- Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101328126
作品紹介・あらすじ
日々鬱陶しく息苦しく、そんな日常や現世から、人知れずそっと蒸発してみたい-やむにやまれぬ漂泊の思いを胸に、鄙びた温泉宿をめぐり、人影途絶えた街道で、夕闇よぎる風音を聞く。窓辺の洗濯物や場末のストリップ小屋に郷愁を感じ、俯きかげんの女や寂しげな男の背に共感を覚える…。主に昭和40年代から50年代を、眺め、佇み、感じながら旅した、つげ式紀行エッセイ決定版。
感想・レビュー・書評
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つげ義春『新版 貧困旅行記』新潮文庫。
社会に縛られることを好まず、それでいてあり得ない妄想を抱く臆病で小心者の著者が昭和の時代に主に温泉地を巡った貧乏旅行記。
多数のレトロな写真と共に様々な所を訪れた旅行の顛末が味わい深い文章で綴られる。
漫画や小説を書くということは自身の身と心を削る大変な仕事なのだろうか。昔の漫画家や小説家には突然失踪したり、蒸発したりという例が、まま有ってように思う。
昭和の旅行と言ったら鄙びた温泉。東京ネズミーランドもリゾート地も無い時代で、海外旅行も庶民には高嶺の花。そんな時代に鉄道やバスを使って誰も知り合いの居ない土地に行き、ゆっくり過ぎる時間を過ごすのもまた格別。
本体価格590円(古本100円)
★★★★詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
つげ義春の漫画を読み、何故評価されているのかがよくわからなかった。(多分当時としては表現が画期的だったのだろう) 小説もきっと妄想的な事が書かれていて暗いのだろうと思っていた。
つげ氏が日本各地の温泉場や宿場を訪れた時の旅行記。旅エッセイ。
派手な旅館よりも寂れた民宿を好む氏。最初の章は、著者が蒸発したくて九州に向かう話から始まる。
切ないのだけどその悲哀が可笑しい、というような描写があり、この人は人間や情景の場面の切り取りが上手だなと感じた。
面白かった箇所
・小学生の息子と妻と鎌倉へ行く。夜宿で花札をする。つげがなんとか工作するが小学生の正助は負けてします。一人っ子の彼はダダもこねず静かに花札を片付け始める。 -
「失踪」に憧れ、
全国を広範囲でうろうろしているはずなのに、
何故か
『日常』から逃れられないつげさん。
彼が描く異世界に何故か既視感を覚えてしまうのは
そういうとこが原因か?? -
ようやく100冊読了。’16年々内に100冊達成する予定が、読書熱がちょっと下がってたので達成できなかった。
20代の頃につげ作品で有名なものをちらっと読んだんだけど、『ねじ式』なんかはシュールとしか思えなかった。どちらかと言うと鍍金工場に勤めてた頃の話とか、読んでると「ウウッ……」って腹の底の方が重くなる感じだった。
早川さんがつげファンで、本の中でこの『貧困旅行記』が好きだと書いてたのが読むきっかけ。
本は図書館で借りてあまり買わないようにしてるんだけど、この本だけは絶対に欲しい!と思って購入した。図書館には晶文社版しかないし。結果、買ってよかったとほんとに思える本だった。
僕は旅があまり好きじゃなく、その理由は「怖いから」なんです。この本を読んでると、その「怖さ」=非日常をつげ先生は求めて旅してるのがわかる。怖さの理由がこの本でなんとなくわかってきたから、僕も旅を楽しめそうな気がしています。
でも、漫画と同じくやっぱり腹の底の方が「ウウッ……」となって、精神的に落ちた。
それとこの本を読むと、かつてはシュールとしか思えなかったつげ先生の作品についてめちゃくちゃ「わかる」ようになる。つげ先生は私小説のマンガ家だったんだなあと。
紀行本としても優れているけど、作家の名前……梶井基次郎、萩原朔太郎、葛西善蔵、田山花袋などなど出てくるのがよくて、紀行本と共にブックガイドにもなっている。つまり、旅と本が連結していく。
自己否定すること、自然の大きさを感じて自分がどんどんちっぽけになり、最後は消えてしまう境地。
最近、芸術における「意味の解体」についてよく考えるけど、シュールってのは意味をどんどん失くしていって、意味を超越することなのかなあと読んでいて思った。
つげ先生は漫画家なので、文章がそこまで上手くなく、若干の読みづらさがあった。
引っかかった文章を探して読み返すけど、その文章が全然見つからずに何時間も本の中を彷徨った。
まさに「猫町」状態。 -
自由とは自己否定
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千葉県の大原や、上野原の旧甲州街道、東京都の深部など観光にとってマイナーな場所のマイナーな宿を綴った一風風変わりなC級旅行記。
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日本経済新聞社
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文学周遊つげ義春「貧困旅行記」 大分・由布市湯平温泉
「蒸発をするのは案外難しいものだな」
2019/8/31付日本経済新聞 夕刊
会ったこともない女性と結婚するため、二十数万円の所持金と時刻表をポケットに入れ、汽車に乗り込んだ――。
ちょっと待ってほしい。そんな旅があるだろうか。本書の冒頭に、破天荒な道行きの始末が収められている。
山あいの温泉地の夕暮れ。石畳の道にちょうちんがともる=小園雅之撮影
山あいの温泉地の夕暮れ。石畳の道にちょうちんがともる=小園雅之撮影
1968年初秋のことだ。作者は当時30歳。「ねじ式」「ゲンセンカン主人」など唯一無二の作品を発表し、芸術性の高い漫画家として世の耳目を集め始めた。なのに蒸発願望をこじらせる。
北九州市に住むファンの看護師の女性と手紙をやりとりするうちに、妄想に駆られる。すべてを投げ出して彼女と結婚し、適当な仕事を見つけて、当地に住み着いてしまおうか……。
この年は、米国でベトナム反戦運動、日本では全共闘運動が燃え広がった。自我に基づく体制への異議申し立てである。でも、廉恥の心を持つこの人は、自らを無価値なものとして宙に放り出そうとする。実に危なっかしい。
北九州に着いた作者は、病院で働く女性をアポなしで呼び出す。が、休日は日曜だけ。会えるのは1週間後と告げられる。仕方なく暇つぶしのため九州の温泉地を周遊した。その行き当たりばったりの旅程をたどってみた。
大分県由布市の湯平温泉は、石畳の路地をちょうちんの灯が照らす落ち着いた風情の湯治場だ。作者が投宿した「白雲荘」が今も営業していた。主人によると、かつては歓楽の色もあったという。
ストリップ小屋をのぞいた孤高の漫画家は、踊り子さんのマネジャーにでもなって各地を放浪するのも悪くない、などとあらぬ空想をする。
結局、蒸発の決意が鈍り、10日間で帰京するのだが、その間、地方巡業のダンサーと懇意になる。朝、目覚めると枕元には、連絡を取り合おうという彼女の置き手紙があった。結構、もてるのだ。
「人はなぜ、つげ義春についてかくも語りたがるのだろうか」とは、批評家の四方田犬彦さんの問いだ。戦後を代表する知識人、鶴見俊輔、吉本隆明しかりである。本人は長く作品を発表していない。それゆえ著作は版を重ねる。
白雲荘の湯船に身を沈め、今、作者は何をしているのだろうと想像してみる。時折どこかの鉱泉宿などを旅し、世捨て人の風雅を味わっていてくれたらうれしい。
(編集委員 和歌山章彦)
つげ・よしはる(1937~) 東京都生まれ。幼くして父を亡くす。本人が記した「自分史」によると終戦直後、「一家は貧困のどん底にあった」。小学校卒業後、メッキ工場に見習工として就職。過酷な労働に耐えきれず15歳の年に横浜港から米国行きの船に乗り、密航を企てるが失敗。漫画家を志す。
1960年代のカウンターカルチャーの時代に「紅い花」「ほんやら洞のべんさん」などの作品を漫画誌「ガロ」に発表し、当時の若者に支持された。代表作「無能の人」「リアリズムの宿」は後に映画化された。本作のようなエッセーにも漫画と同様、ユーモアに富んだ筆がさえ、不思議な、夢のような世界に読者を誘ってくれる。
(作品の引用は新潮文庫)
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逃避願望を、素直に口にするダメさ加減が、もう偉大です。素敵です。
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読みやすさ ★★★★★
面白さ ★★★★★
ためになった度 ★★★
何度も読んだ、自分にとってバイブルのような本の一つ。つげさんは、ご自身では文章を書くのは苦手と言っているが、なかなか味わい深い文を書く。p250の家畜小屋のくだりが特に好きだ。