英雄の書(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (414ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101369341

作品紹介・あらすじ

待ち受ける幾つもの試練と驚異。旅路の果てに、少女は兄の驚くべき真実を知る。手に汗握るめくるめく冒険譚。

感想・レビュー・書評

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  • 最近、仕事が忙しく活字のみの本に集中できない。
    故に漫画中心の読書になっていた。やっと英雄の書の下巻を読み終えた。作家の人生を考えるとミステリーやSFなどでスタートしても、いずれは時代小説やファンタジーを描きたいと考える人が多いと思う。特にファンタジーはある意味なんでもありの創造力へのたがが外れた自由がある。今回の宮部みゆきもいくつか題材をモチーフに楽しんでいたのではないか。しかし、そこに人類の危険な未来とそれに対処する心持ちを主題にかかげていたと思う。ユーリの次なる活躍を見てみたい。

  • 宮部みゆきのファンタジー。
    8年間の積読期間を挟んでようやく読了しました。



    以下、ネタバレあります。



    上下巻で発売されているうちの上巻までの感想は、最近のゲームやアニメで扱われるファンタジーに近い世界観や小道具、「ここはボツコニアン」に感じる既視感、そしてテンポの悪さでした。

    このうち、世界観や小道具が「何かで見た(読んだ)ことがある」感は下巻に入って一層色濃くなりました。
    下巻冒頭でようやく初の中ボス戦があるのですが、このボスの描写を一読して思い浮かべたのがバックベアード様。wikipediaにも「ビホルダー」の名前で項が立っています(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC)。「直径2~3mほどの球状の体に巨大な一つ目と口を持つモンスター。さらに頭頂には小さな眼がついた触手が10本ほど生えている。手足はなく魔法的な力で地面からわずかに浮遊して移動する」と説明されており、まさにこれ。

    ブーメランと双剣を使う「狼」のアッシュもどこかで見たキャラクターですし、水内一郎の成れの果ては最大化したカオナシ。アッシュの出身領域(リージョン)であるヘイトランドの風物も、エルミグアルドの王城の成れの果てである地下迷宮の様子も、魔法陣の力を借りて雑魚モンスターを一掃する場面も、探せばどこかのゲームやアニメにありそうです。後書きや解説ではクトゥルフ神話の影響を指摘していますが、そもそも今私たちの身近にある多くのゲームやアニメもクトゥルフ神話を下敷きにしているので、お互いに似てくるのは必然です。

    ハイコンテクストなディテールで溢れていること自体は悪いことばかりでも、よいことばかりでもありません。物語の本質と関係のない部分は「魔法陣」「マルフォンド銀」「触手」といったファンタジーに馴染み深い単語を使うことでくどくどと説明する必要がなく、ストーリーに集中できます。反面、「どこかで見たようなことがある」すなわちオリジナリティの欠如であり、例えば「千と千尋の神隠し」や「ICO」のように、キービジュアル1枚だけで鮮烈な印象を残すような圧倒的な訴求力を持つことができません。

    続いて、「ここはボツコニアン」との相似とテンポの悪さについて。端から「ボツネタを集めた」「ほぼ確実に正統派のハイ・ファンタジーにはなりません」と宣言している作品であり、「作者の独りよがり、読者置いてけぼり」という読後感しか持てなかった、宮部みゆきってこんなに<しょうもない>お話も書けるんだと思わせてくれたあのシリーズを想わせる要素がたくさんあって、どうなることかとハラハラしていたら、ラストのオチまで一緒でした。

    舞台が物語の世界であること、従って物語の作者が神であること、登場人物は自分がいるのが「物語」だと知っていること、「回廊図書館」と相通ずる「万書殿」が物語中で大きな役割を占めていること、上に書いたとおり、ゲームを想起させる場面や小道具が多用されていることなどなど、ここまでは「似ている」で済みますが、「英雄を倒すため、バラバラに葬られた体の部分を取り返しに来る英雄を各所で迎え撃つはずが、兄を浄化しておしまい」という、これ絶対風呂敷広げすぎて打ち切りになったんだろ的なラストまでもが、6本あるはずの回廊図書館のカギのうち、ちゃんと集めたのは2本、残り4本のうち3本は「コピー」して、最後の1本は創造主が「なかったことにした」という脱力っぷりと共通していて、何だか悪い冗談にしか思えません。
    テンポが悪いのも当然で、なかなか英雄を倒しに行かないけど大丈夫かなと思いながら読んでいたらそもそも英雄を倒しになんて行かなかったわけで、「ソラ=兄」の伏線ばかり大量に敷かれていたのをまどろっこしいなあと思いながら読まされていたわけです。
    ついでに言えば、どちらのお話も、きちんと英雄を封印したり、鍵をきちんと集めたりするつもりが、連載を短縮する必要が出てきて打ち切られたのでこんなことになったんじゃないかなんて勘ぐったりしています。

    一見まともに見える「英雄の書」とおふざけ満載の「ここはボツコニアン」は、英雄と同じ、光と影、盾の両面だった、なんてメタな例えが頭に浮かびます。


    ゲームは本のようにはいかない、ということについて。
    宮部みゆきの書くお話はミステリだったり、ホラーだったりSFだったり、時代物の捕り物帖だったりしますが、そこに「ファンタジー」が加わって、そして、その新ジャンルは傑作ぞろいというわけにはいかないようです。
    他の作品では、「〇〇を読んで(見て)以来、ずっと〇〇みたいなものが書きたかった」というコメントをよく見かけます。作者のゲーム好きはよく知られているところですし、ゲームのプレイ体験がファンタジー作品を書くきっかけとなったことは想像に難くありません。でも、ゲームって数時間で読み終える本と比べて、一通り遊び終わるまでにかなり時間がかかります。何だかまだ自分のものになりきっていない世界を消化不良のまま語っているように見えるのです。

    消化不良なので、書ききれなかったユーリと英雄との対決が先延ばしになってしまっているように思えます。同じ世界観の物語が書かれているのに、それは狼となったユーリが英雄を追い詰めるお話ではないそうですし。


    最後に、物語について。
    あるいは、作者が何を言いたかったのかについて。

    特に下巻では、「物語を紡ぐ業」と「物語を生きる咎」についての言及が増えました。
    稀代のストーリーテラーである作者が「物語を生きるのは咎」だと言うのです。

    「時の矢は真っ直ぐ進むだけで、けっして後戻りすることはない。起きてしまった出来事は、誰にも翻すことはできない。取り返しはつかないんだ、ユーリ。」
    「それを取り返せると騙り、翻せると語るのが物語の力だ。その理が“輪”の理だ。それは美しく、温かく、時には人の心の真実にも相通じる。だがしかし、それは事実ではない。だからこそ、“輪”の理を物語る“紡ぐ者”たちは咎人と呼ばれるのだ」

    何とも厳しい言葉です。
    ただ、この「物語」ですが、

    「「物語」と作中ではひとくくりにしていますが、書き始めたときは「偽史」とか「擬似科学」とか、そういうものが頭にありました。あれもすべて「物語」ですからね。」
    とインタビュー(https://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/pickup/interview/miyabe_m/)で語っていらっしゃいます。
    そういう「人をだます」ことが目的の「物語」であれば、騙すほうも、騙されるほうも、咎人だというのはわからないでもないのですが。

    もっとも、「もちろん自分が書いている小説もそうですが。人間は作家でなくても、みんな「物語」を作るという意味を込めたつもりです。」だそうです。

    力に満ち溢れた物語を書く人が、
    「時に人間は、“輪”を循環する物語のなかから、己の目に眩しく映るものを選び取り、その物語を先にたてて、それをなぞって生きようとする愚に陥る。〈あるべき物語〉を真似ようとするのだよ」と語っているのがどうにも納得がいきません。
    素晴らしい物語を書く人が、物語をなぞってはいけないと主張するのか。

    偉人の伝記を読んで、目標にしてはいけないのか。
    ユーリの成長ぶりを目の当たりにして、自らも変わろうと心してはいけないのか。
    それは咎なのか。
    そんな力のある物語を書く人がそれを咎というのか。

    頭の中でぐるぐる回るばかりで、自分の中ですっきりと落ち着かせることはできませんでした。
    続編らしい「悲嘆の門」を読めば少しは胸に落ちるのでしょうか。

  • 宮部みゆきさんのファンタジーもの。

    色々な描写が多すぎて、話がなかなか進まない感じ。
    重くて暗いファンタジー。

    私には合わなかったです。

  • ある意味では理不尽な「罪と罰」の話だったように思います。真に悪いものが罰せられるわけでなく、罪を後悔したものが、分かりやすく救われるわけでもなく……。
    宮部さんの小説は分かりやすい勧善懲悪で終わらないものも多いけど、その中でもこの『英雄の書』が一番、「この小説は何だったのか」と考えさせられているかもしれない。

    兄を救うため無名の地から現実世界へ戻った友理子は、兄がなぜ英雄に憑かれたかを知る。額に印を授けられ、新たにオルキャストのユーリと名前を冠した友理子は無名僧のソラ、魔法でネズミに変身した赤い本のアジュ、そして、英雄に憑かれたものを追うアッシュと共に、再び異世界へと旅立つが……

    異世界の描写はまさに王道のファンタジーという感じ。魔法でよみがえった死者の兵士たちの話や、化け物の描写などところどころで、上巻からも感じられたダークな雰囲気を話にまといつつ物語は一歩、一歩核心へ向かっていきます。

    どんでん返しとしては、割とオーソドックスな部類だったと思うので、小説を読みなれている人なら勘づく人はいるかもしれない。でもこの『英雄の書』が目指したのは、ファンタジー世界での冒険譚でも、どんでん返しによるサプライズでもなかったような気がします。

    人間はなぜ時に道を誤るのか。道を誤る理由がそれぞれの人の中にある、道徳や正義によって作られた物語ならば、小説という物語を書くことすらも罪なのではないか。

    時に人の悪意や罪も、一つのエンターテインメントに仕上げてしまう物語たち。犯罪を描くミステリーだけでなく、見方によっては、戦争を扱った小説や映画だって不謹慎の誹りは免れないし、恋愛ものも不倫や二股の恋を肯定したくなるものだってある。

    もちろんたいていの人はフィクションと現実の境目はついているだろうし、だからこそ物語をフィクションとして楽しむことは成立しているのだろうけど、でもどこかで、殺人者に対し復讐するミステリーに共感を覚えたり、許されない恋に憧れたり、そういった罪に惹かれる部分はあるように思える。

    それもこの『英雄の書』の中で語られた物語の咎で、人間の業というものではないかと思います。そして人はそれぞれの正義や道徳といった“物語”を内面に作り、それに則って行動する。でも内面の物語がある一方で、きっとこの世界を成立させるための物語というものも存在していて、世界を顧みずに自分の物語を強行すれば、なんらかの報いがある。
    ただその報いも公平に訪れるわけではなく、理不尽で不公平な世界と物語に支配されつつも、その世界で生きている以上、自分たちは自分たちの物語と世界に折り合いをつけなければならない。『英雄の書』はそんな理不尽な世界と個人の物語の話だったように思います。

    『朝に一人の子供が子供を殺す世界は、夕べに万の軍勢が殺戮に奔る世界と等しい』『一つにして万。万にして一つ』

    作中のこうした言葉を読んでいると、小さな一人の物語は、世界の大きな物語とスケールは違えど、あり方は同じものなのかもしれないとも思えてくる。だからこそ今、この世界では自分たちの物語が問われているような気もします。
    コロナウイルスの感染が拡大していても会食やパーティーを強行する? 相手のことが見えないから、ネットやSNSで悪口やバッシングを繰り返したって問題ない? そんな個人の行動が、世界の在り方を左右するかもしれない。

    個人の物語はもはや世界と直結するまでになっています。でも一方で会食やパーティーを止めるすべもないし、バッシングした人を罰するのも現実ではハードルが高い。その報いを受けるのは他人で、当の本人はノーダメージということもある。それでも自分たちは、時に人の物語が裁かれない世界で、生きていかなければならない。

    解説で宮部さんのインタビューが載っています。人間はどうして物語に魅せられるのか。なぜ、その道を選ぶのか。物語はどこから生まれるのか。そういったことを考えて生まれたのがこの『英雄の書』だそうです。そして回答はまだ得られていません、と話されています。

    この『英雄の書』は正直に言うと、まとまりきった物語だと自分は思えなかった。たぶん宮部さん自身が回答を得られていない、ということも関係しているのだと思います。

    今、宮部みゆきさんは“向き合う作家”という位置に行かれたのだと、個人的には思っています。
    『名もなき毒』という宮部さんの作品を読んだときは、その作品の主人公である杉村三郎を通して人間の悪意と徹底的向き合う覚悟のようなものを(勝手に)感じました。
    そしてこの『英雄の書』では、人が時に支配される“物語”に宮部さん自らも〈物語を紡ぐもの〉として向き合った戦いの痕のようなものを感じました。

    人間の悪意、そして“物語”と向かい合った先に何があるのか。その極地にたどり着き、そして示すことができる可能性のある小説家。それが宮部みゆきで、この『英雄の書』はその序章の一冊だったのだとも思います。

  • いわゆる今私がいる輪の中での解決は何もしていない気がする。友理子や両親たちがただ妥協して、その上で納得しただけ。そこに不満は残るけど、これはユーリの狼としての物語のスピンオフだと思えば、凄く面白いなと思った。

  • すごく時間がかかった。

    ファンタジーとは思わなかった。
    何度、挫折しかけたか。


    兄探しの旅。

    時間よ、もどれ。
    夢 でした、みたいな結果を期待して。

    うーむ、結局、なんなんだよ、
    とムカついた。神隠し、かい。
    どうしてくれんだ、このもやもや。

    しかも最後は、新たな役割背負って。
    全然、笑えない。救いとか、ないやん。
    形の変わった兄に会えるか、
    アッシュやアジュに再会できるか。


    やはりわたしは親目線なんだと感じたわ。
    悲しさしかないもの。
    10代なら、何か湧いてくるものがあったのかな。
    枯れた自分を自覚した旅でした。残念。

  • ファンタジーってなんでもアリで、勝手に作った法則でなんだかついていけなくてわけのわからないところが多々あった。宮部みゆきで期待してただけにちょっと残念。いじめから始まって最後は戦争や差別にまでテーマを広げたのはいいけどなんだかまとまってない感じ。問題提起だけなのかな?続編があるみたいだけど読むかどうかは微妙。

  • 2012年7月12日読了

    ユーリの旅の目的がすり替わったのが気に入らない。
    目的は達せたし、アッシュたちが黙っていたのもわかるけど、結局ユーリは蚊帳の外みたいな扱いが好きじゃなかった。オルキャストとして精神年齢は上がったのかもしれないけど、蓋を開けてみたら小学生としてしか扱われてなかったような気がする。
    途中、アジュが横暴な切り返しするなとは思ったけど、真実を知った彼なりにユーリを思って、けど彼は若いので上手く折り合いがつけられなかったかもしれない。早く、ユーリと再会してほしい。
    それになりにまとまったとは思うけど、一筋縄ではいかない終わりだったなと思う。それこそRPG的終了ではないよね。"英雄"やオルキャストの存在は輪の中に数多あるということが、綺麗な終わりにさせないのかもしれない。

    新作は、新たなユーリの物語ではないらしい…。
    でも、大人になり一人前の"狼"になったユーリとアッシュの再会の物語が見たいなぁ。ユーリがアッシュを転がす感じで(笑)

  • 「人は生きているだけならば、どれほどの偉業をなそうと、それはただの事実でしかない。思うこと、語ること、語られることを以て、初めて“英雄”は生まれる。そして、思うこと、語ること、語られることは、これすべて物語なのだ」

    2022/10/10読了(再読)
    災いをもたらす存在としての、英雄の負の側面を描いた作品。更に、今作中でキリクとの最終決着が付いていない。『悲嘆の門』が、続編になるのかもしれないが、キリクの封印が為っていない以上、まだ次にユーリが活躍する物語が出るのかもしれない。

  • 上巻の出だしはよかった。
    英雄の書とは何か。
    無名僧とは。

    真実の展開にいまいち納得がいかない。
    例外って…
    最初に設定されたルールの中でキレイに丸く収めてもらいたかった。

    続編に期待✨

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著者プロフィール

1960年東京都生まれ。87年『我らが隣人の犯罪』で、「オール讀物推理小説新人賞」を受賞し、デビュー。92年『龍は眠る』で「日本推理作家協会賞」、『本所深川ふしぎ草紙』で「吉川英治文学新人賞」を受賞。93年『火車』で「山本周五郎賞」、99年『理由』で「直木賞」を受賞する。その他著書に、『おそろし』『あんじゅう』『泣き童子』『三鬼』『あやかし草紙』『黒武御神火御殿』「三島屋」シリーズ等がある。

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