先生とわたし (新潮文庫)

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著者 : 四方田犬彦
  • 新潮社 (2010年6月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101343723

先生とわたし (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 自分の師のことを考えながら読んだ。僕が勝手に弟子と思っているだけかもしれないが、アカデミズムから離れた今はこの小説にあるようなめんどうな人間関係もなくありがたい。英語一辺倒の昨今の風潮が批判されているのが印象的だった。

  • 【本の内容】
    幸福だった師弟関係は、なぜ悲劇に終ったのか?

    伝説の知性・由良君美が東大駒場で開いたゼミに参加した著者は、その学問への情熱に魅了される。

    そして厚い信任を得、やがて連載の代筆をするまでになる。

    至福の師弟関係はしかし、やがて悲劇の色彩を帯び始める…。

    「教育」という営み、そして「師弟」という人間関係の根源を十数年の時を経て検証する、恩師への思い溢れる評論。

    [ 目次 ]
    第1章 メフィストフェレス
    第2章 ファウスト
    第3章 出自と残滓
    第4章 ヨブ
    間奏曲
    第5章 ウェルギリウス

    [ POP ]
    師は、優秀な弟子を誇りに思うと同時に嫉妬しているものだ。

    大学2年のときから約11年間、英文学の雄、由良君美に教えを請うた著者は、50歳代になり、ようやくその事実を受け入れられるようになった。

    〈師とは過ちを犯しやすいものである。スタイナーのこの言葉が耳元から離れない〉。

    師との決別の真相、師への哀惜の念を語る。

    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 四方田犬彦が恩師である由良君美との思い出を綴っています。『ハイスクール1968』読んだ時も感じたけど、当時の学生ってえらいインテリ揃いだったのですね。「先生」にしろ「わたし」にしろ学問への憧憬と知識欲がハンパない、そりゃ反発や軋轢は生じて然るべきです。濃密な師弟関係、当時の大学が持つ熱い息吹みたいのものを感じることができて面白かったです。

  • 若い頃「由良君美」という名前を見た記憶があります。

    たぶん何かの雑誌の目次だったのではないかと思います。

    文章を読んだことはありません。

    たまたま書店の書架で見かけて買って読みました。

    このような本をひと夏で書ける四方田犬彦氏はやはり天才です。

    かつてニューアカ四天才の一人として脚光を浴びていたのも
    当然です。寵児だったAA氏はその後名前をあまり見かけません。

    私が知らないだけなのでしょうが・・・。

    外国文学は仇やおろそかではできない・・・と感じました。

    膨大な原書を読み、重要部分は記憶していなくてはなりません。

    洋書の初版本をオークションで300万円でせり落とす・・・
     国立大学教授の俸給だけではできません。

    著名な仏文学者のK先生は本を買いすぎて破産しそうになられた
    とか・・・。この方は毎週お見かけします。

    実は・・・四方田犬彦氏とは多少の接点があります。年齢もほぼ同じ。
    彼はK大附属K高。私はG大附属高。

    一時同じ所に勤務していたことがあります。

    道で出会ってちょっとお話してお別れする時に「ごきげんよう」と
    いう人でした。

    しかし・・・人間のスペックはどうしてこうも違うのでしょう。
    羨んでもしかたありません。四方田さんに目をかけた
    由良君美氏は凄い人です。

  • 2011/5/3購入
    2014/12/7読了

  • ●一人の人間のことをこのように調査し、考察する四方田犬彦の姿勢は惹かれた。
     しかし、これほど丹念に調べても、由良君美がどのように感じていたかは定かではない。
     他人のことを理解することがいかに難しいかということ。他人を理解するのにコミュニケーションが不可欠であることを改めて考えさせられた。

    P83
     授業を切り替えて討論集会を行いたいという学生が、しばしば予告なしに教室を襲った。
    ・・・
    授業を妨害する外部の力に対しては一歩も譲ろうとしなかった。飛び込んできた学生が五分、あるいは十分ほどアジ演説をするのを黙って聞いていると、「もうそれで終わりなの?」といい、きわめて静かで平然とした口調で自分の所見を述べた。「きみのいいたいことはよくわかった。しかしここは英語の授業なのだ。きみがぼくよりも英語の知識をより多くもっているのなら、ぼくはきみに場所を譲ろう。だがそうでなければ、お引取り願いたい」。学生がこの後何かをいおうとすると、彼は強い口調でそれを跳ね除けた。

    P174〜P175
    「おそらく、この方途にはキリストさえもいない。キリストは短絡的に世を救うと称して、再生を約束して殉教した。わたしは彼の恰好のよさが分からない者ではないが、彼は間違っていると思う。ワタシノ選ぶ道は、キリストノ道ではナク、ヨブノ道デアリ、マタ言うならば、神道ノ道ではナク仏教ノ道デアリ、ソノ仏教モ、禅ノ自力の残滓ガドウシテモ気になるタメニ、コレヲ採る気になれない他力ノ道デある」
     同じ文章の別のところで、彼は次のようにも書いている。
    「生きること自体が恰好のわるいものであり、またそうであればこそ、生き抜いた果てに、いわば生存という糞の山から、わずかばかりの砂金を掴みとり、それを後世に残しうるものであるとすれば、おそらく、真に恰好をつけるためには、糞にまみれ恥多い生存を、息長く歯を食いしばって、ひきうける何かが必要なのである。恰好のための恰好を求めて、他者までも巻き添えにひきずりこみ、短絡の生をヒステリーによって解決するところには、人間も生存も、またおそらくは型も美も伝統もない」

    P231
    ・・・
    池内がまだ日本ではまったく無名に等しかったカネッティの『眩暈』を翻訳したとき、いち早く絶賛したのが由良君美だった。『眩暈』の主人公である老教授は、万物の書物に囲まれて生活しているが、ふとしたことから廻りあった女性に道を誤り、書物という書物の炎上を目のあたりにして狂死する。
    ●面白そう。読みたい。


    読了日:2010/11/06

  • 四方田犬彦と恩師 由良君美との相剋、成らなかった和解を描く。

  • なんとなしに手にとってみたけども、こういう師弟関係(文中で由良さんは文学に師弟関係なんてないとは言っているけど)に憧れます。共に学ぼうとする姿勢を保っていられる関係。

  • 四方田犬彦『先生とわたし』を読んだ。都会の中産階級に生まれた学生の知的生活が分かって興味深い。こんなことが書かれている。

    フランス語の授業だけは目新しさも手伝って,比較的真面目に出席していたが,大教室で開かれる一般教養の講義には何の魅力も持てなかった。ただあてどない莫大な時間だけが目の前にあった。おのずから足は渋谷,新宿や池袋の名画座へと向かった。わたしはゴダールやパゾリーニのフィルムを観,開館して間もない近代美術館附属フィルムセンターで,山中貞夫や小津安二郎といった昔のフィルムを視ることを覚えた。『ユリイカ』や『パイディア』といった西欧文学の啓蒙入門雑誌に読み耽っては,そこで紹介されているブランショやデュラス,バタイユといったフランスの前衛文学,またホフマンからボルヘスにいたる幻想小説の系譜に熱中した。p.18

    ぼく自身も大学生の頃には文芸座,文芸地下,並木座,飯田橋のなんといったか忘れたが,名画座に行ったり,名曲喫茶をまわったりしたが,残念ながら文学に関しては,西欧文学に染まることがいちどもなかった。高校から読み始めた日本の文学は『破壊』から始まった。三島由紀夫,川端康成,石坂洋次郎,石川達三,伊藤整,井上靖などなどの文庫本があっというまに本棚に増えていったが,西欧文学など1冊もなかった。

    たとえば,高校で同級生と西欧文学について話すというようなことがあれば別だが,ぼくのいた高校ではそんなことはなかった。西欧文学を読んでいるようなしゃれた生徒はいなかったのだ。これが大学に入ったら,さらにいなくなった。学部は英文科なのだが,同級生で本を読んでいるのがそもそも少ない。クラスに一人いただけだった。その彼も,僕と同じく,田舎から東京に出たくちで西欧文学などは読んでいなかった。

    その後,ぼくは大学院に入るためにアテネフランセでフランス語を勉強したが,そういうところに学生のころから通うのがいることを初めて知った。ぼくの同級生にはそういうのがいなかった。大学も三流になると,情報が閉ざされているから,非常に狭い範囲での活動しかしていない。行き帰りに雀荘に寄るとか,喫茶店でだべるくらいしかしていない。いわゆる知的好奇心など同級生に見たことはない。

    同級生のアパートを訪れても,そもそも本棚がないなんてのがいくらでもいた。机の上の本立てには教科書が置いてあるだけ。だから英文科というのは本を読まない奴がはいるところなのか,と思ったことがある。もっとも以前読んだ本に英文科といのはそういうところだと書いてあるものがあったので,一般的な傾向なのかもしれない。

    『ユリイカ』や『現代思想』などは大学を卒業してからは特集によっては購入するようになったが,在学中に読むようになったのは『話の特集』で,この雑誌に関しては,しょっちゅう書店で見ていて,1年かそこらたってから買うようになった。大学入学直後から『ユリイカ』ヲ読むような学生とはそうとう隔たりがある。

    ぼくの教えている生徒の中にはインターネットで西欧の知識人の書籍を買う者もいる。いまならそういうことができる。考えてみると当時ぼくのいた英文科で英文学詳しい学生などいたのだろうか。いや,いたのかもしれないが,日本の小説さえ読んでない連中だったから,きっと少なかっただろう。大学のレベルのせいかとも思ったが,かならずしもそうとはいいきれないかもしれない。

    結局こういう本を読むと彼我の大学における読書生活というようなものを考えざるをえないのだが,じぶんの生徒たちには,日本の本も西欧の本も読んで欲しいと思う。しかし,本を読む生徒は少ないようだ。アニメだとは良く知っているが,日本の作家については読んだこともないというのが多い。『伊豆の踊り子』でさえ読んだことがないのが大半だ。たまに読書欲の... 続きを読む

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