赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

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著者 : 庄司薫
  • 新潮社 (2012年2月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (198ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101385310

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赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 1969年芥川賞受賞作。読み始めた瞬間、ああホールデンくんだと、日本版「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だとおもった。というか、あまりに似過ぎていて、この小説の良さに思う存分浸りたいのに、「それにしてもあまりに似ているんじゃないか」ともやもやしたりしちゃって浸りきれない部分があったのがかなしい。まあでも、わたしはキャッチャーを読んだとき、あっ救われないんだ、じゃあどうしようって思って本当に絶望したので、庄司薫の描くやさしさがけっこうありがたい。たぶん世の中には狂いきれないけれど苦しくてどうしようもない、っていうひとがそれなりにいると思うので、この小説はそういうひとたちをきちんと助けたと思う。良く出来た小説だ、素晴らしい文学だ、とは思わないけれど、確実に世界に存在していて欲しい種類の小説で、その点において非常に評価したいです。「自分を少しでもまともに保ち、誰かを少しでもまともに愛する努力をすること」と言ったのは村上春樹ですが、庄司薫がやろうとしたことはまさにそれ。

  • とても健気で、いじらしく、それでいてしなやかな強さが感じられる作品だと思った。
    しかし、同時に私はこの作品に、膝からがっくりくずおれるような、思わず目を固くつぶってしまうような、そんな不安と悲しみも感じてしまった。

    みんなが幸せに生きられる、そんな社会を、「本物の知性」で実現することは、果たして可能なのだろうか。
    この本の主人公・薫くんは、そのことについて、よくよく、自分で考えている。そして、そのためには、今、自分はどうするべきなのか、ということも、彼はとても真面目に考えている。
    けれども、わからないのだ。彼は作中でも何度も何度も、「でも、どうしたらいいんだろう?」と言っている。それはゲバ棒を振り回して安田講堂に立てこもったり、あるいはそういう世間と開き直ってよろしくやっていくことだったりではないのではないか、と彼は思っている。思っているがしかし、ではどうすればいいのか、となると彼は悩むのである。
    自分はこんなにも美しいものを愛し、人に優しくし、多くのものに感動し、しっかりした知性を身に着け、強くなりたいと思っているのに、そのはずなのに、どうしたらいいのか、それがわからなくて……むしろ、そのことを真剣に考えると、自分の中の冷酷なものに、怒りに、憎しみに、気が付いてしまうのである。

    私たちはどう生きればいいのだろう? 私たちは、本当に、賢くなれるのだろうか?

    その答えは、この作品が書かれて半世紀が経とうとしている今でも、全然、まったく、はっきりとしていない。いやむしろ、もっともっと混沌としていると言えるような気がする。
    それを思うと私は、固く目をつぶりたくなるし、耳をふさぎたくなるし、何も言いたくなくなる。

    それでも……けれど、それでもやっぱり私も、この本の主人公・薫くんの言うように、大きくて深く優しい海のような人間に、のびやかで力強い素直な森のような人間に、なりたいと思うのである。
    それを強く強く、仰ぐように、願い続けたいと思うのである。


    赤頭巾ちゃん、気をつけて。

  • 庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』、良かった~。サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』みたいでもあり、山田詠美の『ぼくは勉強ができない』みたいでもあり。。
    もっとも、主人公の薫くんは、ホールデンくんのように精神分裂病の気があるわけではないし、時田秀美くんのような劣等生とは対極の存在で、全盛期の日比谷高校から東大文Ⅰを「なんとなく」めざしちゃおうとするエリートの卵なんだけど。

    口語調で括弧書きの中に沢山の譲歩と仮定とイイワケを詰め込みまくった庄司薫の文体は、確かに軽くて瑞々しくて、スイスイと読めるんだけど、その中に「おいおい、それ言っちゃうか」って思うような、17歳のエリートの卵だからこそ辿り着いた真理(にかなり近そうなもの)が時限爆弾みたいに仕込まれていて、読後はなんだかいろいろと考えてしまった。
    『もっともこれは日比谷だけではないかもしれない。芸術にしても民主政治にしても、それからごく日常的な挨拶とかエチケットといったものも、およそこういったすべての知的フィクションは、考えてみればみんななんとなくいやったらしい芝居じみたところがあって、実はごくごく危なっかしい手品みたいなものの連続で辛うじて支えられているのかもしれない。』

    あとは、物語の転換点になる小林くんの独白が、けっこう、ずーんってきたなー。
    『つまりね、おまえが読んでるかどうかは知らんけどね、みんなが言うことにゃいまや狂気の時代なんだそうだよ。つまり知性じゃなく感性とかなんとかだ。まあおれには、どうして感性やなんかか知性から切り離されて存在するのか全く分らないけどね。でもそんなことを言ってみても始まらないんだ。要するにおれみたいに、おれの感受性も含めた知性に或る誇りを持っていたりすると、それだけでもうパーだ。』
    これ本当に40年前の小説かー、すごいなー。未だに、というか、いよいよ最近、〈なんだか理屈では説明できないんだけどこれってオシャレでイイカンジでイケテルよね〉みたいな感覚だけの土俵で優劣つけたがる感じ、あるじゃないですか。なんとなくイケテル音楽ふわふわ聴いて、なんとなくイケテルカフェで美味いかどうかもわからん珈琲飲んで、なんとなくイケテル企画展観て最先端だなーってつぶやいちゃう、的な。こりゃ小林くんも浮かばれないよ。というわけで文庫版の解説にあった『これは戦いの小説である。あえてもっと言えば、知性のための戦いの』という評は、わりと腹落ちしました。

  • かるいかるいと噂の庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読む。
    本を読もうとして本屋をめぐったら、何故か今さらながら、新潮文庫に収められることになってちょっとした、ほんとうにちょっとしたブームが来ているらしいと知った。
    赤頭巾ちゃんはなかなかに面白かったので、続編の「白鳥の歌なんか聞えない」と「さよなら快傑黒頭巾」まで一気読みした。
    シリーズ最終の「ぼくの大好きな青髭」は、まだ、新潮からでてない。
    でるのは今月末らしい。

     確かに文体はかるい。ベーテーとかケーコートーとか平気で使ってしまうあたり、すばらしくかるいといっていいだろう。いまどき、そんな単語を並べられても何のことやらさっぱり分からない。それでも3作読んだ段階で一番に感じるのは、重さについてだ。いろいろとごたごたと並べ立てて説明したいのだけれど、まずそれについて真っ先に書いておきたい気がする。薫くんが青春の真っ只中を迎えて高校を卒業する1969年は、学生運動が真っ盛りで、薫くんもこれから世の中で一戦交えるために着々と準備中っていうのが、すごく簡単に要約したときの物語の中身なのだけれど、薫くんは別に学生運動で戦うために準備してるのではなくて、まるで現在とは別世界のように景気がよくって、人々はどんどん軽佻浮薄になって、馬鹿みたいに騒ぎまくって、自由を謳歌する時代と戦うというか、流されないで生きるために戦うというか、単純に生き方についての暗中模索が延々と、そしてかるがると並べ立てられていくっていうのが話しの骨子だ。そして物語にいい味を添えているのが薫くんより10歳ばかり年上の兄貴で、これはもう実戦を積んでちょっとしたベテランの勇士みたいな扱われ方なのだけど、まだ20代後半というわけだ。ここがね、どうしても重さについて考えざるをえないところなのだ。果たして今どき10代やら20代前半で自分が戦うべき舞台に出会えるかというと、どうもそうは思えない。それって単純に逃げてきたからでしょうと言われるかもしれないけど、そう言われてもどうもしっくりこない。最近、薫くんの兄貴と同じような年齢になって、ようやくまともに戦うべき時と場所にようやく辿り着いた、手をかけたという感じがしている。世の中にたて突ける年齢が50年かけてどんどん高齢化しているような気がするのだ。新潮文庫の後書きで、作者があわや半世紀前には49歳は老婆だったという話しを書いているけど、それと何か関係ある気がするのだ。50年かけて婚期も10年ほどは高齢化しているし、たて突ける年齢が30歳ともなれば、それこそそのままの流れで一生社会にたて突くこともなく、たて突くという表現が悪ければ、何かを成そうと戦うことを考えもせずに淡々と人生を送っていこうとなっても何の不思議もない。若くして戦える場所を失わなかったのは高校野球の球児くらいなもので、きっと、だから、やれ体罰だ留学だと問題がいろいろあっても多くの人が高校野球を特別視して好むのは当然なのだ。

     何しろ世の中はずいぶんと洗練された入試システムを組み上げて、社会人になる段にいたってもなおリクルートという素晴らしい会社が素晴らしく洗練された入社システムを築き上げて、すっかり堕落させた世の中で濡れ手に粟式にいっそう有利にビジネスを推し進めている。すごく残念なことにさっぱり勉強ができないので負け惜しみみたいで説得力にかけるのだけど、そんな洗練されたシステムに乗っかるのが得意なことと、社会で仕事ができる能力というのは全然違う。本当に仕事ができる人というのは、勉強なんてかるがるとこなして、その上で誰にも出来ない仕事というのをかるがるとやって見せるというのは真実だ。けれど、もの凄く井の中の蛙的な発言なことを承知で書くけれど、いわゆる頭がいいとされてる人々が全然仕事できなくて、むしろこっちががっかり... 続きを読む

  • 娘に、どうして高校生時代に薦めてくれなかったの、と言われたけれど、母の薦める本なんて読まない、っていう感じの健全な高校生だったね。
    何十年たっても若者の心に残る作品だとはわかっていたけれど、いくつになってもその頃の自分にタイムスリップさせてくれる作品だとわかったのは、娘達が手にとってくれたおかげ。

  • 高校を卒業してはや6年近く、世間的にはまだまだ若者の分類に入る私ですら、どうしてどうして、高校時代の考えかたといまの考えかたは180度異なってしまっている。それぐらい高校時代は特別であり、この一瞬を切り取って一篇の小説に仕立て上げることに、どれだけの困難があるかわからない。でもかつてベスト・セラーとなった本作は、その難題をみごとに解決してしまっている。ガールフレンドのこと、大学受験のこと、学園紛争のこと、セックスのこと、……etc。青春時代はとかく悩みごとが多すぎるが、その全部をしっかりと反映しているのが本作なのだ。さすがに世代が違うので、読んでいてはっきりと頷けるシーンは多くないし、とくに小林のくだりなんて、なにをいっているかさっぱり理解できないのだけれど、それでもどこか惹かれてしまうのは、なぜだろう。それどころか、薫くんは私の分身であるような気さえする。共通点なんてまるでないのに、そういう不思議な魅力があるのがこの小説の凄いところであり、また「高校生」という世代がもつ凄いところだろう。どこがいいのか、と問われれば答えに窮してしまうが、とにかく傑作というしかない。これはベスト・セラーになるのもまったく当然の話である。

  • これはなんだか、キャッチャー・イン・ザ・ライを日本版にして小説的効果を放棄させたような、そんな本だとおもった。要するに、けっこうぼこぼこ『これだ!』みたいなものがそのまま書いてある。その『これだ!』みたいなものは、文学として力を持たせるためには、技巧的になりますが小説という装置の中にしっかりとした技術をもって落とし込むことが必要で、それが本当に素晴らしくできたものっていうのがずっと読み継がれるような強力な力を持つ文学である。って考えると、この本はちょっと弱い小説というか、小説の機能を放棄している節はあるんだけれど、その『これだ!』みたいなものが結構な純度の高さで一生懸命書かれているので、やっぱり心動かされるところがあるのかなあ。

  • こりゃ重い。物語の構造にしても、思想的な部分にしても。語り口の軽妙さが読みやすさを助長して、読後、きっと皆がなにがしかを考えるだろう、傑作じゃないかしら。

  • 女の子を殺さないために、を読んでから気になっていた。
    おもしろかったー。これが1969年の本、信じられない。
    次の本も借りてきているので、とても楽しみ。

  • 庄司薫の4部作、赤・白・黒・青、が新たに新潮文庫から発刊されることになった。この「赤頭巾ちゃん」が第一作で、以降、1ケ月に1冊づつのペースで発刊されるようだ。「赤頭巾ちゃん」の刊行は、1969年8月のことだ。僕が読んだのは、発刊されてから10年くらい後のことだけれども、それでも、今から30年以上も前のことになる。

    小説の主人公の庄司薫君は日比谷高校の3年生。この小説は、1969年2月9日が舞台となっている。日比谷高校は、当時、日本有数の東大合格者を出す超進学校で、でも、1969年は東大入試が安田講堂占拠事件などもあり、中止になった年。薫君は「みんなを幸福にするにはどうすればいいか」の方法を一生懸命に考えようとしているわけだけれども、その方法がはっきりと分からないうちは、「ひとに迷惑をかけずに」「自分のことは自分でやって」精一杯やっていくしかないのではないか、と思っている(分かりにくいだろうけれども、小説を読めば薫君の考えていることは何となく分かる)。
    言うなれば、善意の人なわけであるが、ある日(というか1969年2月9日なのだけれども)、友人の小林君から「そんな風に頑張っても、もう駄目。要するに、時代は既に知性を、あるいは、知性を持った人間を必要としていない、というか、そんな人間は邪魔なだけ、ということで一致している」というようなことを聞かされ、ナイーブに落ち込んでしまう。
    その後、何となく銀座に薫君は出かける。薫君はその時、左足の親指の爪をはがしたばかりなのだけれども、その左足の親指を5歳くらいの女の子に踏んづけられてしまう。女の子は、お母さんからお金をもらって「赤頭巾ちゃん」の本を買いに書店に向かって急いでいたのだ。その女の子は薫君のことを心配して気を遣ってくれたりするわけであるが、その女の子といっしょに「赤頭巾ちゃん」の本を書店に買いに出かけた薫君は、何とか落ち込んだ気持ちから立ち直り、頑張ろうという気持ちを取り戻す。
    あらすじを書け、と言われれば、こういうことになるだろうか(この小説は筋が大事なわけではなく、薫君の気持ちの揺れが大事なので、それは読んでみるしかない)。

    作者の庄司薫は、4部作の小説以降、1冊の小説も書いていない。4部作の最後の小説である「ぼくの大好きな青髭」も1969年が舞台だったように記憶している。1969年の冬から夏にかけての薫君を主人公とした4冊の小説以降、何十年も音沙汰なしなのだ。
    僕は、この新潮社文庫版の「赤頭巾ちゃん」の発刊を非常に楽しみにしていた。バンコクの書店には随分と遅れて入ってきて、やっと入手できたのは先週のことだけれども、何故楽しみにしていたかというと、作者の庄司薫自身の「あとがき」が収録されている、ということを広告で読んだからだ。
    「みんなを幸福にするにはどうすればいいか」ということを、実行に移せるようになるまでその方法論を考え抜く、けれども、それがはっきりとしない間は、やたらな消耗を避けるために、実力を蓄える、みたいなことが、小説の主人公の薫君の考えていたことで、それは作者の庄司薫が考えていたこと、と思っても間違いないだろう。
    それでは、作者の庄司薫はこの数十年、そのことの実現のために何をやっていたのだろう、というのが僕の興味だったのだ。
    が、実際の「あわや半世紀のあとがき」と題されたあとがきは、文庫本2ページ弱の短いものであり、僕の興味が満たされることはなかった。「あわや半世紀のあとがき」の前に、「四半世紀たってのあとがき」というのも収録されている。それによると、「みんなを幸福にするにはどうすればいいか」とは、資本主義につきものの「優勝劣敗の最終的な緩和は可能か」というのが事柄の核心、と作者の庄司薫は考えているようだ。
    う~ん、と思う。確かにそれは幸福の実現の一つ... 続きを読む

  • なんで読もうとしたか忘れたが(たぶん著名人による紹介)、どんな本かも知らずに読んだ。知ってたら敢えて買わなかったかも(笑)
    話が古いのね。。で、一人称で、自分の考えをひたすら縷々述べる。それが飽きてしまう部分もあるけど、その心の起伏が、なにか昔の自分に投影されるところもあって。
    最後に、赤ずきんちゃんに足を踏まれる。思考から感覚への移行。単なる妄想ではなく、確実な実感。ここの流れが良かった。

  • 変わった文体で訥々と語りそのまま終わった。2017.7.23

  • 帯で三島由紀夫が
    「「若さとは1つの困惑なのだ」といふことを全身で訴えている点で、少しもムダのない小説といふべきだらう」
    と評していて、たしかにそのとおりなのですが、その困惑部分を読み続けるのは退屈でした。

    簡単に言うとこの本は「人に惑わされず己の信念・行動を決めろ」
    という内容だと思うのですが、この普遍を語るのに、こんなに長い困惑が必要だったのでしょうか


    あと、村上春樹を感じました

  • 男子高校生の妄想をスピード感ある文章で表現した所 は 面白いが、時代背景とリンクした深い所を読み逃している気がする。8章の小林の話の理解が ポイントだと思うのだが。

    タイトルに意味があるのだろうか。「赤頭巾ちゃんの赤」は 全共闘などの学生運動を連想させる。最後の「ぼくは 海のような男になろう〜森のような男になろう」という決意は 全共闘などとは 違う生き方を選ぶ ということではないか

    小林の言った 本当の敵とは誰なのか(国、自分?)
    赤頭巾ちゃんは 誰なのか(全共闘、自分、彼女?)


    「逃げて逃げて逃げまくる法」のくだり
    「重大な問題であるほど〜逃げまくってみる〜逃げきれれば〜どうでもよかった問題」
    東大入試、恋人との喧嘩、足爪のケガなど 逃げきれたので、どうでもよかった問題と解釈した

    ケーコートー=鈍臭い(なかなか点かない) は 知らなかった

  • 主人公と作者が同じ名前ということで、主人公に自分を投影しているのだろう。主人公は古典文学に精通しているのだが、同年代の友達との趣味の違いに純粋に引け目を持っている。ただ、おれ残念ながら古典が好きなんだよねーつまらない男だから古典好きなんだよねーという作者のドヤ顔が浮かんできてムカつく。
    優等生キャラ、学生運動とはこういうものという枠、それらを抜けられないすべての人・社会を批判する気持ちはわかる。前半はそんな社会に迎合してしまう自分、後半は社会をダイレクトに批判する自分、最後に申し訳程度に(おそらく1日ばかりの)穏やかな心を取り戻す自分を描く。つまり、自分とは違う、くだらない社会に対する非難が主。
    東大まで行って、そんな選民意識しか身につけられなかったなら可哀想だね。

  • 冬の寒く曇った日に読んで温まった。初めに読んだときは”やさしさ”がつかめなかったが、思い出して読んだ2回目に大好きな本になった。

  • 幼馴染との間に微妙な関係が生じる話
    おそらくは80年台のラブコメ漫画ブームに強い影響を与えたものだ
    1969年の芥川賞を受賞
    当時の漫画・アニメといえば「秘密のアッコちゃん」が1968年で
    「愛と誠」が1973年だった
    かたや呪文ひとつでなんにでもなれる女の子
    かたや恋愛でインテリを打ち破る不良少年
    つまり旧来の教養が、大衆文化に覆される時代
    愛されて行儀よく育った子供たちに、ある迷いがふりかかっていた
    心優しい赤頭巾ちゃんを前にして
    彼は狼にも、猟師のおじさんにもなりえる

    話の語り手は当時、年間200人から東大に送り込んでいた
    日比谷高校に通う三年生で
    遊び慣れてはいるが、恋愛にはおくてな
    ちょっといい家庭の、一人だけ歳の離れた末っ子で
    …家族の機嫌をとるために道化をやりがちなお坊ちゃんタイプだろう
    しかも地の性格は生真面目ゆえ
    どうしても反抗期を持ちえないみずからに強い劣等感を抱いている
    それは村上春樹の「多崎つくる」にも共有された
    戦後民主主義の悲劇だ
    デビュー作の半端な私小説ぶりを江藤淳に批判されたのち
    この作品で再デビューを果たした作者は
    すでに30すぎのおっさんであったが
    その年齢に到ってようやく、偽善のそしりをはねのける強さを
    得たということであろう

  • だれかに必要とされる
    それだけで、どんなゴタクもいらない。

  • 著者の奥様の中村紘子さんが亡くなった時に紹介されたので読んでみましたが、

  • 1969年、学生運動真っ盛りの時代。
    日比谷高校を卒業し東大へ、という当たり前に用意されていたはずだった進路を学生運動によって絶たれてしまい、突然人生に迷ってしまう薫君のお話。
    文体は軽くてシニカルで村上春樹っぽくて正直あまりすきじゃないけど
    とてもよかった。
    基本的に思春期自分語りモノには弱い。

    自立した知性とはなんだろうか。
    数寄屋橋でゲバ棒を握りシュプレヒコールを唱える学生たちを見て、薫君は考える。
    彼らは本当に、自分だけの胸で考えつくし、判断し、決断した結果ここにいるのだろうか。
    そして、たとえそうだとしても、その決断を単に青春の過ちとして見殺しにすることなく、一緒背負い続けていけるのだろうか。
    彼らはその決断をした自分自身に対する責任をとれるのだろうか。

    薫君が彼らに対して抱いた苛立ち。

    彼らはその若々しい決断に対して責任など取りはしない。
    彼らは若さを免罪符に猛々しく社会に立ち向かっていくが、ばかばかしい現代社会に行く手を阻まれ、ゆくゆくは挫折し、そのばかばかしい現代社会に溶け込んでいくのだ。
    あの頃は若かった、おおわが青春の日々よ、などど自らの行動を勲章のように携えながらも、その行動を決断した若き頃の自分自身はすっぱりと切り捨ててしまえる。
    「いつでも自分を「部分」として見殺しにできる恐るべき自己蔑視・自己嫌悪が隠されているのだ。」p153
    と薫君は言う。

    薫君にはそんなことはできない。
    彼は自分自身の胸で考え、それが本当に、自分だけではなく皆のために必要だと分ればいつだって立ち上がる。
    しかしその時は、中途半端に挫折したりせず、あらゆる手を使って必ずや敵を倒し息の根をとめるだろう。

    だかこれも薫君の捨て台詞である。
    それをやって開き直ってはおしまいだ、という薫君の諦念めいた呟きがなんとも若々しくてきゅんとする。


    若いころの物の考え方はとても真っ直ぐで純粋で、ゆえに極端である。

    人は自分だけのことを考えて、時には自分自身の決断すらも切り捨てて生きていくことができる。
    その時々の自分のささやかな幸福だけを望み、周囲の人を気に掛けるそぶりは見せても本当に心から他人の心配をしたりなどしない。
    ましてやみんなを幸福にするにはどうしたらいいかなど考えもしない。
    それは現実の社会ではごく当たり前のことであり、そうやって生きている社会の人々はみな幸せそうに屈託なく生きている。

    薫君だって、そんなややこしい考えは打ちやって、皆と同じように適当に物事をこなし、世の中を泳ぎ渡ることだってできる。
    「みんなみんな簡単なとっても簡単なことなのだ。そしてなにもぼくが、そういつもよりによって難しいやりにくいことばかり選ぶなんて必要はどこにもないんだ。誰にも頼まれたわけじゃもともとないんだから。」p156



    そうして自棄になった薫君が少女と出会ってまた前を向いていく流れもきらきらしていてきゅんとするのだけど。
    次から次へと溢れるように紡がれる若い薫君の思想が少し気恥ずかしいような気もするけどよかった。
    あれくらい物事を色々と考えられるような学生でありたかった。脳みそ空っぽのまま大人になってしまった自分を反省しつつ。
    学生自体に読んでおきたかった。できれば高校生。きっとショックでしばらく打ちのめされてたと思うけど。


    全然関係ないけど最近こうやって読後に文章を書いていると、自分が大人になったことを自覚しているのだなと思う。
    つい最近までまだ自分は高校生のような気持ちで本を読んでいた気がするのだけど、ここのところ大人になった気持ちで何か懐かしい感じで呼んでいる気がする。
    でもなんだか大人になりすぎて40前後のお母さんが思春期の息子の心の中を盗み... 続きを読む

  • 村上春樹の系譜に連なる唯一無比の饒舌体に感動。
    69年の芥川賞受賞作は学生運動真っ只中の時代の人間賛歌やね。
    シニカルな主人公が徐々に人間味を取り戻していくところが良い。

  • 言葉では伝わらない。
    だけど言葉にしなければ伝わらない。
    だから、過剰に無意味な言葉を重ねて
    相手に伝えようと努力する。
    その過剰な言葉の中に不足する言葉を探してほしいと思っている。
    言葉の力を信じたくなる話。
    続きも読みたい。

  • はじめて読んだときは、斜に構えていない村上春樹みたいな小説だなぁと思った。
    最後のページが大好き。
    こころの中では饒舌で、みっともなくて、ひとりぼっちを手玉にとっていて。
    男の子の青春小説は、こういうものなのだと思う。

  • エッセイみたいだなって思った。
    作者が小説って言っているし、出版社も小説として取り扱っているから、小説として読もう。って思いながら読んだけど、エッセイみたいだなって、やっぱり思った。

    そしたら、解説に『「筋のない小説らしい」という評言があるけど何を読んでいたのだろう。』と書いてあって、あ!私の事だなとドキッとした。何を読んでいたのだと言われても、意味がわからなかったんだよ。と反論したい。反代々木系も、ゲバ棒も意味がわからないんだよ。

    時代は、作者も解説者も想像できないくらい流れていて、確かに不勉強で、無知なことも一因だけど、世界観が全然つかめない。学生紛争という言葉は知っているけど、一体どんな紛争だったのか、誰と誰が争ったのか、何で争ったのか、そういうこともわからない。わからなくても、物語には関係ないのかもしれないけど、主人公の置かれている状況が全然わからないから、感情移入がしにくくて、関心のない同僚に不満や悩みを聞かされている感じで、「はぁー」以外言う言葉がない。こっちの機嫌がよければ、「お気の毒」ぐらい言ってあげるけどね。みたいなそんな小説。

  • 最初に読んだ中学生の時はなんて薫くんって、優しくてかわいいんだろうと思ったのでした。
    文庫化で数十年を経て読み返してみると、苦悩する怒れる薫くんが印象に残りました。
    とうに彼の年齢を追い抜いてしまって大人目線で若者を見ることができたからかもしれません。
    社会情勢は目まぐるしく変わってしまいましたが、青春の苦悩や怒りは普遍的なもの。やはり青春のバイブル的な永遠の一冊です。
    続けて「白」「黒」「青」も文庫化されますので読みたいと思います。

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学生運動の煽りを受け、東大入試が中止になるという災難に見舞われた日比谷高校三年の薫くん。そのうえ愛犬が死に、幼馴染の由美と絶交し、踏んだり蹴ったりの一日がスタートするが-。真の知性とは何か。戦後民主主義はどこまで到達できるのか。青年の眼で、現代日本に通底する価値観の揺らぎを直視し、今なお斬新な文体による青春小説の最高傑作。「あわや半世紀のあとがき」収録。

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