- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101336329
作品紹介・あらすじ
魚彦。僕の変な名前は、お母さんの初恋にちなんでつけられた。写生大会で行った臨死の森で、転校生・海子の秘密を見てしまう。二人だけの秘密。夏の海の水の音。色ガラスの破片。車椅子の今田は魔法使いに会ったという。そんなの嘘だ、嘘であって欲しいと僕は思う。出処の知れない怒り、苛立ち、素晴らしい遊び、僕はこの楽園を飛び出したいのかもわからない。あの神話のような時代を。
感想・レビュー・書評
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小学5年生の夏の、魚彦と海子の短い冒険。この小学生らは、現在の小学生ではない。私の二学年上だろうか。年代ははっきり書かれていないけど、ちびまる子ちゃんがアニメ化された年のお話。あざとくない懐かしさが満載で、言葉にできない部分をそのまま言葉にしない節度が好ましい。海を漏らすって表現いいなぁ。
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11歳、小学5年生の夏休み。「子供時代」から「思春期」へと踏み出すまさにその一瞬を見事に捉え、一分のズレもなく切り取ったものすごい感性に思わず唸ってしまいます。星の数ほど、水の粒ほどある小説の中でも特に好きな一冊。単行本も持っているのに文庫を買ってしまったくらいですから。そして単行本は単行本で酒井駒子さんの装画がかなり素敵なので、そちらも手放したくないのです。そして本棚がキャパオーバーになってしまうのです。
前田司郎さんは基本的にいつもゆる~い感じの文章だけれど、この小説に関してはその「ゆるさ」が、一見すると稚拙さにも見えてしまいそうなその語り口が、絶妙な効果を出しているんじゃないだろうか。
前半、魚彦が海子やほかの女子、それからこの世界そのものに抱いている感じ方は何というか言葉足らずで、ちゃんと説明されていない。遊びの場面でも「~みたいな感じになって」という展開が多くて、「流れ」や「雰囲気」で行動している感じがする。それが最終章では、魚彦ははっきりした意思を持って行動しはじめ、あの印象的なラストシーンに繋がっていく。まるでまだ意思を持っていなかった子どもに自我が芽生え、一人の人間として歩き始めた瞬間を目撃したような気分だ。その彼を雨が包み、生ぬるい海が呑み込もうとする。
人間は元は魚から進化したのだという。オビに「少年と少女の夏の神話」とあるが、海と陸の狭間で、まだ男でも女でもなかった子供たちが「人間」になるその瞬間を描いたこれは、まさに神話と呼ぶにふさわしい。ここへ来て「半魚人」という言葉の意味も、ああ、そういうことか! と腑に落ちた。
オビと言えば俳優の井浦新さんが、「僕は、この男と一緒に何かを残していきたい。」というコメントを寄せている。前田司郎という作家はまだあまり知られていないけれど、個人的にはもっといろんな人に知ってもらいたい。(書店員人生を懸けて)僕は、この男の小説をもっと売っていきたい。 -
たまたま手に取ったら馴染みのある地名がたくさん出てきて運命を感じました。
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よく行ってた画廊?で個展してはった池田実穂さんが表紙絵を描いてはって、そこのオーナーさん?が私にってプレゼントしてくれはった本。 すああーーって読みました。結構好き。でも好きじゃない人も結構いそう。特に男の人とか。 これは小学生(高学年)のお話やったけど、これの高校生くらいバージョンみたいな小説があったら読みたいな。
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小学生時代の事を回想しようと思ってもなかなかイメージが湧かなかったり言葉に出来ない感情が多かったりするけど、小学5年生の目線で淡々と語られていて、謂れのないイラつきとか「今日足が速くなったと思った」とかメタンガスを見続ける感じとか、あーこんなんだったと懐しむ事が出来た。
ガムを最初に食べてしまいなかなか他のお菓子に手をつけられないでいる。というアホ描写、というかアホな画が町田康っぽいなと思ったらあとがきが町田康でびっくりした。
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品川区五反田に住む小学五年生の魚彦。友達と誕生会を開いたりお祭りに行ったりドロケイをしたり、現代的だけど懐かしい。塾に行ったり外国人の少年がいたり少子化で人数が減っていったり、都会的だけど、懐かしい。虚構か現実かわからないような、キラキラとグチャグチャが混ざったような、小学生の感覚を切り取っている。
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小学五年生の少年を疑似体験した。物語を読んだというよりも。けれどそれは読書体験とはちがうもの。
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子どもの頃、世の中はよく分からないものばかりだった。
でもそのよく分からなさを楽しめた。
よく分からない遊びをやった。よく分からないものをカッコよがった。よく分からない気分に浸ったりした。
無邪気だったから。
大人になる前の、よく分からない僕らの夏。 -
小学生のころのうまく説明のつかない感情の機微を、適切な言葉で描き出しているのがすごい。