらず……。

    《スラムでは、かつて海外へ渡って必死に働いていた人々が、その日の米にも困るようなひもじい生活をしていることがあります。その中で、唯一ゴッドマザーが彼女たちに手を差し伸べています。出稼ぎ成金が、出稼ぎによって夢破れたものたちを救っているのです。
     私には、そこに良いとか悪いといった理屈では語れない何かが横たわっているように思えてなりません》

     「良いとか悪いといった理屈では語れない何か」――この言葉が本書をつらぬく主調音だ。「最貧民」たちの暮らしに満ちた犯罪や物乞いや売春などを、著者は糾弾するのでも憐れむのでもなく、一つの生のありようとして、ただ虚心坦懐に、そして真摯に見つめるのだ。

     読み終えると世界の見え方が変わるような、鮮烈な一冊。

  • 出版された時から、ずっと読みたいと思いつつ、今になった。南米旅行に持って行って読む。

    いろいろ知ることができて良かった。

    特に考えさせられたこと。
    海外に行った時に、子供が売り子になっているのに会うたび、ちょっと気分が暗くなっていた。私は買ったことがない。しかし、これを読んで、彼ら彼女らから買うことが、自分にできることの1つであると教えられた。どちらかというと逆の気持ちでいた。買うことによって、子供が働かされることを肯定することになるのではないかと。しかし、そんな考えは綺麗事で何の意味もなさないということに気付かされた。ペルーでも、少年少女が売り子になってお土産物を売っていた。いつも同様、まず売り物自体に興味がない。なので買わなかった。しかし、現地の日本人ガイドさんは買ってあげて欲しそうにしていた。この稼ぎで進学して、ガイドになった子もいるという話もされた。その時、まだこの本を読んでなかった私は、買わなかったが、買うべきだったと今は思う。南米まで旅行に来るだけのお金を持っている日本人が、なぜ5ドルのお土産を買うことをしないのか、と今は思う。でもそれは、この本を読んだから。

    海外の貧困を知るにつけ、自分は一体何ができるのか、どうしたら解決に近づけるのかと思っていたが、大きく変えることなんて私には無理。それなら、まず自分のできることから、難しい理屈抜きですることなんだと気付かされた。これは私にとって、新しい発見となった。

  • (貧困による裕福な外国人への恨みから)あるいは、社会(政治)事件が起きることもあるでしょう。世界では、時々日本商品への不買運動が起きたり、反日デモ(暴動)が起きたりすることがあります。(略)ここからいえるのは、いまはもう途上国の貧困問題を「遠い国の出来事」として片付けられる時代ではないということです。良い意味でも悪い意味でも、途上国で起きていることは、そのまま私たちの安全や経済や政治に影響を与えるのです。それがグローバリゼーションということなのです。(略)ただ、そのためには、海外の貧困地域の生活や、現地で起きている問題がどういうものかということを知らなければなりません。(315p)

    その問題意識に私は大いに賛同する。

    今から32年前の1981年、全世界でピースマーチが流行った。米ソの核兵器競争は頂点まで達し、核戦争がいつ起きてもおかしくはないと多くの人たちが思っていた。世界の各都市で50万人とか100万人とかの信じられない数の人たちが集会を開き出した。日本では、しらけ世代が蔓延していたが、新しい「市民」の台頭も始まっていた。なんと広島で30万人集会が開かれた。大学新聞をしていた私は、その取材ということで、初めて県外取材に訪れた。「これは集会ではない、お祭りだ」と昔の活動家は批判していたが、私は形式はどうであれ、平和をテーマにこれだけの人たちが集まったこと自体に感動した。そのときに、大江健三郎がスピーチをしている一角があった。私は彼の言葉を最初から最後まで聞いたわけではない。しかし、この言葉だけが心に響いた。
    「想像力が必要です。想像力が試されている。私たちに想像力はあるだろうか」
    それから30年間以上、私は何度も何度もその言葉を反芻している。

    世界のスラム街に住む人々は、腹の飛び出た子どもたちを見れば「かわいそうな人たち」と括られたり、麻薬や殺人の危険地帯の情報を得れば「排除すべき人たち」等と括られたりするだろう。しかしそれはゴミ箱の臭いや感触を知らないで見た目だけで判断しているのに似ている。数%の人たちが殺人を犯しても、数%の子どもたちが死んでも、圧倒的多数の住民の実態を知らないで、軽々しい判断は慎もう、韓国や中国やベトナムで見た貧困街の体験を大切にしよう、こういう本を読んで、世界の実態から日本の常識には囚われない判断をしよう。この30年間、ずっと気をつけてきたことではある。その時に、「想像力」は試されるだろう。
    2013年5月31日読了

  • 日本の「貧困」とは比べ物にならない貧困がそこにはある
    だから「絶対」なんだろうな

  • タイトルからネガティブな印象があり
    読むのをためらっていた

    しかし、内容は読みやすく
    貧困地域に住む人も
    また人間なのだとおもった

    当たり前のことだが
    思い込みとか偏った見方だけでなく
    広い視点を持つことで
    理解が進むことがある

    ただ可哀想ではなにも理解できない

  • 体験に基づくルポなので、よりリアルに近く、臨場感がある。貧困について、しかし生きることへの逞しさ、または人間の支配における露骨な構図が綴られる。

    近代兵器をもってすれば、非文明国を支配するのは容易だ。民間レベルで考えても、国家警察が機能しないなら、暴力や組織が力を振るい、弱者を支配する。治安が悪ければ、この原始的な支配体系が成立しやすくなる。回避策は、教育。しかも、個別に四則演算や歴史を学ぶような教育ではなく、価値観を多様化しながら相対化する集団教育だ。軍隊や国家警察を機能させるために、集団教育が必要であり、この機能により、ある程度民間の暴力機構を抑止する効果を生む。この循環を強いてさせなかったのが、白人支配の在り方であったろうか。

  • 筆者が実際にいわゆる”最貧困層”と共に生活し、取材した本

    リアルな声

    コロナ禍で海外に行けない今少し行った気にさせてくれた


    心に刺さった路上生活者の産婆の言葉
    「アフリカでは、みんなお金を目当てに戦争をしたり、虐殺をしたりしている。
    私は赤ちゃんが生まれてくる時ぐらいはお金に関係なくやってあげたいのさ。
    生まれた時から赤ちゃんをお金の毒にさらしたくないんだよ。
    だから、私は路上の産婆で満足なんだ。」

  • この著者の好きなところは、好奇心を隠さないところ。
    きちんと「かわいそう」だと同情できて、でもそれをきちんと消化して文章にしてくれるルポは勉強になる。
    レンタルチャイルド、売春、マージン、就学事情など。
    売春宿の子供がきちんと教育を受けていることに驚いたし、そこに驚く自分が日本人ぽいなぁと発見もできた。

  • スタツアのお供にベストでは。新興国へ旅行に行く人に是非読んでほしい

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著者プロフィール

1977(昭和52)年、東京生れ。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。ノンフィクション作品に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『こどもホスピスの奇跡』など多数。また、小説や児童書も手掛けている。

「2022年 『ルポ 自助2020-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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