おそめ―伝説の銀座マダム (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (476ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101372518

作品紹介・あらすじ

かつて銀座に川端康成、白洲次郎、小津安二郎らが集まる伝説のバーがあった。その名は「おそめ」。マダムは元祇園芸妓。小説のモデルとなり、並はずれた美貌と天真爛漫な人柄で、またたく間に頂点へと駆け上るが-。私生活ではひとりの男を愛し続けた一途な女。ライバルとの葛藤など、さまざまな困難に巻き込まれながらも美しく生きた半生を描く。隠れた昭和史としても読める一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 誰も綺麗に生き、綺麗に死ねない


    ・よしえは最後まで秀贔屓。きくこがかわいそう

    ・注目すべきは俊藤
    秀とダンスホールで出会って、声をかけてからの人生の変容ぶりよ

    こんなに人間くさい人も珍しいと思う。

  • 昭和初期の活躍した京都出身の銀座マダム。
    ガムシャラに店を経営している人かと思ったら人を疑う事を知らず、周りに助けられて頂点までいってしまう。
    接客とお酒が好きで気前もいい。そして愛される要素を持っているが時代の流れには乗れずに閉店。
    旦那がもっと堅実な人で見守る人なら長く続けられたのかも知れないと思うと、不幸だったのか、それとも愛する人がいた事が幸せだったのだろうか。
    この人は口数が少ないので、周りを取材して憶測も含めて書かれているので、人生を満足しているのか、後悔した部分があるのか深い部分も知りたいと思うのはフィクションを読みすぎだからなのかな。

  • 競争戦略を本分とする楠木建が自著『戦略読書日記』の中で「改めて『商売は理屈じゃない』というどうしようもない真実をイヤというほど思い知らされた」と脱帽した一冊。
    「おそめ」と呼ばれた祇園の芸妓が天賦の才と強運を味方にして、昭和財界の大御所や文豪たちが集う銀座のバーのマダムとして一斉を風靡する。当時は「癒し」なんていう言い方はなかったと思うけれども、おそめが殿方たちに提供していたものは間違いなくそれ。川端康成、白洲次郎、小津安二郎らが通ってしまうほどの癒し。しかも、その提供を「仕事だと思ったことがない」と言い切ってしまうのだからまさに天性。
    バーのマダムをやるために生まれてきたのではと思わせる彼女の一生が、著者の抑えた筆致で活写される。その頂点への駆け上がり方の鮮やかさだけでなく、その後の凋落の哀しさも含めて。ノンフィクションの傑作。

  • [無垢なる夜の精]戦後間もない頃に「おそめ」という名のバーを京都と銀座に開き、文芸界に属する人々をはじめとした著名人を文字通り虜にした上羽秀。そんな彼女に期せずして魅せられてしまった著者が、浮き沈みのあった秀の人生と、一筋縄ではいかなかった往時の人間模様を記した作品です。著者は、約5年をかけて本作を執筆したという石井妙子。


    川端康成や大佛次郎、小津安二郎や白洲次郎と、「おそめ」に通った人物たちの名前をあげれば、いかに「おそめ」がとんでもないバーであったかが察せられると思うのですが、本作では何故に「おそめ」がこれらの人々を魅了したか、そしてその魅力ゆえに彼女自身はどのような苦労を経験しなければいけなかったかが丁寧に記されており、(まったくもって良い意味で)まるでよくできた脚本を読んでいるかのようでした。石井女史により書かれなければ、「おそめ」は誰しもの記憶からいつか消えてしまったであろうことを考えれば、単なる読み物以上の意味を有しているのではないでしょうか。


    「おそめ」を軸に戦後から高度成長期にかけての京都、そして銀座の変貌ぶりがわかるのも興味深い点。特に(?)一世代ぐらい前までの人々にとって「銀座」という響きが有していたであろう艶やかかつ「大人もの」の雰囲気の淵源が、「おそめ」を始めとした銀座のバー、そして雇い上げた(当時は女給と呼ばれていたようですが)ホステスではなく、自身の魅力で勝負を賭けたママたちにあったことがよくわかりました。

    〜うちはほんまに可愛がられました、せやけど、その分、憎まれました。〜

    自分もいつかは銀座が似合うオトナに......☆5つ

  • サブタイトルの通りの伝説の銀座マダム。男の小説家が書くヒロイン(化粧をしなくても美人、いるだけでそこが輝いている、芯が強いけど男を立てて万事に控えめ、自分からなにもしなくても男たちが寄ってたかっていろいろとやってくれる、etc…)って、女の私から見てどうもピンと来なくて、そんなキャラって男が都合よく作っているだけじゃないのか?って思っていましたが、「おそめ」を読んで、そういうキャラの人がほんとうにいたんだ、ということにまずびっくり。これでは錚々たる文士たちが放っておかないわけだ、と納得しました。おそめと対比されて登場するエスポワールのマダム川辺るみ子はおそめとは対照的に一所懸命にがんばっちゃうキャラで、晩年は辛いことが多かったようだけど、凡人の私としてはるみ子さんのがんばりに1票投じたい感じでした。

  •  なお白州次郎は『夜の蝶』に関して「まったく川口はひでえ野郎だ。勝手に人をあんなふうに書きやがって」と「おそめ」で気を許した女給に、苦笑して語ったという。
     考えてみれば、商売上ライバル関係あるふたりの女が、同じ男を取り合う、というのは、「春色梅児誉美」などにもみられる、ある種、古典的な一つの型である。川口はもちろん、そうした流れを踏まえた上で『夜の蝶』を書いたのだろう。

     門田は最初から最後まで、徹底して自分の金で飲んだ男だった。朝日新聞社会部の後輩たちを引き連れて、「おそめ」に通った。
     昔は、門田に限らず文士たちも皆、編集者を連れてきても、編集者の分まで作家が払ったという。しかし、昭和三十年代に入って、そんな出版業界のあり方も変わってゆく。出版社は次々と週刊誌を刊行し、月刊誌も増え、好景気に沸きだした。大衆化にいっそう拍車がかかり、新しいタイプの書き手たちが大量に迎えられるようになる。それはまた、文壇と呼ばれたものが崩壊していく過程でもあった。
     編集者たちは会社の金で銀座に繰り出し、作家もまた編集者に連れられて、その懐で飲むことが増えていった。門田は、そんな彼らを「乞食ども」と冷ややかに見たのだった。この頃、角田は親しい間柄にあった作家・大佛次郎に「お前さんの小説が面白くないのは、人格と教養が邪魔するからだ。小説はやつらにまかせておいて、市電のようなものを書いたらどうだ」と助言し、それが『パリ燃ゆ』といった一連のノンフィクション作品を大佛が手がける契機になったとも言われている。

     文壇、という言葉を持ってなにを指すかは人によって定義が異なるであろう。しかし、私は、高専前の純文学者たちが権威を維持していた時代の終結をもって、日本にあった「文壇」と呼ばれたものの形は潰えたのだと思う。「おそめ」は、まさに文壇の終焉を見届け、ともに滅びていったのではなかったろうか。
     確かに、その後も、いや、むしろ三十年代後半から四十年代以降、出版会は肥大化し隆盛を続けていく。だが、それはすでに昔とは大きく違う社会だった。作品は大量に書かれ、大量に消費され、忘れられていった。週刊誌が次々と発刊され、大衆化した活字文化が生まれた。作家と呼ばれる人たちも芥のように誕生している。しかし、それは決して、かつての「文壇」と同じものではなかった。だから私は、「おそめ」以降の店で、分断酒場と呼ばれるべきものは、ひとつもないと考える。それは単に、出版関係者や、作家たちが客に多いというだけのことではないか。「眉」にしても、「姫」にしても……。勢いづくマスコミ社会を背景に、書き手は安易に女の接待を受ける。作家は、銀座で飲めることで、かつてこの街に遊んだ文豪たちの列に連なったような錯覚に酔う。

  • 女性の幸せとはどんなものなのだろうかと考えさせられた。世間知らずだけどお人好しで、ときどき同性に強く嫌われるけど多くの人から愛される秀か、向上心やプライドが強くて頼り甲斐のある頑張り屋さんの川辺か、目立たないけどしっかりしていて陰で身内を支える椈子か、嫁ぎ先でのいじめなど苦労を乗り越えた経験から人との関わり方に極端な偏りがあるよしゑか などなど。自分の妻や娘達や母や義母のことを思い浮かべながら読み進めた。結局、本人次第だと思うけど、持続可能な状態に幸せを感じる人の方が幸せなのかなとか、逆に一度でも夢のような絶頂を築いた思い出がある方が味わい深い幸せなのかなとか考えた。
    当たり前だけど、愛情の注がれ方は人柄の形成に大きく影響するんだなとも思った。

    自分の生きている時代に繋がる、自分が生まれる少し前の近過去の歴史は面白い。父母や祖父母が生きた時代を想像しながら知らなかったことを知るのが面白い。

  • 銀座マダムという響きからは遠く離れた、おそめの風姿。儚く、美しく、飾り気がない。その浮世離れした存在は昭和の時代が作り上げたものだった。
    「あのこを乞食にさせたくない」「おそめに惨めな暮らしをさせないよう、どうか見守ってやってくれ」
    生前おそめを寵愛した者たちは、そんな想いを引きずったまま鬼籍に入る。
    そうさせたのは、おそめの、世間知らずで危なっかしく計算というものを知らない姿。
    昭和という価値観が目まぐるしく変わる時代に、おそめという存在は常に一途であった。

    昭和には、人が集い、繋がり合い、こじれ合う、そんな場所が多くあったと思う。その一つがおそめのバーであった。その中心でこの澄んだ女性はどれほど輝いていたのだろうか。

  • 天賦の人に可愛がられる才能を武器にしたおそめという女性の一生の物語。
    計算は一切ない。金にも無頓着である。やはり容姿がものを言う世界なのであろう。
    そうでないものは、川辺ルミにようにやはり努力して才覚を身につける必要がある。

    そして、一流の人と付き合うにはやはり一流のコミュニティに所属する必要がある。

  • 今でいうオーラ、のようなものにでも包まれた方だったのだろうか。
    客も家族も引き付け、そして妹の掬子さんにまで「何かが違う」と言わしめた人。
    ひと目その姿を見てみたいと思ったのは私だけじゃないはず。
    小説仕立てで正直に考察も加えたとあるが、多くの文献、100人近い人への聞き取り、何より家族やご本人と何度も面会することで、そこを強く補強する。著者の思い入れの深さも感じられた。
    強いような浮世離れしたような主人公秀の魅力を想像すると同時に、この姉をもった掬子さんにももっと心の変遷など伺ってみたい気がした。

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著者プロフィール

太田・石井法律事務所。昭和61年4月弁護士登録(第一東京弁護士会)。平成30年経営法曹会議事務局長。専門分野は人事・労務管理の法律実務。

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