- Amazon.co.jp ・本 (469ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101349145
作品紹介・あらすじ
日曜日、お父さんがいてお母さんがいて「僕」がいて、お兄ちゃんとお姉ちゃんは恋人がいて-。ある町の春夏秋冬、日常の些細な出来事を12の短編小説でラッピング。忘れかけていた感情が鮮やかに蘇る。夜空のもとで父と息子は顔を見合わせて微笑み、桜の花の下、若い男女はそっと腕を組み…。昨日と同じ今日なのに、何故だか少し違って見える。そんな気になる、小さな小さなおとぎ話。
感想・レビュー・書評
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R2.9.22 読了。
短編12編の人間味あふれる12の物語が描かれている。どの物語も決してハッピーエンドではないけども、温かい気持ちで涙がこぼれる終わり方が、さすが重松清さんですね。
この短編集で「チマ男とガサ子」「さかあがりの神様」「すし、食いねェ」「後藤を待ちながら」が特に良かった。
なかでも「後藤を待ちながら」はいじめがテーマで書かれており、からかいや笑いを求めるいじめ側の心理や悪い事をしている意識は全然ないことなど、衝撃的だった。そんな理由でいじめられる側は、たまったものではない。いじめられていると感じる者にとっての精神的苦痛は計り知れない。死すら近づいてくるぐらいに。
この物語の終盤で後藤と思われる者が、いじめで悩む子に対して、必勝法を伝授していく。少年に笑顔が浮かぶ。こちらも勇気をもらえた気がした。
私も何があっても等身大の自分が必死に悩んで考えながら、この作品の登場人物たちのように次の1歩を踏み出していきたい。
別の重松清さんの作品も読んでみたい。
・「幸せを計る物差しをお金にしたら、負けてる、それは認めなくちゃしょうがない。認めるけど、受け入れたくない。あたりまえだ。貧しさと不幸せとは、ぜったいに違う。」
・「恵まれない子供にとりあえず必要なのはお金で、愛が必要なのは、恵まれた子供のほうなんだと思いません?」
・「いつかテレビで観たことがある。味覚も年齢によって成長するものらしい。コドモの頃は甘さしかおいしいと感じないけど、オトナになるにつれて辛さやすっぱさや苦さの味わいもわかるようになる。」
・「がんばれば、いいことがある。努力は必ず報われる。そう信じていられるこどもは幸せなんだと、いま気づいた。信じさせてやりたい。おとなになって『おとうさんの言ってたこと、嘘だったじゃない。』と責められてもいい、14歳やそこらで信じることをやめさせたくはない。だが、そのためになにを語り、なにを見せてやればいいのかが、わからない。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
▪️サマリー
・12個の短編集で構成。
・テーマは、家族、友人、恋人。
・日曜日の夕刊というタイトルのとおり、
現実にありそうでないお話し。
でも、ほっこりするお話ばかり。
▪️心に残ったお話/つぶやき
・さかあがりの神様
・娘のさかあがりの特訓をする父親の目線で描いた
作品
・平日は仕事が忙しいため、しぐさや表情の変化を
休日にはしっかりと見ておきたいという一節には
とても共感。
・自分も休日には、スマホは放り投げて、
子どもたちを見るようにしている。 -
「コドモの頃は甘さしかおいしいと感じないけど、オトナになるにつれて辛さやすっぱさや苦さもわかるようになる」
サンデー毎日で連載された12の短編小説の単行本です。子どもの頃のあれやこれや懐かしく思い出しながら、まだまだ大人になれない私の瞳はうるうるしっぱなしでした。「チマ男とガサ子」「卒業ホームラン」がお気に入りです。 -
久々の重松清。
「卒業ホームラン」は教科書にも取られているんだけど、フルで読むとまた違った味わいになる。
切り取らなくては時間に収まらないのも分かるし、家族というものをバランスよく考えた短縮の仕方なんだけど、作品を切り出す行為って本当に本当に難しいと思う。
個人的に「桜桃忌の恋人」はミラクルヒット。
太宰治好きのややこしい女の子と、ミーハー文学部男子。(に、「徒然草」推し友人)
絶妙すぎる話題に、何回吹き出したか。
こういういじくり方は、好き。
「寂しさ霜降り」では、離婚して自分勝手に出て行った父が、ガンになって余命数ヶ月を宣告され、娘にもう一度会いたい!という話。
よくあるパターンだけど、父がいなくなり、激太りした姉と神経質な妹の二人が、それぞれに痛みを背負う所が切ない。
必死で痩せてあの頃を見せようとする姉。
傷を負った上に、まだそんな健気な一面を見せる姉に耐えられない妹。
どちらの気持ちも、よく分かる。
どの作品も、なんだかぴーんと真面目なんだけど、鮮やかな心理描写に引き込まれる。
さすが、な一冊。 -
今思うと、出会うべくして出会った本。
自分だけの気持ちで言ったら、『桜桃忌の恋人』『後藤を待ちながら』が最も心震えた。
『桜桃忌の恋人』は、著者の文学に対する愛着が伝わってくる作品だった。
(私は文学好きな人に憧れを抱いている。)
ラスト3ページにかけては秀逸だった。
思わず、声に出して読み返してしまったほど。
走り出す衝動の描写は、私の胸を高鳴らせた。
『後藤を待ちながら』は、涙腺を刺激された。
子供のころの私は、いじめられる子供の目線しか持っていなかった。
この作品を読んで、いじめられる子供の親も、愛するわが子を傷つけられた身として、子供と同じように、もがき苦しむということを知った。
「子供が寂しいときは、親だって寂しい」という言葉は、『さかあがりの神様』のものだが、この作品にも通ずるものがあった。
どの作品も、心が温まるラストであった。
ごく普通の人たちが生きていて一度は抱いたことがあるであろう、愛情とプライドの狭間にあるもやもやとした、素直になれない感情をうまく切り取って代弁してくれていた。
ありふれた日常が、温かみのある文章で、美しく鮮明に描かれていた。
著者はどのような経験をしてきたのだろう、どうしたら、このような温かい言葉を紡ぎ出し、心を丸くしてくれる文章を織りなすことができるのだろう。
重厚な作品に浸かり、自己を見つめる作業は人生において必要不可欠だが、忙しい日常の中で読むのに、この作品はちょうど良かった。
私がこの本を読んで得られた一番の収穫は、「子供が悲しいときは親だって悲しい」という視点である。
今まで無性に孤独に思える日もあったけれど、私が両親から生まれてきたという事実がある限り、私は一人で悲しいのではないのだろう。
私にこう思わせてくれる素晴らしい両親のもとに生まれたことを幸運に思う。
そして私も必ずや、両親のような親になりたい。 -
読書感想文を求められて選んだ本。桜桃忌の恋人で感想文を書いたよ。感想文でびっしり書いたからもうここでは書くまい。良い思い出だ。
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それぞれの、物語りの中に共感できる自分の心情に気づかされる、ほっこりする作品でした。相手の心情を重松さんの作品の主人公のように優しく想像したいものだなと思う。
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重松清さんは、うまいなあといつも感心してしまいます。読むと何故か懐かしい。主人公たちの一生懸命さが、伝わってきます。優しい気持ちになります。