- Amazon.co.jp ・本 (161ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101346212
作品紹介・あらすじ
二十世紀の巨匠・ピカソに、日本を代表する天才・岡本太郎が挑む!フランス留学時におけるピカソ絵画との衝撃的な出会いを冒頭に、スペイン時代から青の時代、キュービスム、そして「ゲルニカ」に到る、作品的変遷を辿りながら、その芸術の本質に迫る。さらに南仏ヴァロリスのアトリエを訪ね、ピカソ本人と創作について語り合う。熱い愛を込めてピカソを超える、戦う芸術論。
感想・レビュー・書評
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西洋美術館のピカソ展、すきだったので
ピカソのように自己破壊を繰り返して生きていきたい
岡本太郎の文章、迫力がある -
ピカソ という 偉大な芸術家に
日本人の芸術家としての 岡本太郎が 語ろうとする。
芸術家たちの絵画を どのように評価し 表現するのか
に興味もあった。しかし、やはり ピカソは 群を抜いているのだ。
その才能は はかりしれない。
ピカソに挑み、のりこえることがわれわれの直面する課題である。
と 岡本太郎は 堂々という。
この直裁で 確実なる 自信に満ちた 表現が何と言えぬほど
すばらしい。それくらいの意気込みでなければ、芸術家なんぞ
やってられないのだろう。
対極主義 という 岡本太郎のもつ やり方が
現実の 行動のなかで どううまれるのか。
そのことが、興味深いものだ。
青の時代が、どのような飛躍になったかと言う
ことは、のべられていても、なぜ青の時代になったのか
ということは、岡本太郎も充分な理解がなかったようだ。
しかし、その内実はしっかり把握しているのが すごいね。
類は友を呼ぶと言うが、やはり、ピカソとの交流が
何ともいえず、微笑ましい。そして、心の動きがよくわかる。
最初の部分は 言葉が生硬で、わかりにくく、説明しすぎている。
岡本太郎でさえ 消化不良をおこしているようだった。 -
冒頭30ページのピカソの絵を見た感想を綴った文章が非常に良い。
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多くの本質的な事をピカソを通じて語っており、本質的なものの大切さを感じた本。
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天才が天才を褒め称える本。岡本太郎は「芸術センスに全振りの人」という印象だったけど文章に品があって読みやすし読んでて気分がいい。
ピカソのエピソードもかっこよくてしびれる。 -
岡本太郎が書いた書物を初めて読んだ。テレビに映る「変なおじさん」のイメージが強かったが、稀代の知識人で、素晴らしいピカソ評論家だったことが分かる。美術を知らない一般人にも分かる入門書だ。
それにしてもピカソと同時代を生きたことが岡本太郎にとって良かったことなのか不幸だったのかは分からない。 -
「ピカソはよくわからない」言説があたまに染み込んで、理解できない(古典的)巨匠だと思っていたピカソの鑑賞の仕方がよく分かった。
岡本太郎の文章もよく、ピカソの絵に岡本が感じた感動と興奮が伝わってくる。岡本の不遜で歯切れの良い文章・芸術論も痛快かつ明快でとても勉強になった。
ピカソ入門としてすごくいい。いい出会いだった。 -
絵画に触れてきてないけど、オードリー若林さんが岡本太郎さんについて話すのを聞いて、興味が出てよんだ。
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冒頭30ページの太郎青年の感動を伝える文章が刺さります。
真に心揺さぶられるものに出会ったときに、自ら謙り、迎合せずに、尊敬するがゆえ、それを否定し、創造者として己を乗り越えることに挑戦していく。
岡本太郎青年がパリの画商でピカソの静物画を見たときに、涙し、全身がこれだ!と叫んだほどに心が動いた。そのピカソを乗り越え、己を乗り越えることを人生の創造者として課題に据え、生を全うした岡本太郎の熱い生きざまとピカソに対する思いがちりばめられた著書です。
生の強さを感じさせる太郎のメッセージに圧倒されました。「芸術において、社会的に最悪な条件こそ飛躍の契機となると信じる」という言葉は、背中をバシっと激励を込めて叩かれた思いです。精一杯、自分の地平線を創造しながら生きていこうと思います。 -
岡本太郎展鑑賞後の物販にて発見し購入。
岡本太郎というフィルターを通してピカソを知ることができる熱量高めな1冊です。
すごく面白かった。
実際にピカソと会った時のことや握手をした時の感動の様子も事細かに記載されていて興味深いです。 -
2022/10/26
20世紀は夜であり、不安絶望の時代であるという。() 20世紀の夜は透明であり、今日の絶望は19世紀のそれと異なって、実は希望的なのである。希望のある絶望こそ真の絶望に違いない。19世紀は人間精神の機械に対する敗北であり、20世紀の絶望は機械をマスターする精神の絶望なのだ。
「黒の時代」の激しい本能の奔出、そしてそれを逆に制御する立体派の強靭な理性、組織力である。
学ぶべきものは結果ではなく、それに至り、それを超える道程なのだ。つまり作品ではなく、芸術家のドラマが真に問題となるのである。
芸術家は、(ほとんど神)のあとに現れた神になりたい存在(別の大悪魔)に取り憑かれた反逆者である。 -
ピカソの偉大さを述べた上で、そのピカソを超えなければならないと語る岡本太郎の熱さと分析の冷静さと文章の上手さに触れることができる良書でした。
巻末に岡本太郎がピカソの元を実際に訪れた際のやりとりがエッセイとして収録されているのも、粋な構成です。
大好きな本で、非常におすすめです。 -
敗けました。
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阿佐ヶ谷のブックオフで購入。
「ピカソを断ち切ることが重要なのだ、芸術は連続性を断ち切ることを、非連続の連続性こそが重要だ。」
「観ることは創ること」
「ピカソを芸術的判断要素にいれている限り、越えることはできない。」
芸術が呼び起こす感動はどこから来るのか。
美か調和か流麗か豊かさか静謐か、いやそれは確固たる断絶である。
断絶でなければいけないと思えるほどピカソに傾倒したと素直に暴露する岡本太郎のはなし。 -
己を超え、ピカソという権威を越える。
芸術に意義など求めず、沸き起こる情熱のみで突き進んだピカソと岡本太郎。
ピカソへの賞賛が詰まった、珠玉の一冊。
若い頃、岡本太郎さんは本物のピカソの絵をみたとき、涙を流したそうです。
自分と同時代の苦悩を持ち、正面から真っ直ぐにぶつかっていく姿に感動したと。
ピカソの絵と出会って、対極主義にたどり着いた岡本太郎さん。
そんな彼がピカソのすばらしさを強い文体で語っています。
夏の読書におすすめです。 -
岡本太郎からみたピカソへの讃歌。
圧倒的存在のピカソへの憧れともどかしさを感じる。
そしてセザンヌ、ピカソを見て涙する岡本太郎の青春体験を読むことで時代を創る芸術家なんだなと、凡人である自分と違うなと思わずにいられない。 -
2019年7月13日読了。
●10代でパリに岡本太郎が、最初に衝撃を受けたのは
セザンヌの絵。
●芸術家は対決によって新しい創造の場を掴み取るのだ。
●ピカソの破壊こそは彼によって始まり、彼によって鎖て
しまう。ピカソの提出する課題はすべて彼自身によって
解決されてしまっている。つまりすでに彼自身の解決を
前提としてのみ提出された課題である。
●芸術家の作品が問題ではない。芸術家自体のあり方なの
だ。例えば、セザンヌが彼の林檎を十層倍も美しく描い
たとしても、もし彼がジャック・エミール・ブランシュ
のごとき生活をしていたとしたなら私には少しも興味が
ないだろう。我々にとって重要なのはセザンヌの懐疑、
教訓であり、またゴッホの苦悩である。すなわち芸術家
のドラマなのだ。あとの全ては虚偽である。(ピカソ)
●「何度か、私は青で描こうとした時、それがないことに
気がついた。そこで私は赤を持って来てその場所に塗
った。」(ピカソ)
●ピカソが通ったサンジェルマン・デ・プレのカフェ。
○カフェ・ドゥ・マゴ
○カフェ・デ・フロール
●一体、青に対する偏執はどこから来たのだろうか?
これは未だに明らかにされていない。P75に諸説
●ピカソ→ロートレックの影響とグレコの影響
●「芸術においては最悪の条件こそ最大の飛躍の契機とな
るということを私は信じるのである。」(岡本太郎)
●未熟こそ芸術であり、歴史を創り得る。(岡本太郎) -
たまたま手に取る機会があり岡本太郎の書いたものを初めて読んだ。
随筆というのでも評論というのでもない感じの、かといって破れかぶれではなく、情感に満ち溢れていながら知的で魅力的な文章。言語による表現者としてもすぐれていた人なのだなと感じる。
[more]<blockquote>P15 もう一度言ってみたい。私の流した涙は鑑賞者としての感動ではなかった。創作者として、同じ時代の悩みを悩み、たくましく正面からぶつかって進んで行く先達者の姿に全身を以て感激し、涙が眼からふき出たのである。
P33 「絵を描き始めると。よく美しいものを発見する。人はそれを警戒すべきである。絵を打ち壊し、何度もやり直すのだ。美しい発見を破壊するたびに、芸術家はそれをなくしてしまいはしない。実際は彼はそれを変化させ、緻密にし、より実質的にさせる。成功は発見を否定した結果である。そうしなかったら、人は己れ自身のファンになってしまう。私は私自身を売らない。」【中略】否定がどのような成果となって己れに戻ってくるかを、はっきるつかんでいるのである。このようなたくましい理性なしに真の否定は行われるはずがない。
P35 「私は気に入ったものは全部、絵の中に描き入れる。書かれたものには気の毒だが、互いによろしくやってもらう他はない。」【中略】フランス語にOserという動詞がある。日本語には適役がないが、大胆にかまわずやりきることを言うのである。
P66 極めて明確な意図が混沌とした相貌を帯びるのが芸術の面目である。
P98 若い世代が己の未熟さを卑下し、ひたすら名人の豊かさと完成に憧れ、そこに悟入することのみが芸術の窮極だと考えるとしたら、まったく馬鹿げきったことである。【中略】既に戦い終わった結果である、休息的な到達に憧れて何になろうか。【中略】作品は形骸である。学ぶべきものは結果ではなく、それに至り、それを超える道程なのだ。
P153 この展覧会を見ていると壁面全体が、ただただ「俺だ。」といっているようだった。</blockquote>