この人の閾 (新潮文庫)

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著者 : 保坂和志
  • 新潮社 (1998年7月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101449227

この人の閾 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • この人の評論は間違いない、と大学時代の恩師に言われ、何度か読んだが難しすぎて分からなかった。でもかろうじて理解できる部分に、間違ったことは書いてなかったと思う。
    この人の閾、新しい小説の一つとして、悪くない読書時間だった。ちょいちょい出てくる考察がいらない、いっそそういうものすらなくした小説が読みたい、読者に対するヒントなしの。この地に足がついた文章は読んでいて心地よい。
    芥川賞の選評見ても、まぁどの芥川賞も大抵そうだけど、賛否両論。技術的な部分やまとまりはともかく、みんなそれぞれ独自の小説観を持っていて、それはプロの作家であるのに、賞レースにおいても一定の評価基準がないのは、芸術であるがゆえ。一つの小説で色んな読み方が、楽しみ方、うまい部分、表現があると思うけど、たぶんいい読み手はそれをなるべく多く汲み取れるし、いい作品はそれが多くて質も高いんだと思う。
    シンプルなゆえに味わい深く、そういうことを考えた。

  • 1995年上半期芥川賞受賞作。仕事先の小田原でぽっかりと空いてしまった3~4時間を、大学の同級生真紀さんと、ちょっとビールを飲んだり、庭の草むしりをしながら語りあう―プロットを語ればこんなものだ。そこにはおよそ事件も、物語的な展開も何もない。語り手の「ぼく」は37歳、真紀さんは38歳なのだが、学生時代くらいまでは「現在」だけが凄まじいスピードで過ぎて行くが、ここにある時間は過去を持つ重層的なそれであり、流れもゆるやかだ。また、「動かされない駒」でありたいと願う「ぼく」には、すでに諦念のようなものさえ漂う。

  • 一言で言ってしまえば「なんかすごい」(笑)
    何も起きない静かな日常を、これ以上ない位平明に
    淡々と語る書き口。
    其処まで考えて、でもって書き残すんだねーと云う感じ。
    情景だけでなく、心象、その他諸々を、風景と登場人物の目を通じて多角的に描く事でその瞬間をあぶりだしていく様な手段、というか。
    急に始まり急に終わる感じすらするのですが、
    それが何とも心地よく、良い物を読んだな、
    と云う感想が残るのも、著者の技術なのか、魔術なのか。

  • 「この人の閾」
    大学時代、同じ映画サークルに属していた男女が
    旧交を温める話
    しかしヒューマニズムをめぐる微妙な考え方の齟齬ができてて
    少し戸惑ってみたりもするのだった
    バブルの余韻がぎりぎり残ってた時代の、長閑さが充満した作品

    「東京画」
    バブル時代の開発ブームで、東京の古い風景が更新されていく
    上書きされて消えたデータは
    人々の集合無意識に蓄積されているのだ
    …ホントに?

    「夢のあと」
    あらゆる事物の消費財化と、ポストモダンの浸食を受けて
    社会はぐずぐずになりつつあった
    内需拡大を煽るそれら物語が、貿易摩擦解消の必要悪だったとはいえ
    未来をみずから食いつぶすよう、人々に促したことも
    やはり確かなことであろう
    収録作品のなかで実はいちばん古い(平成二年)

  • 正直あんまりおもしろくなかった。一読してよくわからん。二回読んで、こういうことが言いたいのかな?というのがやっと分かるレベル。文章は読みやすいし雰囲気があるんだけど、書いてあることがとても普通で、見逃しそうになることを書き留めてあるような感じです。言ってることが哲学になりきれず飲み屋の絡み酒レベルなのも妙にそれっぽいです。で、一生忘れないことはそうそうないけど、この女性との間にはそれなりにあったということが言いたいのかなと思った。
    まとめるとそれだけだと思う。
    この作者さんの文章は1文が長くてわりとどうでもいいことを描写するのが多くて、なんかあんまり合わない。たぶん自然な空気をつくろうとしてるんだろうけどただただ冗長な文章が続いてるようで、つまらなく感じた。

  • 第113回(平成7年度上半期) 芥川賞受賞作「この人の閾 」収録。表題作が取り立ててすばらしい!なんて、これっぽっちも思わなくて、個人的には収録されている中では「東京画」・「夢のあと」の方が記憶に残っているし、『季節の記憶』の方が好きだなあと思った。どれもこれも、しばらくしたら中身忘れちゃいそうだけど、やっぱ、保坂さんの小説は会話がいいよなあ。

  • 短編集。ほわんとしていていい感じ。

  • 保坂和志って、基本的に全然意味が分かんないw。でも、不思議とほんのり、針の穴を通すような、ものすごく微妙な感情が伝わってくる。こういうかたちでしか伝えられないエッセンス何だと思う。「この人の閾」が一番好きだな。

  • 日常茶飯な会話や光景なのであろうが、
    鋭い観察眼と感性を持った保坂さんが、
    あろうことかそれを言葉、文章で表現する能力をも、
    持ちあわせていらっしゃった奇跡に感謝。
    エラそうでゴメンナサイ。

    「この人の閾」1995 年 第 113 回 芥川賞受賞作品。

  • 第113回芥川賞を受賞した表題作を含めた4話からなる短編集。どれも繊細かつ緻密な描写による文章が淡々と丹念に積み重ねられていているのですが、そこに描かれているのは何気ない日常の風景であって、ドラマ性は皆無でただただ過ぎ去った時間をいかに受け止めていくかといった視点のもとで綴られた文章は、まるでエリック・サティのピアノ作品を可視化したようなきわめてアンビエントで既視感を伴ったモノといった印象を強く受けます。
    そもそも普通の生活を送っていれば、日常でさほどドラマティックなことが起きるでもなく、ひたすら時間の海に溺れて生きているようなものなのですが、それを客観視した上で言語化すれば、きっとこの短編集のような話はそれこそ無数に生み出せるでしょう。そんな平凡な日常をあえて文章化するということは、すなわち時の流れによって変化していくモノ - 人であったり、街並みであったり、風景であったり - をそのまま受容することであり、変わっていく様子をありのままに認識するということなのでしょう。
    関係性すら排除したような作風なので、読みづらい=感情移入できないという面は否定しませんが、たまにはこういった鏡面的な内省を含んだ文章というものを欲するときがあるのです。
    秋の夜長に最適な一冊ですね。

  • ストーリーを要約してしまうと、
    おそらく原稿用紙一枚ですら書ききるのも難しいだろう。
    それくらい淡々と、そこはかとなく、流れる会話と時間。
    それが長いと飽きてしまう。
    一気に読むのではなく、ちょこちょこ読めば良かった。
    ええ、最後の方は飛ばし読みでした。

    そんな私の感想。

    知識を持っていても使わない。
    沈黙は金。
    そういう人に惹かれる。
    でも、なんか、淋しい。

  • 先日、若いガールフレンドの1人に「なんにもしてない人になりたいんですよね〜。やっぱり、ダメなのかな〜」と言われて、「そうだよな〜」と思うとともに、この短編集を思い出して、約10年ぶりに読んだのだが、やはり面白かった。彼女の言う「なんにもしてない人」とは、「社会的な立場を持たない、乃至はそれにアイデンティティを置かない人」「自分への興味が薄く、才能や知識を仕事に結びつける気がまるでない人」「非社会的時間、引き伸された時間、緩慢な時間に身を置いている人」といったぐらいの意味だろうが、本書に登場しているのはそういう人たちだ。著者の保坂和志には、『プレーンソング』『季節の記憶』『カンバセイション・ピース』などの優れた長編があるのだけれど、それらを気に入るかどうかは、本書を面白いと思うかどうかで、たぶんわかる。本書には、著者の小説に対する態度やエッセンスが、モチーフと言ってもいいぐらいに随分とはっきりと表われていることが、再読してみてわかった。はっきりと表われ過ぎていることが著者には不本意だろうが、それが、大成する作家の初期の短編集の醍醐味でもある。福田和也が「ずるい」と言った大貫妙子による解説文も、当を得ている。

  • 些細なことや平凡なことに情感をわかせる

  • 静かに時間が過ぎ去ってゆく。

  • 保坂和志の物語に共通するのは、主人公が決して決断しないこと。優柔不断といわれるかもしれないけど、決断を迫られる現実に身をさらしていると、なんかほっとできるのでした。

  • 何気ない日常を題材にした小説。
    本当に何気ない。
    事件があるわけでもなく。
    何気ないというか何もない。

    文章表現が独特。
    ト書きのような表現を多用する。
    一文が長い。
    「~して、~して、~だが、~して、~である。」のように。

    あとは登場人物が思考する、その回路が面白い。


    評価が真っ二つに分かれるそうですが、個人的には良い作品だなと思います。

    ちなみに短編集です。

  • 2010.6
    再読。

    本棚を整頓していたら奥から発見。
    売ろうかと思ってもう一度パラパラとめくってみたら、読み入ってしまい、もう一度本棚に戻しました。
    まわりくどい言い回しが苦手な人は無理かもしれません。

  • この人の閾
    東京画
    夏の終わりの林の中
    夢のあと
    時間の遠 大貫妙子
    (目次より)

  •  季節の記憶を読んで以来、保坂和志が気になって気になってしょうがない。これはBOOKOFFで100円で買ったやつで読むのは二作目。
     この作品は芥川賞を受賞しており、近年(といっても10年以上前だが)芥川賞を受賞した作品の中でも個人的に納得のいくものである。

     主人公ぼくは小田原に到着するが、待ち合わせをした人とすれ違いに。その人を待っている間、ぼくはサークルの先輩だったある女性のところにお邪魔するが、、、
     この人の小説はデビュー作から全然変わってない、淡々とした日常の中での自身の考察、特に言葉への、を描いている。でもこの考察って言うのが、どーしてどーしてすごく鋭くてまあ退屈にならない。
     「閾」っていうのは、久しぶりに出会ったその女性の生き方、生活みたいなものを他人の視点から言葉にしたものなんでは。

     ストーリーや登場人物を持ち上げることで面白い話を作ってないとこに、今の文学にはないものがある、そして平凡な日常、性を感じさせない男女の関係が文学に成り得た事を私達に教えてくれる。

  • 男女の観念的な会話がだらんだらんと続き、何の変化もなく話が終わる。ななな、何が言いたいのだ?

  • これを私がおもしろいと思うのは、ただただ流れていく感情をとどめるのではなく見返し、面白いのもとをつかみとろうとするからだろう。ふかふかと流れていくムードの枠組みを見ているからだろう。完全に共感でしかないが、同じような立ち位置に立って物事を見ているのだろうと思う。そして日常を切り裂かない程度のだれもへのやさしさはここが限度なのだろう。これ以上踏み込まない踏み込ませないものを、信じられないとは言わないし、これ以上踏み込んでも信じたとは言わない。
    家が隣の夫婦と散歩するはなしでそのことを思った。前のプレーンソングもそうだけど、この夫婦の奥さんにしても、ちょっとイタい感じがするが、そこのところには踏み入れないし、わざわざ付き合っていても押し付けがましくない。

  • 短編4作とも、本当に何も起こらない。非常に視覚的な描写が延々と続き、それに伴う行動や感情が淡々と綴られている。今は消えてなくなってしまったものの跡に何が残るのか、見えないものは何もないのと同じなのか、そこに思いをはせる、のが4作に共通するテーマ、のような、もっと深いものがあるような。ちょっと一文が長すぎて(それが著者の作風なんだろうけど)息継ぎできなくてしんどい。

  • 短篇が4つ。後半の2話が好きです。どっちとも場所は違うけども(けれどもやっぱり根底には鎌倉がある)、散策をしている話。会話文でこの人よりうまい人って、そうはいないよなぁ。(06/11/14)

  • 保坂和志の小説を読んでいると、記憶の回路を宝物を探し当てるみたいにして進んでいくような感覚になる。記憶の回路は日常の中で起こる些細な、乱暴に言ってしまえばどうでも良いことの切れ端をつなぎ合わせて構成されている回路で、まぁ色んなものが飛び出してくる。例えば相手すら覚えていないような、もうずっと過去に交わされた会話の断片だったり、何気なく通り過ぎてきた風景だったり、幼い頃の遊び場で行われた、今となっては入り込む隙のないくらい小さな世界のルールで固められたおままごとだったり、それらの一部分がふと頭に浮かぶ(五感をくすぐる)時が普段からあって、なんでそれが今出てくるのかわかんないんだけど、記憶の回路からひょこっと顔を出した彼らに対してなんのためらいもなく消化していくことが可能だけれど、積極的に彼らの存在と関わり合おうと思えば、彼らは実に面白い連中で、保坂和志がやろうとしているのは、そうした連中と交信(というと超常現象のように聞こえる)し、どこまでも気に留めることなのだろう。小説家とは言葉に対して疑問を持つことのできる人間のことで、物語を書くのはただの物語作家だという保坂和志の言葉を念頭に置いて彼の著書を読んでみると、実に多くの見落しを引き出されることが多い。私はこうして書評ともなんとも言えない読書記録を書いているのだけれど、おそらくこれがブログというスタイルで蓄積されていくものでなければ、わざわざ習慣として記録しようとも思わないし、記事を書いたところで何か特別なことを考えているのかといえばそうでもない。読んで何かを考えるという行為は私にとって面倒以外の何ものでもなく、書評だのなんだのとは甚だ遠い話で、最近思うのは、読了後に襲う満足感の中身は空っぽで、あとからあとからじわじわと、読んで考えるというやつがやってくるというとだった。食事をしているとき、テレビを見ているとき、急ぎの用事を足しているとき、恋人の隣にいるとき、読み積まれた言葉の断片がふっと現れたりする。そのときはじめて、読んだと思っていたものが本物の読んだものとして認識されるのではないだろうか。もちろん、認識されずに流れていく言葉も数え切れないほどあって、だけど表向きは自分の中に蓄積されたことになっていて、蓄積されたからにはいつかは消えてしまうのだけれど、それはそれでいいことで、もしかして目に付いた言葉をあれこれ書き留めてしまうことは読んで考えるという法則に反しているのではないかと思うようになってきた。ちょうど『この人の閾』で真紀さんという女性が言うような感じで。
    「真紀さん、これからずーっとそういう本を読むとしてさ、あと三十年とか四十年くらい読むとしてさ――本当にいまの調子で読んでいったとしたらいくら読んでも感想文も何も残さずに真紀さんの頭の中だけに保存されていって、それで、死んで灰になって、おしまい――っていうわけだ。」
    「だって、読むってそういうことでしょ?」
    (保坂和志『この人の閾』)
    誰もが言うように、保坂和志の小説に物語性はまるでない。保坂自身が初めから物語を書こうとしているわけではないからだ。阿部和重との対談なんかを読んでいるとよく分かるんだけれど、彼は自分の小説が正しく読まれていないということを十分に承知していて、確か『小説の自由』という著書は僕の小説を解説してくれる人がいないのなら自分で書いてしまおうという意識があったとか、なかったとか。初めて保坂和志の『カンバセイション・ピース』を読んだときは本当にしんどかったけれど、今ではあぁ本物の小説家というものはこういうものかもしれないと、眉間に皺を寄せてながらも楽しく読んでいる。小説に流れる時間を読書という経験を通して共有することはとても貴重だと思う。

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この人の閾 (新潮文庫)の作品紹介

「汚くしてるけどおいでよ、おいでよ」というので、およそ十年ぶりに会ったこの人は、すっかり「おばさん」の主婦になっていた。でも、家族が構成する「家庭」という空間の、言わば隙間みたいな場所にこの人はいて、そのままで、しっくりとこの人なのだった…。芥川賞を受賞した表題作をはじめ、木漏れ日にも似たタッチで「日常」の「深遠」へと誘う、おとなのための四つの物語-。

この人の閾 (新潮文庫)の単行本

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