ウエハースの椅子 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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感想 : 200
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101339252

作品紹介・あらすじ

あなたに出会ったとき、私はもう恋をしていた。出会ったとき、あなたはすでに幸福な家庭を持っていた-。私は38歳の画家、中庭のある古いマンションに一人で住んでいる。絶望と記憶に親しみながら。恋人といるとき、私はみちたりていた。二人でいるときの私がすべてだと感じるほどに。やがて私は世界からはぐれる。彼の心の中に閉じ込められてしまう。恋することの孤独と絶望を描く傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 私の最高の恋人は、この上なく愛し温かく包んでくれる。決して否定しない。
    優しいからこそ残酷な家庭のある恋人。
    私はいつも、悲しさ、寂しさ、孤独、そして絶望に包まれてる。ゆったりとした絶望…。ずっと静かに涙を流してるような、小さな傷から血を流し続けているような、そんな小説。

    恋人と過ごす時間がとても綺麗で、
    そこだけを読みたくなる。

  • はじめて江國香織さんの作品を読んだ。
    起承転結を楽しむではなく、絵画鑑賞みたいに
    文章の繊細さ、情景を楽しむ作品だなと思った、
    定期的に読み返したいくらい素敵な作品。

    死はいつか私たちを迎えに来てくれるベビーシッターで、
    人は皆、神様のわがままな赤ん坊、という一文が
    自分の人生でも指折りなくらい印象的なフレーズだった。

    • rakuda2023さん
      絵画鑑賞みたいな小説という表現とても素敵ですね。
      絵画鑑賞みたいな小説という表現とても素敵ですね。
      2023/01/16
  •  38歳、不倫7年目の画家。恋人、妹、妹の恋人(妹以外に4年間付き合っている相手がいる)が時折、自宅を訪れたり、あるいは一緒に旅に出かける。それ以外の登場人物はみんな霧みたいにぼんやりとしていて、その人のエピソードを通過した瞬間、記憶されることなく滑り落ちる。

     読んでいる間、ずっと海を思い浮かべていた。夜の、音のない。月の明かりがほんのりと辺りを照らしているだけで、だからずっと遠くまで見渡せるような、でも腕を伸ばしてみたら、自分の指の先がもう暗闇に飲まれてしまうような。水面には、雨の滴や、魚や、船なんかによって、ときどき微かな波が立つ。でも次の瞬間、波という概念自体を否定してかかるような勢いで、水面はしん、と、元の静謐さを取り戻してしまう。その繰り返し。
     小説というか、お話。柔らかいトーンで、小さな子どもが覚えたての言葉で一生懸命しゃべるようにおぼつかなくい。どうにもならないとわかっているのに、つい手を添えてたくなってしまうような。儚いを通り越して、もはや透明。添えようとした手をすり抜ける。不毛。

     出会った瞬間、恋に落ちて、でもそのとき、相手にはすでに家庭があって。びっくりするほどよくある話なのに、ここまで心を奪われるなんて予想外だった。とめどなく流れるように進んでいく滑らかな語りに魅了された。今回は図書館で借りて読んだけれど、手元に置いていつでも読める状態にしておきたいと思うほど。不毛の極み。でも愛おしくてたまらない。

  • こんなに美しい小説は無い。
    江國香織、彼女の文学は歪な大人達が織り成す童話だ。
    学びも無ければ、物事への訴求も無い、全く生命活動に不要な文学である。
    しかし彼女は、無駄を愛でる小説家である。

    長編『ウエハースの椅子』は、主人公の画家・38歳が家庭を持つ男性(作中「恋人」と呼ばれる。とてもお洒落な二人称だ。)と恋に落ちる。
    それこそ牧師の如く、彼女に対する愛の施しを惜しまない恋人。
    次第に彼女は自身の足で立てなくなる事を恐れ、別れを切り出すのだ。
    しかし恋人の存在が失われると息さえ上手に出来ない彼女は、数日の絶食の後、とうとう病院へ運び込まれてしまう。
    そこへ迎えに訪れる者はやはりかの恋人で、彼女が還る事が出来る唯一の場所も、恋人の元であったー

    筋にするとこれっぽっちの物語が、この上無く甘美な芸術へと昇華する。

    私は間違い無く、江國香織の綴る文章そのものに恋をしていた。
    付箋を貼って自身の恋人に贈りたいとも思った。
    しかし試みた所で、付箋だらけになってきっと埒があかないだろう。
    目で追う行の、次に出てくる言葉を胸を躍らせ待っていた。
    そんなこの上無く従順な読者が、私だ。
    期待、願い、それ等を密かに寄せて。
    それはまるで恋人の指が、今度は身体のどこに触れるのかを待つ様に。

    江國文学の登場人物、特に女性達はたっぷりとよく食べ、昏々とよく眠る。
    自然の摂理と欲求に素直な姿は、とてもセクシーだ。

    毎年恋人と夏に出掛ける暖かな島も、この上無い甘美さで描かれる。
    彼女達はきっと、3mと離れている時間は無いだろう。
    あぁ、私も早く恋人と旅に出たい。
    私はいつも「3m以上離れると電流が流れるから、ずっと手を伸ばせば届く距離に居てね」と恋人に言う。
    そして世界で一番魅力的な男は、そんな私の我儘に目尻を下げて笑うのだ。
    彼の髭は柔らかい。

    終始詩的な恋愛小説は、自身が子を持った時、どんな絵本よりも読み聞かせてやりたいと思う。
    こう、愛に抗わぬ子であって欲しいと願いを込めて。

    余談ではあるが、江國さんに
    「貴方は本当に食べる事が好きなのね。」
    と言われた事がある。
    その衒いの無い言葉に私はこの上無く褒められた気がしたものだったし、恋人に教えると、彼もその褒め言葉を大層気に入った様だった。

    <Impressed Sentences>
    私は恋人の香ばしい肩に鼻をこすりつけ、なだらかな腹に唇を這わせる。私の恋人は完璧なかたちをしている。そして、彼の体は、私を信じられないほど幸福にすることができる。

  • 金平糖や綿菓子みたいな小説だ。
    実用性皆無で好き。
    文章はどこまでも美しいが、読者がエキサイトできるような親切な物語展開などは皆無に等しく、登場人物の思考回路は意味不明。
    死だの絶望だのと大袈裟な言葉を使うのに全く浮いておらず、それが逆に不安。
    おまけに暮らしぶりがオシャレすぎてついつい爆笑してしまう。

    セックス、散歩、風呂、睡眠、絵、旅行、食事、セックス、セックス、風呂、風呂、風呂、読書、散歩、睡眠、睡眠、睡眠、セックス、睡眠!

    そんな感じだ。

    この絶妙な不親切、まさに「文学」といった感じだ。しかしこの小説が凡百の文学と違うのは、意味不明さと共感の難しさを対価にとびきりの「憧れ」や「ロマン」を提供してくれるところではないだろうか。

    思うに、江國香織に現実味や分かりやすさなどを求めるほうがいけないのである。
    金平糖や綿菓子で腹がふくれないことを怒るようなものだ。
    そんな実用性を、あの可愛らしいお菓子に求めるほうがおかしい。おかしだけに。

    私のような庶民にとってあれらの小説は空気感を楽しむものであって、まともに理解したり血湧き肉躍る冒険にハラハラしたり、そういう典型的なエンタメ文学とはまるで別のものなのだ。
    江國香織さんが我々のような有象無象にロマンチックな夢を見せてくださっているのだから、おとなしく受け入れようではないか。
    この小説の主人公よろしく、ろくに飯も食わずに恋に揺蕩ってみるような読書をしてもいいではないか。
    飢えはハーブティーで誤魔化そう。
    そして、空腹を感じながらもお上品に「美味しゅうござんした」と微笑んでみせようではないか。
    この、「文学的やせ我慢」をも楽しむこと。
    それが江國香織作品を楽しむうえでのマナーだと私は思うね。
    たまにはしゃちこばって意味のわからない文学をいっちょまえに味わうのもよいではないか。

    それにしても、主人公たちの浮世離れっぷりがすごい。
    風呂に入りすぎ、ハーブティー飲み過ぎ。
    そのくせ猫の名前は「絶倫」ときてる!
    よく揶揄される「やれやれ」の村上春樹よりも余程こちらのほうが爆笑ものだと思うのだが。
    くそ真面目な顔をして江國香織がオシャレの中にこういう不意打ちを仕込んでるのは、かなり面白い。

    なんにせよ、かなり独特で、唯一無二の文章が書けるのはそれだけで作家としてすごいことなのだろうと思った。

    美しい文章を優雅に味わうこともできるし、馬鹿な読者なりにせっかくの文学をコケにして台無しにしてしまうこともできる。
    一挙両得な小説で、私はかなり好きだ。

  • 恋愛がなにかわからない
    普通が何かわからない
    この物語を読むことは、緩やかな自殺
    かくじつな自傷行為になり得る

    常識を疑うあなたに、是非読んで欲しい。

  • どんなに関係それ自体が幸せなものであっても、不倫が(特に独身者側にとって?)行き止まりで荒野である、ということを、説得力ある描写で描いている。解説の文章が驚くほどただの要約なのが読後感を損ねました(読まないほうがいいレベル)。

  • フルーツがたくさん乗った綺麗なパフェみたいな文章食べたらなくなってしまうし、汚くなってしまう。完璧で満ち足りていて絶望というのはトラップに引っかかるハエのこと。


  • 男がいることで絶望を感じるとしても、男がいないことでの平穏を私はきっと選ばない。
    いる苦しみはいない苦しみを超える事はない。
    パンを食べ珈琲を飲み、男に生かされる女。
    閉じ込められ閉じ込める男と女。
    好き。過不足なし。
    そんな江國ワールドの女に私はなりたい。

  • 幸せと悲しみがないまぜになる主人公の気持ちがよく分かるし、そういう文章がとても美しいなと思う。こういう、敢えて言葉にはしない絶望に強く惹かれる。

    読み終えて、誰一人として名前が出てこないことに気付いてゾクッとした。読んでいる間、主人公と自分の境界線があまりにも曖昧だった。
    ストーリーに起伏はなく、ただただずっと、江國香織が織りなす世界に浸っていられる。

    以下、好きなところ

    ------------------------

    恋人がせっかくついてくれた嘘なので、甘やかな、でも少しかなしい気持ちで、それを受け入れる。

    「アーサーヘイリーはね、自作の中で気にいちばん入っているものは、と訊かれて、つねに最新作だ、とこたえているんだ」
    歩きながら恋人が言った。
    「作家というのはそうあるべきだよね」
    私にはよくわからなかった。そうあるべきなのではなくて、そうでしかあれないのではないかと思った。

    ------------------------

    「あなたといると、何の過不足もない」
    恋人は微笑み、
    「それはいい」
    と、こたえた。私の中に、説明のつかない違和感が生まれ、私はあやうく笑い出しそうになる。何の過不足もない、ということは、それ自体何かが欠落しているのだ。

    ------------------------

    「会いたかったわ」
    私は言ったが、それはほんとうではなかった。会いたかった、という気持ちがしたのはついさっきだ。それまでは、そんなこと思いもよらなかった。

    「あなたが遠くに行ってしまうと、私は何もかも忘れてしまう」
    その言葉の意味するものに、私は自分で恐ろしくなる。

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著者プロフィール

1964年、東京都生まれ。1987年「草之丞の話」で毎日新聞主催「小さな童話」大賞を受賞。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2010年「真昼なのに昏い部屋」で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、2015年に「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」で谷崎潤一郎賞を受賞。

「2023年 『去年の雪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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