散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道 (新潮文庫)

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著者 : 梯久美子
  • 新潮社 (2008年7月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101352817

散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 栗林中将という人は、知っていました。硫黄島の総指揮官で、家族に絵入りの手紙を送っていた、ということも。

    この本を読んで改めて詳しく栗林忠道という人を知り、なんという格好良くて魅力的な人か、こんな人を硫黄島で死なせるなんて、やっぱ大本営とかいうとこはバカばっかだったんだな、と思いました。

    すごく悲しくて悔しい読書でした。
    出来るなら家族の元に戻って、自分でお勝手の隙間風を防いでいただきたかった……。

    著者の梯さんが、栗林中将の手紙を見て取材したくなった気持ちはすごくわかる。
    あの時代に、こんなにも周りがよく見えていた人がいたんだ。

    こんな立派な人の話を、すごく読みやすい1冊にまとめてくれて、なんだか梯さんにお礼を言いたい気分です。

  • 壬生義士伝(下)を読むところを、理由あってこちらを読了。

    お恥ずかしい話、硫黄島のことは全然知りませんでした。映画のタイトルになったくらいは知っていましたが、映画も見ていませんし。

    読んでいて、ただただ悔しく哀しい思いに駆られます。現場を知らない大本営の偉い人が責任も取らず、勝手に命令し、勝手に見捨てていく。そんな中、生きて帰ることができない、絶海の孤島で2万人の部下たちの指揮を執る姿が切実に鮮やかに記されています。その胸中、想像できるものではないです。
    家族を思い、部下を思い。家族を思いやるからこそ、あの過酷な環境を耐え抜けることができたんだろうなぁ。家族への手紙はほんとうにごく普通の一人の良い父親であり夫であることがひしひしと伝わってきます。これはこの作者の書き方が事実を淡々と伝える書き方だからこそ、一層強く感じるのだろう。

    途中の銀行員、江川氏のエピソードも心締め付けられます。遺族がまだわからない少年の遺言の書。栗林忠道氏のように表に名前が出ない人がたくさんいる。そういうことも感じないといけない。東北大震災で亡くなられた方にも思いが及ぶ。

    死ぬとわかっていて、というより部下に死ぬことを命じるという、この感覚が読んでいても納得できなかった。それが『戦争はやってはいけない』という思いなのだろう。

    最後の最後、老爺のようなうなだれた姿に触れられている。感情をもったひとりの人間であること、完璧超人ではないということを感じた一節。それでも内地を思い、戦い抜いたことに栗林忠道氏の強さを感じる。

    軍人にならず、新聞記者になっていれば幸せに長生きできたのかも、なんて思うのは部外者の勝手な想いか。

    組織に必要なリーダーシップが示されていると思う。徹底的なリアリズムと家族,部下への慈愛をもって事に当れるよう心掛けたい。

    長男太郎、次女たか子から直接話が聞けたというのは、すばらしいタイミングだったと言えよう。というより、ほんとに何かの力で引き付けられ、語り継がれたことで、役目を果たせた、ということだろうか。

    散るぞ悲しき・・・さまざまな思いのこもった一言。

    来週、仕事のため、硫黄島に行ってきます。骨の上に立つということをしっかりと認識して。

  • 出血持久戦。目的は勝つ事ではなく、1日でも長く島を持ちこたえること。全将兵に対し潔く戦ってぱっと死ぬるのではなく、最も苦しい生を生きよと命じ続ける強靭な「精神力」。目的を明確にして各自の行動まで落とし込む「具体化」こそが重要だと再認識した。

  • 日本の敗戦前、硫黄島で何が起きたか。
    正直にいってなにも知らなかった。
    直接的には家族、大きく言えば日本の人々のため、生き残ることを望みえない戦地で戦った指揮官の物語。
    人の営みはいつも理不尽な流れに押し流されていくもの、と強く感じた。
    感謝しつつ、上機嫌に毎日を過ごしていきたい。

    ときに。
    「なぜ戦争をしてはいけないか」という理由に「戦争になると、勇敢な人、責任感の強い人は全員戦地で死んでしまうので、勝っても負けてもその後臆病者、卑怯者の天下になる」という話がある。
    声高に、戦争についての話をしてきた日本の識者たちはこの言葉をどう捉えるだろうか。そんなことも思った。

  • 硫黄島の玉砕自体は知っていてもその実情は知らなかった。
    同じ著者の書簡集のような本から、栗林中将のことを知って
    当時の軍人だった彼が、どんな人だったのか興味を持って
    読了。二日間で夢中で読んだ。

    戦争当時、良識と知性と優しさを兼ね備えた人々が
    多く戦死したことは、祖父母から聞いていても、あまり
    現実味はなかった。

    でも、これは私達が知っておくべき戦争の現実を告げている。
    万歳と叫んで、ただ猛進し死んでいったのかとばかり思って
    いたら。それはそれで悲しい死に様だが…。

    何もかも透徹した目で見通しながら、あえて後方の家族の
    安らかな生活のために、生きて死んでいった人たちがいる。

    猛進せざるを得なかった多くの人々もまた同様に
    戦場で現実を見据えていたはずだ。

    英明で、心優しく優秀な人たち。
    穏やかで、よく働き、愛情こまやかであった人たちが
    いったいどれだけ戦争で犠牲になられたか。

    軍人だった方だけではない。
    亡くなられた全ての方に
    かけがえのない人生があったのに。

    戦争関係の本は、むごいからいやだと
    敬遠しておられた方も全ての世代の方にお読み頂きたい。

    かく言う私もその一人だが。

    むごい現実の傍らに、こんなにもやわらかな、人間の心が
    寄り添っていたことを、読んで頂きたい。

    誰にも平等で、自ら部下と同じ地平で苦楽を共にし
    戦争の愚断の中で、ひとりでも多くの人のために
    あえて地獄を見てくれた方々。

    靖国参拝云々なんて、そんな、国と国のレトリックみたいな
    駆け引き以上に、この現実を知れば誰だって襟を正すだろう。

    亡くなられた方全てに、頭を垂れたい。
    自国の贔屓とかではないのだ。

    こんなことがあったと知らないでいるのは、
    私たち自身の未来にとって損失であるし
    あの戦争を耐えた全ての方々に申し訳ない。

    そして、今もって戦争の影が落ちていることを思い起こして
    NO!と言えるのは自分たちしかいない。
    言わなくてはと、思ってもらえれば。

    戦争を出来る体制にしてしまったら、
    やってみたくなるのかもしれない。

    ここまでしかしません、と言っていても、行使できる
    力を持てば、ずるずるとその範囲を広げたくなるのが
    人間の弱さだと思うから。

    酸鼻を極めた状況で、愛する人も自分も死んでゆく。
    そんな経験をしたことがないから、ごくあっさりと
    やろうといってしまうかもしれない。

    その恐ろしさに歯止めをかけられるのは
    私達しかいない。

    作り事のようにあっさりとは人間って死ねないから。
    忘れてはいけにことが、あるのだ。

  • 衝撃的な本であった。
    一人の人間がここまで強くなれるとは。

  •  映画化された硫黄島での戦い、だがそれは戦争の惨劇だけを伝えていて、この本を読んだことで、それがどれだけ表面的な事であったかがわかった。
     常に平等と計画性と合理性を心掛け、大本営に対しても、惨事を伝えた公的な面と、私的には家族への細やかな心遣いをしたよき夫でもあり父でもある顔。著者の取材力の賜物だと思う。
     繰り返し読まれていっても良い本だと思う。

  • 見捨てられた硫黄島での壮絶な戦いは何のためにあったのか。旧日本帝国軍軍人のイメージとは、かけ離れている指揮官栗林忠道。でも、誰からも愛されて、家族のために命をかけた人。戦争=悪という先入観を植え付けられて育ってきたけど、こういう人なしに今の平和な暮らしはなかったんだと、自覚しなければ…

  • 硫黄島の戦いで総指揮官であった栗林忠道は、わずか2万余の兵を率いてその数倍の戦力を擁する米軍相手に少しでも本土空襲を遅らせて日本国民を守るため硫黄島を死守し玉砕した指揮官として敵味方問わず評価の高い軍人である。

    彼は戦前に軍人としてアメリカ留学の経験もあったのでアメリカの国力がよくわかっておりアメリカとの戦争は避けるべきだと考えていた。そんな男がなぜ玉砕必至の戦いで自らを含め2万余の兵を死に追いやったのか?

    当時戦争の趨勢はすでに決しており、硫黄島が陥落すれば日本本土が本格的空襲にさらされるという、日本にとっては守るべき最後の砦であった。

    今の時代の感覚なら、2万余の人間が死ぬことが自明のそんな戦いは無意味だということになる。しかし、非戦論者ではあるが栗林忠道はその時代の軍人であり、2万余が玉砕してもそれによって米軍の本土空襲を遅らせ、その間に和平の交渉が進み終戦の契機になれば玉砕の戦いにも意義ありと考え自らの運命に従った。

    あの戦争では部下に死を命じながら最後は自分の安否のみに走った指揮官も少なくなかったが、硫黄島の兵たちは常に生死を兵とともにするたぐいまれな栗林忠道の人格とリーダーシップに献身的に応え、米軍硫黄島上陸後も一ヶ月余りも驚異的な抗戦をつづけた。米軍の死傷者も日本軍のそれを上回る3万人近くに達した。太平洋戦史に残る米軍にとっても最大、悲惨な戦いであった。

    硫黄島を死守することで本土空襲を遅らせ、米軍に大きな打撃を与え終戦交渉を促進できればという栗林忠道の意図ははかない夢と終わっただけでなく、まったく彼が想像しなかった終戦の結末となった。

    硫黄島での鬼気迫る抵抗にショックを受けたアメリカは、原子爆弾を広島、長崎に投下したのだ。もちろん、原爆投下のすべての原因が硫黄島での苦戦にあったとは思わないが、結果として原爆が投下されそれが終戦の契機となった。ただひたすら本土防衛、終戦のために玉砕した栗林忠道が、原爆投下の惨状を知ったらどんなに嘆き悲しんだろう。

    現代の感覚で今生きている私が言うのは筋違いかもしれないが、私が硫黄島の戦いから感じたのは、硫黄島に限らず力対力、気力対気力の戦いは勝者であれ敗者であれ結局悲劇を生むということである。あの戦争の大和魂、あるいはヤンキー魂の結果が原爆であった。いかに戦わないかが人間の英知である。

    太平洋戦争に関しても栗林忠道だけでなく山本五十六、米内光政、井上成美など、当時の状況を冷静に把握し非戦論を唱えたリーダーたちは何人もいた。それなのに、そういう人たちが中枢で指揮できずに、愚かなリーダーたちと愚かな官僚たちが実権を握って戦争を指揮した。それが最大の問題である。

    国というのは必ずしも冷静な判断力がある優れた人格者が実権を握り指揮しているわけではない。むしろ、そうでない場合のほうが多いのかもしれない。しかし少なくとも今の民主主義では、優れたリーダーを選ぶのは一般国民である。やはり、問題はそこに戻ってしまう。

    我々は今を生きることしか出来ないし今を生きるべきだと思うが、この今は過去からつながった結果としての今なのである。学校でもっと自国の歴史を教えるべきである。少なくとも明治以降の現代史は今の日本人にとって大事である。それがないと、今の自分の立ち位置がわからず、国も個人も生き方に軸が持てないのではないか?

    歴史には人間の信じられない愚かさとともに、信じられない崇高さも埋まっている。それを知らずして人がまともに生きることは難しい、そう思う。

    「国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」

    栗林忠道が玉砕直前に軍本部へ打った決別電報の辞世である。
    軍が新聞発表した彼の辞世では「悲しき」が「口惜し」に変えてあった。
    「悲しき」という表現は、国運を賭けた戦争のさなかにあっては許されず国民の士気に影響するということだったらしい。玉砕寸前の辞世、率直にして痛切な本心の発露さえ認めなかった。愚かである。

  • 硫黄島の苦闘を栗林中将を通して描いた、傑作ノンフィクション。
    暑熱と硫黄の中の地下壕の苦闘は読んでるだけで苦しくなる。

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散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道 (新潮文庫)の作品紹介

水涸れ弾尽き、地獄と化した本土防衛の最前線・硫黄島。司令官栗林忠道は5日で落ちるという米軍の予想を大幅に覆し、36日間持ちこたえた。双方2万人以上の死傷者を出した凄惨な戦場だった。玉砕を禁じ、自らも名誉の自決を選ばず、部下達と敵陣に突撃して果てた彼の姿を、妻や子に宛てて書いた切々たる41通の手紙を通して描く感涙の記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

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