トリエステの坂道 (新潮文庫)

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著者 : 須賀敦子
  • 新潮社 (1998年8月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101392219

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トリエステの坂道 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 体の深いところに凝縮された思い出が、静謐な名文で綴られていく.これを読むと,文章にこめられている悲しみを受け取ると同時に,よい文章を読む喜びを感じる.解説に収められた湯川豊氏の「ノート」も示唆に富んでいる.湯川氏も指摘しているように「雨のなかを走る男たち」はとりわけ名作だと思う.

  • 須賀敦子の本は初めて読んだ。
    外国語を話す人だからだろうか、普段は読まない年代の作家さんだからだろうか、一語一語なんというか日本語らしい。

    ・「電車道」の「天国語」。
    母国語を忘れるという、日本では有り得ない事象と、そのことについてあっけらかんとした感じの当人達が印象に残った。
    ・「重い山仕事のあとみたいに」の「《つぎの》土地での変容」。

  • この人の本がどうしようもなく好きだ。いつか全著作をそろえようと思う。
    裕福な環境に育ちながら、貧しさのもたらす甘美にもいた悲哀知っている人。
    決して多くは語りすぎず、そして陳腐にもならず、様々な人間の生き方をつづっている。
    人生ってなんなんだろうなぁ。

  • 20170824読了
    1998年発行。過去を振り返れば感傷的になりがちなものだし、ましてやそれが異文化での経験となればなおさら遠い夢のようなもので、情緒的な文章に変換してしまいそうなのにそうじゃないし、それでも読後感としては切なさや郷愁みたいなものも残るというところに凄みがあるというか。若いころからずっと自分でも書きたいという思いを温めつつ、翻訳業に携わりながら年月をかけてご自分のことばを醸成してきたんだろうなと思う。●P171 重い山仕事のあとみたいに ●巻末、湯川豊氏の「須賀さんについてのノート」より、なるほどと感じた部分を要約。回想的エッセイでありながら”小説”を秘めている。かといって私小説からは遠い。文体に論理があるので、感受性が前面に出ているときでも情緒的ではなくどこかしら強靭な感じがする。この文体はヨーロッパの社会や言語を背景にして編み出されたのではないか。

  • 1995年発表の須賀敦子の第4作。
    日本オリベッティ社の広報誌『SPAZIO』に、『別の目のイタリアPART2』という通しの題名で、1990~95年に連載されたエッセイに手を入れたものに、他誌に掲載された『ふるえる手』及び書下ろしを加えた、全12篇が収められている。
    本書では、夫であるペッピーノの家族の肖像が大きなテーマとなっている。
    その中で、『ふるえる手』は、60歳を超えてデビュー作『ミラノ 霧の風景』を発表し、多くの批評家たちが、その文章の高度な完成度に驚いたという著者の、「書くこと」への思いと、その覚悟を後押ししたナタリア・ギンズブルグの作品との出会いが語られる一篇であり、著者は、「日本の文学作品をイタリア語に訳す仕事をはじめてまもないころだったが、まだ自分が母国の言葉でものを書くことを夢見ていた。・・・ちょうどそのころ、書店につとめていた夫がナタリアの小説を持って帰ってくれた。・・・好きな作家の文体を、自分にもっとも近いところに引きよせておいてから、それに守られるようにして自分の文体を練りあげる。・・・そのときの私にとってはこのうえない発見だった。しがみつくようにして私がナタリアの本を読んでいるのを見て、夫は笑った。わかってたよ。彼はいった。・・・これはきみの本だって思った。」、「書くという私にとって息をするのとおなじくらい大切なことを、作品を通して教えてくれたかけがえのない師でもあったナタリア・・・」と記している。
    『ミラノ 霧の風景』の発表から8年で亡くなった著者が、「あの四冊は、書けてよかった」と言ったという、『コルシア書店の仲間たち』、『ヴェネツィアの宿』に続く最後の作品集である。
    (2008年5月了)

  • 哀しいほど、やさしくて、つよい文章。
    うつくしい日本語。

    亡き夫の家族と、イタリアという国と、須賀さんの敬愛している作家についてのエピソード。

    文章の中で、夫や義母などとの日々を過ごす須賀さんと、実際に原稿を書く須賀さんが同一人物におもえなくて、すこし戸惑う。

    どのエッセイも好き。
    バラバラな内容なのに、読み終わったら、まとまりを感じるから不思議。

    とくに好きなのは、最後の「ふるえる手」。
    カラヴァッジョ「マッテオの召出し」に対する考察をいくつかの思い出とからめて書かれている。

    p.224 そのとき、とつぜん、直線のヴィア・ジュリアと曲りくねった中世の道が、それぞれの光につつまれて、記憶のなかでゆらめいた。どちらもが、人間には必要だし、私たちは、たぶん、いつも両方を求めている。白い光をまともに受けた少年と、みにくい手の男との両方を見捨てられないように。

    キリスト教、という宗教が、須賀さんの使命のようになっていたのだとして、わたしにはその部分を理解することはできないんだけど、キリスト教芸術を、その信者として感じることができるのは羨ましいとおもった。

  • 【本の内容】
    あまたの詩人を輩出し、イタリア帰属の夢と引換えに凋落の道を辿った辺境都市、トリエステ。

    その地に吹く北風が、かつてミラノで共に生きた家族たちの賑やかな記憶を燃え立たせる。

    書物を愛し、語り合う楽しみを持つ世の人々に惜しまれて逝った著者が、知の光と歴史の影を愛惜に満ちた文体で綴った作品集。

    未完長編の魁となったエッセイ(単行本未収録)を併録する。

    [ 目次 ]


    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 須賀敦子、初めて読んだ。洞察力の深さと描写力の細かさ、余韻が残る文章、淡々とはしているけれど、何かを抱えて生きていた方な気がした。

  • 夫となったペッピーノや、その家族をめぐるエッセイ。嬉しいことも、どうしようもないことも、感情に任せることなく、淡々と書かれている。会ったこともない人たちの生活が、鮮やかに浮かんできて、須賀さんや登場人物の感覚を追体験できるような気がする。

  • トリエステを訪れたときの情景を描いた3篇、その後に著者が住んでいたミラノでの家族や知人を描いたエッセイです。

    能天気で明るい?イメージとはほど遠いイタリア人の個性があちこちに登場します。

    著者が詩人サバがトリエステで長年すごした書店を、到着早々その場所を調べたら、拍子抜けするほど簡単に判明します。

      ながいこと想い焦がれてきた対象を現実を
      手にいれてしまうのがなにか怖かったのだ。

    ホテルからその書店に向う著者の心情です。
    最短ルートをとらず、遠回りしながら徐々に目的地に近づきます。

    一刻も早く着きたいはずが、著者にそう感じさせる空気がトリエステにあるのか、
    それとも、ミラノでの暮らしの積み重ねで安易な期待をいましめる習いが身についたのか。

    彼女の周の貧しいイタリアの人たちの、あきらめと望みの混じった暮らしは、観光ガイドブックにはないイタリアに読み手を連れて行ってくれます。

  • この作家独特の比喩表現は、いくつか散見できたが、「コルシア書店・・・」のほうが、より光っているように思えた。いずれにしても、作者独特の表現方法は、イタリア文学から来るのかもしれないと想い、すこしイタリア文学に興味が出てきた。

  • 作者が実際に暮らし、様々なものを見てきたイタリアへの、追想的な作品。表題作は例外的に、トリエステという見知らぬ土地での話だが、基軸は彼女が嫁いだ、ミラノの鉄道官舎周辺の人々にある。作者の記憶の中に居る人達の思いに、そっと寄り添っていくような記述はとても巧みで、完成度も非常に高い。それ故に、章が進むにつれて現実の人々が去っていくのを見て、ぐっと胸が締め付けられるような寂しさを感じた。

  •  わずか7年の結婚生活で急逝したイタリア人の夫ペッピーノや、彼の家族との思い出が静謐な文章で綴られています。夫は苦学して大学を出ていますが、彼の家族はいわゆる労働者階級で、決して裕福とはいえず、若死にの多い家系でもありました。菜園を大切にしていた義母、何をやってもうまくいかない義弟、義弟の年の離れた妻、鉄道員だった義父のことなどが、深い愛情を持って描かれています(義父は結婚前に亡くなっていたので、実際に会ったことはなかったのですが)。
     雨の中、傘をささずに走るペッピーの姿の力強さ。まるでネオリアリズモの映画をみるようなイタリアの一庶民の家族の肖像が、強い印象を残します。題名となっているトリエステは、夫といつか訪れようと約束して果たせなかった場所。ふたりが愛した詩人、サバの奇跡をひとりたどる旅は、せつなくも満ち足りたものでした。

  • 御存知のない方に須賀敦子とは何者か、と問われれば、
    「随筆家として究極の存在の一人です」と答えるでしょう。
    そしてその作品世界は、随筆を超えた須賀敦子だけが書きえる世界を作り出す、とも付け加えます。

    品格のある文章で語られる哀愁と詩情は、いわゆるエッセイ、随筆という範疇をはるかに超えて、自らの周囲の家族を語りながら私小説とも思えず、達するのは完全に独自の境地としかいえません。
    それも全編傑作といえる出来で、一つの作品集のすべてで、これほど高い水準を維持している作家は、そうそう思い当りません。

    12編の作品に様々な人々が登場しますが、須賀敦子の筆にかかれば全員が、イタリア名画の登場人物。
    読んでいると美しい絵が浮かんできて、境遇の辛さや気持ちが伝わってきて、須賀はフェリーニかピエトロ・ジェルミか、という演出が冴え渡ります。
    TVより読書で、節電に御協力を、ということで、是非どうぞ。

    「古いハスのタネ」/叙情だけでない桁はすれの教養人でもあったという備忘録
    詩の起源は、共同体が神あるいは神々に捧げた祈りにあると言われている。
    13世紀にアッシジのフランチェスコが作った「太陽の讃歌」はイタリア文学史の冒頭である。
    汎神論的なこの作品は、伝統的な聖書のレトリックをまさに離れようとしていた。
    ルターのプロティスタンティズムは、それまで共同体のものであった祈りを個のものにしようとした人たちの選択だった。
    こうして宗教も共同体から個人の物となっていく@16世紀のドイツ

    祈りには共同体の祈りと、個人がひそやかに神と対話する祈りがある。
    共同体の祈りが文学と分かち合ったのは、どちらもが言葉による表現という点だ。共同体にとどまるかぎり、祈りは魂を暗闇にとじこめようとしない。
    個人の祈りは、神秘体験に至ろうとして恍惚の文法を探り、その点では詩に似ているが、究極には光があると信じている。共同体の祈りも散文も、飛翔したい気持ちを抑えて、人間と一緒に地上に留まろうとする。
    個の祈りの闇の深遠を、古代人は知っていたのだろう。

    共同体によって唱和されることがなくなったとき、祈りは特定のリズムも韻も形式も必要としなくなるから、韻文を捨て、散文が主流を占めるようになる。散文は論理を離れるわけにはいかないから、人々はそのことに疲れ果て、祈りの代用品として呪文を探し出す。

    信仰が個人的であり、宗教は共同体的であるといいきった私たちは、ほんとうになにも失わないのだろうか。

    ダンテの描いた神秘の薔薇の白光に照らされ、歌にみちた幸福は、人類がかつて想像しえた最高の歓喜の表現であった。
    すべてがキリスト教に括られていたようなイタリア中世で、「神曲」は、すでに言葉の世界が、別の山として一人歩きを始めたことを物語っている。

  • 9/24 読了。
    解説にも「寄せてはかえす波のような」とあるように、須賀さんの文章はしんと静かでありながら遠い音に耳をこらすような張りつめたところがあって、筋やキャラクターではなく紛れもなくこの文章自体によって引っ張られるように読み進んでいくところに、須賀さんでなくては満たされないものがある。

  • ことばのひとつひとつがやわらかい。だいじにしたい本。

  • やわらかな にほんご。

  • ウンベルト・サバ、ダンテの神曲、ナタリア・ギンズブルクを読んでみたくなった。

  • 須賀さんが愛したペッピーノ。ペッピーノが愛したサバ。サバが愛したトリエステ。この人たちを確かに知っていると思えるのは、須賀さんの描くエピソードのひとつひとつが鮮明だがらに他ならない。サバ詩集とともに会社の引き出しにあるこの本は、疲れたときにとりあえず読んだりする。

  • 須賀敦子が、夫ペッピーノとともに愛読した詩人ウンベルト・サバの故郷トリエステを、夫亡きあと訪ねた際に綴った表題作に始まり、ミラノ在住時代の思い出が綴られた回想録。
    独特の色彩感覚が感じられる卓越した情景描写とともに、貧困層・外国人・ユダヤ系住民など、イタリア社会の片隅で生きる人々の暮らしが、須賀さんならではの視点で描かれています。

  • (2003.11.13読了)(拝借)
    「ミラノ 霧の風景」、「コルシア書店の仲間たち」、「ヴェネツィアの宿」、「トリエステの坂道」の4冊が須賀さんの4部作だそうです。
    家内の読んだ「霧の風景」があったはずなのですが、見つからないので、「コルシア」から読み始めました。夫のペッピーノの勤めるコルシア書店とそこに出入りする人たちの話。
    「ヴェネツィア」は、ヴェネツィアを舞台にした話が読めるのかと思ったら、最初の一篇がヴェネツィアの話で、他は、ローマの留学の話と神戸の話だったような。
    「トリエステ」は、トリエステの話が聞けるのかと思ったら、最初の一篇がトリエステの話で、残りは、夫の話や義理の母、義理の弟の話だった。トリエステは、イタリア半島の付け根から東へ行ったスロベニアとの国境近くの街だ。須賀さんの好きな詩人サバが暮らしたところなので歩いてたどってみたかったのだそうです。
    「セレネッラの咲くころ」の話。石川淳の「紫苑物語」をイタリア語に訳そうとしていたのだが、題名の紫苑をイタリア語でなんというのかと思っていたら、丁度夫の実家を訪れた時、しゅうとめが、近くの菜園から取ってきた花がその花だったので、名前を聞いたら、セレネッラだった。話は、しゅうとめの菜園を見せてくれるようにお願いするのだがなかなか連れて行ってくれないということについてなのだが。セレネッラをリッラァと呼ぶ人もいるとか、リッラァと呼ぶ人はインテリっぽいとかいう話になっていって、もう忘れかけたころ、やっと菜園に連れて行ってもらった話に戻って終わる。須賀さんの随筆のいくつかの話はこのパターンになっている。
    この本の幾つかの話は、須賀さんの義弟のアルドについて。問題児のアルドが、須賀さんの夫だった兄がなくなり、父もすでにいないので、自分で母を養わないといけなくなり、心を入れ替えて、働くようになり、スキー場のある山の村で知り合った娘さんと結婚し、息子は、長い休暇の時は、山の村で暮らす。息子が大きくなり、母は亡くなったので、一家で山の村に引っ越して暮らすという話がつづられている。須賀さんのミラノの拠点がなくなって寂しくなってしまう。
    須賀さんが、ミラノで生活し関わった人たちのさまがつづられているので、イタリア北部の庶民の生活の様子がわかって非常に興味深い。

    「ミラノ 霧の風景」が最後に残ってしまった。いずれ近いうちに読みたい。

    著者 須賀 敦子
    1929年 兵庫県生まれ
    聖心女子大学卒業
    1953年 パリ留学
    1958年 ローマ留学
    1961年 ミラノで結婚
    1971年 ミラノから帰国
    1990年 『ミラノ 霧の風景』発表 女流文学賞受賞、講談社エッセイ賞受賞
    1998年3月 死去

    ☆須賀敦子さんの本(既読)
    「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子著、文芸春秋、1992.04.30
    「ヴェネツィアの宿」須賀敦子著、文春文庫、1998.08.10

    (「BOOK」データベースより)amazon
    あまたの詩人を輩出し、イタリア帰属の夢と引換えに凋落の道を辿った辺境都市、トリエステ。その地に吹く北風が、かつてミラノで共に生きた家族たちの賑やかな記憶を燃え立たせる―。書物を愛し、語り合う楽しみを持つ世の人々に惜しまれて逝った著者が、知の光と歴史の影を愛惜に満ちた文体で綴った作品集。未完長編の魁となったエッセイ(単行本未収録)を併録する。

  • 電車の中で読んでいると、
    知らず知らずのうちに引き込まれている。
    どちらかというとイタリアの情景や、雰囲気にというのではなくて、
    その人々の会話のうちに私も入っていて、
    静かに話を聴いているような感覚。

    ことばのすべてが彼女の感性によって選び抜かれていて
    その選ばれた言葉が心の琴線に触れると、
    どうしようもなくなって、
    じっとその場に立ち尽くしてしまう。

    悲しい話が書いてあるわけではないのに、
    1つ1つの言葉の意外性や
    あるいはあまりにもぴたりとあった表現に感動して
    目頭が熱くなる。

    今のこの状態の私に、
    ものすごくぴったりと来る一冊だった。

  • 何度も読み返した宝物のような本。こんな風に静かで味わいのある文章は、そんなにない。

  • 大好きな須賀敦子さんの本。
    須賀さんの目を通して、語られる彼女の周りの人々、できごと。
    やわらかい文章のなかに、しっかりとした須賀さんの哲学のようなものが感じられます。

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トリエステの坂道 (新潮文庫)の作品紹介

あまたの詩人を輩出し、イタリア帰属の夢と引換えに凋落の道を辿った辺境都市、トリエステ。その地に吹く北風が、かつてミラノで共に生きた家族たちの賑やかな記憶を燃え立たせる-。書物を愛し、語り合う楽しみを持つ世の人々に惜しまれて逝った著者が、知の光と歴史の影を愛惜に満ちた文体で綴った作品集。未完長編の魁となったエッセイ(単行本未収録)を併録する。

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