- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101339115
感想・レビュー・書評
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充分気をつけてはいるのですが、それでもふいに人を好きになってしまうことがあります。
あとがきの江國さんの文章。
こんな 不確かな感覚を書かせたらさすがだなと思います。
そして、ごく普通の恋愛小説を書こうと思いました、と。決して普通ではない恋愛小説です。
アル中気味で精神的に不安定な妻、笑子。見合い結婚したのは、恋人がいるゲイの男性。
お互い負い目の部分に納得した上での結婚。
夫は優しい。手に負えない程感情的になる妻に寄り添う。その優しさは、夫婦だからか、家族だからか、負い目なのか。
江國さんの小説に出てくる女性たちは、よく飲み、奔放。そこに純粋さがあるのかな。
「正欲」が話題だったけれど、こちらの夫婦は、夫の恋人の存在を受け入れる形態にたどり着く。
妻がうっかり夫を好きになってしまったからだと思うのだけど、案外、生きやすいかもしれない。 -
同性愛者の夫と、アルコール依存症の妻の話。
妻の笑子は気づけば酒を飲んでいる。情緒の不安定さを忘れるためだろうか。夫の睦月はいつも優しい。この夫婦はなんとも不思議なバランスで成り立っている。それゆえ、銀のライオンのように、はかなさと表裏一体。
そんな夫婦とそれを取り巻く人々で物語が展開していく。静かで不思議な空間にいるようであった。
この小説の1990年代は、いまほどLGPTQなどの理解が進んでいなかったからきっと新しく写ったと思う。また、村田沙耶香「コンビニ人間」では、自閉症スペクトラムを思わせる主人公が出てくる。発達障害が世で話題になる前の話だ。これも今となっては特に奇異な話ではない。
これだけ早い時期に、こうした人々を中心において物語にできたことがすごいと思った。
これからもっと世の中は多様になっていくだろうなと思った。 -
『生涯未婚率』という統計がある。5年に一度の国勢調査により導き出される『50歳の時点で一度も結婚歴がない人の割合』を示す数字。今から30年前、1990年の調査以降この割合が急増しているという。1990年に男性5.6%、女性4.3%に過ぎなかったこの数字が直近ではそれぞれ4倍と3倍に跳ね上がっているという事実。結婚をしなくなっていく日本人たち。その一方で結婚に違う意味・意義を見出していく人たちもいる。この本が書かれたのはそんなこの国の価値観が大きく変わる分岐点となった1991年のことでした。
『私たちは10日前に結婚した。しかし、私たちの結婚について説明するのは、おそろしくやっかいである』、イタリア語の翻訳をしているという笑子、内科医の睦月、お見合いで結婚したという二人。結婚しないという価値観が生まれ出す時代に、『普通』に結婚した二人。説明が難しいのは、『グラスにウイスキーをたらたらと注ぎたした。この、とろっと深い金色をみると、私はうっとりしてしまう』というアルコールに異常な興味を持つ妻に対して、『睦月は女性を抱くのが好きじゃない。だから、キスもしてくれない。つまり、そういうことなのだ』という夫。そう、これは『アル中の妻にホモの夫。まったく、脛に傷持つ者同士』の結婚だということ。そして、さらに話をややこしくするのが『夫には当然「男」の恋人がいる』という点。『僕たちは、恋人を持つ自由のある夫婦なのだ。結婚するときに、きちんとそう決めた』と、二人の中では全てを割り切った上での結婚ということになりますが、30年経った現代でも、なかなかにスルッと理解出来る人も少ないと思える複雑な 夫婦+1 の関係が描かれていきます。
笑子視点と、睦月視点が章によって交互にテンポよく切り替わっていくこの作品。『たまには紺くんと会った方がよくない?。きっと淋しがってるわ』と語る笑子。流石の睦月も『変な感じだ。妻が、夫の恋人の心配をしているのだ』と妻が自身の恋人・紺の気持ちを慮ることに若干の違和感を感じてしまいます。また一方で睦月も『彼女をおいつめているのは僕なのだ、と思った。 ひどくせつなかった』と自身の立場を責めます。絶妙な視点の切り替わりによって、それぞれの場面で、お互いが相手のことをとても思いやっているのがよく伝わってきました。
そんな彼らの周囲も彼らの関係に気を揉みます。笑子の精神状態が落ち着かないのを心配した友人の瑞穂は『子供つくればおちつくって。私も主人の出張が淋しかったけど、佑太が生まれてから全然平気だもん』。そんな言葉に逆に『何のために結婚したのだろうか。子供うむためじゃない』と逆に思い詰める笑子。一方の睦月も実母から『あなたが笑子さんから女の幸福をとりあげてるんだと思うと、お母さん辛いのよ』と子どもを作るよう迫られます。
生涯未婚率が上昇する一方で、笑子と睦月は『普通』に結婚をしています。『普通』だけど説明が難しいとても複雑な関係。でも、それは周囲の人たちから見ればという視点であって、笑子と睦月、そして睦月の恋人である紺の三人にとっては、なんだか妙に安定したとても良い関係性が続いている現実があります。
江國さんは、この作品を『シンプルな恋愛小説です』と一言で説明します。何をもって『シンプル』なのか、何をもって『普通』と捉えるのか、この作品が世に出て30年が経過して、世の価値観も大きく変化しました。生涯未婚率が急上昇しているのも、『結婚』とは何なのかと、昔の人たちのようには、大人になったら結婚するものと単純には考えない人が増えたからでもあるのだと思います。そして、結婚してもこの作品で描かれるように、その形は決して同じではない、他人から見ると、理解できない形の中に、本人たちは意義を見出している、意味を感じている、そういう考え方もあるのかもしれない、みんなで色んな形を自然に認めあっていく時代になっているのかもしれない、そう感じました。
考え方としては自分の中でも整理がついた気はします。でも、どこか心の中の引っ掛かりは消えない、少なくとも今の私はそう感じてしまいます。幸せを感じるってどういうことだろう、幸せの形ってどういうものだろう、幸せって誰のためにあるのだろう、色んなことが頭に思い浮かびます。
希望を持って「きらきらひかる」、希望があるから 「きらきらひかる」、そして明日へ、希望ある未来へ、色んな思いに満たされた、そんな作品でした。 -
テンポが良くてこれは楽しい読書になるかと思っていたら、睦月、笑子の抱えているものが重いことに気づく。
(同性愛者である)睦月は笑子に優しすぎていたいたしいほど。直球でぶつかる笑子は繊細、言動が個性的すぎて、アル中であり情緒不安定。笑子の関心の偏りは、今でいう(発達障害)にも見えてくる。二人のあいだに一般的でいう夫婦関係は無い。だが二人は心の深い絆で結ばれている。
ひとりならいい(どれだけ個性が強かろうと)、ふたりだとぶつかることもあり、三人になると(紺が加わって)またややこしくなる。(紺は睦月の恋人。)
親も加わると、子供は?という問題をつつかれ、世間からは異質扱いされる。
これは30年(?)も前の作品、時代を経て価値観も変わってはきた。諸問題に受け入れ体制は出来つつはあるが、根本的なところでは、一般的なという概念で通すのがベストな風潮は変わってないと思った。
両方の親が親族会議をする。睦月のことを「おとこおんな」と表現する義父。(今も私の親世代はそう表現するだろう。)根本的に結婚する資格がない人種、などと言い放つ。また片方の親は笑子の精神病を咎め、小競り合いの展開のない会議となった。
結局二人に紺が加わって、この先どうなるんだろう(?)
睦月、笑子、そして紺の純粋さが、きらきら輝いていた。シーツにアイロンをかける笑子が健気だ。
夫に恋人がいることも認める。睦月が求める愛が自分以外にあるのならば。笑子なんて優しいのだろう。
思う反面、理解し難いところもあり。私の年代的に、親の立場でものをみてしまうので、自分の身内がという目でみると複雑だ。読んだ後ざわざわとした。 -
昔々、友達に貸してもらって読んだ初めての江國香織さんの小説。
この小説が好きすぎて、貸してくれた友達にこの本をもらった笑
今でいう、〝借りパク”ではなく、
正々堂々とお願いして、もらえた‼️‼️
いや、そんなに好きなら自分で買いなさいってことだけど、その友達にプレゼントしてもらう(無理やり)ことに、当時のわたしには意味があった…ように思う。
本の感想ではないけど、当時の自分のこととか、思い出す小説なんです❤️❤️ -
なんて残酷な人なんだろう。ひどい男。
何度か睦月の襟元を掴んで揺さぶりたい衝動に駆られた。優しいからって優しいわけじゃない。
兄妹なら良かったのだろうか。ペットなら、あるいは親子なら。友達は絶対にだめ。友達なんて、一番忍耐が問われる関係なんだから。大人な人しか友達は作れない。
残酷な人だなぁ。そして睦月が身近にいれば私も、間違いなく睦月の事を好きになる。睦月は全てを受け入れる。受け止めて受け入れて与えるけれど、求めない。一方通行の関係は成り立たないのに。
ああ寂しい。切ない話。
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アル中の妻 笑子と同性愛者の夫 睦月、そしてその恋人の生活を描いた話。
この不思議な関係は絶妙な心のバランスで成り立っているなと思う。今は良くても、笑子の未来は暗いとしか思えなくて、何回もこの生活やめたほうがいいよって言いたくなった。
特に大きな事件は起こらないのに、感情が揺さぶられる不思議な話でした。
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Aesopへ香水を買いに行くという父について行ったらLGBTQIA+の文学作品を無償で持ち帰れるというイベントがやっていた。
そこで持ち帰ったのがこの『きらきらひかる』
とても読みやすくてさくっと読んでしまったけれど、感想…むずかしい…
好きな人が好きなものも愛するって愛だなと。
3人がそれぞれを大切に思いながら、睦月も笑子も紺も自分のことを大切にできるような予感がした。 -
きらきらひかるを久しぶりに手に取った。
中学生の頃、学校の図書館ではなく市の図書館で初めて借りた本は江國香織さんの本だった。
今まで児童図書ばかり読んでいた私にとって、文章が詩的で、SEXやお酒などの大人の文化が美しく描かれ、教訓とか感動とかを押し売りしていない水の様に清らかな物語は衝撃だった。
自分が日常で感じた思いを物語として表現するという小説の形があるのだと初めて知った。
それから多分、その頃出ていた江國さんの本は全て読んだ。ただ、きらきらひかるは私にとって特に難解なもので、いまいち理解出来ていなかった記憶がある。
同性愛者で医者の優しい睦月とその妻である少し精神異常でアル中の笑子、そして睦月の恋人の若くて天真爛漫で自由な青年紺くん。
そんな3人の恋愛模様が描かれている。
初めて読んでから10年以上経って、この物語の良さや深みがようやくわかってきたような気がする。
とはいえ、やっぱり私は笑子と睦月と紺くんの三人の関係をどうしたって受け入れられないのだなぁと思った。
ただ、初めて読んだ中学生の頃と違い三人の気持ちを理解は出来るようになった。
睦月は二人のことをとても愛し、笑子と結婚しながらも紺くんという昔からの恋人を大切にした。(結果的に、笑子と紺くんも同様に自分以外の二人を愛すことになるのだけど。)
睦月がとてもとても自分を愛しているのを笑子自身も感じ取り、肉体的な愛情の結びつきがなくても、笑子は睦月を愛し睦月が夜勤明けに買ってくるドーナッツを嬉しそうに食べたし、このままの関係がずっと続くことを七夕の短冊に願った。
睦月は誠実な男だから確かに二人を心から愛したけど、彼はそもそもそのことで二人を苦しめているとは感じなかったのだろうか。
あの紺くんでさえ、病院で笑子が三人の子を人工授精でつくろうとしていた話を聞いた時、感情的になった。睦月は紺くんのこともずっとずっと苦しめていた。確かに睦月は誠実で、深く二人を愛したけれど誠実であるということは残酷だと感じた。
私はやっぱり女だから、笑子の味方をしてしまう。笑子があんな風に三人の子をつくりたいと願う程、三人の絆を強固にしようとした姿は痛々しく感じた。「睦月の人生の中で、私はどうしたって紺くんにおいつけない」その言葉は、三人の絆を強くしたいと願った最大の理由なんじゃないだろうか。
それでも三人はお互いを傷つけない代わりに、少しずつ自分を傷つけていたにも関わらず、最終的には三人の生活を今までより少しだけ親密に続けることを決めた。愛している人の愛しているものを愛す。愛している人の愛しているものは当たり前だけど、たいてい趣味がいいものだ。自分が愛した人だから価値観を理解することが出来る。または、あまりにも誰かを愛するとその人を取り巻く人間関係まで受け入れたくなるものなのかと知れない。
そんな風に三人は三人とも見返りの愛情とか束縛とかを全てを捨てて愛を与えながら生きる道を選んだように思えた。
ただ、それは今の感情によって成立するもので、とても壊れやすいものだと思う。三人が三人共、自分以外の二人のことを同じように愛し、愛されたいという欲望を捨てなければならない。ただでさえ、二人の男女が愛し合うことも難しいのに…。なんとなく私にはそんな風な関係に見えてしまった。もちろん。三人は三人ともこの関係を心から望んでいることはもちろん分かるのだけどね。
そしてもう一つの私が心うたれた点は、銀のライオンたちの優しさだ。
銀のライオンは笑子のいう「普通とは違う人」のこと。毛色が違い孤立した美しいライオンたちは、笑子、睦月、紺くん、柿井さん、樫部さんのこと。
アル中で同性愛者で、医者の変人で突拍子もない思い突きを平気で行い、躁鬱気味。
特に好きな場面は三人が睦月と笑子の家を訪れる場面。
睦月が想像していたように上手くいかないことを誰もがなんとなく想像していたに違いない。しかし、実際は5人はよく食べよく飲みよく笑った。居心地のいい空間を作ったのは笑子だ。それは笑子が最初から自分を取り繕わなかったからだと思う。不自然な食卓と間のずれた会話。それでいてのびのびとした姿。そんな彼女を見て、普段は社会の中でなんとかうまく取り繕い生きていた銀のライオンたちはのびのびと息を吸うことが出来た。普通でなくていい、そのままの自分でいいという関係を笑子が自然に作り上げたと感じた。
また彼等は他人と理解し合えないということを自分自身で痛いほどわかっているからこそ他人に強要や世間の価値観の押しつけをしていないように思った。
やっぱり、すこしだけ歪んでいるからこそ、世界に優しくできるんだなぁと思った。
初めて読んだ中学生の頃に、人を愛するという気持ちや世間の常識が荒波の様に迫ってくること、人の感情は変化していくこと。そういうこを理解する方が難しかったのだと思う。
誰かを愛するということは至極美しく、至極悲しいことなのだと、それでもやはり不意に恋に落ちてしまうものなのだと。
江國香織の本をもう一度、じっくり雨の日やお風呂の中で読んでみたいと思う。 -
凄く素敵だった、夢を見てるみたい。
紺くんも睦月も笑子もどうしようもなくて愛しい。3人にしかわからない幸せ。
金魚をお風呂で泳がせること、木に紅茶をあげること、絵画のおじいちゃんに歌を歌うこと。
淡々と受け入れる睦月が好き。ちぐはぐなのにまっすぐな笑子が好き。飄々としてるのに繊細な紺くんが好き。 -
お互いを大事に想っているのに、この生活をずっと続けていたいと思っているのに、そのままでいさせてもらえないのが苦しかった。
紺くんがどんな人なのかもっと知りたかった。笑子も睦月も紺くんもみんな好き。
笑子の奔放で純粋で一生懸命なところが好きだった。情緒が容易く揺らいでしまうところも含めて、魅力がある人だなと思った。睦月のやさしすぎるところを、とても好ましく感じながらも同時にずっと苦しかった。
ずっと泣きたい気持ちでいっぱいだった、でも、最近読んだ本で1番好き。
p76. 87. 117-118. 136. 149-151. 181
追記 紺くんがいちばん素直な性格なのかもしれないな思った。猫みたいな。睦月はずっとやさしくて、それがとってもずるいと思った。
きらきらひかるって題名とってもしっくりくる。
刹那的なきらきらひかる日々をぎゅっと詰め込んだみたいな、そんな本。 -
再読。
大人びた文章で、奇抜な夫婦、昔読んだときは合わなかった記憶がある。
再度読んでみると自分の夫婦関係と比べて共感できるところがあることに気づく。
もともと他人が結婚して暮らすわけだから、誰にだって欠点があるわけだし、補い合って生きていくことには変わりない。
この小説はそれがホモの男性とアルコール中毒の女性ってだけ。
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第一印象は、
大人の小説だなって思った。
大人だから、相手の気持ちを考えられるし、
受け入れようと考えられるのだろう。
自分の普通を、考え直す作業も
必要なことなんだろうな。 -
詩的で不思議なラブストーリー。
著者が言うところの「シンプルな恋愛小説」ではないと思うし、文庫本の裏表紙にある紹介文「純度100%の恋愛小説」でもないと感じた。
ゲイの夫と鬱病の妻の契約結婚のような結婚生活を描いたストーリーで、夫の恋人紺くんとの奇妙な三角関係が面白かった。 -
知人におすすめされて。
いろんな好きがあっていい。
いろんな夫婦の在り方がある。 -
家族の形とは?
情緒不安定な嫁
男性しか愛せない夫
簡単に言えば、そんな夫婦が成り立つ訳がない。
けれど2人は出会った時から、その形で
その形だからこそ結婚した。
けど、2人はそれだからこそ愛し合っていて
2人は硬い絆があるのだ。
とても読みやすく、ドラマを見てるように
あっという間に読んでしまった。
最後は旦那の恋人と三人で食事する様子で終わり、何とも面白かった(笑)
どんな形であれ、誰に分からなくてもお互いにしか分からない絆があればいいじゃないか。そう思わされた…『当たり前(常識)』の壁を越えた作品に勇気づけられた。 -
薄々感じてはいたが、私、江國香織さんの小説に登場する女性が苦手です。ややこしくてよく分からない。
もう読まないかなと思います。ファンの方ごめんなさい!
ゲイの夫と精神的に脆い妻という設定は面白かった。
もっと明るめの展開かと思って読んだのが悪かったのかな、夫婦がややこしいのか、世間がややこしいのか、もっとシンプルに生きられたらいいのにと思った。
自分のこんがらがった糸さえ解せないのに、相手の糸を解してあげようとして絡まり、両親や友人たちがなんとか「普通」の状態に戻そうと手を出すのだけど、余計に糸がキツく解れなくなってしまうかのようだった。 -
私が高校生の頃に、本好きな先生が勧めてくださった作品。
アル中の奥さんと、同性の恋人を持つ旦那さんの視点で描かれる、結婚生活のお話。
設定自体はとても奇抜だが、現実にもこういう人がいてもおかしくはないと、思わず感じてしまうのだから、江國さんは凄い。 -
紺くんの「僕は男が好きなわけじゃないよ。睦月が好きなんだ」という台詞が、ストンと胸に落ちました。
そうなんだよ。性別なんて関係ない。
好きな人が好きな人だから好きなんだ。 -
本でよかった。
映像だったら笑子の感情的さに腹が立ってしまいそう笑
江國さんの優しい言葉に包み込まれたおかげですんなり読めました。
そして内容も私の周りにはない例だし、そんなに悩むこと?!ってことだけど、当事者の3人にしかわからない辛さでもあるのかと。
それにしてもこの夫婦が納得してれば、同意なら結婚の形なんていいじゃない、と思ったけどそういうわけにもいかない、どうしても親族だけじゃなくて友達とかまでも周りが介入してきたりしてしまうのが結婚なんだなと未婚の学生である私は学びました。 -
物語に引き込まれ、スルスルとあっという間に読んでしまった。この作品は何度も読み返したいとなんとなく思った。次は3年後くらいに読んで、また違った感情になるのか試してみたい。
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笑子みたいだな、自分が。
どこかで、
紺くんが、睦月のことを男だから好きになったわけじゃない っていうセリフに対して
わたしも同じ という笑子の返しがあって。
なるほどなぁ、と思いつつ、
これ、睦月が別のオンナの人を好きな設定だったら(細かい云々は置いといて)、笑子もこんなままでいるわけないと思ってて、、オトコとオンナって不思議で複雑ないきものだなあと改めて思いました。
何より衝撃だったのが初版が91年でこの題材を扱い、今読んでも全然色褪せない、むしろ、時代が江國さんに追いついてきたと言えるのでは、と思うくらい新鮮に読めること。さすがです。 -
どこに話の着地を持っていくのかなと思いながら読んでいたけど、途中からもしかしたらこの話に結末は必要ないんじゃないのかと思えてきた。生きていくことを考えさせられる作品だった。素直すぎる笑子が羨ましくもあり少し嫉妬もした。
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純度100%の恋愛小説と言われる江國香織の名作の一つ。作品のテーマは重く濃く、文章は軽いタッチで書かれているように見えるが、実に繊細に書かれている。日常では体験できない、睦月と笑子と紺の3人が織りなす友情、恋愛を本書で味わってほしい。
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再読。アル中で精神の不安定さを抱える笑子とゲイで恋人もいる医者の睦月の結婚生活。…というあらすじを読んだときはどんだけどろどろなんだろうと思っていたけれど、水のしずくがぷくりと膨らんだきれいな形のまま、すとん、と落ちるような文章で描かれた純粋で迷いのない笑子さんや、やさしさを当たり前に誰にでも配ってしまう睦月、奔放で毒舌家な恋人の紺くんに気持ち良くラストまで導かれてしまう。何度読んでも、おいしい水を飲んだような読後感がある。江國さんほど“瑞々しい”という表現の似合ってしまう作家はいないのじゃないかと思う。
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何度となく読んでいるけど
なんか引き込まれちゃう空気感
キャラクターたちの動きも、感情も
まるでひとなつの夢のように
危なげで、心許なくて
昭和のあの時代だから、こんな結果になっていたのか
もし、今の時代なら彼らには違う結末があったと
今読むとそんな気がしてしまう -
不思議なほど心が穏やかになる小説だった。
アル中の笑子と同性の恋人がいる睦月。
そんな二人の結婚生活は、端から見ればとんでもなく歪で奇妙。
だけど彼女達にとってはこれが自然で、お互いの事情を理解したうえで受け入れている。
何とも形容しがたい関係だけど、こういう愛の形もアリかもしれないな。
個人的に作風がとても気に入ったので、この先何度も読み返したくなると思う。 -
アル中の妻とゲイの夫、その夫の恋人の話。妻と夫、その恋人は意外にも楽しくやれているが、周りの親や友人がそれを許さない。周囲の差別や批判の中で、自分自身は「どうしたいのか」夫婦はもがく。
登場人物は異色の組み合わせだが、紹介文には「純度100%の恋愛小説」とある。実際その通りで、それらの設定は、あくまで相手を信じ、想う描写をするためのもの。LGBTQの主張とはまた違うが、どんな人でも誰かを好きになることはあって、苦しみ、「それでも自分はこうありたい、あなたといたい」というひたむきさは、確かに純愛だと感じた。
文体はライトで読みやすく、随所に入る比喩も綺麗な響きをしていた。続編があるそうなので、今度読んでみたい。 -
柔らかく、静かで切実な人々の話
境遇が重なるわけでもないのに何故だかとてもこころが掴まれて涙が出てくる
この本をもっと早くに読んでいたら、わたしは一番心を許しているあの娘をちゃんとすきになっていたかもしれないって思う
きっと、新しいところで、頑張って忙しいんだろうなと、勝手に想像してました。
私は、ご存知の通り、バレーコー...
きっと、新しいところで、頑張って忙しいんだろうなと、勝手に想像してました。
私は、ご存知の通り、バレーコートに躍動する男子には、毎回うっかりですよ。
あとで、選手一覧見て、やっぱり違ったなんて事は、無いはず。。。d( ̄  ̄)
ありがとうございます(^^)
そうなんですよね〜、新しいところで、悩みながら、もがいております。頑張ります。
...
ありがとうございます(^^)
そうなんですよね〜、新しいところで、悩みながら、もがいております。頑張ります。
今回のおびのりさんの感想は、きっと、みんなドキッとしたと思いますよ。