- Amazon.co.jp ・本 (431ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101357218
感想・レビュー・書評
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読み始め…14.2.26
読み終わり…14.4.3
朝ドラ 「花子とアン」 の放送開始に先立って
観る前に読んでおきたくて タイミングをはかり読みました。
何をおいてもこの度は朝ドラを通して
村岡花子さんという翻訳家の女性が戦前 戦中戦後を通して
生きておられ、あの 「赤毛のアン」 の小説は村岡花子さんの
手によって翻訳され日本に広まっていったということ、そして
その翻訳家村岡花子さんの人生についてはご家族の中で
温かく大切に守り告がれているのだということを知りました。
テレビドラマの楽しくてわかりやすい映像と、真実をより深く物語る原作との両方を観て読むことで楽しみは倍増するのではないかと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「赤毛のアン」は、いかにしてうまれたか。
時代へ必死で抗う女性の力、偉大なり。
連ドラつながりですが、村岡花子さんも広岡浅子さんとの交流があったとのこと。あささん、本当にバイタリティに溢れた女性だったんだな。 -
自分が小学6年生の時ひきつけを、起こして入院したさい、いとこのお兄ちゃんが見舞いに来て渡してくれた本が赤毛のアンでした。
それまで本を読む楽しさがまだわからなかった私が 最後まで読み通した初めての文庫本でした。
その時の楽しさを感じたことはその後も
読書をするきっかけになりました。
そしてそれから40年余りを経て
いま、赤毛のアンを翻訳した村岡花子さんの生きていた時代、そのころの思いなどが胸に響きました。
10代の女の子が共感し、希望を、持って生きていく力を貰っていたのだとあらためて思いました。
もう一度、アンの世界を尋ねてみようかな。 -
たくさんの子どもたちへ、物語は続いていく。
ようやく読んだ。村岡花子の生涯だけでなく、その時代の雰囲気や女性の姿もわかる一冊。女子高校生におすすめしたい。英語の力(そしてもちろん国語の力)や、我が子だけでなく日本の子どもみんな(もちろん世界の子どもたちにも)のためなど、時代が変わっても変わらない「働く」「生きる」ことの教えがある。
『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』が作者にとって、どれほど生きる力の源になったか。そのような本に出逢えることは幸せだと思う。 -
翻訳家・村岡花子さんの評伝。NHK朝ドラにすっかりはまり手にした本書では村岡花子さんの生涯を孫にあたる恵理さんが順を追って丁寧に描く。
ノンフィクションだからこそ知れる村岡花子さん像は、まっすぐ芯の通った落ち着きのある姿。混沌と大きな変遷を辿った時代に立ち上がる女性たちの一人として時代を担った彼女は、当時では一握りしかいなかった教育を受け、多くの出会いのなかでご主人の支えや多くの女性たちとの交流を通して活躍の場を広げていった。仕事と家庭を両立させ、たくましく時代を生きた村岡花子さんを前に背筋が伸びる。
戦火のなかでも『赤毛のアン』を世に出すため命からがら翻訳に勤しんでいたという事実には脱帽。現代でも尚多くの人に愛されている名著となっていることを、ぜひご本人に知ってほしいと願うばかり。 -
夢中になってみている「花子とアン」の原作。
村岡花子という名前は知っていても、その人のことは知らずにいた。また、大好きな「赤毛のアン」が日本で紹介されるまでのエピソードも知らずにいた。
今、彼女の生涯を知り、「赤毛のアン」が紹介されるまでの道のりを理解すると、また違った形で「赤毛のアン」を読むことができそうだ。村岡花子の生涯を追うことは日本の明治から戦後にかけての歴史や女性の歩みを知ることにもなった。たくさんの知的でバイタリティあふれる素敵な女性たちが、村岡花子に刺激を与え、今日の女性の活躍の場を作ったのだと思うと感慨深い。
ただの夢見がちなお嬢様が作った本ではなく、夢を持った1人の自立した女性が赤毛のアンを日本に紹介したのだと思うと、その翻訳に多くの人が熱狂したことが頷ける。明日からの朝ドラがさらに楽しみになるとともに、とにかく目の前にあることを頑張ろうと思えた。 -
村岡花子は少女期にカナダ人宣教師からカトリックの教育を受けてのびのび育っている。一方で、国内文学や明治期のいわゆる少女向けで教育的でない本(ジェーン・エアとか)は読めなかった。色々な窮屈さを自分の胸のうちだけに秘めている部分もあったり。
そんな彼女が寄宿舎の友人や佐々木信綱といった歌人やプロレタリア文学女性作家の影響を受けつつも、自分の道を進んでいく様子が描かれる。読んでいて明るくなれる。孫娘の方が書いた評伝だが、必要以上に肉親に肩入れせず淡々と、センチメンタルにならずに時代背景をしっかり書いていて良かった。
梨木香歩の解説より抜粋。
何よりも花子自身が、軍事色一色の世界の中、心の深いところで、アンの物語を必要としていたのではないか。本書を読んでいると、そのことがひしひしと伝わってくる。狂奔する世界の中で、正気を保つよう彼女を守り続けたのは、ほかならぬ、疎開もせずに彼女が守り続けた蔵書や翻訳作業そのものだったのだ、ということが。「命に代えても」という言葉は、こういう関係性の中で生まれてくるものなのだろう。
クリスチャンであることと、花子の生き方は切り離せないものだった。だが、花子は同じクリスチャンであるはずの母の死に際しては、仏式で送った。生存中は、熱心なクリスチャンであった夫に従い、自分の意見を言わずにいた母であったが、実は仏教に深く傾倒していたことを、花子は知っていたからだ。花子が旧弊な家制度に疑問を持ち続け、女性の社会的地位確立のために働いた原動力の一つには、そういう母の姿もあったのだろう。花子は、母の最期を、家や夫に従属しない個人の姿で送りたかったのだろう。
実際に訳された『赤毛のアン』でいうと、私は松本侑子さん訳のほうが好きだ(シェイクスピア、聖書の引用や『~アン』が書かれた当時の社会背景が注釈されていてモンゴメリ自身の読書体験や境遇がアンに反映されているのがわかるので)。
『アンのゆりかご』は一人の女性翻訳者、キリスト者の評伝として興味深い一冊だった。
2.27~4.27 -
「赤毛のアンシリーズ」や「リンバロストの乙女」の古臭い翻訳体は私の血肉となっていて、いまだに「しかつめらしい」とか「なくってよ」とか使いたくなるんだけど、ご本人の伝記まで読む気はなかった。けど読んでみてよかった。
寮で同室だったのが白蓮夫人とか、初恋の人がエリザベス・サンダーズ・ホームの創始者とか、自宅で始めた児童図書館の手伝いを頼んだ近所の大学生が渡辺茂男とか、知ってる名前が次から次へと出てくる。そういう星の下に生まれたというのか昔の知識人って一握りでみんな知り合いだったのかと思う。
村岡さんの人生の道筋に絡めて書かれる、明治後期から第二次大戦後までの日本への各種思想の伝播の経緯や、女性文学者たちと社会運動の関わり、戦争との関わりが日本の近代史として面白い。
日本史の教科書の最後にある、三学期に駆け足で習うあたりの歴史が、明治の終わりに給費生として東洋英和女学校の寮で十年を過ごし、カナダ人宣教師たちから衣食住から語学、神学に至る薫陶を受け、後に翻訳家、文学者として名をなす女性の生涯と結びついている。
川村湊の「異郷の昭和文学」あたりに詳しいが、日本の文学者たちは第二次大戦中に軍部からプロパガンダに協力させられている。この本はそのあたり文学者に同情的だが(私も思想弾圧に抵抗とかできないしする気ないから長いものに巻かれた方を非難する気はない)、彼らが感じたであろう葛藤を知らずに安易に平和を壊すようなことをしてはいけないなぁとも思う。
第二次大戦中に密かに翻訳を続け、家族の次に大事にしていたという「赤毛のアン」の原稿の話は目頭が熱くなる。戦後、焼けずに済んだ大森の家を訪れる編集者たちが「本棚を食い入るように眺めた。多くの作者や研究者が、戦災で命の次に大切な蔵書を失った。」という一節は何度読んでも泣ける。本当に戦争って嫌なものだ。
村岡さんが生涯を通して強く願った「姉も妹も父も母も一緒に集まって聲出して読んでも、困る所のないやうな家庭向きの読物」(文庫版145p.)を日本の若い人に、という気持ちはよく分かる。でもこれも行き過ぎるとナチスドイツみたいに「健全な家庭生活にそぐわない思想をテーマにした文学は発禁」てなことになっちゃうので、様々な思想が自由に語れることが一番大事だと思う。
……とまあ、村岡花子さん自身のことよりも時代の空気が感じられたことが面白かったのだけど、もう一つ本筋に関係なく「おお」と思ったのが『女子の名前には「子」がついているほうが、山の手風でモダンであった(文庫版88p.)』というところ。明治の終わりから大正、昭和の半ばまで半世紀くらいの間に「子」のついた名前の価値が下がっていったのね。 -
村岡花子さん、今とは全く異なる時代の中で、家庭と仕事を両立した女性として、尊敬する1人です。
自分の夢と家族、どちらを優先するべきか悩んでいる私にとって、今後の道標になった本。
女性、家庭、英語、といったキーワードに興味がある方にお勧めしたいと思います。
▼覚えておきたい▼
・彼女たちは、自分ひとりの夢の実現よりも、共存の道を選んでいく。しかし、それは挫折や犠牲ではない、確かに夢からは遠廻りしたかもしれないが、アンもエミリーも新しい道で幸福を見出す。
・自分の望みを一筋に貫ける人は、ほんの僅かにすぎない。(中略)人生には、思いがけないさまざまなことが起こる。無理を通せば誰かを傷つけ、あるいは、どこかで行き詰まる。