人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101358611

感想・レビュー・書評

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  • ちょっと判断に困る本。なので(←?)感想がうっかり長文。

    ネットの一部では作者の実在自体が疑われているけれど、とりあえず実在しているという前提で読みました。
    というのも、この本は「殺人を犯して無期懲役となった囚人が獄中で書いた、殺人犯に関する考察」という体裁を取っていて、なおかつ「作者が仮釈放を放棄して今も服役中」というのが最大のアピールポイントなので、その根底が創作だったら、ちょっと編集者の良識を疑うことになってしまうし。何よりも、これが創作だとしたらちょっと変な声が出てしまいそうなくらい残念な作品だから。

    そんなわけで作者実在として読むと、なかなかに困る本でした。
    作者(高い知能と強い意志を持って生まれ、暴力的で反社会的な父親に育てられて、子供時代にその父親からネグレクトを受けたこともあるのに、その父親を盲信している人)が殺人の罪深さに気づくあたりは、「おまえは何を言ってるんだ?」と真顔でツッコミたくなるし、そんな人間ながらも「養護施設の子供達に何かしてやりたい」と、時々(思い出したように)書いているのが、いかにもとってつけたようで苦笑を禁じ得ない。

    内容は、序盤で自分がいかに優秀でいかに情が無かったかを語り、中盤で同じ獄内の囚人達(いずれも長期刑or無期)へのインタビュー(?)をまじえて、大半の囚人が救いようのない獣であると告発し、でもホンモノのヤクザ(チンピラではなく任侠の人。でも殺人犯)はひと味違うと語り、終盤は「やっぱり殺人はよくない。償えるものじゃない」と語っているものです。

    書かれている文章自体は、やや難解な語彙も多く、他人とのコミュニケーションからではなく書物だけで大半の文章を学んだ人なのかなという印象。回りくどい言い回しは狙ってのことかもしれないが、そこかしこに見られる「ちょっとイタイ」言い回しは、生きた言葉で学んでいないからかと思える。知能は高いのかもしれないけれど、コミュニケーション不足の感は否めない。特に、他人の感情に対する想像力が欠けているなと思える作者が、同囚の想像力の無さを責めているあたりは苦笑の極み。
    論理に矛盾があるところはあまり追究せず、逆にアピールしたい部分は何度も何度も繰り返し書かれていて、特定の発達障害を彷彿とさせる。
    ただ、作者本人も、「自分も病を抱えている」と匂わせてはいるけれど、そういう気質だからとか、そういう病気だからしょうがないと思ってはいけないと思う。同じ障害を抱えていながらも、又は同じような環境で育ったとしても、社会で真っ当に生きている方々に対して、限りなく失礼に当たると思うので。


    全体的に「おまえが言うな」感満載の本ですが、中でも「ぇー?」と思ったのが以下の箇所。

    “人の命を奪ったのだから責任について考察することは義務だという観念ではなくて、少しでも真っ当な人間として残りの人生を過ごすために積極的に自らの非を悔い、真摯に反省と贖罪に励みたいという気持ちが生じました。人生というジグソーパズルのピースが欠けていてもいい、何とか最後まで残りのピースを嵌めていきたいという思いです。”

    他人のジグソーパズルを台紙ごとひっくり返した人間が何を言い出すのか。

    “同囚は私に獄死なんてと言いますが、何処で死のうと死という現象に違いはなく、我が過ちに気付くこともなく獣のような欲望の炎に包まれたまま社会で死ぬよりは、可能な限りの責務に誠実に向き合い努力して獄で死ぬ方がずっとましです”

    そもそもその二択がオカシイ。責務に誠実に向き合い努力して社会で生きて死んでいくのが人間じゃないのか。



    獄中記や、殺人事件のノンフィクションなんかを読むとだいたい思うんですが、無期囚や死刑囚が獄の中で人生とやらを見つめて、なんとなく悟りめいたものを得て、なんかちょっと人間的に成長した感を見せられると苛立たしい気持ちになります。倫理に欠けた人間が心の成長を得るために、どうして罪のない命が犠牲にされなくちゃいけないのかと。

    少なくとも雨風がしのげる建物の中で、1日3食が保障されて、買い物も出来て面会も出来て時には自由時間があったり、TVも許され読書も許され……そんな環境にいたら私だって悟りの1つや2つ開けそうだ。どうして自己都合で他人の命を奪った人間の命が保障されてて、社会の片隅で罪無く生きている人間が困窮に喘いで餓死や衰弱死をしなくちゃいけないんだと柄にもなく憤りを覚えます。

    自分の正義感を試される本かもしれません。


    ……逆に、この本そのものが、これら全ての「もやっと感」を描くため、又は囚人達にもっと厳しくしたい&死刑賛成論派を増やしたいがための創作だったとするなら、これほど緻密な作品もそうそう無いかも。

著者プロフィール

美達大和
1959年生まれ。無期懲役囚。現在、刑期10年以上かつ犯罪傾向の進んだ者のみが収容される「LB級刑務所」で仮釈放を放棄して服役中。罪状は2件の殺人。ノンフィクションの著書に『刑務所で死ぬということ』(小社刊)のほか、『人を殺すとはどういうことか』(新潮文庫)、『死刑絶対肯定論』(新潮新書)、『ドキュメント長期刑務所』(河出書房新社)、『私はなぜ刑務所を出ないのか』(扶桑社)、小説に『夢の国』(朝日新聞出版)、『塀の中の運動会』(バジリコ)がある。また「無期懲役囚、美達大和のブックレビュー」をブログにて連載中。http://blog.livedoor.jp/mitatsuyamato/

「2022年 『獄中の思索者 殺人犯が罪に向き合うとき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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