枯れるように死にたい: 「老衰死」ができないわけ (新潮文庫 た 108-1)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101392516

作品紹介・あらすじ

人には寿命がある。かつて自力で食べられなくなったお年寄りは、老衰で亡くなるのが自然だった。医療技術が進歩した現在、終末期の高齢者は病院へ送られ、鼻や胃に通した管から人工的に栄養を補給されて生き長らえる。だが、延命治療による長生きは本当に幸せなのだろうか。著者自らが姑を看取るまでの記録と、多数の老人施設や家族への取材から「人間らしい最期」のあり方を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 苦痛を味わせるための延命と言われてしまうと、医療も形無し。そもそもの問題は、死という事柄に対する無知と無関心なのだろうが。

  • 心から共感できた。身内が今、寝たきりで経鼻栄養で生き長らえている状態。動けず意思を伝える事もできない。自力で食べる事ができなくなった時、医師に栄養を与えることは止めてほしいと伝えたら「それは餓死させることになるから出来ない」と強い口調で言われた。この本にも書いてあったが寝たきりで動けない意思の疎通が出来ないまま生きていく事を誰が望むのだろう?自分がその立場になった時も胃ろう、経鼻栄養を望むだろうか?自然死させてほしいと思わないのか、疑問。日頃私が思っているやりきれなさがしっかり書かれていて読んでいてスカッとした本。なんでも生かす医療をしている医師にぜひ読んでほしい本。

  • かつての日本人は、誕生時は自宅で産婆さんに出産を助けられ、最期は家族に看取られながら、やはり自宅で死を迎へるといふのが一般的でした。昔は三世代揃つた大家族が当り前だつたので、孫が祖父母の最期を送るといふことは、極極普通の事であつたと思はれます。それが自然と人間の死について学ぶ機会になつてゐたのでせう。
    いつの頃からか、誕生も死亡も病院で、といふのが当然のやうになつてゐます。わたくしも、何となくそんなものだと思ひ込んで、理由について深く考へることはなかつたのであります。いやあ恥かしい。

    本書『枯れるように死にたい 「老衰死」ができないわけ』では、著者の田中奈保美氏が、現実に姑が倒れてから最期を自宅で看取るまでをドキュメント風に記述しながら、その合間に各所で取材した「看取り」の現状をレポートしてゐます。
    本書の成立については、著者の夫である佐藤順(すなお)氏の存在が大きい。佐藤氏は外科医を定年退職した後、老人ホームなどの施設に活躍の場を移します。
    そこで佐藤氏は施設の現状を知り、怒るのであります。「病気でもないのに病院に送るとはなにごとだ!」「病院は病気を治すところであって、亡くなった年寄りを送るところじゃないでしょ」

    つまり、施設では、死期が迫つた利用者を、(特に病気でもないのに)病院へ搬送するのが習はしであると。施設では看取りが出来る体制ではなく、誰も経験がない。で、病院で安らかな死を迎へられるのかといふと、必ずしもさうではなく、チューブを入れられたり胃ろうで生かされたりして、要するに延命処置が取られるのださうです。
    人間も生物の一種ならば、食事をする力が失はれば、それは老衰死を意味するのですが、延命治療に躍起の病院では、とにかく生かさうとするのだとか。

    本人の尊厳は侵され、苦痛のみ与へられ、家族の負担は重くのしかかる。一体誰のための措置なのでせうか。家族が「最期は自然に任せたい」と希望しても、医者から「見殺しにするのか」と迫られたら、素人は従つてしまひますよね。
    著者の姑の場合は、夫君が先述の外科医であつたことから、何とか医者を説得して自宅へ連れ帰りました(それでも、若い医者は強烈に抵抗した。本当に自分の責任逃れと面子に拘つてゐるとしか思へないのです)。
    世界に冠たる長寿大国の内実は、実はかういふことなのでせうか?

    中には、「私のわがままかも」と自覚しながら、「とにかく母には長生きしてもらいたかった」思ひで、母親に胃ろうを希望したヨウコさんのやうなケースもありました。だから、著者もいふやうに、正解は無いのでせう。
    リヴィングウィルを残す人がまだ少ない現状、家族全員の総意と、主治医の理解が必要なのだといふことですね。
    政府も、医療費が何十兆円に膨らんだと騒ぐ前に、かかる問題をもつと真剣に取りあげていただきたいものであります。
    因みに、わたくしもやはり枯れるやうに死にたいですな。まあ、普段の行ひが悪いので、ロクな死に方は出来ぬかもしれませんが。

    デハデハ、また逢ふ日まで。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-575.html

  • 年を取って死を迎える時が来たら病院で看取るのが当たり前。
    病気でもないのに無理な延命措置をして、経鼻栄養、経管栄養、胃瘻などで徒らに患者に苦しみを与えるのには反対、昔のように自宅で「食べられなくなったら枯れるように死ぬ」のが良い、というポリシーの医師の妻が書いた著作。

    確かに意識もないのに栄養だけ与えられて生物学的に生きているだけ、という状態になるのは本人も家族も辛いだろう。
    しかし、家族の気持ち、本人の意志によってはやむを得ない場合もあるのではないか。
    誰にでも訪れる可能性のある状況だけに、色々と考えさせられた。

  • ナチュラル・デス。老衰し食べ物が食べられなくなったら、次第に枯れるように亡くなっていく。昔なら普通の事、それが今できないという。食べられずとも、点滴やら、胃瘻を設置する事で、ただ生きているだけの状態で、死ねない事実。ただ生きているというだけ、本当に生きていると言えるのか、本人はそれを望むのか、家族は枯れるように死んでいく事を認めるか、問題は色々ある。他人事と自分事でも違う。自分の親がそうなったら本当に枯れるように送れるか。自分はそう思っても家族はどうか、、、、

  • 胃瘻に対してかなり批判的であるが、ケースバイケースだと思っている。

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著者プロフィール

1950年生まれ。横浜国立大学卒業後、コンピュータープログラマーとして会社勤務。のちにフリーランスライターとして独立。女性誌をはじめ、新聞、PR誌で人物インタビュー、旅行、外食、医療などの分野で幅広く執筆。著書に「患者は泣き寝入りするものか」「更年期無気力シンドローム」(以上、主婦の友社)、「転機は勝機」(日経BP社)、「おひとりさまの更年期」(主婦の友文庫)などがある。2010年に「枯れるように死にたい」(新潮社)を出版後は<高齢者の看取りと死>をテーマに講演活動も行っている。

「2022年 『ボケてもがんでも死ぬまで我が家 夫のがん発覚から看取りまでの一年二か月の記録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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