うるさい日本の私 (新潮文庫 な 33-1)

著者 :
  • 新潮社
3.51
  • (23)
  • (23)
  • (64)
  • (5)
  • (2)
本棚登録 : 305
感想 : 37
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101467214

作品紹介・あらすじ

バス・電車、デパートから駅の構内、物干し竿の宣伝まで、けたたましくスピーカーががなりたてる、この日本-。いたるところ騒音だらけ。我慢できない著者は、その"製造元"に抗議に出かけ徹底的に議論する。が、空しい戦いから浮かび上がったのは、他人への押しつけがましい"優しさ"を期待する日本人の姿だった。日本社会の問題点を意外な角度からえぐる、「戦う大学教授」の怪著。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 哲学者である著者が、「スピーカー音恐怖症」という生きづらさを抱えながら、果敢に社会に戦いを挑み続ける戦闘記。この高いモチベーションの源泉は。時に傷つき、気力が回復するのに一週間かかったり、面白おかしく読める。
    日本社会はなんと「実行を直接期待しない言葉」で溢れていることか。ここまで物事を整理して考えられるのは流石の一言。脱帽です。
    「「自分がされたくないことは人にするな」というこのルールは社会をあらたに改革してゆこう、意識を改革してゆこうというときにはまったく役だたない。というより最大の障害として立ちはだかる。このルールは、自分と他人がおおよそ同じ考え方、感受性を持っていることを前提としており、ここにマジョリティの暴力がとぐろを巻いている」
    「「音漬け社会」を解体するには何が必要か?答えは、さしあたりきわめて単純のように思われる。それは、「察する」ことを縮小し、「語る」ことを拡大することである」

  • この本を読む直前に多様性について考える機会があったので、その視点で読むと面白い本だった。
    ただの偏屈じいさんだと思って読み進めるよりかは、世の中にはいろんな考え方をする人がいてその人も含めて多様性を考えなければならない。多数決では解決しないことが多くなってきた時に、自分も含めて今の人たちはどのように考えるのか真剣に考えなければならないと思った。

  • 読んでおいて損はない

  • 20010620

  • 日本中で行われているスピーカーによるアナウンスに対する
    著者の抗議と戦いの記録です。

    とにかく過激!

    しかしながら、哲学者という職業柄か、
    実にその抗議は理論的。
    例えば・・・
    バスの中のアナウンスがうるさいと感じたら・・・

    バスの車内の放送はテープにとって文章に起こします。
    不要な部分に傍線を引いて、責任者に詳細な理由をつけた手紙を送りつけて削除せよと迫ります。

    まず拒否されます。

    すると再び反論の手紙を書いて、事情が改善されるまでつづけます。

    現場でいきなり責任者に放送中止を申し入れることもあります。一回で解決することはありません。
    時には、何度も出かけて行って直接、会談をすることもあります。
    こうした筆者が不必要と感じた様々な音に対する抗議と経過の記録それがこの本です。

    最初読んだのは大学のときですが、
    とにかくびっくりしたというのが感想でしょうか。
    「ここまでやる人がいるんだ・・・」という驚きです。

    というか、それまで駅の騒音、スピーカーの騒音に対して何も感じていませんでした。
    存在は分かっているものの、それがうるさいとも、役に立っているとも思ってなかった。

    あることが当たり前だと思っていた(あきらめていた?)。

    しかし、この本を読んで、何度も出てくる言葉
    「この音は本当に必要ですか?」というのを考えて外に出てみると、
    なるほど、必要じゃない、
    むしろうるさいなぁと感じるようになった。
    そんなきっかけの本です。

    この本を読まれた方の賛否はかなり分かれると思います。

    「そこまでやらなくてもいいではないか」と思う人が多数ではないでしょうか。

    でも、だからこそ、それが、騒音大国日本が滅びない原因なのではないか。

    この本は、そんな警告を与えているような気がします。
    ちなみに、
    この続編「うるさい日本の私2」もあるようです。

    こちらは私も読んでいませんので、いつか読んでみたいと思います。

  • 聴覚過敏のある人が身近にいるので、その苦しみと理解のされなさが学べる。なのにだんだん笑えてくるのが中島先生のすごさ。ちなみに、うるさいのは、「日本」と「私」の両方にかかるのだそうだ。

  • 8/2 2012 おもしろすぎる…………………
    マジメに語る著者に影響され、今後は街に出掛けるのも
    危ぶまれる自分が心配。

    ちょっと脱線して、「親切の押し売り」に対しても
    多いに共感!!!
    顔が笑えてくるので外で読めない


    引続く


    その後。
    さらに読み進めていくと、
    もはや笑えなくなってきた。
    真剣にこに著者の訴えている事が
    今の日本にとってとても重要な事ではないかと
    思える。

    「いじめ」に関して
    【引用】
    …他人の気持ちが「わかったつもりになる」ことをやめ、他人を徹底的に自分とは「異質な者」として見る態度をやしなうことが必要であろう。…相互に「異質」であるからこそ、そこにおたがいに安易には介入することのできない領域を承認しあい、尊重しあう態度が開けるのだ…

    同意!
    8/6 読了。

  • このタイトルをみてわからないのは、うるさいのは「日本」か「私」である筆者なのか。それは両者であることを、あとがきで述べている。
    日本のうるささは私も非常に困っていて、一番困っているのは電車。白い線から下がってください!下がってください!三列で並んでください!と、耳元でいきなり声を出されたことがある。
    私はしょうがないから、違う場所に移るにとどまるが、筆者のすごいところはこの問題を真正面からぶつかる点にある。「ウルサイ!」とまずは一括し、責任者をよびよせ、徹底的に議論する。
    その殆どは効果が少ししかでないのにもかかわらず、音の問題に立ち向かう筆者の執念を感じる。
    筆者があげる、問いを殺す姿勢が日本にはあるとおもう。東電のやりとりをみていても、先に答えがあるようなきがしてならない。本来はやりとりによって、自分が変わっていくことが大事なのだが、そうではなくて上からの指令を徹底して守ることが重要視されている。個人が立ち向かう虚しさと、少しだけわかってくれている人がいる事実がこの本にある。対話とは何か?と考えさせられた。

  •  著者が広く知れ渡ることになった本。正直、うるさいことよりも「待たされる」ことの方が多く、怒りを覚えることが多い自分にとってはそれほど共感できる部分は少なかったが、ただうるさいことも待たされることも、その背後には「なんにも考えない」大衆の存在があることは間違いないのである。

  • 私は、今まで「みんなの迷惑になるからやめなさい」という注意に疑問を持っていたものの、それを言語化できなかった。

    しかし、この本は、そのもやもやとした気持ちを解消してくれた。

全37件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1946年生まれ. 東京大学法学部卒. 同大学院人文科学研究科修士課程修了. ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士). 電気通信大学教授を経て, 現在は哲学塾主宰. 著書に, 『時間を哲学する──過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書),『哲学の教科書』(講談社学術文庫), 『時間論』(ちくま学芸文庫), 『死を哲学する』(岩波書店), 『過酷なるニーチェ』(河出文庫), 『生き生きした過去──大森荘蔵の時間論, その批判的解説』(河出書房新社), 『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)『時間と死──不在と無のあいだで』(ぷねうま舎), 『明るく死ぬための哲学』(文藝春秋), 『晩年のカント』(講談社), 『てってい的にキルケゴール その一 絶望ってなんだ』, 『てってい的にキルケゴール その二 私が私であることの深淵に絶望』(ぷねうま舎)など.

「2023年 『その3 本気で、つまずくということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

中島義道の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×