この作品からのみんなの引用
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こういう生理現象は、男女、身分階級、民族人種の別なく誰にも等しく訪れる。人間を分け隔てる諸々の壁を一挙にとっぱらってくれるのだ。しかも食欲と排泄欲はともに生理現象ではあるが、食物摂取と排泄を較べると、全車にてインプットされるモノには身分階級差個人差が顕著に現れるのに対して、後者にてアウトプットされるモノには基本的に変わりばえしない。この人類共通の、いや生きとし生けるもの共通の普遍性を確認する喜びゆえにわれわれは笑うのではないだろうか。
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さらに驚くべきことがあった。同じ言語の二つの方言ぐらいに思っていたセルビア語とクロアチア語を、どんどん人工的に「遠くする」政策がクロアチア政府によってされているのだ。信じがたいことに、これにクロアチアのジャーナリズムが全面的に協力している。以前はクロアチア語のテレビ、ラジオ、新聞雑誌を、ちょうど京都人が大阪語を理解するように辞書も無しに九九%理解できたというセルビア人が、今ではチンプンカンプンになってしまったというのだ。
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どうやら、初級を徹底的に身につけること、これが言語を身につける基本のようだ。
ところが、人間の脳味噌にはなるべくサボろうとする機能が自動的に備わっている。あるパターンを新たに習得する労を惜しんで出来合いの類似パターンで間に合わせてしまう機能がオートマチックに作動してしまうのだ。近接する言語の学習においてはこれがしじゅう作動する。~略~そして、その言語との姻戚関係が遠ければ遠いほど、手元に類似パターンがないため、この省力装置は作動しない。
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自分を、あるいは自国民をカリカチュアライズできる国民、自分と自国民を突き放して第三者の目で見据え、自己の欠点を笑うことのできるほどに成熟した国民は、余裕がある。しなやかで強い。
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「木を見て森を見る」-窮地に陥った時、事態を突き放して大局的に見る。すると、悲劇が喜劇に転ずる。そんな心の余裕を失わないロシア人を、心底尊敬し、一層好きになってしまった。
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日本料理などは、ほとんど日本の食材を用いないとつくれない、いわゆる調理法が素材依存型であるのに対して、中華料理は大変抽象度が高い。
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地球上には、実にいろいろな民族が棲息しているけれど、こんな時こんな状況下で、餃子のような手の込んだ料理を作る民族が、中国人以外に考えられるだろうか。
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見慣れた風景の中に異分子が混じることによって、見えていなかったものが、見えてくる。素っ頓狂な出来事や、意外な発見や、驚きの再発見があるのではないのか。そうやって常日頃当然視している正義や常識に冷や水を浴びせてみたい。
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「国際語」は、前世紀の帝国主義的世界分割にいち早く参加した同じキリスト教文明圏の国々の言語なのだ。地球上の多様な文明を反映するものになっていない。これは、彼らの精神を、とくに異なる発想方法や常識に対する想像力を貧しくしている、という意味で不幸でもある。その不幸が彼らだけにとどまっていないのが、もっと大きな不幸である。
そういえば、鯨を食べるのは野蛮だと叫び、漁網を破るイルカを殺す日本の漁師を残虐だと決めつける人々の圧倒的多数は、「国際語」である英語を母語とする人々である。偶然とは思えない。
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どの言語においても、他言語に訳される情報は、その言語によって担われている情報の数百分の、いや数千分の一にも満たない。つまり、その言語を知るか知らないかによって、その人の情報地図は全く異なる様相を呈すのである。そのうえ、どの言語も、その言語特有の発想法とか、世界観を内包しているものだ。英語やフランス語などの「国際語」を母語とする人々は、その言語が「国際語」になっていく背景に、多くの植民地をゆうしていたという血生臭い過去を引きずっているにせよ、その適用範囲が広いという意味で、幸福である。
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オッパイが先に出てくる街の角
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謙遜-自慢したいことを他人に言わせるための一種の方法
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どの言語においても、他言語に訳される情報は、その言語によって担われている情報の数百分の、いや、数千分の一にも満たない。つまり、一つの言語を知るか知らないかによって、その人の情報地図は全く異なる様相を呈すのである。そのうえ、どの言語も、その言語特有の発想法とか、世界観を内包しているものだ。
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