漂流物 (新潮文庫)

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著者 : 車谷長吉
  • 新潮社 (1999年10月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101385129

漂流物 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  •  「私は、復讐のため猫の目に五寸釘を突き刺した」
     「私の父は7年前に狂い死にした」
     こんなオドロオドロしい秘密を曝け出すのが、現代の私小説なのであろうか。

     車谷長吉の発見は、私にとって衝撃だった。
     今なお生き続ける「私小説作家」の生き方があるのならば、この作家の作品と生き方が唯一であろうとまで思う。

     表題作『漂流物』では、資生堂の情報誌『花椿』の編集長が槍玉に挙げられる。大学の二年後輩であった編集長は、自分と車谷氏とは「同じだと思った」と口を滑らした。私たちは同じく「もう終わったところから、自分の人生をはじめた」のですねと言ってしまった。会社勤めに失敗し、9年にわたり社会の周縁を「漂流」し、無一文になり家を失い、搾り出すように自らの恥部を切り売りするかのごとく私小説を鬻(ひさ)ぐ著者車谷氏に向かって、 日本のまさしく中心にある輝ける一流企業、《東京銀座》資生堂に入社したときの、「ああこれで俺の人生も終わりだなあ」と思ったというエリートの感慨と一緒にしたのだ。
     コノヤローとは書いてはいないが、編集長はこの芥川賞候補にもなった短編の冒頭、全くの実名そのままで、まるでテメエ思い上がってんじゃねえよ、とまで言うかのようなやり方で暴露される。

     だが、「しかし私が彼の言うとおり『もう終わったところから、自分の人生をはじめた』のかどうかは、も一度、考えて」みよう、と現実のひと言を受け止めて現実の著者自身が実際に考え直すところから、物語は核心部分に進んで行くことになる。
     以下は、漂流物同士としてふれ合ったある人物の語りが、見事と言う他ない筆致で語られる。見事な表現を下手糞な解説で説明することはできない、是非実際にお読みになることをお奨めする。見事すぎる表現はともかく、リアルすぎる犯罪性と悲惨さの故に、芥川賞を逸したという事情もうなずける。時あたかも地下鉄サリン事件と阪神大震災の年であった。

     私小説を鬻ぐことはいわば女が春を鬻ぐごとしと著者は言う。同時に、書くことが唯一の救いであったとも言う。凡てを生前の遺稿として書き、また書くことは狂気であると言い切る。
     車谷長吉という個性は、現代の私小説作家として唯一無二のあり様だ。

     衝撃的すぎる暴露ゆえ、危険物扱いされている感さえある著者と作品だが、ちょっと違うとも思う。
     『漂流物』の青川なる登場人物は、動機もろくにない単なる行き掛かりで残虐この上ない殺人を犯し、それを告白する。表現が見事すぎ、著者のそうと見せる意図もあり、これは全てが実体験に基づく実話だと誰もが信じる(なにしろ著名な花椿の編集長の醜態まで実名で暴かれているのだから)。

     料亭で飲み物や料理を客に出す仕事を指して青川は「これみないずれ人の口に入って、いずれみな糞や小便になっていくんや」と自嘲する。
     同じ短編集に入っている『ぬけがら』では、これまた著者の西武百貨店での元同僚がおそらくこれも実名で書かれていて、「百貨店に陳列してある商品はすべて、最終的にごみか糞尿になって行くんです。僕は毎日ごみを売っているんです」と嘆く(ちなみにこの元同僚、この短編が元で年賀状の返事さえくれなくなった、と別の本にかいてあった)
     この符合は何を意味するのであろうか。あまりにリアルで生の台詞、生の実在の人物に思えるものたちも、「実」を装った「虚」が仕込まれている可能性はないだろうか。

     生の「私」を晒して身を切って生きているという車谷長吉自演の人物像に、「虚」の混入している可能性はいかほどであろうか。

     今後探求してゆくのが楽しみになってきた。ま、簡単に暴かれるほど底の浅いものではないでしょうが。

  • 世の中には、「書かずにはいられない」という性分の人がいて「読まずにはいられない」という性分の人がいて、前者の人が小説家になり、後者の人が読書大好き人間になるのでしょうかね?車谷長吉さんは、もう、どないもならんくらいに「書かずにはおられなかった」お人なのでしょうし、僕はどうしても、「読まねばならんかった」人間なのだろうなあ、とか、そんなことを思ったのでした。

    それにしても、「私小説」とは、なんじゃろか?と思う次第です。

    作者自身が主人公の小説。
    作者自身が、自らの実生活の体験をほぼメインに書いた小説。

    それが、私小説、というものなのか?めちゃんこザックリ、そう認識しているのですが、むう、そうなると、「私小説」と「コラム」「随筆」とは、違うのか?むう、、、謎だ、、、

    この小説に収められた話でいうならば、「めっきり」や「愚か者」内のいつくかの話は、「むむむ、エッセイと、同じではないのか?これは、小説、といっていいのか?」とか、思った次第でした。あと、「木枯らし」や「物騒」は、小説なのか白昼夢なのか、なんだこりゃ?うむむ、、、わからん、、、という感じで、いやあ、表現って、様々なものだなあ、とか、思ったのでした。

    で、とにかくスゲエな、こりゃとんでもねえな、と思ったのは「抜髪」ですね。こらもう、凄い。こんなの、初めて読んだ。テンションが凄い。

    小説の体裁としては、車谷長吉さんのお母さんが、車谷長吉さんに向かって、幼少期から、成長して、一応の「今」に至るまでの日々の中で、ずっとしゃべり続けた言葉それだけ?で成り立っている、短編というよかは中編?というくらいの作品なのですが、いや、中編ではないか。やっぱ短編、か。

    もうね、すっごいの。罵詈雑言の嵐。貶す貶すボロカス言う。実の息子の事を。ホンマ、コテンパン。怖い。めちゃんこ怖い。ここまで言うの。そこまで否定すんの、ってくらい。でもまあ、この、お母さん(的人物?存在?)の言葉が、ものごっつ、むっきだしの真実、と言いますか。一切虚飾の無い、人間存在の本音そのもの、というか、もう、すっごいんです。

    ある意味、これは、「名言集」と言ってもいいんではなかろうか?「イチロー選手の名言集」みたいに。「発明王エジソンの名言集」みたいな。「シェイクスピア作品の名言集」みたいな?とにかく、とんでもねえ剥き出しの言葉の、ミもフタもない人間存在の、名言、のようなもの、テンコ盛りです。

    で、めちゃくちゃヒドイ事言ってるのに、不思議と、その中にも、なんだか愛がある、ように、感じられてしまうのが、、、不思議。これ不思議。怖い。おっとろしい。でも、なぜか?何故か?優しい。いや、優しい、とか思っちゃう時点で、ダメか?駄目なのか?なんだこの「抜髪」という作品は。とにかく、なんだかもう、物凄い存在感です。あ、「誰かの話し言葉だけで小説が成立する」という事を認識させてもらえたことも、なんというか、ホンマ凄い、ということも、思います。

    でもこれ、なんだろう、車谷長吉さんのお母さんが、本当に、こんな風な言葉を車谷長吉さんに浴びせたのかも、しれない。でも、なんというか、車谷長吉さんが、お母さんのフリをして、自分で自分に向かって、戒めの言葉として浴びせている、のかも、しれない。むう、、、どうなんだろうな。そんな気も、してしまうのです。「おい、お前。俺という存在の、お前。ナンボのもんや。自分なんて、ちっぽけなもんやぞ。決して思い上がるなよ。いいか」って、常々、言い聞かせてたんではなかろうかなあ。自分で、自分に向かって。

    そう思うと、なんというか、究極の自虐。ドM。マゾの中のマゾ。ということ、なのか?いやあ、なんだか、すごい。もう、それでも、それでも、書かずにはいらならかったんだろうなあ。こん... 続きを読む

  • 人を見て語る「話」ではない
    これは誰にともなく発している「つぶやき」である
    その本質には、「理解できない何か」としての他者に対する畏れ
    そしてその他者に見られていると意識することで直面せざるをえない、自分自身の深淵に対する恐怖がある
    そんなことを思わせる

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漂流物 (新潮文庫)の作品紹介

これだけは書いてはならぬ、と血族から哀願されていたことを小説に書いた。小説の材料にした人々には犠牲の血を流させた。しかるに「私」はそれによって世の讃辞を二度まで浴びた。世間をはずれて漂い流れる、落伍者たるこの「私」が…。書くことのむごさを痛感しつつも、なお克明に、容赦なく、書かずにはいられぬことの業、そして救い。「私」の中の悪の手が紡いだ私小説、全七篇。平林たい子賞文学賞。

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