あらためて教養とは (新潮文庫)

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著者 : 村上陽一郎
  • 新潮社 (2009年3月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101375519

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あらためて教養とは (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 最近、教養教育ということに関心があったので読んでみた。教養教育がヨーロッパで始まった理由、米国での受容の仕方、日本における教養教育の荒廃ぶりがよくわかった。
    高い到達目標を掲げて、知的な背伸びをすることは非常に大切だ。わかるとわかるまいととりあえず難解な哲学書を読む。原文で海外の古典を読む。仲間と切磋琢磨する。重要なことは、そのような過程を通じて人間として成熟し、きちんとした価値観をもつことである。
    このような時期を経験しないと、未成熟なまま社会にでることになり、教養が邪魔をしないなんでもありの人間になってしまう。
    大学で教養を身につけるのか、その前の大学の予備課程で行うのか。これは、米国とヨーロッパで大きく違う点である。日本はどちらでもないことが大きな課題だ。

  • 改めて教養と知識の違いなど、著者のこれまでの経歴を踏まえて辿り着いた考え方を紹介している。最後に教養人としてすべきでないこと100カ条の掲載あり。

  • 81 あらためて教養とは 村上陽一郎
    ・リベラルアーツ:三科神の書いた書物を読み説く
    四科神の作品である自然を読み説く
    ・教養:家庭における規矩の習得+リベラルアーツカレッジにおける知的習熟
    ・理科:自然と接する+社会と接する
    ・知的教養主義→戦争→民主主義
    @cpa_1992
    ・教養:正しいと思う方向に向かって自分を作り上げていくこと
    ・知識:自分を作り上げる射程が広がる
    ・自分を作り上げていく素材だと捉えるならば、何事も虚学ではなく実学
    ・専門性:自分が依拠しようとする枠組み→物分かりがよい父と頑固な父とどちらがよいかを選ぶこと

  • 昔の価値観について書かれている個所が多くあり、現在のの高齢者(75歳頃以上)の行動・感情を当てはめ、とても理解だ進んだ一冊だった。
    P240~“みっともない”について書かれている個所がある。前の章から読み込まないと意味がわからないので少ししか引用できなかったが、最後のほうには赤裸々に感傷が書かれてあり、強く胸を打たれた。
     あとその前に書かれていた、自分が出したごみは持ち帰るという感覚も自分にはあり、結構古い価値観を持っているんだなと再認識した。
     著者は2016年現在で80歳、この本は平成21年・2010年ぐらいに出版された本。あれから、16年、著者が克服できなかったと書いた“みっともない”を克服されたかどうか、今をどう見ているのか、続巻を読みたいと思う一冊だった。

  • 大学生や、中高生の子を持つ親が読むといいような気がした。

    半分くらいは著者の思い出話みたいな感じですが (個人的にはそれも楽しめましたが)、戦後、日本の大学がどうして今のような形態になったのか、については、なるほどと思いました。

    博識だったり、社会的地位は高いのにどうも尊敬できない気がする人がいるのはなぜか、なぜ尊敬できないのかを考えているときに読んで、答が見つかったような気がした。

    …わたしは教養至上主義?なので(^_^;)、見方は偏っているかもしれません。

  • 「やりなおし教養講座」の文庫本改題。
    教養は単なる知識ではなく、揺るがない自分を作るために必要なものであり、日本の教育機関は教養が重視されていないとの著者の主張には納得。戦前は日本も旧制中学・高校が教養教育を担っていたという事ですが、今の中学・高校は知識の詰め込みか受験ノウハウばかり。大学教育の在り方も含め、継承の書です。巻末に著者の「教養のためのしてはならない百箇条」は100もあるので玉石混淆、こんなもの入れるか??というものもありますが…。
    <http://ameblo.jp/glamorouscpa/entry-11146564810.html>

  • 「教養」のことを、「文学や歴史に関する知識」だと思っているひとは多いとおもう。でもそんなはずじゃあないんだ、教養というのは知識を離れて、人生を何らかの方法で豊かにする栄養のようなものであるはずで、そのありかたは人それぞれ…、と考えてきた自分にとって、この本は大きなヒントになった。

    恐らくこの本の内容を鵜呑みにすることは、村上さんの望むところではないと思う。時代が変われば、その時必要なモラルも変わる。その時々、自らに課すべき規矩を自分で考えて実行していく。
    ただし、今は必要とされていなくても、前の時代の人間が必要としたモラルを認め、受け継いでいくことも、必要なのだと思う。自分たちの世代だけが生きている訳ではないのだから。

    教育者を志す者として、読んでよかった。
    学校教育の問題点と工夫のしかたについても、大いに参考になった。

    ただ、大学に教養学部を置くべきという主張についてはあまり推せない。教養学部があることで形式的な違いはあっても、教養が必要だと考える人は放っておいても勉強するし、そうでない人の身に付くことではない。これは大学が課すことではなく、自らへの課しかたを自分で選ぶべきことだと思う。高校までの基礎教育課程で、なぜ教養が必要なのかを考えさせられる教育ができれば。もちろんそちらの方がずっと大変な改革なのだろうけど。

  • 村上さんは最後の教養人だろう。
    上智大学のSophiaとは知識のこと。
    ヨーロッパの知識人が学問をするには、ラテン語とギリシャ語が必須だった。本当はアラビア語も必要だったがイスラム世界は無視された。
    アメリカのアイヴィーリーグはリベラルアーツカレッジ。州立大学は実務家養成。
    とにかく何でも読んでいて向かい合う姿勢によって、自ら作り上げるための素材にならないはずはない。

  • なかなか面白かったと思う。

  • 百箇条も何気におもしろい。

  • 前半のリベラルアートトとしての教養の誕生史はシンプルで分かりよい。また、現在でも教養の伝統を根強く残しているのは、実はヨーロッパではなくアメリカのIVY LEAGUEだということ、アメリカやドイツでは中央政府に文部省がないということ(つまり、中央政府は教育に口を出さないということ)、日本の私学助成金が明確な憲法違反(89条)だということ、ヨーロッパの中で最も極端に綴りと発音が乖離しているのが英語だということ等々、示唆に富んだ記述がある。最後のしてはならない百箇条はなかなか面白い。勿論、三島の不道徳教育講座からずっと落ちるが、現代としては良く書かれている方だと思う。

  • 人間としての慎みに欠けた,デタラメ発言を繰り返す,世の中の識者と呼ばれている人に読んでもらいたい。民主党政権になってからそういった輩が増殖しているように思える。

    2012/01/07図書館から借用;2012/01/16に読了

  • 論文執筆のために、タイトルを見て本書を購入してみた。しかし、これは参考文献に載せにくいのかもしれない。とはいえ、今まで読んだ教養に関する書籍で一番腹落ちした本である。それはなぜなのだろうか。ひとえに、教養について、自身の言葉(話し言葉)で自由自在に表現しているからなのかもしれない。

    「規矩」という言葉を本書で初めて知った。教養がないので。規矩とは、「自分ひとりに課したものでありながら、やはり自分の生きる社会との関係の中で、自らと社会との協働関係の中で、見出し、自分に課していくべきもの」という。これを理解できたとすれば本書を読んだ価値があるということだろう。

    教養は、読書や芸術に触れて、自らにある種の「枠をつくる」ことと解した。自分の枠組みを持つことともいっている。終章ではbilden、build、建てるという言葉を挙げ、「自分を建築する」のが「教養」としている。そのとおりだと思う。

  • 慎みを持つことを忘れない。確かに今の学校教育にはいろいろ問題があるけれど、その制度を大きく変えるのは難しい。とはいえ、環境が違うのだからと「昔の考え」を引っ込めてしまうのではいけない。取り巻く時代が違っても、理性的、道徳的にあるべきには何を伝えるべきか、何を学ぶべきなのか今一度一人ひとりが考える必要がある。そのために教養は誰にとっても必要。

  • 「教養」について筆者の考えを述べている作品。
    一つの考え方として参考になった。

  • 備考録的なレビュー


    もうひとつ付け加えれば、精神の「潔潔感」を養ってくれるもの。

    「自分を建築する」のが「教養」だと考えればよい。

    まさに欲望の限りない追求の「邪魔」をしてくれるのが教養だと考えられるからです。

    モラルといっても、本当は、自分の中に確立している規矩の中で、
    自分の力だけでやればいいんだけれども、人間というのは弱い存在ですから、ついごみを捨てることにもなる。
    それを社会の制度が支える必要はありましょう。
    人間が自ら律することができるのが理想ではあるけれど、
    人間の教養ある行動を支えるために、社会全体もそういう仕組みを一つずつ作っていくことによって、できるだけそういう行動を伸ばし、
    そうでない行動への抑制力を社会全体の中にいろいろな形で作り上げていくことも必要なんだと思いますね。


    他人の目を自分の中に持っている人が教養ある人。

    選択しをいっぱい広げて選んでいく。

    「自分を造り上げる」と言ってもセメントでがちがちに固めてしまうようなことではなく、「開かれた」状態で、死ぬまで続く動的な過程だと考えるべきだ。

    とりあえずは、何かを選択しながら、しかし、それに捉われずに自由に生きていく。そのためには、やはり間口をうんと広げて、いろんなことを知って、
    学んで、良さと悪さを識別できるような目を養うために、
    何でもぶつかっていけばいいと思います。

    最初からこれと決めないで、かなり幅広い世界をできるだけ体験したり、知ったり、読んだり、接したりすることによって、いまの時代の教養ということと、私の生き方を支えるために必要だと思っている教養とが、そういう形で一致するんじゃないかと思っているんです。

    学問の「進歩」とは、しばしば既存の規矩。

    教養の原点は、モラルにある。
    1、何とか、教養ある人間といえるように努力してきた。
     それがどこまで実現しているか、自分では何ともいえない。
    2、自らを立てることに必要なのが教養
    ⇒自らを立てる=揺るがない自分を造り上げる。
    ⇒自分に対して則を課し、その則の下で行動できるだけの力をつける

    問題点:どのようにしてどのディーセンシ―を構築するか。

    食べること、これは一つの欲望。
    性欲でもそうだし、睡眠欲でもそうですが、要するに、人間が自然に持っている欲望について、それを放恣に他人の前に解放するということに対する規制、慎みがある。
    欲望を全面的に肯定し、解放してしまわないためには、口をつぐんでいること。これこそ、慎み深さの基本であり、ディーセンシーの第一義ではないでしょうか。


    自分の中にきちんとした規矩(きく)を持っていて、そこからはみ出したことはしないぞという生き方のできる人こそが、最も原理的な意味で教養のある人と言えるのではないか。

    教養教育は家庭内でなされるのが本質。

    三つの必須科目
    ⇒文法、論理、修辞学(レトリック)

    “言葉”こそが知の世界への扉
    ⇒こそとは?

  • 教養とは・・・
    確かに共感・納得できる部分も多くあった。
    特に現代の教育レベルが落ちていることについては
    ゆとり教育のしょっぱなを直に経験した世代としては感じるところが多い。
    「人間は優越感と劣等感でできている。」
    これには共感する。優越感を感じる喜びを知ることでもっとがんばろうというハングリー精神が生まれると思うし、他者に負けるという劣等感を感じることで必死に追いついて追い抜こうとする精神が生まれる。
    現代の教育かつ自分より下の世代の子たちに顕著に欠如が感じられることだと思う。

  •  科学哲学者として有名な村上陽一郎氏の著作。教養って何?って本。大学での教養学部の意義、リベラルアーツの本来の意味、そして旧制高校の教養を考えるために、自身の父親及び自身の子供時代を考察する。
     ただただ若者に、あーだこーだ言うだけでなく、自身の時代の反省点を踏まえたり、一概に若者批判するだけではない点が非常に好感がもてる。また、これだけ様々なものを読んだり、見たり聞いたりしていたというのは驚きである。

  • 謙遜の仕方が一々嫌味な感じです。

  • 平成16年初出。平成21年文庫化。

  • 祖父から昭和初期の高校生活や大学生活について聞いてきた私にとっては、祖父が教えてくれようとしていた世界を解説してくれたとても勉強になる本です。「教養」とは、自分が生きていくうえでの「枠組」を自ら設定し、それに基づいて自分を律すること、またその「枠組」を常に高めようとすること。という考え方には、非常に共感を覚えます。そして、自分を高めるための道筋が見えてきた本でもあります。今後、何度でも読み返したい本の1つ。

  • 著者の「教養」は私のものと違っていたが、
    著者の考え方がわかっておもしろい。
    ただすべてを素直に受け入れようとすると、
    おしつけがましく感じてしまう。
    参考程度に。

  • 『あらためて教養とは』(村上陽一郎、2009年、新潮文庫)

     「教養」とはなんでしょうか。ただ知識が多くいろいろなことを知っている人のことでしょうか。たぶん違いますね…。これは私見ですが、たぶん、知っている知識が単に多い人は「物知り」でしょう。それをひけらかすのは「蘊蓄(うんちく)」、そのような人は「衒学者(げんがくしゃ)」でしょう。思うに、「教養ある人」とは、機転が利き、ユーモアがあって、知識をうまく組み合わせられるような人ではないでしょうか。

     では、村上氏の言う「教養」とはどのようなものか。筆者は「教養」を「「自分」という人間をきちんと造り上げていくこと」とし、その上で「広い知識や広い経験は決定的に大事な材料」としながらも、「「自分」というものを固定化するのではなく、むしろいつも「開かれて」いて、それを「自分」であると見なす作業」が大事だと筆者は説く。そして、「一生をかけて自分を造り上げていくということにいそしんでいる、邁進し」、「日常、努力している人」が「教養ある人」であるとしています。

     今日の世界では、日々、「知識」は更新され、日を経るごとに古くなっていきます。そのような世界にあって、決して今ある自分自身の「知識」や「経験」を固定化せず、新しい知識や経験を受け入れるために、自分自身を「開かれた」ものとする姿勢。これが「教養ある人」たる姿勢なのではないかと本書を読んで考えました。

    (2009年5月27日)
    (2010年5月1日 大学院生)
    (2010年12月19日 大学院生)

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あらためて教養とは (新潮文庫)の作品紹介

教養の原点-それは、モラルにあり。いかに幅広い知識や経験を身につけていても、人間としての「慎み」が欠けていては、真の意味での教養人ではないのです。ヨーロッパで生まれた教養教育がやがて日本に伝わり、大正教養主義や戦後民主主義教育によって移り変わってゆく過程をたどりながら、失われた「教養」の本質を再確認させてくれる、日本人必読の書。

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