- Amazon.co.jp ・本 (273ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101339610
作品紹介・あらすじ
「いじめられる子」と「いじめる子」。ふたりの間に横たわるのは、暗くて深い心の闇。でもいつのまにか両者が入れ替わったり、互いの傷を舐めあっていることもある。さまざまな「いじめ」に翻弄され、心が傷つき、魂が壊れることもあるけれど、勇気を出して乗り越えていく者もいる。希望の光が射し込むこともある-すべて「いじめ」をテーマに描かれた7人の作家による入魂の短篇集。
感想・レビュー・書評
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7人の作家による短編集です。
なんて嫌な題名なんだろうと思いましたが、好きな作者さんである角田光代さんの名前を見つけ読んでみることに。
他の方が感想に、気持ち悪かったと書かれていた作品だけは読みませんでした。
いじめられる子、いじめる子の両方の思いが書かれています。
救いがあったり、無かったり。
何を考えているのか分からないから、見た目が、何となく、ムカついたからで始まるいじめ。
それぞれの登場人物の気持ちが丁寧に描かれています。
読み終えてなんだか泣きたい気持になるのと同時に清々しい気持にもなれるのは皆が自分に起きている事へ向き合っているからだと思います。
いじめられる側もいじめる側も正直に助けてと言える場所があれば、そんな時間は無くなるのかな、詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
痛い。
ページをめくるごとに、悲痛な叫びが聞こえ、心をえぐられた。
最後まで読むのが苦しかった。 -
いじめの報道が毎日のように繰り返されている。
ブックオフで何気なく手に取ったこの本を読んでいる間に、
世間が(というよりメディアが)このような状況になったのも、
なにかしらを感じずにはいられなかった。
いじめは、いじめをなくそう!といったところで、それは戦争をなくそう!と同義くらいの遠さで我々の眼に映る。
その根は深く、また鬱屈した、それこそ人間の原悪のようなもので。
何があったから、いじめ、いじめられるんではない。
というのが、ものすごくわかりやすく書かれている小説。
アンソロジー系は、好き嫌いがとにかくはっきり出るのだが、
今回はそれぞれ短編ながら読み応えがあった。
特に『緑の猫』『亀をいじめる』が良かった。
多くの人は、いじめるにしろ、いじめられるにしろ、傍観するにしろ、
多少なりとも通過するこの問題だが、
読み終わった後、あの逃げ場のない、その世界が全てな感じが息苦しく思い出され、
そしてそこから逃れるため自ら命を絶ったこどもたちの未来を思うとたまらなくなる。
その形でしか逃げられなかったというのがわかりすぎて、
安易に自殺はだめだ!だのいう大人に憤りを感じずにはおられない。 -
いじられる子といじめる子、まわりにいる子、まわりにいる大人。
いじめをテーマにした短編集。
子どもたちは(ときには大人も)、みんな知らず知らずのうちに心に傷を負っている。傷に気づかない子もいる。その傷をなんとかして癒し、自分を守るために、「いじめ」てしまうのかな。わたしたちは誰しも、いじめの加害者になりうる。
江國香織さん「緑の猫」は『いつか記憶からこぼれおちるとしても』で既読。印象深い作品。湯本香樹美さん「リターン・マッチ」は胸に突き刺さった。-
「いじめの加害者になりうる」
それに気付きながらも、長いモノに巻かれろしてしまった人は、いつか愚かしさに気付くでしょうけど、稀に居る意識の無...「いじめの加害者になりうる」
それに気付きながらも、長いモノに巻かれろしてしまった人は、いつか愚かしさに気付くでしょうけど、稀に居る意識の無い人には、どうやって気付いて貰えばイイのかなぁ~2012/05/02
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一番印象に残った作品は湯本香樹実さんのリターン・マッチだった。この作品のよさを説明するには、私の語彙は余りにも少なく、表現力は余りにも拙い。
この作品は、“あいつ”との出会いによって、ケンちゃんという一人の少年が変わっていく様子が描かれていく。いや、本当は何も変わっていないのかもしれない。友達としてのイジリも“いじめ”も、全ては何の差もなく、何も変わらず、ただコミュニケーションがあるかどうかではないか。人は自分とは違うと思うことで、線引きをしてしまい、自分の世界に閉じこもってしまっているのではないか。ケンちゃんも“あいつ”も藤岡も何一つ変わることはないのだ。全てはラベルを張ったところから始まるのかもしれない。
2007.2.20 -
江国 香織、柳 美里、角田 光代などなど、そうそうたるメンバーですが、 さすが今をときめく女流作家たち、これほど難しいテーマをみんなそれぞれの視点から書いていて、色々考えさせられる話しになっていました。
最後の稲葉 真弓が書いた作品に「いじめるのもいじめられるのも、たいして違わない」という言葉が出てきて、あぁまさにそうだなあ、と思いました。
そもそもいじめというのは、学校だけの問題ではなくて、それを取り囲む大人たち、そして社会全体の“歪み”なのだと思います。
マスコミなどはすぐに「誰がいじめたのか、誰がいじめられたのか」という被害者、加害者の図を作りだそうとするけど(それがいちばん楽だから)、そうではなくて全員が被害者でもあり加害者であって、それがいじめの実態なのではないかと思います。
子供の犯罪のそばには、たいてい大人の陰があるのです。 -
全部読んでてきつかった
いじめにまつわる7人の作家の短編集
角田光代の名前があったから読んでみたけど、空のクロールは別の短編集にも載ってて読んだことあった
全部苦手だったけど特に大岡玲の"亀をいじめる"が特に読んでてしんどかった
動物を虐待する描写で吐き気がした -
江國香織、角田光代の名前に惹かれ手に取ったけど、やっぱりきつかった…。
"いじめ"がテーマですもの、そりゃ、ね。
中学時代、目についたものすべてに触れないと気が済まなかった。
いつもと違う順番で歯を磨いたらその日一日もうダメな気がした。
強迫観念のようにそれはつきまとい、二階の自室に入りベッドに入ってからまた一階に降り、触り切れなかったところを触ってから寝る、というようなことをしたこともあった。
当時は自分のお守りのような儀式だと思っていたけど、今ならわかる、相当心の病に侵されていたんだと。
本作の最初に収録されている江國さんの「緑の猫」に登場するエミもまさにそうだ。「制服が汚れていないか」日に何度も確かめたり、「蟻を踏んでしまわないように」下ばかり見て歩いたり、「どのくらいの頻度で瞬きをすればいいのかわからない」といって長いこと目を開けていたりする。
どれだけ長く吸って吐けばよいのか、呼吸の仕方すら分からなくなってしまっていた中学生の私を見ているようで、いたたまれない気持ちになった。
他の作家さんは、エンタメとしていじめを捉えているような節があり、なんだか遠い存在に思えてしまったが、江國さんの作品だけは、すぐそばに感じられた。
激しく見えるいじめも、その実、すごく静かだと私は思う。
いじめを受けたことのある人にしか、いじめをテーマにした作品を書かないでほしいと思ってしまう。あまりにも現実とかけ離れていたから。 -
いじめ、あったかな?ないわけないか。でも無視や仲間外れはいじめなのか?誰と話すか誰と遊ぶかなんて個人の自由じゃない?仲良くするのは義務じゃない。いじめって何?暴力と窃盗と器物損壊と名誉毀損は犯罪。
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いじめって承認欲求がねじ曲がってる状態だな