津軽―失われゆく風景を探して (新潮文庫)

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制作 : Alan Booth  柴田 京子 
  • 新潮社 (1995年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101391113

津軽―失われゆく風景を探して (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • イギリス出身の著者は、太宰治の「津軽」を読み、44年前に彼が見たその風景に触れてみたくて5月の津軽を歩いて旅している。外国人、非津軽人という二重のアウトサイダーながら、著者の洞察力には驚かされる。

  • 英国出身の著者が、太宰治の「津軽」の足跡を一人で歩いてたどるというのがこの本の内容。となると、ふと疑問がわく。著者は太宰の「津軽」のどこに魅せられたのか。

    気がついたのは、著者が太宰の「津軽」からシンパシーを感じていたのならば、“孤絶感”に対してではないか、と思える点。
    アランが歩き疲れた末に入る宿屋でまず出くわすのは、彼と決して目が合わないよう下を見続けるフロントの人。たまに食堂とかで彼に話しかけてくる地元民も、英国人の彼へアメリカの話題という勘違い。彼は津軽人にとって“部外者”なのか?

    だがアランは津軽三味線を愛し高橋竹山に会ったこともある。カラオケは北島三郎が十八番だ。彼のハートは日本人と異なるところがない。なのに見た目だけで排除するのか。それが“日本文化”か?アランも津軽で受けたのがそんな振る舞いばかりなら、この本は比較文化論、つまり“ガイジンが見た津軽”となっていたかもしれない。

    弘前の偶然入った飲み屋で出会った、米屋のマツオカさん(松岡さん)のエピソードでは、アランの文章が冴える。
    松岡さんはアランに、誰もが必ず外国人に対してしようとする「どこから来たのか」などのお定まりの質問は一切抜きで話しかけてきた。そして2人は地元の話題で盛り上がり、アランは穴場の温泉を教えてもらう。アランはその温泉に行くが、地元民に会って弘前の松岡さんの話をしたら、その人は別の人に目配せし、頬に指ですうっと線を引いた。だが翌朝、弘前から車を飛ばし、先に湯船で徳利を置いてアランを待っていたのは、その松岡さん。松岡さんにとって、アランを一人ポツンと送り出すことなど考えられなかった。

    アランは思ったに違いない。松岡さんは自分を外国人やよそ者としてでなく「津軽を愛する人」として迎えてくれたんだと。アランがいくら太宰や津軽に造詣が深くても、日本語ペラペラでも、やはり彼は津軽人ではないし日本人でもない。それは揺るぎようがない。でも、旅をしながら、津軽の空気を吸うことで、津軽人と同じハートを持とうとしているのが読んでいてわかる。
    一方、太宰も諸々の事情で孤絶感とともに故郷を離れたが、津軽の旅から得た様々な思いが「津軽」に結実した。

    太宰が持っていた孤絶感と津軽愛とを、アランも同じように持っていた。だからアランは太宰の津軽を持ち歩く必要があったし、この本には太宰の津軽と同じだけの文学性が詰まっている。
    (2011/8/19)

  • 「ニッポン縦断日記」の著者が太宰治の「津軽」の足跡をたどって文字通り歩いている.「ニッポン縦断日記」でもそうだったのだけど,著者は旅を楽しんでるのだろうか?常に苛立っているような気がするんだが.

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津軽―失われゆく風景を探して (新潮文庫)の作品紹介

太宰治の『津軽』をリュックに入れて、ほぼ半世紀前の晩春、傷心の太宰が「自分」を探しに故郷を訪ねた、二十三日間の足跡を辿った。太宰が見たものを見よう。しかも、ひたすら歩いて-。行く先々の老若男女と大いに語り合い、酒を酌み交し、斜陽館のバーでは「与作」を唄う。シェイクスピアの末裔たる英国人作家が、眼と耳と、肌で接した本州さいてはての地の、人情と風景は…。

津軽―失われゆく風景を探して (新潮文庫)はこんな本です

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