両性具有の美 (新潮文庫)

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著者 : 白洲正子
  • 新潮社 (2003年2月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (203ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101379081

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両性具有の美 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  •  ちょうど歌舞伎を鑑賞する機会に恵まれた時だったので興味深く読んだ。

     衆道と呼ばれた美少年礼賛の日本における歴史は、戦国時代を扱った書物から古くは平安王朝の頃の話まで枚挙に暇ない。本書も、ヴァージニア・ウルフの「オルランドー」からはじまり、菊花の契り、新羅花郎、稚児之草子、天狗と稚児等々、日本文化、芸能の分野のみならず、現代よりもっと日常的にあった同性愛の世界を著者ならではの審美観を持って改めて再評価している。特に終盤、著者の得意分野である「能楽」における稚児愛を描きだすと筆は冴えわたりとどまることを知らない。

     なにより著者の博学ぶりには舌を巻く。文中よく出てくるのが、「こまかいことは省くが」とか、説明を「ここらへんで止めておきたい」とするあたり、その背後、著者の脳裏の中にもはもっと莫大な知識が詰め込まれていることを容易に予見させる。
     あるいは「ついでのことにいっておくと」や、自身を「ずぶの素人」と断りながら「せめてそのアウトラインだけでも述べておかないと」と、丁寧に理解に資する補足や、その話題(そこは南方熊楠の粘菌の話だった)について概略を語ってくれる。または「私にはその方面の学問もなく、知識も至って浅薄であるから」と興味のある方へ原典を謙虚に紹介するが、それは著者は当然その原典に当たって内容を理解した上で語っているという証左だし、ゆるぎない自信が見て取れる。。
     なんだろう、随所に垣間見れる余裕、この圧倒的な情報量は? かつて松岡正剛の著作を読んだ時に感じたような”知の巨人”の存在がそこにある。
     そして脳内に蓄積された情報を、話題に応じて縦横無尽に繰り出し組合わせる様は、単なるデータベースでしかないコンピュータには出来ない人としての所業と思わざるを得ない。その情報の取捨選択、見せ方に白洲正子という人間が良く出ていると感じた。

     内容は、著者自身、衆道盛んな薩摩隼人の流れを受けた女性として、男性性を併せ持ち合わせていることを認識しながら展開される。世の男どもと丁々発止を繰り広げてきたという自負(?)と、性差を越えた両性具有な視点で、日本古来から近世、現代に至る多くの史実文献芸術を渉猟し尽くした上で俎上に上げるのは、光源氏、西行、世阿弥、南方熊楠、折口信夫、小林秀雄、青山二郎、etc.etc.
     端的に言うと”両性具有”というタイトルから想像するより、中味はもっと直截に”男色”というカテゴリの話だ。
    ”両性具有といのは、あくまでも精神的な理想像であって、プラトンのいう「アンドロギュノス」と呼ぶのが適しているのだろう”
     とはいうものの、「西行は自由に生きた人間である。男女の間に差別はなかったであろう」ということで西行の中に「両性は同居していた」とし、博愛のキリストをルオーという画家は「キリストを両性具有者の一人と見ていたことは間違いない」と断じるのは、いささか強引というか、古典、芸能、あるは武家や平安王朝の歴史の多くの局面にBL臭を嗅ぎ付けるのはいかがなものか? 昨今その手の話題が好きな女性を”腐女子”と呼んだりするのだそうだが、選ぶ題材が高尚ということで、かろうじて”腐”の誹りを免れている気がしないでもない。

     いや題材だけの話ではないな、やはり著者の視点は高いし、視野は広い。

     洋の東西を問わず両性具有の思想を語りながら、西洋の説明過多で長口舌の物語と日本の俳句の伝統の差を、培われた風土、伝統の差とさらりと交し、現在(いま)西欧に向かっている日本人の意識に対しても、「強いことは必ずしも強くはない。か弱く、はかないものには、それなりの辛棒強さと、物事に耐える力」があることを示唆し警鐘を鳴らす。
     お軽いBL小説とはわけが違う(って、BL関連は何も読んでませんが、恐らく違うでしょう)。
    ... 続きを読む

  • 日本の芸術とBLについての根源的な回答がここに。

  • 男勝りだった筆者と私の感性の似てること似てること(笑)僭越ながら。

    両性具有といいつつも、男性の両性具有についての本。
    男でも女でもなく美しく人ならざるものへの畏敬は興味深いテーマ。

  • 最初から最後までタイトル通りなわけでは無く(著者自身も最後にそう書いてます)かなり自由。基本的に能の話。でも、面白い。完全に主観から書かれてるから逆にすっきりしてます。

  • タイトルは両性具有だけど、内容はほぼ男同士の同性愛の話で両性具有どこいっちゃったの(苦笑)(と、作者自身も終盤で書かれてましたが)厳密には両性具有的であることと同性愛は別物だと思う。

    両性具有の話は最初のオルランド(映画のほう)とセラフィタの話くらいで、しかも映画オルランドの主演女優に色気がないとディスられてました(笑)えー私はティルダ・スウィントンのあの硬質で無性的な感じが好きなんだけどなー(たまたま最近読んだ記事で「ハリウッドで最もセクシーではない女優ランキングの常連」と書かれててウケました)

    とはいえ白洲正子の視点は面白い。基本的には古典文学、芸能、歴史など、どこにでもBL臭をかぎつけるあたりは昨今の腐女子と変わらない気がするけど(ごめんなさい)、やはり博学だし、年齢的に同時代の方のエピソードなんかも説得力がある。さらに年代のせいか、とても上品なのにたまに直裁で「たまたま折口さんはホモだったために直接行動に~」などとあっけらかんと書かれているのには笑ってしまった(※折口信夫が弟子を襲った件)

    ジュネの小説にコクトーの描いた挿絵を見て西欧のホモは日本と違う!と驚かれているのなどは微笑ましかったです。男色が美少年愛でる系、女性的・中性的=両性具有的であることが美しいとされた伝統は確かに日本って独特な気がするけれどしかし日本でもガチの人はマッチョ系が好きでしょう(笑)

    世阿弥や能の話はちょっと専門知識がないと難しかったけど、「源氏物語」に腐女子フィルターかけて読んじゃうくだりとか、ご自身の先祖が薩摩出身なので幕末オタク的にあちらの話も面白かったし、稚児うんぬんの話だと大抵の本に出てくる(足穂や熊楠)醍醐寺の絵巻のこととか(地元なので)いろいろと興味深かったです。

  • 「オルランドー」、「菊花の契り」、「賤のおだまき」、「新羅花郎」、「稚児之草子」、「稚児のものがたり」、「天狗と稚児」 、「龍女成仏」など男色についてのエッセイ

  • 文章の間からはんなり漂う上品さ。
    それから「安珍清姫」の「清姫」が、娘ではなくて、中年の婦人ではないかという説には膝を打った。
    確かに。竜に変化するほどの執着心には、年季が入った粘着質的なものを感じるというか……。

  • 作者の本を続けて読みすぎて、話も一部分がダブっていたりした気がする。お能の話は難しかった。

  • (「BOOK」データベースより)amazon
    光源氏、西行、世阿弥、南方熊楠。歴史に名を残す天性の芸術家たちが結んだ「男女や主従を超えたところにある美しい愛のかたち」とは―。薩摩隼人の血を享け、女性でありながら男性性を併せ持ち、小林秀雄、青山二郎ら当代一流の男たちとの交流に生きた白洲正子。その性差を超越したまなざしが、日本文化を遡り、愛と芸術に身を捧げた「魂の先達」と交歓する、白洲エッセイの白眉。

  • 古典の素養がないときついと思う。勉強して要再読。

  • 筆者の白洲信子は、蛮勇演説で有名な樺山資紀の孫だった。樺山資紀は西郷隆盛と同郷の薩摩出身であるが、薩摩にはもともと男色文化が群をぬいているという。
    とりわけこの本の中でも印象に残ったのは、師匠と弟子、あるいは兄貴分と弟分の中で成立しえた「菊花の契り」に関する説明である。そこには単に妖艶な関係があったわけではなく、師匠から弟子への「契り」によって介された伝承があったこと、また兄貴分と弟分の切り離せない関係があり肉体的にも精神的にも不安定だった少年の成長を支えあう関係があったことを示唆する。
    また日本文化には本来「あいまいさ」があることをよしとしている点を指摘し、人間とそうでないものの関係(神や天狗)の曖昧さ、「現世」と「うつつ」の境界のあいまいさについても南方熊楠、「能」舞台や世阿弥の作品を通して論じる。

  • 特にBL好きは読んでみると面白いかと。

  • I was surprised to do new discovery about my report of school days.

  • 何だか楽しそうなうっとりしそうなそれでいて知識が深まりそうなタイトルではありませんか。そしてその予感はほとんど裏切られることがないのだ。倭建命の時代から人類の歴史は男と男の愛から生まれてきたらしい。いや~、知らなかった。女の身としては断固否定したいが、白洲氏の文章にはなぜか抗いがたいものがある。そして古代、こういう同性愛のことを“菊花の契り”とか“菊契”とか呼んだそうだ。(理由は本書を読まれたし。)解説によると本書は最終的に「女にはお能は出来ません」というために書かれたそうで、後半になるに従って、話題が能一色になる。読む私の側に能の予備知識が皆無だったことが何とも残念。

  • 深く理解するには関連する領域の本を何冊か読んだのちに手にすることが良いかもしれないと、さらっと目を通しました。
    さて。再会はいつになることやら。

  • 初めての白洲正子

  • 白洲正子が能を舞わなくなった理由を読んで、男になりたいと思った…

  •  あれ、正子ちゃんって腐女子ですか!? とどきどきした。
     タイトルからして両性具有の話……かと思いきや、男色の話、稚児の話……稲垣足穂の「少年愛の美学」に似ているなぁと思いきや南方熊楠の話や、能での男色の扱われ方…………いや正子さん、それはもはや腐女子フィルターでは!? という展開に、白洲正子氏は教養のある人ということで、とりあえず一冊と思ったんだけど、この本はどうにもこうにも、腐女子フィルター全開で面白い。両性具有というより、少年の美学と男色の美学の本かも。
     南方熊楠の「浄の男道と男色は違う」という言葉に男を見た。こういう人だったんだ……。

  • ご本人も書いている通り、両性具有、インターセックスという内容は書いているうちにどこかに行ってしまったようです。

    いわゆる絵巻物時代の男色について
    文献をたよりにこれでもかと畳み掛けるように書かれています。

    わかりにくい古文に興味を持てるような本なので
    男色に限らず興味のある人にはおススメかも。

    ワタシ的には思っていた内容と違っていたので星2つで。

  • ほとんどが、能と男色のお話でした。

    日本史における男色の大体の流れは知っていたのと、
    能や薩摩の男色文化は、
    ちょっと齧ったことがある分、

    内容には特に目新しさを感じず。

    それでも、源氏物語の見方や、
    西洋との違いはなるほどなあと思いました。

    宦官とかカストラートとか、
    去勢文化を経ないで男色が流行したっていうのも、
    そう言われればおもしろい気がします。

    肉欲が見え隠れする、ちょっと行き過ぎた友情や、
    必ず失われるとわかっているからこそ、
    神々しいとすら思える少年たちの儚さと美しさは、
    一度ときめいてしまったら一生抜けられない、
    甘美な沼みたいなものだと思ってみる

  • 性別を超える日本の芸能。とても興味深い世界だと思う。

  • 白州正子がなぜ能を舞わなくなったかという理由。
    衆道と両性具有について。

  • 日本語の美しい表現を学びたければ白州正子の本を読め、という旨の一文を矢野顕子さんのエッセイで見て。高価な香木のように匂い立つ感じがした。稚児の話がとても興味深い。

  • 小林秀雄、青山二郎、河上徹太郎、正宗白鳥・・・当代一流の男子たちと、肉体関係なしに付き合っていた「白州正子」という人はきっと両性具有の人なのでしょうね。
    その白州正子が自分自身のルーツを探る、とでもいえるような「両性具有の美」にアプローチしている、という点がそもそも魅力の作品。

    本書を読むと、男の友情が深まって男色になることもあるだろうし、それが実際、文化藝術に昇華されて、現代の私たちにまで恩恵を与えているのだなぁ、とわかります。

  • このタイトルでこの表紙だから昔両性具有がどう見られてたかとかそういう話かと思ってたら全然そんな事は無く、何て言うか筆者の男色観を色々語った本…でした…。

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両性具有の美 (新潮文庫)の作品紹介

光源氏、西行、世阿弥、南方熊楠。歴史に名を残す天性の芸術家たちが結んだ「男女や主従を超えたところにある美しい愛のかたち」とは-。薩摩隼人の血を享け、女性でありながら男性性を併せ持ち、小林秀雄、青山二郎ら当代一流の男たちとの交流に生きた白洲正子。その性差を超越したまなざしが、日本文化を遡り、愛と芸術に身を捧げた「魂の先達」と交歓する、白洲エッセイの白眉。

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