働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101467238

感想・レビュー・書評

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  • 読了

  • 哲学したくなった。人生に幸せを求めないでいれば、死ぬ時も後悔なく死ねる。

    あとは、この世は全て理不尽。それを織り込み済みで、うわーと思いながら生きるのと、考え続けるということがよく生きるということなのかもしれない。

  • 哲学者である著者が自身の引きこもり時代の経験も踏まえて、
    働くのがイヤだ!生き甲斐が無い! 

    と嘆く現代人に寄り添う形で哲学的に問いに答えていく。

    本書は仮想人物との対話形式で進んでいく。
    登場人物は以下

    著者:12年間大学に居続けたこともある哲学者

    A:留年を繰り返す大学生。会社に属する働き方がイヤで仕方ない。かといって学術や専門の世界にも興味は持てない。

    B:他の女性のように結婚・子育てという道を歩めない。働いてはいるものの情熱は持てない。

    C:今まで家族のため、社会から弾かれないために仕事を続けてきたが、なんの喜びも感じられず、このまま生きてよいのかと焦っている

    D:誠心誠意仕事に向き合い、家族にも恵まれてきたが、先日のがん告知により、このままの生き方で良いのかと疑問が湧いてきた。

    本書で扱うテーマは
    ・一生寝ているわけにもいかない
    ・「命を懸ける仕事」は滅多に与えられない
    ・仕事と能力
    ・仕事と人間関係
    ・仕事と金
    ・金になる仕事から金にならない仕事へ
    ・死ぬ前の仕事

    本書のいいなと思ったところは、無理に仕事に前向きに取り組むよう促したり、ポジティブ思考にしないところ。
    まず、仕事がイヤで辛い事をがっちり受け止めたうえで、何が起きているのか、そして包括的に見てみると何か見いだせないかと進んでいくのが楽になれた。

    特に、世間でいう成功なんて言うのはまやかしでしかなく。
    情熱や意義も生活や仕事の中に見出せずに死んでいく。
    そういう人の方が、人の一生とは何か?死とは何か?という理不尽で恒久的な問いにしっかり向き合えるのではないか?

    という視点はいいなと思った。

    仕事が辛すぎて、思考停止になりそうな人にもオススメ。

    気になった言葉

    ・ある人にはある期間引きこもる事は必要かもしれない。しかしそれに馴れてくると、ずるさが黴のようにびっしり生い茂ってくる。
    楽に生きる方法ばかり、自分が傷つかずうまく生きる方法ばかり考えるようになる。
    精神は堕落する。

    ・もしあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白してください。
    私は書かなければならないかと。深い答えを求めて自分の内へ内へと掘り下げてごらんなさい

    ・社会に出て仕事をするとは「理不尽」このすべてを受け入れる事。その中でもがくこと、その中でため息をつくこと、だから尊いということ。

    ・命を懸ける仕事を見出せないことは普通の事であると思う。そのことをはっきり見定めて、生きがいを感じなくても仕事をする意味を問いたい

    ・自分が一番したいことをまず確認すること。それがわかったらそれを実現するありとあらゆる方法を考える事。

    ・人生の目標がはっきりしており、しかもそれは実現しなくても良いのだと悟った途端、君は何をしても失敗することはない。

    ・ほとんどのまともな職業に就いている者たちは一つの救いがある。その仕事が社会的になんらかの役に立っているという事だ。

    ・同じような音を聞いていても、成功しなかったおびただしい人はいる。ほとんど同じ航路を描きながら、努力を怠ったわけでも、カンが狂ったわけでもない。
    ただいくつかの内外的偶然が重なり、成功できなかっただけである。

    ・苦しんで仕事を続けるからこそ、君たちは多くのものを学ぶことができる。

    ・権力に対して猛烈に反対する人は、その態度でもって権力的な人であることを示している。

    ・程度はあるが、契約して金をもらうからには、その仕事が達成されないとき、いかなる弁解も許されない。それが仕事である。

    ・理不尽であるからこそ、そこに様々なドラマが見える

    ・厄介なあきらめは、自分が傷つきたくないためにあえて欲望を押し殺すものである。それは自己欺瞞であるため、醜さをともなう。この人たちは周囲にもあきらめることを勧める。

    ・どんな生き方でもいい。ただ、何かしたいことを自分の内に確認し、それが本物であれば、しかもそれを続けられる場があれば、その人は幸せだという事だ。

    ・彼が自らの人生を振り返って、なんの満足も覚えず、よってなんの執着も覚えないと心底確信して死ぬとしたら、それは救いである。

    ・彼が世間的に何の価値ある仕事を成し遂げられなかったからこそ、そしてそれを痛いほど知っているからこそ、その人がただ生きてきた事が光を放ってくる。

    ・仕事で何もしなかった人は、なにも縋りつく物がない。だから、はるかに死の不条理を実感することができる。それは痛みに代わって真実が与えられるという事ではないか?

    ・具体的に何かをすることではなく、生きることを常に優先に置くこと。

    ・よく生きるとは「どうせ死んでしまう」ことの意味をといつつ生きることさ。その虚しさや理不尽さから目を逸らさず、「それは何か」を問い続ける事だ。

    ・表面的に健康な世間において、問うてはならないとされている問いを押さえ続ける事はその人を病気にし、逆にそれをとことん言語化することはその人を健康にする。

  • この本にはタイトルから期待するような仕事に対する答えが書かれているわけではないです。

    世の中はひたすら不条理で、夢を持ってもほとんどの人は叶わず、偽の成功に縋り付いて生きていく。

    何より、人はある日突然死んでしまう。それが最大の不条理だ。
    死という不条理から目を逸らさずに常に心に置き、そのうえでより良く生きるために、生にすがるために行う仕事が自分にとって何か考えるべきだ。

    成功や金のためでなく、いつか死ぬ不条理な世界でそれでも生きていくために必要な行為が自分にとって何か。

    著者は哲学を勧める。真理とは存在とは無とは何かというような一段上のことを考え続け目的に向かい、道半ばで死んでしまうような生き方を。

    人が何故働かなくてはならないのか、その答えが書いてあるわけではないが、働くことが嫌な人は、何故働きたくないのか、原因は何なのか、そういったことを知ることが出来る本ではないでしょうか。

  • 仕事観と人生観は相関関係にあり、常にどうありたいか、どうなりたいか、自分自身と向き合っていく必要がある。

  • あとがきの斎藤美奈子さんが最高。ファンになった。
    この本は、「賃労働で」働くことがイヤな人のための本、というのが正しいタイトルだと。
    副題は、「賃労働ではない」仕事とは何だろうか。
    各章のタイトルは以下。
    ・「賃労働ではない」仕事と能力
    ・「賃労働ではない」仕事と人間関係
    ・「賃労働ではない」仕事と金

    「仕事」と聞いて自動的に「賃労働」と解釈するのは、近代の病に冒された「鈍重で善良な市民」である。


    著者は、非常にめぐまれた環境にあった頭の良い人間。真似はできないし、真似したくもない。哲学科なんてものは大学の科目に必要ない、というところは激しく同意。あんなものは10年生きて、ちゃんと考える訓練を続ければだれでもどこでもできるんだと。そのとおり。

  • サラリーマンになるのが嫌で留年をくり返している法学部の学生、小説家になりたいという夢をあきらめることができない30代の女性、気乗りのしない仕事を続けてきた40代の男性、世間的な成功を修めたものの、病を得たことで自分の人生の意味をあらためて考えなおした50代の男性という4人の登場人物に、著者が「働くこと」について語りかけるという体裁で書かれた本です。

    「解説」で文芸評論家の斎藤美奈子が、著者と対照的な立場からの意見を述べていておもしろく読みました。斎藤は、現代の「働くこと」にまつわる諸問題の歴史的・社会的な背景を無視して、本質的で根源的な問題とみなす著者の議論の抽象性を指摘しています。ただ、斎藤は自身と著者との立場の違いを、「働くこと」を賃労働とみなすか、「哲学あるいは宗教や芸術」など「人生それ自体を対象とする仕事」とみなすか、という仕方で整理しています。

    もっとも、斎藤の「賃労働」という言葉に引きずられて、著者と4人の対話者が直面しているのは、単なる金の配分ではなくて社会的な「承認」のことだと理解してはいけないのだろうと思います。著者が問題にしているのは、世間的な「承認」を得ることとは違った「何か」なのであり、そうした「何か」があるかもしれない、それをただ求めて生きていったらいいのではないか、と考えることで、世間的な「承認」とは異なる物差しを提示しようという試みなのだと理解しました。

  • 20代、30代、40代、50代の4人の(架空の)人物との会話を通して進みます。「はじめに」に、「私と異なった感受性をもつ膨大な数の人には何も訴えることがないのかもしれない」とある。たしかに、登場人物にまったく親近感を持てない人のが多いだろうな、と思う。

    逆に言えば、「これは私のこと?」って思える人には、ずきっとくるような話。私なんか、まさにA君であり、Bさんだった。子どもの頃から、考えなくてもいいようなことをうらうら考え続ける性質で、大学の哲学科に入ってみたものの、それも虚しくて辞めてしまって、ニ―トになって寝て過ごし…。その頃、ぼんやり思ってたことが言語化されて、もう赤面するしかない、いたたまれないキモチ。あの頃の自分に読ませてみたい。

    のちに就職もし、世間にもまれ、今じゃそこそこフツウだけれど、まだどこかに眠ってる答えのない問いが、息を吹き返した感じ、これ読んで。無用塾に入りたいなぁ。

  • 対話風ってのが微妙
    かんべんして

  • 引きこもりの人、自分の現在の状態を良いと思っていない

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著者プロフィール

1946年生まれ. 東京大学法学部卒. 同大学院人文科学研究科修士課程修了. ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士). 電気通信大学教授を経て, 現在は哲学塾主宰. 著書に, 『時間を哲学する──過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書),『哲学の教科書』(講談社学術文庫), 『時間論』(ちくま学芸文庫), 『死を哲学する』(岩波書店), 『過酷なるニーチェ』(河出文庫), 『生き生きした過去──大森荘蔵の時間論, その批判的解説』(河出書房新社), 『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)『時間と死──不在と無のあいだで』(ぷねうま舎), 『明るく死ぬための哲学』(文藝春秋), 『晩年のカント』(講談社), 『てってい的にキルケゴール その一 絶望ってなんだ』, 『てってい的にキルケゴール その二 私が私であることの深淵に絶望』(ぷねうま舎)など.

「2023年 『その3 本気で、つまずくということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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