神様のボート (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101339191

作品紹介・あらすじ

昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。"私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子"。必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。"私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの""神様のボートにのってしまったから"-恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遙かな旅の物語。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは引越しをしたことがあるでしょうか?

    これはその人の生まれた環境にも左右される質問かもしれません。引越しとはいつするものなのか?それは、進学、就職、そして転勤と生活の基盤が大きく変わる時に行うのが一般的だと思います。もちろん、立ち退きになったから、家を買ったから、そして結婚したからといった言った理由もあるでしょう。引越しの理由も千差万別ではあります。そんな引越しも本人一人だけのことであれば、影響は引越しを決めた本人にしか及びません。しかし、家族がいた場合には、本来引越す必要のない者にまでその影響が及んでしまいます。私は幸いにも小・中・高という課程の途中で学校を変わるという経験をせずにすみました。学期の初めに”今学期から新しいお友達が加わります”と紹介される彼、彼女を見て大変だなあと漠然と思った記憶があります。そんな風に、引越しとは家族にも多大な負担をかけてしまうのものであり、しなくて良いならせずに済ませたい、そのような気持ちは万人とは言いませんが、多くの人が持つ気持ちなのではないかと思います。

    しかし、世の中にはそんな風に考えずに、例え娘を転校させたとしても積極的に引越しをしたいと思う人もいるようです。そして、そんな人が主人公となる物語がここにあります。『この町にきて一年がすぎた。そろそろ引越し先を考えなくてはいけない』というその考え方。そこには、生活の基盤の変化や、やむを得ずといった理由は一切ありません。そこにあるのは『ここからでていきたい。この店から。この街から。ここは私の居場所ではない』という思いのみ。それは、『神様のボートにのってしまった』から、と娘に引越しの理由を説明する母親・葉子の”狂気”を見る物語です。

    『あたしが発生したとき、あたしのママとパパは地中海のなんとかいう島の、リゾートコテッジにいたのだそうだ』と母親から聞いた話を語るのは娘の草子(そうこ)。『晴れた、風のない日で、二人はプールサイドで本を読んでいた』、そして『ママはパパの頭を抱き、パパはママの腰に腕をまわして、足に足をからめて…』というその時のことを『ママはしょっちゅうでたらめを言うけれど、あたしはこの話だけは信じている』と言う草子。視点が交代し『ここの海岸は砂が白い。いつ来てもまるで人がいない。だいたい、町に人が少ない』、『この町にきて二カ月になるけれど、くる日もくる日も曇天だ』と思うのは母親の葉子(ようこ)。そんな葉子は学校の個人面談で『草子を優秀だと言』う担任の話を聞きます。『転校されてまだまがないからだとは思うんですが、多少自分の殻にとじこもるようなところがみられます』と言われるも『まだ緊張がとけないだけ』と説明されて安堵する葉子。面談が終わり、歩くのが好きな葉子は『大きな歩幅で海岸を歩』きます。『散歩は一時間と決めているのに』、二、三時間しても帰らない葉子を『心配するじゃないか』と、迎えに来てくれた『桃井先生によくそう言って叱られた』ことを思い出す葉子。『私たちはかならず手をつないで帰った』というあの頃を思い出し、『桃井先生と別れて九年になる。草子は、だからもうすぐ十歳になる』と思いつつ家へと急ぎます。視点が交代し『うちに帰ると、ママが足をたらいのお湯につけて本を読んでいた』という草子。『いまいっている小学校は、あたしにとって三つ目の小学校』という草子は『あたしは生後六カ月で旅にでた』と引越しを繰り返す日々を思います。そして『ママは昼間うちでピアノを教え、夜は「デイジー」で働いている。「デイジー」というのはバーの名前だ』と現在の母親との暮らしを思う草子。『ピアノだけじゃ生計がたたないのだ。なにしろ、ママの生徒は現在二人しかいない』という母親と二人暮らしの草子は、『宿題をしている横で、ママはピアノを弾く』のを聴きながら窓の外を見ます。『ここはほんとうになんにもない町だ』と感じ『今度はどのくらいいることになるのだろう』と、次の引越しが頭をよぎる草子。そんな親子二人が街から街へと転々と引越しを繰り返していく日々が描かれていきます。

    『神様のボート』という印象的な書名のこの作品。『あたしは現実を生きたいの。ママは現実を生きてない』と”あらすじ”にある通り、母親・葉子と娘・草子という二人の生き方、考え方の見事な対比の中に物語は描かれていきます。小説では、視点の位置を誰に置くかということはとても重要です。私たちは小説を読み進めていく中で、その人物の視点というフィルターを通した形で全体像を理解していきます。一番多いのは主人公の視点で最初から最後まで描いていくやり方でしょう。また一方で連作短編の形を取る作品も見られます。章ごとに主人公を変えて視点を切り替えていくというその手法。そんな中で、この作品は、母親・葉子と娘・草子の視点を極端なまでに細かく切り替えながら進んでいきます。それは章単位というものではなく、極例はページの中で切り替えられるほどに二人の間を細かく行ったり来たりと繰り返します。『私』=母親・葉子、『あたし』=娘・草子という一人称がそれぞれを表しながら、書き分けられていくその物語は、どちらがどちらの視点ということに読者が混乱することなく展開していきます。それは一人称の違いというだけではありません。母と娘(小学校から高等学校まで)のそれぞれの視点はそれぞれの内面を見事なまでに表しているからです。母親・葉子視点は『春は嫌いだ。なんとなく憂鬱になる。植物ばかりが元気なのも気に入らない』と漠然とした内面の感情が最前面に押し出されています。それに対して娘・草子視点は『春になり、あたしは四年生になった。四年二組。担任は変わらず、クラブ活動も変わらず園芸部で…』と細かい状況説明が入っていきます。ボヤっとした母親視点に対し、キリっとした娘視点という言い方が分かりやすいかもしれません。普通に考えれば、しっかりした大人と、まだ未熟な子供という母と娘の一般的なイメージが想像されますが、この作品ではこれが真逆です。なので、物語の全容を読者が理解するには、娘・草子の視点に切り替わるのを待つ他ありません。常に現実を見据え、しっかり者という言葉のイメージそのままの存在、それが娘・草子です。それに対して、母親視点では、ゆらゆらとした不安定な感情の波を常に感じさせる描写が続き、読者の内面まで不安な気持ちになってしまいます。この表現の違いが『あたしは現実を生きたいの。ママは現実を生きてない』という娘・草子の思いに強い説得力を与えていきます。その一方で、不安定な感情ばかりが先行する母親・葉子に、読者は次第に”狂気”を感じはじめます。主要な登場人物二人だけの物語において、二人の間の視点の切り替えを効果的に使った絶妙な構成だと思いました。

    そんな『現実を生きていない』という母親は、娘・草子を身籠るきっかけとなった地中海での二人の時間に思いを囚われて今を生きています。それが『骨ごと溶けるような恋』という表現で母親が語るものです。そもそもあなたは『骨ごと溶ける』というような表現を使ったことがあるでしょうか?また、そのような経験をしたことがあるでしょうか?恋愛に『骨』が登場する言葉としては、”骨まで愛して”や、”骨抜きにされる”といった言葉がありますが、それらに比してもこの言葉の威力は絶大です。そもそも『骨』という言葉が登場すること自体、物語が不気味さを纏う気さえします。そんな母親は、『パパはどんなひとだったの?』と娘が聞くと『こういう、すばらしくきれいな背骨をしていて』と娘の背骨に触り、その背骨を褒めます。骨を愛でるという感覚の恐ろしさを感じるこの描写。そして、『どうして引越しばかりなの?ここでパパを待ってちゃいけないの?』と引越しの理由を訊く娘に『どこかに馴染んでしまったら、もうあのひとに会えないような気がする』と摩訶不思議な理屈でそれに答えます。かつて経験した『骨ごと溶けるような恋』に囚われ、『かならず戻ってくる』と言ったっきり帰ってこない彼への思いにいつまでも囚われてしまっている母親。私たちが引越しというものを考える時、色々な理由があると思いますが、特に義務教育期間中の数多い引越しは子供に大きな負担をかけます。それでもやむを得ないものであれば仕方ありませんが、その土地に『馴染んでしまったら、もうあのひとに会えない』という母親・葉子以外には説得力を全く持たない理由によって、一、二年で全く異なる土地へと転々と引越しさせられる子供にとっては、物事を冷静に見る視点が醸成されればされるほどに、『ママの世界にずっと住んでいられな』いという感情が芽生えるのは当然のことだと思います。『ママがあたしの背骨をほめるとき、あたしはほめられているのが自分ではなくパパみたいな気がしてしまう』と感じ『パパのかわりに抱きしめられている』と思うのは、小さい頃から背骨を愛でられ続けてきた草子の素直な感情なのだと思います。そして『あたしはパパじゃないもん。背骨はパパに似てるのかもしれないけど、でもこれはパパの背骨じゃなくてあたしのだよ』と悲痛な叫びをあげる草子。それは、『馴染まなければ、パパに会えるの?ママは本気でそう思ってるの?』とあくまで冷静な視点を持つ娘・草子が、母親・葉子に目を覚まして欲しい、今を見て欲しい、そして現実を生きて欲しいと願う悲痛な心の叫びなのだと思いました。

    『小さな、しずかな物語ですが、これは狂気の物語です』と語る江國香織さん。そんな江國さんが綴るこの物語は、いつまでも現実を見ようとしないでひたすらに過去に生きる母親と、それを反面教師とするかのように現実を見据え、今を生きる娘の極端なまでの生き様の違いを見るものでした。

    『骨ごと溶けるような恋』にいつまでも執着する母親の”狂気”の中に、人が一人の人をいつまでも愛し続けるということの意味を深く考えさせられるこの作品。いつまでも待ち続けるという強い思いの先にどんな解が待つのかを見てみたい、そんな風にも感じた作品でした。

  • 思い出の中を生きる葉子と、現実を生きたい娘の草子。
    恋愛の静かな狂気に囚われた母親と、その傍らで成長していく娘の遥かな旅の物語。

    ん〜江國さん好きだな〜。
    静かでゆらゆらと漂う様な独特な空気感。
    江國さんの小説に出てくる主人公って、よく考えると嫌悪感抱きそうな人が多い気がするけど、江國さんが描くとなぜか許せたり魅力的にすら感じてしまうから不思議。

    ここに出てくる葉子も母親としてはダメダメなんだろう。だけどその一途に思い信じる姿は痛くも羨ましくもあった。
    本当に信じて待っていたのか、もうそうしないと生きていけなかったのかは分からない。
    時間が経ってもずっとそこから変わらない葉子と、どんどん変わっていく周りの温度差に切なくなって涙が溢れた。

    最後をどう捉えたらいいのかは読者次第なんだろうけど、私にはとても悲しくて美しいラストでした。
    江國さんが静かな狂気って言われるのもなんとなく分かる気がする。
    またいつか読み返すんだろうな。
    とても好きな1冊になりました。


  • 「私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかない」「神様のボートにのってしまったから」

    草子のママは、昔、骨ごと溶けるような恋をして、恩師だった桃井先生の元を飛び出し、草子を生んだ。
    草子のパパは、必ず戻って君を探し出す、と告げていなくなった。

    ママと草子は様々な土地を転々としながら二人で暮らしている。
    行き着いた土地で、ママはピアノを教えたりバーやスナックで働き、草子は学校に通う。
    少しずつ地域や人に慣れ始めると、ママは引っ越しを決意する。

    この物語はママと私、二人の視点が交互に描かれる。
    草子の中に「あの人」の面影を感じ、果たされる保証のない約束をよすがに、頑ななほど現状に慣れることを拒むママの視点。
    ママから、自分自身ではなく「パパの血を引く娘」として見られていることに傷つき、ちょっと気になる男の子がいてもすぐに離れてしまわなければいけない生活がどんどんつらくなっている草子の視点。
    閉じられた二人だけの世界から、徐々に草子が旅立とうとしていく。

    どちらの視点に共感するかによって感じ方が全く異なる話だと思う。
    私はどちらかというと草子の視点で読んだので、ママの少し現実感のないところとか、閉じた世界が息苦しくてしょうがなかった。
    それでも、それほどまでに愛する人に出会い、娘に対してパパがどれほど素晴らしいかを(その話に嘘が混じっていたとしても)話すことができるママをちょっぴりうらやましく思う部分もある。

    物語の最後は納得できる人とできない人に分かれるのではないだろうか。
    私は、物語全体がファンタジックな雰囲気だったからこそ、最後はぐっと現実的に終わってほしかった。
    なんだかすっきりしないまま読み終えたが、読み直した時の状況によって、全然違う感想になりそうな気がする。好きなタイプの話ではないが、懐の深い物語だと思う。

  • 骨ごと溶けるような恋をした母。彼女を置いて消えた恋人を待ち続け、再会を果たす為、東京以外の土地を放浪しながら娘を育てて生きていく。
    ストーリーは母娘を交互にに語部として綴る。
    時間は、思い出を忘却しつつ美化する。
    母親は、時を経ても、愛の狂気の中に居る。
    娘は、時を経て、現実に生きる術を探す。

    文章が美しいというより、極力修飾を抑え、表現せず、アンニュイ感や喪失感を出しているかな。
    童話というには、セクシャルすぎるし、人生観としては、特殊すぎるし、共感どころは難しい。

    あまり、周囲を巻き込む恋愛は、若い時にすませましょうか。

  • 母と娘が消えた男を待って引越しを繰り返す物語。
    一見自由気ままに暮らしているように見えても、母が男の言葉に縛られている状況は閉鎖的である。
    娘は成長し現実を生きる事を選び、母は破滅の道を進む。痛々しい。

  • 一気読み。

    葉子と草子の短期間で引っ越しを続ける様子は、神様のボートに揺られて ふわりふわり、港というより岸辺だったり浜辺だったりに寄せられたり、離れたりしてる感じだ。

    葉子と草子、お互いを自分の宝物とおもって慈しむ感じが 神様のボートならではの平和な感じでしっくりきた。

    結局 あのひとに会えた…んだよね?
    最後までボートに揺られてるみたいにふわふわして終わった。

  • 現実を見ない母、葉子と現実を生きている娘、草子。江國さんも残酷なことをするなぁ。赤いリボンのくまのネイルシールとか、冬に足を暖めるためのたらいに張ったお湯だとか、日々の生活から拾い上げるものたちが素敵。

  • Audible読了
    読み終わった直後に「〜〜〜〜っ?!」となってしまった。気になった所をもういっぺん繰り返し読んでみたが、よけいに見失った。

    ── でも、自由と不自由はよく似ていて、時々私には区別がつかなくなる。

    まさにその2つを揺れながらストーリーは進む。ものすごく窮屈なはずの母1人、娘1人の生活に、なぜかどこか自由を感じる。すきま風みたいな。マグロとサーモンとどっちも食べれるな、っていうのとはちがう。なんと言うか。怖くない、ということを自由と呼ぶのか、それが自分の中ではしっくりきた。

    あとがきに、この作品は江國香織さんの中でメインディッシュではないと寄せられている。力が抜けているらしい。ただそこにある物を、そこにあるように書き出す。なるほどと思うような、やっぱり理解には程遠いような不思議な気持ちなった。

  • 『神様のボート』読了。
    夢をみる母と現実をみる娘の話。狂気とも言える母親の心情についていけなかったわ…ごめんなさい。いやー、怖いわ…
    好きな人を待つ葉子は土地に馴染まないようにと引っ越しを繰り返す。その動機が美しくも自分勝手で羨ましくもなる。娘の草子、よくグレなかったな…と感心してしまうよ。
    私も幼少の頃に何度も引っ越しをした経験があるの「また引っ越し!?」っと言って泣いた記憶がある。子供目線でみると引っ越しは嫌でたまらなかったな…そういう思い出が甦る。
    普通じゃない生活を余儀なくされると、自ずとしっかりしなきゃいけなくなってくるんだろうな。それはいいのかわるいのか。
    そんな娘に諭されて最後は死まで考える葉子。娘がいないことに絶望していたのか…?本当に母娘関係って適度に距離を取らないと怖いなって思った。
    私は過剰に怖いと反応してしまったけど、二人にとってはそうじゃないのかもしれない。淡々とした心理描写が儚く美しいものになるのかも。切ない。

    2022.1.17(1回目)

  • 恋をすると、海に漂う舟みたいだ。自由でも不自由でもなく…
    子供のように純粋で、でも潔くて…読み終わって、涙が出そうになった。

    • さてさてさん
      m.cafeさん、こんにちは!
      この本を推薦いただきありがとうございました!

      江國さんは一年以上ぶりでしたが、早速読ませていただきました。...
      m.cafeさん、こんにちは!
      この本を推薦いただきありがとうございました!

      江國さんは一年以上ぶりでしたが、早速読ませていただきました。色々な視点で見ることのできる作品だと思いましたが『人が一人の人をいつまでも愛し続けるということの意味』、それがこの作品では母親の”狂気”の中にそれを見るという独特な視点がとても印象的でした。

      m.cafeさんのレビューの”恋をすると、海に漂う舟みたいだ”という表現とても絶妙だと思います。読み終わって、とてもなるほど、と感じました。

      江國さんはお勧めいただいたもう一冊と、さらに私の選択で一冊を連続でレビューさせていただきます。

      なかなかに江國さんを読む起点がなかったのでm.cafeさんに起点をいただいたこと、改めて御礼申し上げます。どうもありがとうございました!

      今後ともよろしくお願いします!


      2021/05/22
    • m.cafeさん
      さてさてさん、こんにちは!
      さてさてさんの、「神さまのボート」のレビュー読ませていただきました。
      私がこの本を読んでから、ずいぶん時間が経っ...
      さてさてさん、こんにちは!
      さてさてさんの、「神さまのボート」のレビュー読ませていただきました。
      私がこの本を読んでから、ずいぶん時間が経っていたので、さてさてさんの素敵なレビューで感動を再現することができて、とても嬉しかったです。
      本当にありがとうございます。
      活字の楽しさを、こんなふうに誰かと共有できるなんて、本当に素晴らしいことですね♪

      さてさてさんのレビュー、今後も楽しみにしています。
      これからもよろしくお願いします!
      2021/05/22
    • さてさてさん
      m.cafeさん、早速ありがとうございました。
      何か大きなことが起こって…という作品ではありませんが、母親・葉子の内面に静かに、それでいて静...
      m.cafeさん、早速ありがとうございました。
      何か大きなことが起こって…という作品ではありませんが、母親・葉子の内面に静かに、それでいて静かに燃え続ける炎を感じました。結末の読み方を読後考えてしまって、レビューで掲載して改めて考え込んでもいます。答えを求めて他サイト含めてレビューを見ているんですが、幸せな結末良かったね!と書かれていらっしゃるものも見かけるのですが、本当にそうなのか?そうであっても、その意味はもっと深くて、狂気の行き着く果てを、敢えてそうおっしゃっているのかよく分からなくなりました。いずれにしても色んな解釈の出来る結末だと思いました。
      いずれにしてもとても良い読書をさせていただきました。改めてありがとうございます!

      こちらこそ今後ともよろしくお願いします!
      2021/05/22
  • 娘が母の元を去るシーンで切なくなり、ラストシーンではゾッとした。恋愛は狂気…その通りだと思った。

    江國さんの文章が独特で、くせになりそう。
    『殺人的な量の砂糖が入っている缶コーヒー』という言葉が頭にこびりついて離れない。

  • 江國さんの作品が昔から好きで、この作品は特に好きなものの一つです。
    そういえば「母と娘の話だったな」と思い、お腹の中の娘を想像しながら読みました!

    初めて読んだ時も母の葉子に感情移入しながら読みましたが、今回もやっぱり葉子目線で読みました。
    ただ、前回は葉子の恋人への狂気にも似た思いに、今回は娘、草子への思いに共感の対象が変わって読めたことが面白かったです。

    「骨ごと溶けるような恋をした」相手は突然葉子のもとを去ってしまい、葉子は彼の「必ず戻ってきて、どんな場所にいても必ず見つけ出す」という言葉を信じ、娘の草子と引っ越しを繰り返しながら、まるで旅するように生活しています。

    江國さんの作品に流れる日常の空気感が大好きで、この作品もその土地土地での生活が細やかに描かれて心地よい気分で読んでいました。
    葉子がフレアスカートの裾をさばきながら海を散歩したり、彼女の栄養源は煙草とコーヒーとチョコレートなところとか。いつもそういう細かい部分に登場人物の背後のエピソードを感じます。

    ストーリーとして印象に残ったところはやっぱり草子が「引っ越したくない」「高校は寮に入る」「ママの世界にずっといれない」と言うところ。

    わたしも葉子の気持ちに共感しながらも、薄々親の都合で引っ越しを繰り返す草子がかわいそうだなとは思っていました。また、葉子が草子を褒める時の「さすがあの人の子」という言葉も。

    葉子は草子を本当に愛しているのだけど、同時に「あの人」に狂っていて、母という役割と女という役割の間で揺れ動いているんだなあと思います。

    どちらでもありたいし、どちらでもあって良いと思います。でもバランスって難しいなと思います。

    母であり、女である。それがデリケートなバランスで存在してることが葉子の魅力なのかも。

    草子が「ママの世界にずっといれない」と言ってしまった後に、涙が止まらなくなってしまうところも胸が痛くなりました。草子の気持ちが痛いほど分かるからこそ、そんなことを娘に言わせたくないな…と。

    でも葉子と草子の間にはやっぱりお互いに対する思いやりみたいなものがちゃんとあって、素敵な親子関係だなあと思います。

    いつか娘が大人になったら読んでみて欲しいな。感想を言い合えたら素敵だと思います。

  • 母親と娘という、自分にとって一番身近で、かつ一番遠い関係。
    血は繋がっていて、似ているはずなのに決定的に違う何か。
    私自身、思春期は母親との関係にかなり悩んだりしたこともあって、草子(娘)の気持ちがよくわかりました。

    また、江國香織さんの文章は詩のようでとっても好きです。
    好き嫌いはあるのかもしれないけど、美しい文章がすんなり私の皮膚に染み込んできてくれる。
    更にエクニ文学を開拓したいと思いました。

  • 江國香織さんの本の中で1番好きな小説。
    シングルマザーの葉子と娘の草子の物語。
    してはいけない恋をして、いろんなものを失って、でも、生まれてきた最愛の人の子供と、何とか生きている葉子。
    でも、葉子はしてはいけない恋であったことを、自分では決して認めないのだ。

    そんな母のもとで、成長していく草子。
    いろんなことが、ほかの子の家とは違う。
    そのことを感じながら、少しずつ自我が芽生えていく草子。

    不器用にしか生きられない葉子、どうしてそうなんだろう、って思うけど、でも、真っ直ぐに生きている葉子に、そんなにも人を好きになれる葉子に、私は多分憧れているのだ。

  • 母と娘の旅ガラスストーリー。
    内容的には、少しかなり母親は病んでいるなぁと思いながら、娘は娘で、成長するに従ってその母の生活ぶりに反論するようになります。まともな娘に成長してくれて安心したかな。
    娘が中学二年生頃からのストーリーから、一気に引き込まれて読みました。
    それまでが、もうもう母が強烈な性格なので読んでいるこちらも病みそう。
    とにかく、最後がまとまるところに収まって良かったです。

  • 骨ごと溶けるような恋をした「あの人」の再会を信じて娘・草子と旅をし続ける母子の話。
    普通に考えたら、必ず迎えに行くと言われたら一所に留まるものだが、あの人のいない世界に馴染んでは「いけない」と旅がらすの生活を選んだ母・葉子。
    過去を何もかも箱の中に入れ、神様のボートに乗ってしまった。それは正気の沙汰じゃないと思った。
    草子の後ろに「あの人」を写し、草子を愛しているようで、「あの人」しか愛していないように見えた。
    一度も草子という一人の人間と向き合っていない。
    それは草子にとって日常であったが、大人になり母以外の世界を知れば、それが異常であったことが分かってくる。旅がらす生活も16年が限界だったのだ。草子は現実を生きたいと願った。当たり前だ、恋も勉強も仕事も未来も人生も、またまだこれから、自分の人生を生きさせてもらえなかったのだから。

    最後に再会し幸せを噛みしめる葉子だが、すべての平穏を壊した「あの人」との今後が、幸せなだけとは思えない。

  • 夢から覚めて現実を生きようとする少女と
    夢を見続けて狂ったような現実を生きる女性と

    正しい生き方は 一体どちらだろう

    しまえない言葉
    後悔する思い

    そして相手を傷つけたことに
    自分もまた傷つくのだ

    傷つくにしても 傷つけるにしても
    それはどちらにしても
    悲しいのだ

    現実を見ていないのではなく
    真実を見ている

    逃げているのではなく
    信じているだけ

    言葉を信じない少女と
    言葉を信じ続ける女性と

    生き方が違うのなら
    それは きっと 最初から悲しいのだ

  • 誰もいない 真っ白な霧の中を ボートに乗って 静かに 漂流するような
    あるいは サティの「ジムノペディ」が流れる 薄明るい森の中を あてもなく彷徨うような、
    たまらない不安につつまれる小説でした。

    “必ず迎えに来る”と言った彼氏を待ち続ける葉子と、その娘 草子が交互に一人称で語る形で小説は進みます。
    一箇所に定住しない葉子と共に 草子が何度も転校を繰り返しながら小学生から高校生になるまでが描かれます。

    映画「37℃2インテグラル」にベティという女の子がいました。
    “透明な感性を持つ奇妙な花のよう”な19歳のベティは、
    恋人の成功を助けることや、恋人との子を身籠ることで
    この世に自分が生きていることの証を求めようとしましたが、全て叶わず散ってしまいました。
    葉子は恋人との子 草子を産み、共に暮らしましたが 草子が自立し、生きる気力を失います。

    ベティにも葉子にも 心許せる友人・仲間 の存在が見当たりません。
    そもそもこの世には“心許せる”相手なんていないのかもしれません。
    つまり、彼女達は自分を誤魔化せない 真っすぐな生き方しかできない人達なのだと思います。
    誰にも甘えない 甘え方を知らない。どうしていいか判らないんです。
    そんな人生を歩んできた彼女達の前に現れた、全てを委ねさせてくれる彼氏。
    この世界で生きていることを実感させてくれる 生きる“よすが”です。

    「彼のいない処に 私の定住の地はない」と言いながら 娘と引っ越しを繰り返す葉子は、
    必ず迎えに来ると言った恋人との思い出 という甘美で儚い幻想の世界に定住していたのだと思います。
    そして彼との娘 草子は この幻想の世界と現実の世界を繋ぐ 唯一無二の存在だったのです。
    だから 草子が自立して去ったとき 葉子は現実に戻れなくなった気がします。
    足元に絡みついてくれた愛しい子供との時間は、子供の成長と共にやがて過ぎ去ります。
    子供の成長は心から願いますが それとは別の気持ちとして せつないものです。

    ラストシーン。葉子の前に ついに彼氏が現れます。
    彼氏との思い出は かなり美化されているので、葉子の一人称で語られるこのエピソードもどこまで現実か判りません。
    しかし自分を見失うほどに漂い続けた私は 葉子と一緒に ここに着地することを切に願いました。

  • 成長と共に変わっていってしまう子・草子と、ずっと変わることができない母・葉子の物語。
    読んでいてずっと、なんだか悲しかった。変わってしまうことも、変われないことも、どちらも悲しいんだと思った。

  • とても危険な本です。江國さん自身もそう語ってます。陰鬱な内容で読んでると憂鬱になります。精神的にまいってる方には勧めません。

  • この親子はフィクションらしいなあと思いながらも、どこかにいそうとも思える。
    不快なことはなく、静かに流れていく映画みたいだ。

  • 狂気といえるほどに愛を信じ続ける母親、葉子。そしてそんな母親に対する嫌悪感と愛情の間で悩み、やがてはそんな母のもとから脱皮して現実を生きだした娘、草子。
    いずれにおいてもこの親子は似ていて、 痛々しいほど自分をごまかせない人たちだと思った。
    母と娘のきっても切れない関係性がひしひしと伝わる読み応えある作品。

  • #読了 2021.8.1

    10年前くらいに「いくつもの週末」を読んで、江國香織さんの感覚が好きな感じだったので他の作品も読みたいなと思っていたんだけど、読んでみようかなーと思う作品がなんとなく引っかからなくて間が空いてしまった。

    あとがきにある通り、穏やかな日常を書いてるかんじだけどベースには終始狂気を感じる。恋愛に生きてしまうタイプの人間に娘がいるとこんな感じなんだなって。こういう「恋愛に生きてしまう女くさい女」っていう登場人物を読むのは結構好き。女にしか分からないだろう感覚を表現するのが江國さんは上手だなと思う。

    でもまさか最後にちゃんと帰ってくるとは思わなかったし、どこかで戻ってきてほしくなかった自分に気がついた。
    草子が独り立ちの1歩を進めたことで、葉子が現実を見始めたところだった(葉子は限界だったから命を絶つ可能性もあったけど)。葉子ひとりなら旅がらすな人生もいいだろうけど、草子には草子の人生がある。葉子のおまけじゃない。
    草子の独り立ちは、感じなくていい罪悪感と後悔を引き換えに得たもの。草子はすごくがんばった。間違ってないよ、って草子に言ってあげたかった。待ち続けて旅がらすするお母さんが間違ってるんだよ、って言ってあげたかった。16年も連絡のないパパを待つ人生から卒業していいんだよ、って。
    でも。まぁそれはエゴだったね。これで葉子は旅がらすを続けなくていいし、草子もパパに会えたわけで。パパの誕生日はこれで寂しいものにならない。(…W不倫だったから誕生日を一緒に過ごせるかはまだ分からないけど)
    でもなんだか。ハッピーエンドなはずなのにモヤモヤしちゃう。あのひと、葉子、草子。草子だけがまともなはずなのに、帰ってきちゃうと草子が間違ってたかんじになる気がしてなんだかなんだか。
    はじめは葉子と幼い草子の旅がらす人生も乙なもんかななんて思ってたけど、草子も成長していくと、小学校高学年から中学生なんて人間関係を学ぶ時期で。そんな時期に2-3年ごとに引越しじゃ付き合いきれないよね。自立していくのがとても健康的。草子は間違ってない。うんうん。こういう人達もいるんだな、って冷静に両親を見ながら、いい恋愛して幸せになってほしいなぁ。

    あのひとに「イカれた」葉子と成長し自立していく草子。そんな母娘の日常。



    ◆内容(BOOK データベースより)
    昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。“私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子”。必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。“私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの”“神様のボートにのってしまったから”―恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遙かな旅の物語。

  • 物語は葉子(母)と草子(娘)の2人が主人公。

    本作は親子の物語でもあり、旅物語でもあり、恋愛小説でもある。

    非常に高等な作品だと思った。

    葉子の視点と草子の視点で描かれた物語は決して子供の成長の中で葛藤する親子の物語ではなく、又、単純な親子愛の物語でもない。

    母である草子の宝物は三つ。
    ピアノ、あの人、草子。

    草子の父親であるあの人は葉子にとっては不倫相手でありながら、純粋に「必ず戻る」の約束を信じ、引っ越しを繰り返しながらそれぞれの居場所を探す物語。

    読み終えた今だから「神様のボート」というタイトルに込められた意味を理解できた気がします。

    説明
    内容紹介
    あたしは現実を生きたいの。ママは現実を生きてない。

    消えたパパを待って、あたしとママはずっと旅がらす……。恋愛の静かな狂気に囚われた母と、その傍らで成長していく娘の遥かな物語。

    昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。“私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子"。必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。“私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの"“神様のボートにのってしまったから"――恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遥かな旅の物語。
    内容(「BOOK」データベースより)
    昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。“私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子”。必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。“私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの”“神様のボートにのってしまったから”―恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遙かな旅の物語。

  • 夢か現実かわからない遠い愛の中に生きる母親。
    これは毒親というものではないのか・・
    周りが見えていなくて、どこにも馴染まない母。
    読んでてイライラするはずなのに、なぜかしない。
    それは草子がしっかりと母を愛しているからかもしれない。

    静かな狂気の物語。本当にその通りだと思った。
    結末がどっちであろうとよかった。
    ”そんなことあるかよ”とも、”せめてそうであってくれ”とも思ったから。

  • 漂泊する母と娘の物語だけど、現実を生きられない母親の哀しい話でした。
    心情を書き込まないで読者に委ねる、余白の文学作品でした。

  • 江國香織らしい繊細で美しい言葉たち。一見とても静かで、さらっと読めてしまうけれど、冷静に考えるとめちゃくちゃ怖い話。

    共依存の母子関係から始まるが、段々と母よりも早くに現実を知り自立していく娘、子離れできない母親の構図に変化する。

    ラストは読み手に任された印象。彼との再会は葉子さんの夢か、現実か。報われて欲しい気持ちもあるけれど、きっとあっちの世界に向かう途中で見た夢なのかなあと思った。
    葉子さんは可憐で綺麗で幼いまま、箱の中にしまわれちゃう人なのかもしれない。

  • 『積木』の店長が家に来た時の母娘のやりとりが秀逸。ママが喜んでいない時の仕草が分かる娘。見抜かれていると気付いている母。2人の間にある強固な絆や愛情がよくわかる描写。

    江國さんの小説は擬音で表すとパチパチキラキラみたいな感じ。なんてことのない物事を非日常のように、美しく描く。

    自分は中高生で母にめちゃくちゃ反抗してたので草子の気持ちが痛いほど分かる。言った後にたくさん後悔したことも、後悔すると分かってても言わなきゃいけなかったことも、悲しい気持ちになることも色々思い出した。大学生になった私はだいぶ母親に優しくできるようになったなと思う。

    草花とか海とか、そういうものに囲まれながら読みたくなる小説。

    ラストの展開は葉子が自殺したということなのかな、、、。なんとも言えない喪失感。

  • 面白かった⋯⋯が、自分の母親が葉子でなくて本当によかったと思う。仕事の都合であっても、子供の意図しない転校は極力避けるべきだと考えている私と、自分の夢のために草子を連れまわす葉子では、まるで価値観が違うだろう。

    それにしても、ラストシーンで葉子は「あの人」と本当に会えたのだろうか。はじめに読んだときには、葉子は自殺し、死に際にラストシーンのような再会を妄想したのだと思ったが、桃井先生視点で見ると、突然出て行ってしまった葉子が、突然帰ってきている。桃井先生が何度も「おどろいたな」と言っているとおり、まさか再会するとは思っていなかったのだろう。それと同じことが、葉子にも起きた可能性はある(「あの人」は桃井先生の家を訪ねているし、近くに住んでいるかもしれない)。
    ただ、この作品は、現実で起きたことは「いつ、どこで、なにが起こったか」をはっきりと書いている印象がある(章題にも西暦が書かれているし、「春」や「冬」などのざっくりとした季節も随所にある)。しかし、ラストシーンは突然始まり、二人は突然再会する。いつ起きた出来事なのかは明示されない。これは、現実には起こっていないからかもしれない。

    その場合、可哀想なのは草子だ。彼女は一生、「自分が家を出たせいで母親が死んだ」と思いながら生きていくことだろう。幸い、直前には祖父母と会い、数日は一緒に暮らしているから、引き取り手には困らないし、寮生活なので、普段の生活に支障はないはずだ(直前に引き取り手を用意していることも、葉子が死んだと感じる要素の一つ)。しかし、彼女は葉子がかけた呪いを背負って生きていくことができるだろうか。あるいは、「ママはパパに会いに行った」と考え、前を向くことができるのだろうか。

    • まこさん
      ラストの読み取り方で大変共感しました。そして草子を思うと居た堪れない気持ちでしたが、仰るように「ママはパパに会いに行った」と考えて前む草子も...
      ラストの読み取り方で大変共感しました。そして草子を思うと居た堪れない気持ちでしたが、仰るように「ママはパパに会いに行った」と考えて前む草子も想像出来て、少し気持ちが軽くなりました。素敵な感想でした。
      2023/09/25
  • 江國香織さんに初めて出会った小説で、こんなに美しい文体で文章を書ける人が存在するのかと驚いた。繰り返し読んでも鳥肌が立った。

    謎のメモ。
    愛する人を忘れず、ずっと待っている女性と、その娘の物語。非常に柔らかい文体の中に、美しくもはかない、大人と子供の世界が描かれている。ずっと友達のような親子かと思えば、草子に愛する人の姿を重ね、自分から離れないようにしてしまう葉子。そんな母を見ながら成長し、少しずつ現実的になっていき、葉子に厳しくしてしまう、そして後悔してしまう草子。葉子は草子を連れて旅のような生活を送るが、16年の時を経て東京に帰ってくる。草子に依存することも少しずつなくなり、なぜ生きているのかも分からなくなる葉子。死ねばあの人と一緒になれる、そう考えた葉子のもとにあの人が...

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著者プロフィール

1964年、東京都生まれ。1987年「草之丞の話」で毎日新聞主催「小さな童話」大賞を受賞。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2010年「真昼なのに昏い部屋」で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、2015年に「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」で谷崎潤一郎賞を受賞。

「2023年 『去年の雪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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