名人は危うきに遊ぶ (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101379067

感想・レビュー・書評

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  • 白洲正子さんの著書2冊目。
    能、狂言に明るく、骨董の心得のあった随筆家。
    様々な事に関し、美的な感覚とその繊細さを文章で表現されている随筆(エッセイ)である。
    一般庶民であるワタクシにはとても感じ取れない些細な美を自然に感じている様子を読むと、生きていた世界のあまりの違いを感じざるを得ない。

    『花を生ける時は、片手で花を持ち、もう一方の手で鋏を使うが、「遊び(二枚の刃を真中でとめている止め金)」の部分がきつすぎると鋏がひらきにくく、ゆるすぎると巧く噛み合わない。つまり、その止め金はいつも真中でふらふらしていないと、自由に動かないのである。...(中略)...ある時錆びたので、知合いの研屋さんに持って行くと、この花鋏だけは研ぐことが出来ない、「遊び」のところをはずすと元に戻らないからだと言った。鋏を作った職人も、断ることのできる職人も、両方とも偉いと私は思った。何でもないようなことだが、「遊び」が完全にできる人は、一人か二人しかいない。』(はさみのあそび)より

  • 白洲正子さんの本は初めて読んだ。著者のことは、政治家・白洲次郎の配偶者で、由緒ある家の出であること程度しか知らなかった。
    一言でいうと、素晴らしかった。
    格式高く美しい日本語と深い教養で、ただ単にいい家柄のお嬢様として生まれただけではない、白洲次郎のパートナーとしてふさわしい人だったことがよくわかる。著者は伝統芸能の能を研究し、そのほか骨とう品や古美術などにも傾倒がある。書かれているのは、日本文化や美術についてがメインだが、華やかな交流も興味深い。描写が素晴らしく、目の前に情景が豊かに現れる。
    夫の白洲次郎や子どもたちのことがほとんど書かれていない。お互いに尊重しあいつつも精神が独立しているのだろう。
    女性のエッセイストでは向田邦子が好きだが、もう一人お気に入りが増えた。

  • 珠玉の随筆集。白洲正子の作品は初めて読んだのだけれど、高い美意識と教養があり、とても惹かれた。奈良や京都のお寺、お能などの伝統芸能、壺や茶器や花器などの陶器...。本を読み、実物を目にし、再び本に戻る。その繰り返しで日本文化の素養を身に付けたい。日本のうつくしさにもっと目を向けたい、と思った。兼好法師、西行、在原業平についても知りたくなった。

    p15
    (前略)お水取の期間(三月一日から十四日)には必ず嵐があり、それを奈良の人々は「天狗風」と呼んでいる。あるいは東大寺周辺の方言かも知れないが、修二会の行法をさまたげんとして天狗その他の魑魅魍魎が二月堂に集まると古くから信じられており、東京あたりで漫然と吹く春一番とはちがって、急激におそいかかる突風の凄まじさは、いかにも「天狗風」の名にふさわしい。
    修二会にたずさわる練行衆が、二月堂から宿坊へ降りて行く時、「手水、手水」と大声で叫ぶのも、天狗どもに聞かせるためとかで、手水とはいうまでもなくトイレへ行く間の短い時間だから、悪さをするなと釘をさしておくのである。

    p18
    羂は網、索は縄で、生死の海にあえいでいる衆生を救いあげるという意味である。

    p25
    それにつけてもこのような美しい仏像が災害を免れて、私たちが拝観できるのは幸せなことで、なんと感謝していいかわからない心地がする。

    p26
    国宝だからといって無条件で認めてしまうのも愚かなことである。私たちはもっと自由でありたい。肩書きや世評にまどわされず、自由な立場でものを眺めたい。情報過多といわれる時代には、案外そういうことが難しいのではないかと思う。

    ただ世の中には、国宝でなくてもはるかに美しいものや、愛すべきものや、面白いものがあるということを忘れてほしくないと思っているだけだ。

    p66
    たとえば近頃のように、「個性の尊重」とかいって、一年生の時から自由にさせておいては、永久に個性をのばすことはできまい。人間として知っておくべき基本の生きかたを身につけた上で、個性は造られるのであって、野生と自由が異なるように、生まれつきの素質と個性は違うのだ。個性は、自分自身が見出して、育てるものといっても間違ってはいないと思う。

    p91
    やれ森林浴だの、緑のキャンペーンだの、そんな言葉を私は信用しない。そんなものはカルチャー・センターに任せておけばよろしい。私たちち必要なのは、自然を敬い、神を畏れる心から発した、生者の魂を鎮めることにあると私は思っている。

    p109
    今、世間ではジャポニスムという言葉がはやっており、印象派の画家たちが、浮世絵や錦絵の俯瞰的な構図とか、華やかなきものの文様や彩色に興味を抱いたことに有頂天になっているが、そんなものは八百年も昔から我々の祖先がやって来たことなのだ。ただ惜しむらくは、彼らが江戸末期の退廃した作品にしかふれる機会がなかったことで、影響をうてたといっても、印象派の絵にほんしつてに変化を与えたとは信じにくい。もしゴッホやドガが「源氏物語絵巻」に接していたら、魂の底まで揺るがしたに違いないのである。それでこそ影響を及ぼしたといえるのであって、軽薄なジャポニスム如きに有頂天になっている人々の気が知れない。気が知れないどころか、自分の国の文化にかくも盲目になっている事実に、私はある種の恐れさえ感じている。

    p112
    能面は、それだけみれば死物も同然である。だが、一旦装束をつけて舞台に上り、身体の動きによって喜怒哀楽を現す時、忽ち生命を得て溌剌と蘇る。生身の人間などそばにも寄れぬ程それは美しく、鮮明な印象を与えるのだ。

    「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは、雨に向ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行くへ知らぬも、なほあはれに情深し」
    といったのは兼好法師であるが、更にこのような言葉も遺している。
    「うすものは上下はづれ、螺鈿は貝落ちて、後こそいみじけれ。......物は必ず一具に整へむとするは、拙き者のする事なり。不具なるこそよけれ」(徒然草)

    p126
    (前略)美は理屈ではわり切れない。しかるに、文学も美の一形式である。文体とは美しいかたちを自分のものにすることだ。

    p127
    民主主義の時代になって、雨後の筍のように博物館や美術館が方々に建ち、国宝や重要美術品が王侯貴族の蔵から開放され、誰にでも見ることができるようになったのは幸福なことである。だが、生まれは争えないもので、その中に日本の焼きものを置いても、ガラス越しに見るだけでは半分の値打ちもない。それははじめに書いた秋山氏の蒐集をみても解ることで、知らない人が見たら、そこらのげてもののように見えるであろう。だからといって、外側ばかり飾りたてた華美なものを作っても(この頃はそういうものが多くなったが)、物ほしげな成金趣味になるだけだ。日本の伝統の中にないからで、外国の真似をしたからといって、国際的になれるわけのものでもない。個性を尊重するなら、個性を活かす以外に方法はなく、伝統を守るといっても、近頃の絵かきの某々氏のように、光悦や剣山を真似したところで、ちゃちな模倣に終わるだけである。私が排斥したいのはそういう「贋物」なのであって、そこまで堕落してしまうと、生活のために止むなく贋物造りをしている職人の方にはるかに好感が持てる。

    p158
    『古今集』から『新古今集』に至る三百年の間、桜はやまと歌の中で円熟を重ねる一方で、抽象的な存在と化して行った。

    p159
    藤原家隆の歌は、平安末期の精神と、『新古今』の歌の姿を、何よりもよく現しており、極度に洗練された王朝文化の行方を暗示しているように思われる。
    そういう風潮の中で、美しく咲き、美しく散る桜を、まともに見据えて歌ったのは西行である。

    p168
    わり切れるものなんかこの世界には一つもなく、すべてはファジーなのだ。そう思ってしまえば気楽なものだが、そこで手綱をゆるめすぎると、ファジーに足をとられて転ぶことになる。あくまでも心の手綱はしっかりと握っていて、さてその上で運を天に任せていれば何とか安穏にすごせるというものか。

    p175
    若葉して御目のしづくぬぐはばや

    この有名な芭蕉の句も、柿若葉を見て、鑑真和上の暗黒の世界に思いをはせたのではなかったか。

    p176
    柿若葉といえば、毎年その季節になると、私の家では「柿ずし」を作る。正しくは「柿の葉ずし」といい、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に作り方が書いてあったのが、いかにもおいしそうなのでまねてみた。酒で炊いたごはんの上に、鮭の荒巻きを薄く切ってのせ、柿の葉で巻いたものを、箱に詰めてひと晩圧しておくだけだが、柿の葉のほのかなにおいに、酒の香が混じって、素朴でしかも上品な味がする。吉野の名産だから、潤一郎が『吉野葛』を書いていたころ、土地の人に習ったのであろう。吉野では、今はさばを使っているが、これは鮭のほうがはるかにいい。

    p177
    これはどうすることもできない自然の摂理であるが、できることなら人間も、命の限り、力のすべてを子孫に伝えて、静かに散っていきたいものである。そう願ってはいるものの、自然のように美しくはいくまい。いや、明日のことなんかどうでもいい、ただ、今日のこの日を精いっぱいに生きることができるならば。-この輝かしい新緑の季節に、ひたすら思うのはそれだけである。

    p191
    智恵といえば、いつか祇園のお茶屋で一杯飲んだ時、狐つきや狸つきの話になった。
    「ここら辺にもまだおりまっせ。狐つきはほんまにコンコンさんみたいになり、狸つきは狸みたいな顔になって」
    と、座布団を頭にかぶったりして、目をパチパチやって見せる。おかみさんや芸妓たちは真似が巧いので大笑いになったが、先生はすぐ真顔になり、
    「それが昔の人の智恵というもんです。狐や狸や犬のせいにしとけば助かるのに、今は自分が悪いからノイローゼになる。直すのは自分自身しかない、と思いこんでいるから患者さんはほんとに可哀想」
    といわれたのでシンとなってしまった。

    世の中に耐えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
    散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき(在原業平)

  • 赤瀬川原平が最後に文で寄せているように、白洲正子の世界と自分の世界はあまりに違うと思うのだけど、しかし違わないということ。能など縁も興味もないのだが、すんなりと自分に入ってきてしまう。白洲マジックだ。

  • この人の書く日本語の美しさが好きです。読んでいてずっと触れていたいと思わされました。何を拠り所に能やら陶芸やらを判断していいか見当もつかない私に一筋の道を示してくれた本。他の本も読んでみようと思う。

    ★「息をひきとる」「伝統芸能の難しさと面白さ」「能の型について」が特に良い

  •  白洲正子さんの文章は凄くカッコイイ。憧れだ。この本は幾つもの短いエッセイがおさめられている。短いエッセイは凄く読み易かった。
    もう一度じっくり読み返したい一冊だ。

著者プロフィール

1910(明治43)年、東京生れ。実家は薩摩出身の樺山伯爵家。学習院女子部初等科卒業後、渡米。ハートリッジ・スクールを卒業して帰国。翌1929年、白洲次郎と結婚。1964年『能面』で、1972年『かくれ里』で、読売文学賞を受賞。他に『お能の見方』『明恵上人』『近江山河抄』『十一面観音巡礼』『西行』『いまなぜ青山二郎なのか』『白洲正子自伝』など多数の著作がある。

「2018年 『たしなみについて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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