晴子情歌(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (412ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101347240

作品紹介・あらすじ

両親を失った晴子は福澤家で奉公を始める。三男二女を擁する富と権力の家――その血脈は濁っていた。やがて運命に導かれるように、末弟たる異端児淳三と結婚する。一方、母の告白により出生の秘密を知った彰之は、苛酷な漁に従事しながら、自らを東京の最高学府から凍てつく北の海にまで運んだ過去を反芻する。旅の終りに母子が観た風景とは。小説の醍醐味、その全てがここにある。

感想・レビュー・書評

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  • あらゆる小説とは元来人間というものを描きだす形式を備えている。この定義に従えば、高村薫の手になる『晴子情歌』は、究極の小説といってもよいかもしれない。

    息子である彰之に宛てた書簡という形式で、晴子が綴るおのが生涯は粛々と語られるが、その内容は赤裸々であり、ある意味で天真爛漫でもあり、一方で壮絶でもある。結果として、我々は晴子という運命に翻弄されながらも強く生きたすばらしい女の一生を読むこととなる。読むことで、私たちは高村薫が描いた人間の生涯を疑似体験する。一度体験してみれば、『晴子情歌』がある種の究極の小説であることが理解できるだろう。

    そしてまた、晴子の書簡との二重奏のような形で語られる、息子の彰之の心理描写も深く、丁寧である。加えて描写がすばらしく、とりわけ鰊(にしん)漁の様子など微に入り細にうがって描かれており情景が目に浮かぶ。文字から立ち昇る臨場感がすさまじい。

    これだけでもすばらしいが、高村薫はそこにさらに時代背景という挿絵を用意した。これは晴子や彰之の心理描写に、リアリティをもたらすことに成功している。時代や社会が人の心に、考え方にもたらす影響のリアルさである。大正から戦争に至る昭和への時代を知る、といった読み方もできるだろう。

    時代背景、それを踏まえた心理、考え方、思い、さらにはそれらに彩りをあたえる情景描写。これらは時に渾然一体となり、またそれぞれに独立して語られながら、高村薫によって計算し尽くされた流れで物語を奏でるのである。

    何よりもすばらしいのは、高村薫が描く晴子という「女」である。「女」という複雑極まりない存在を、ここまで明確に、生き生きと描いた作家を寡聞にして知らない。晴子の「女」としての複雑さ、ややこしさがありつつ、一度決断したら泰然と現実に対峙する強さ。多様な属性を内に秘める晴子を、しかも書簡というともすれば制約が多い形式で描いてみせるのは、高村薫という作家の高い筆力があればこそだろう。そして、返す刀のように、彰之と同じ漁船に乗り合わせた足立という男が崩壊していく様は、その他に登場する男どもが悉くヘタレであることの典型であるとともに、晴子の強さとの強いコントラストとなっている。

  • 素晴らしい本だった。やはり高村薫は読み応えがある。

    本作は高村作品にしては主人公が女性だったり、恋愛事にも結構なページが割かれていたり、といつもと違う感じが。それでも晴子が過去に思いを巡らし書き連ねている文章は優美でベタベタはしていなくても女性的で、また旧字体の手紙のお陰でこちらもタイムスリップしたような感じで小説の世界と晴子の少女時代に入り込めて・・やはりすごいです高村先生。

    息子に何のために、何を伝えたくて何を残したくてこんな手紙を書いてるいるのか、こんなものを受け取った子供はどうすればいいのか?というのはさておこう。現実にはなさそうな強烈な母子の繋がりでも、圧倒的な作家の力量によってとても自然な事のように描かれていたと思う。母子の繋がりの観点から言えば、本作の締めくくり方は見事、と思うと同時に意表を突かれた。

    いつもの銃器や機械描写の代わりに今回は漁業の描写がなかなか執拗で笑。漁船の中で語られる元日本兵の回想も作品に重みを持たせたと思う。漁の様子、方言、編み物まで・・一つ一つのディテールがすごかった。

    最終章の青い庭は非常に近い過去について書いているからちょっと雰囲気が違ったが、絵の描写や絵の中に自分が入ってしまいそうな味わいなどが心に残った。

    読み終わる頃、本作の中での彰之の時間は1年ほどしか進んでいなかった事に気づいて驚いた。晴子の手紙が長い時代を網羅している為ものすごい錯覚を覚えたのが印象的。

    この作品の素晴らしさや味わいを的確に書けない自分がもどかしい。もどかしいと言えば、文庫版の帯も「圧倒的傑作」なんていうのだけでは済ませないで、プロなんだからもうちょっと良さが的確に伝わる書きぶにできないものか・・ブツブツ。

    新リア王も早速購入。機が熟したら読もうと思う(高村作品には「いまだ!」と読むタイミングが自分の中である)。

  • マグロ漁船に乗り遥か南方の洋上にいる息子・彰之に送られた母・晴子からの長大な手紙。
    手紙の中で語られたのは、本郷の下宿屋で生まれた少女・晴子が数奇な縁に導かれ青森・野辺地の旧家の嫁となり、今、亡くなった夫を見送るまでの人生と彰之の出生の秘密。手紙の文面を諳んじるほどに読み返した彰之が反芻する母の人生と自らの来し方、行く末、そして母への複雑な思い……

    昭和という時代を強くしなやかに生きた晴子と、彼女を取り巻く男たち。そして12歳で家を出、母に強く反発しながらも、心の底では母を強く求めてやまない彰之。
    野辺地の由緒ある商家であり、政治家の家でもある「福澤の男子」のどうしようもない淫蕩さ。その福澤の軛から逃れようと藻搔く者たち。
    強く、清々しく魅力的な晴子を中心に、彼女に関わったすべての人を生き生きと描く物語は、さながら複雑なメロディーが次々に浮かんでは消えていく壮大な交響詩のよう。

    鰊漁、北転船、ジャン・クリストフ、フラクタル図形、イカの三半規管、嵐が丘、マルクス主義、愚連隊、学生運動、三島由紀夫、アンナ・カレーニナ・・・・・・話はあちらにもこちらにも飛び、知らないことを調べて「ほほ~」と感心したり、読みたい本が増えたり、じっくりと10日間かけて読書の醍醐味を味わい尽くしました。

    圧巻だったのは北転船でのトロール漁の描写。
    網を上げると押し寄せてくる夥しいスケソウ、飛び散る鱗が顔にも身体にも張り付き、裂けた内臓から漂う血の匂い・・・・・・冷たいカムチャツカの洋上で凍えながら、自分が魚を船内の魚槽に押し込んでいるかのような臨場感。船酔いしそうになりながら乗り切りました。

    阪神淡路大震災で人生観が変わるほどの転機を迎え、髙村さんが自分が本当に書きたかった物語を書いたというこの作品は、母と子の物語。
    ラストで、彰之が畑に植えた苗を見ながら晴子が感じた歓喜、家に寄り付かない息子へのそれでも深い母の思いには胸が熱くなり泣きそうでした。

    三部作2作目は「新リア王」。
    今度は父と子の物語、とても楽しみ。

  • 再読。
    余人を寄せ付けないこの孤独感、静謐さはなんたることか。
    それでいて艶っぽい。
    母と子の、描写し尽くされた一挙手一投足から目が離せない。


    女の一代記のようでいて、戦前、戦後を見事に描出している昭和史でもある。

    息子にとって母は遠く、母にとっても息子は遠い。
    そして自分すらも遠い。
    絶対的な孤高の前には、あらゆる感情が吹きすさぶ陸の砂、飛び散る波濤の一粒のよう。
    絶望も。恋も。

  • 家の歴史とお母さんの情が語られている

  • #2651-127-413

  • 世代によって現実の見え方が異なることを身に染み込まされる体験だった。終盤の労組の話は本筋ではないが(最早本筋とは何かという話だが)特に良かった。

    膨大な手紙と語りの中でほぼ同化したかのように錯覚する母子だが、手紙の中では語られないこともある。訥々と半生を書き綴る晴子とそれを受け取り悶々とする彰之。福澤のシリーズを読むのはこれが一作目なので、また読み進めると見えてくる地平があるのだろうか。

    自分が、分からないこと自体を忘れ、分からなくなっていたことを思い出した読書だった。
    次は「新リア王」を読む。楽しみだなあ。

  • 晴子三部作6巻の最後にこの巻を読了し、すべてがつながったはずですが、どこか完結していない印象を受けるのは私だけでしょうか。
    あえて三部作を総括するならば、これは晴子より彰之、彰之よりも秋道がつながっている人間関係が狭くなり、それと時代の雰囲気が重なっていく中で、筒木坂へと戻っていく大河小説であり、その舞台の一つとして津軽が描かれていることに、うれしいような哀しいような気がします。

  • これはしんどい。
    だが読後に、激しく冷たい浜風に吹かれてしびれるような、生きている感覚を味わえる。
    これ、最初から最後まで飛ばさずに読む、という真面目な人で途中で挫折している人が多いだろうが、それは勿体ない。
    (著者に失礼なのは重々承知で)イカ釣り漁船の描写や地方政治絡みの話や晴子の手紙はささっと飛ばして、彰之と晴子に関する人間関係周辺だけ読んでもいいと思う。
    それでも読後にジンとした人はいつか全部読めばいいし、飛ばし読みでもダメだった人はたぶんもう読まなくていい。
    自分は飛ばし読みだったが、言葉でちょっと言えない(いい意味での)重さを感じられる、いい読書体験だった。このような文学体験ができる存命中の作家は、あとは丸山健二くらいだと思われる。

  •  晴子からの手紙は、晴子が福澤家への奉公を始める時期へと移っていく。そして徐々に母と息子の真実が明らかになっていく。

     疲れる読書でした(苦笑)。

     文章の密度というか、濃度というか、粘度というか、とにもかくにもこんな文章を書けるのは高村さんを置いて他にいないだろうな、という感じでした。

     政治、名門家族の相剋、過酷な漁、いずれの描写も濃い、というか濃すぎる……。なんでこんな文章を書けるんだろうな、と思ってしまいます。

     晴子と夫の淳三との関係が、個人的に一番時代を感じました。現代のように恋愛結婚をしたわけでもなく、ただ成り行きと、福澤家の思惑で籍を入れた晴子。

     その二人の関係性は愛情とか、親愛とかとはどこか違う、晴子は福澤家の血である淳三に憎しみすらもありつつも、それすらも飲み込む時代の流れ、時代のうねり、そんなものを感じました。

     余人の理解を排した文章と展開の果てに待つ最後の一文。彰之のように自分も風が吹き荒れ、波が打ち寄せる浜辺に立っているかのような、そんな荒涼とした気持ちで読み終えました。

     読み終えた時、説明のしようのない不思議な感情がこみあげてきました。ただ、もう一回読みたいか、ってなるとどうかなあ…

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著者プロフィール

●高村薫……1953年、大阪に生まれ。国際基督教大学を卒業。商社勤務をへて、1990年『黄金を抱いて翔べ』で第3回日本推理サスペンス大賞を受賞。93年『リヴィエラを撃て』(新潮文庫)で日本推理作家協会賞、『マークスの山』(講談社文庫)で直木賞を受賞。著書に『レディ・ジョーカー』『神の火』『照柿』(以上、新潮文庫)などがある。

「2014年 『日本人の度量 3・11で「生まれ直す」ための覚悟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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