遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

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著者 : 石井光太
  • 新潮社 (2014年2月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101325347

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遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 2014年3月11日、乗換がうまくいかずに立ち寄った駅ナカの本屋で偶然目に留まった一冊。真っ白な表紙に『遺体』の2文字。帯に目を移せば、東日本大震災のルポだとわかった。
    この日に見つけたのも何かの縁だろうと思い、その場で購入した。

    内容は実に衝撃的だった。ボランティア活動にも行っていなければ、基本的に情報源はラジオという生活を送る我が家ではテレビもあまり見ることがなく。被災地の現場の様子はほとんど目にせず3年間過ごしていた自分。

    自分が学ぶ資源やエネルギーの話として、原発については大学でも話題になっていたが、被災地の復興という部分にはほぼ目を向けてこなかった。

    大地震とそれに伴う火事、津波。大きな被害と死傷者、大量の土砂やヘドロ、倒壊した家屋、瓦礫の山。写真はなく、数人の当事者のさまざまな視点から、見て感じたこと、当時の実際の動きについて記録されている。

    想像するだけでも壮絶な現場。重たい。
    でも、この本にかかれていることは、心に刻んでおきたいと思った。
    この本を通じて、一人でも多くの人が当時の現場の様子を少しでも知ることができればと思う。

  • 2011年3月11日。40000人が住む釜石を襲った津波は、死者・行方不明者1100人もの犠牲を出した。膨大な犠牲者を前に立ち止まることすら許されなかった人たちの記録です。壮絶すぎて言葉がありません。

    石井光太さんのルポルタージュは毎回読むたびに心のここから打ちのめされて、ほかの事が一切手につかなくなってしまうことが多いのであまり万人に勧められるものではないのですが、ここに書かれてあることは震災を経た日本人すべてに読んでいただきたい壮絶な記録です。内容を簡単に申しますと、釜石市でご遺体の収容、身元確認、葬送に当たった人たちへのインタビューを丁寧に積み上げた一冊です。民生委員。歯科医師とその妻。釜石市職員。陸上自衛隊員…。

    彼らの語られる『遺体』の描写が、今もYoutubeなどの動画サイトに生々しいまでに残っている津波の暴力的な破壊力がいったい何をもたらしたのか、ということが痛いほどに伝わってきて、ページをめくる手が時々鈍ってしまったことをここに付け加えておきます。僕が読んでいて印象に残ったのは総ての医療機器が津波によって流されたときに役遺体の身元判別に立つのは人間の歯形である、ということでした。『沈まぬ太陽』の中にも遺体を区別するのに歯科医師たちが死臭と線香の臭いでむせ返る体育館の中で歯形を調べる、という場面がありますが、それとほぼ同じ描写が繰り広げられ、中にはあまりの惨たらしい犠牲者の変わり果てた姿や、生後間もない乳飲み子の遺体が遺体安置所となった体育館に運ばれ、横たえられ、駆けつけてきた遺族が遺体の前で慟哭する姿には『絆』ですとか『復興』という言葉がいっぺんに吹き飛んでしまうくらいに生々しく、壮絶なものでした。

    さらに、目の前で津波にさらわれ、後日遺体となった肉親と対面しなければならなかったという方の話には本当に今思い出しても胸が詰まりました。筆者は最後のほうで、『復興とは家屋や道路や防波堤が修復して済む話ではない。人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように背負って生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ』という言葉は、あの震災が起きてすぐに、未曾有の現場を体験し、被災した人たちに丹念に寄り添ったからこそ、かける言葉だなと読みながら感じました。僕は大手メディアが遺体を写さなかったのかについての是非をここで云々するつもりはありません。ただ、この本を読むことによって多くの『死者の声』『声なき声』に耳を傾けていただければ、幸いに思います。

  • これまでに見た震災の衝撃的な映像よりも、本書のほうが遥かに心を揺さぶられた。
    5年経って早くも風化しそうになっている今、読んで良かったと思う。
    良書だった。

  • 当時の空気も、インターネットで語られる言葉たちも遠くのことのように現実味がなかったのに、ルポでようやく近づいた、直視した?ように感じる、ということの異様さ。と思ったけど、テレビもインターネットもほんと同じ情報伝達メディアなら、私がいまびびるべきは「時代の空気」「同時代性」への自分の鈍感さだ。隣人と今を生きている、感覚のなさ?

  • 東日本大震災を取り上げた、2011年発表のベストセラー。2014年文庫化。2013年には西田敏行主演で映画化された。
    震災後の岩手・釜石の遺体安置所をめぐる極限状態を、自ら現地へ入り、地元民生委員、医師、歯科医師、市職員、消防団員、陸上自衛隊、海上保安部員、地元住職、市長らと行動を共にして綴った、壮絶なるルポルタージュであり、マスメディアでは絶対に報道されない、最も凄惨な現場の描写には、なんとも形容しがたい、胸をえぐられるような思いである。
    一方で、本書は2012年の講談社ノンフィクション賞にノミネートされたものの、著者の過去の海外ルポの小説的文体を使った手法があまりに「フィクション」的と、立花隆氏や野村進氏らの選考委員から批判を受け、受賞を逃している。特に、野村氏からは「海外ものなら、どんなに作り話を入れてもバレっこないとでも思っているのかなあ。この手法を認めてしまうと、誰も海外取材はしなくていいという結論になってしまいますよ。取材困難な箇所は、全部創作で埋めればいいわけだから」と辛辣な意見が出たという。
    私は、2013年に著者の講演会を聞く機会があったが、その若さ(1977年生)ゆえか潜在的な尊大さが見え隠れしていたのも事実であり、ノンフィクション好きであるにも係らず、著者の他の作品には手が伸びない。
    ただ、本書が未曽有の大震災において報道されることのない事実の記録として、手に取る価値のある作品であることは間違いないであろう。
    (2014年3月了)

  • 3年以上が過ぎてやっと読めた1冊。
    あの黒い波の下に飲み込まれていったたくさんの命と、そのために奮闘した人たちのことは絶対忘れちゃいけないと思う。
    その場にいなかった身としては、そんな陳腐な感想しか述べられないぐらい、圧倒的な現実。

  • テレビや新聞だけでは詳しく知ることができない釜石の方達の最期を知ることができました。

    遺体に触れるには、正直なところある程度の覚悟や心の準備がいると思うのです。
    ただ、あの震災の場では、それらを用意する間もなかったことがよくわかりました。

    人の死はたいがい突然やって来るのですが、あまりにも多過ぎました。感情のぶつけようもなかったのだろうと想像するしかありません。

  • 自らも被災者である関係者たちが、大震災で犠牲となった余りに多くの遺体に戸惑い、悲しみを飲み込み、それでいて尊厳をもって接する姿とその心の内に、尊敬と感謝するばかりであった。
    耳に入る身内の遺体を前に慟哭する声を一心に手を動かし耐える姿に、その苦しさが強く胸を打ち涙がこぼれた。

    大災害の際は生存者を如何に保護し支援するかに焦点が奪われがちになるが、犠牲者とその親族の対応について国や自治体だけでなくボランティアも含めて備えておかなければならないと強く感じた。
    また、僅か1~2キロ先の津波の情報が地域全体に伝わりきっていなかったことにも驚いた。

    本書は、3.11を伝えるノンフィクションとして貴重な一冊であると感じたが、一方で小説風のプロローグと下手な情景描写がリアリティーを失わせていた。
    似たテーマを扱った作品として日航123便事故を題材とした「墜落遺体」を読んだが、当時の担当刑事の飾らない文章がよりリアルであった。

    東日本大震災からの早い復興を祈願するとともに、犠牲となられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

  • 震災の犠牲者と一口に言っても、それは単なる数字の積み上げではなく、当然ながら、一人一人がそれぞれの人生を生きていた人々なのだ。
    最後の瞬間まで、人間としての尊厳をもって遺体を扱う人々の尽力には、本当に頭が下がります。

  • 東日本大震災から三年が過ぎようとしている。未曾有の大津波に見舞われ、多くの方々が犠牲になった岩手県釜石市。そんな中、決して避けては通れない犠牲者の遺体…このルポルタージュは、犠牲者の一人でも家族の元に帰そうと努力した方々、犠牲者に敬意を払いながら数々の問題に取り組んだ方々を被災者の視点から描いている。

    まるで地に這いつくばりながら取材したと思われるルポルタージュであり、あくまでも事実のみを描いているのに強いメッセージが伝わって来るところが凄いと思う。

    単行本で読んだのだが、今、再読してみても、行間から溢れ出す多くの方の哀しみや苦悩が迫力を持って伝わってくる。文庫版には著者のあとがきが記載されている。

    自分自身、二年間ほど暮らした釜石市であるが、震災の数ヶ月後に訪れ、余りにも変わり果てたマチの姿に愕然としたものだ。

  • 2度目の読了
    土葬、火葬についての下りをもう一度読みたくなった。それぞれの生き方、社会貢献の仕方に頭が下がる。

  • あれから5年。報道されない闇の部分がここにはありました。闇と言ってはいけないのかもしれませんが日常では到底ありえない現状がここにありました。
    誰しもここに登場してくる人物になる可能性があります。もしそうなったとき自分は・・・・っと思いつつ読み進めました。
    昨今ではますます、「死」や「遺体」などに接する機会もめっきり少なくなり。しかもイメージも悪くなってきている日本ではありますがここに登場している人たちはとても「死」に対し懸命に向かい合い尊重していました。とてもそこに感銘を受け自分もそうでありたいと思いました。ただたぶん今以上に「死」というものから遠ざけられていく今後の世代に同じようなことを期待していくのは現状ではなにか不安を覚えます。
    そんな時代です。この本はとても良いレポートなのではないかと思います。
    しかし、このレビューのために「遺体」で検索かけてみましたが結構、面白そうな本が引っかかるんですね。

  • 僕の持っていたイメージでは被災者は冷静に対処して大きな混乱もなく海外からも賞賛されているというものだが、この本に書かれている人びとは冷静な人ではない。人びとは変わり果てた町に絶望し、最愛の者を失って泣き叫び、行政への不満を爆発させ、生き残った事を後悔した。普通の反応だ。
    自衛隊員、警察官、市役所の職員、医師らは罵声を浴びながらもひたすら自らの職務をした。当然彼らにも気掛かりな家族はいるが自分のことより職務を優先した。こういう自己犠牲の精神で働く無名の公務員は日本の誇れることだと言える。

  • 本書は、2011年3月に発生した東日本大震災において大きな被害を受けた、釜石市の遺体安置所を舞台にしたルポ。あの日奪われた統計学的な数の命と、この世に残されたおびただしい数の遺体。それらは大きな混乱と悲しみの中で、被災者自身の手によって供養され、葬られた。このことは、大手メディアによって詳しく報道されることはなかった(と思う)。

    著者・石井光太は、震災後すぐ遺体安置所に入り、そのあまりに過酷な現実をつぶさに観察した。遺体回収にあたる自衛官や市職員、検体にあたる地元の開業医たち。もちろん彼らが顔見知りの変わり果てた姿に出会うこともしばしばだ。その悲しみは、想像することなど決してできない。

    遺体のほとんどは、津波の圧倒的な威力によっては破壊され、徐々に腐敗していく(津波火災による焼死体も多かった)。そんな中で遺体ひとつひとつに声をかけ、遺族に寄り添いつづけたある民生委員の行動は、悲劇の中にあって大きな救いとなった。

    関係者の献身的な行為の根っこには「今、自分のできる役割を果たす」という素朴だが、強い信念があった。はたしてその場において、なにができたか?問うほどにただ、胸が締めつけられる。

    自然災害によって、突然に命を奪われた人たちの無念ははかりしれない。同時に、残された遺族の悲しみと同化することも不可能だ。僕はあの時、ただ祈ることしかできなかった……。

    残念は「念が残る」で、無念は「念が無くなる」。死にゆく人間の想念は消えてしまうが、残された遺族にはさまざまな想いが残る。残念/無念という言葉は、死者とそれを見取る側の関係の相対性を浮かび上がらせる。普段何気なく使っている日本語にも、深い含蓄があるように感じた。

    人間は死に直面することではじめて、本当に大切なものを意識する。「メメント・モリ(死を思え)」は、常に死に意識的であることで物事の本質から目をそらしてはいけない、ということ。ある日突然訪れる死に対して、日々を後悔なく生きることは、はたして可能だろうか。

    先日、若くして亡くなった先輩の一周忌があった。彼自身、突然に自分の身に降りかかった死に、無念でならなかっただろう。そして残された僕らの心には大きな穴がぽっかりを空いたままだ。

    死からは決して、逃げることはできない。だからこそ、ひとつひとつ過ぎていく日常の時間を大切に……そんな当たり前のことを繰り返し、繰り返し、何度でも発見していきたいと願う。本書は、そんな気づきを与えてくれる稀有な書物だといえる。

  • 面白いかと問われれば決して楽しいお話しでない。
    しかし日本人として、現体験として東日本大震災を体験した自分としては読んでよかったと思う。

    感じたのは日本人の無私の心意気です。関東圏に住みある部分では正直他人事な部分もあるなかでこうゆうレポートを読むと日本人であることに誇りのようなものを感じます。多分に自分勝手ではありますが。

    あのような極限状態のなかでも人のため、社会のため、人の死に真摯に向き合うその個々の人々の自発的行動に誇りを感じます。

    ふりかえって自分に出来たことがあったのかもとも思います。強い人間になりたい。日本人の誇りを行動で伝えていきたいと、大袈裟いにいえば思いました。

    そして今生きている自分の尊さを再認識しました。

  • 東日本大震災でたくさんの方が津波被害で亡くなられたが、どのように発見され、身元特定され、火葬まで至ったのか。未曾有の災害で町のあちこちに遺体が散見し、市井の一般人が「遺体が至る所に転がっている」光景を目にするのは先の大戦以降なかったという。

    遺体安置所のキャパの問題、遺族の心のケア、混乱の中で誰が取り仕切るのか、弔いとは、身元不明の遺体は… 震災からある程度時間が経たないと語ることができなかったであろう内容。

  • 東日本大震災の遺体安置所に関わる人たちの話。もし自分の家族や恋人が遺体安置所に寝かせられていたらと考えると、やはり火葬にしたい、早く埋葬してあげたいという気持ちもよくわかった。ただ、いつまでも置いておくと病気が蔓延してしまう恐れがあるという自治体の土葬の言い分もわかったので、火葬場が間に合って全員を火葬することができてよかった。

  • 東日本大震災でノンフィクション。遺体安置所の体育館での話。実際にそこでしか聞けない体験出来ないことが詳細に書かれている。もし自分がそこにいたらそんなに強くできるだろうか。

  • 東日本大震災直後の釜石市の遺体安置所のルポ。何度も目頭が熱くなった。

  • 初めて読んだときは、体が震えた。
    読まなきゃ、知らなきゃいけないこと。

  • 単行本以来の、再読。
    やはり生々しい。石井さんの著作のなかでも、本気の一冊だと思う。被災地をこんなにも近くで見て、書いたものは、ほとんどないのでは。
    この本の執筆は、祈りというべき作業であった、と著者はいう。わたしはこんな石井さんの本気さが大好きです。

  • 死者数を数字として並べてみてもそれは実態を伴わない。
    ひとつひとつの遺体を目の前にしなければわからない真実というものがあるのだと思う。

    遺体と向き合うことは人生と向き合うこと。

    世界は不条理。

  • 所々で涙が止まらず。亡くなった人々を数字で置き換えるだけでは、想像力が止まってしまう。それぞれにそれぞれの人生があったわけで。この本の中に出てくる人々はほんの一握り。それを知るだけでも意味のある行為だと思う。震災を心の片隅にとどめておくためにも是非一読を。

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遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)の作品紹介

あの日、3月11日。三陸の港町釜石は海の底に沈んだ。安置所に運び込まれる多くの遺体。遺された者たちは懸命に身元確認作業にのぞむ。幼い我が子が眼前で津波にのまれた母親。冷たくなった友人……。悲しみの底に引きずり込まれそうになりながらも、犠牲者を家族のもとへ帰したい一心で現実を直視し、死者の尊厳を守り抜く。知られざる震災の真実を描いた渾身のルポルタージュ。

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