- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101367569
作品紹介・あらすじ
イタリアを愛し、書物を愛し、人を愛し、惜しまれて逝った作家・須賀敦子。深い洞察に満ちた回想風エッセイは永遠の光をはなっている。十代での受洗、渡ったミラノでの結婚、故郷夙川の家族たち…日本とイタリアを往還し、洗練された文章で紡ぎ出された文学の香気あふれる世界。その主著五冊の精読を重ね、須賀敦子作品の真の魅力と魂の足跡を描く。読売文学賞(評論・伝記賞)受賞。
感想・レビュー・書評
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須賀敦子さんの著作は多いわけではないので、コンプリートしようと思えばすぐできる作家さんだと思うけど、結局のところ、数作しか読んでいません。戦前の、きわめて良質な教育を受けた女性作家のみなさんに特有の、端正で気品あふれる文章(田辺聖子さんなども同じ)は、私のような雑な読み方をする人間にはもったいなく、しかもなんとなく近寄りがたいような気がして、そのままにしています。これは、須賀さんの担当をつとめたご経験のある編集者さんによる、須賀作品と須賀さんの周囲を解説した本。
老境に差し掛かってデビューした、たぐいまれなる香気のたちのぼる文章を書く文筆家を担当できたから…という、浮ついた裏ばなし満載のバックステージ本ではなく、『コルシア書店の仲間たち』をはじめとした、キーになる作品とその背景をていねいに追った評論集です。須賀作品は単なる「若かりし日の思い出話」のようでいて、彼女の「書くこと」にかける思いや信仰、触れた文学作品をからめた手の込んだ仕掛けがされている、という解説が緻密に展開されており、須賀作品経験の少ない私には、その少ない中でも引っかかったキーワードの理解を助けてくれる部分が多かったように思います。
たとえば、須賀作品では「カトリック左派」というキーワードが出てくるけど、これについては「なんで博愛を掲げる宗教に、『左派』とかの流れがあるのか?」という疑問が少々解けたり。神への人々の奉仕は、人々が幸せになることとは別モノなわけね。それと、イタリアに横たわる「階級(特に下層)」の問題。生活だけで精いっぱいの階級の男たちは傘を持たないというのは、ただそういう習慣というだけでなく、そういう生活を送らざるをえない家庭にしみついた不幸(日本で言う「貧乏神にとりつかれた」かな)から抜け出せない、ということが後ろに隠れていたり。湯川さんのおっしゃるように、須賀さんはこういった「貧しさや不幸に対してたじろぐことがない」わけではなかっただろうけど、そこに目をそらしたり、センチメンタルに嘆くだけではなかった点が、あらためてこの本で理解できたり、と。
読み手としては、須賀作品を読んで「ああ面白かった!素晴らしい!」と思って終わり!でもいいわけで、こういうことは、別にいらない情報なのかもしれない。まあでも、知ったからって興ざめするわけでもありませんし、一度でもその文に触れたことがあるなら、あの文の1cmくらい下に、何が隠れてるのか知りたいと思うのは当然だと思う。担当編集者さんだったらなおさら、「これからどこへ行こうとするのか」をさぞや知りたかっただろうとは拝察いたします。
須賀作品経験が少なくても十分読めると思いますし、この本を読んでから須賀作品に戻っても、じっくり読めていいと思います。でもやっぱり、取り上げられている5つの作品を読んでから開けばよかったかな…と思わないでもないので、私の怠けぶんがマイナス要素。それに、単行本の表紙から感じられる空気のほうが好きかな、ということでこの☆です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
担当編集者であった著者が、代表作である五作品を丁寧に読み込んでいく。須賀敦子の読者なら、恐らくそれぞれに須賀敦子像を持っていると思うが、この著者はそうした須賀敦子像を、個人の感覚からは切り離された、目の前に遺されたテキストから呼び起こそうとする。須賀の文章に注視することで見えてくるものがたくさんあり、手元の著作をもう一度紐解いてみたくなった。(個人的には、『ヴェネツィアの宿』の解釈には異論もあるのだが)ファンであったらぜひ読んでほしい。ファンでなくても、日本人にこんな文学者がいたことを知ってほしい。
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2012/3/7購入
2015/4/3読了 -
すばらしい!!
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かつての担当編集者による作品の解説。とても丁寧な読み込み方で、エッセイストとして世に出た須賀さんが、小説寄りになっていく過程がわかります。
もういない人について語られた言葉はさみしくて、何度か涙ぐみつつ読了。 -
元編集者だけに基本的にはテキストを頼りに、代表作5編をていねいに読みこむことで、その文業の意味を明らかにしてゆく。
スタートこそ遅かったが須賀がずっと書くことを希求し続けてきたこと、読む人に強い印象を残す回想風エッセイを発表しつつ、少しずつ小説を目指して文体が進化していたことを示し、遺稿を読み解きつつ「信仰と文学をどのように自分の中におさめ表現してゆくか」という須賀敦子が最後にいきついたところまで道案内してくれる。
これはやはり、ひと通り須賀作品を堪能したあとの、より深く再読を重ねていくための手がかりとなる一冊。 -
須賀敦子さんの、ひっそりとしていながら、量感のある文章を、今まではただ、そっと味わうだけだった。その文章の向こう側にあるものを、解きほぐしてもらえただけでなく、じっくりと腑分けするように読むことも教えてもらえたように思う。何度も読み返した作品たちを、またさらに、読み返したい。
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最初に読んだ須賀敦子の本は書評集だった。優しい語り口の中に強い意志のようなものがあって、びっくりした。
初めて地方で一人暮らしを始めた頃、東京にもある大きな本屋の書棚で「コルシア書店の仲間たち」を手にとった。まだ読んでもいないのに、不安でいっぱいだった心がなぜか何の根拠もない、すっとぼけた安心感に変わった、そんな懐かしい、今となっては苦い思い出を久しぶりに思い出した(苦笑)。
須賀敦子自身が、敦子の周りの人々が須賀敦子という人の生き様を見事に浮かび上がらせるのだ。
また、読み返してみたい。読み返すべきだ。読むことで安心感を求めている自分がいる。