- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101482248
作品紹介・あらすじ
東京六大学野球。連戦連敗の東大。そんな彼らをひたすら応援している学ラン姿の応援部。体面などかなぐり捨てたその姿に惹かれて取材を始めた著者が見たものは-自己犠牲は美しいと語るリーダー長、先輩には絶対服従の新入生。彼らは応援に何を求めているのか?熱い時間を生きる彼らの姿が、胸を打つ。東大生をはみ出した男たちがくりひろげる、感涙必至の熱血青春ドラマ。
感想・レビュー・書評
-
体育会の試合に必ずいて、声を涸らして腕を振りあげ、会場と選手をつなぐ不思議な存在、応援団。どうして彼らは他人のためにああまで本気になれるのか? 東京大学応援部の合宿にまで同行して取材したという紹介にひかれて読んでみました。以下、ここからは東大応援部に敬意を表し(?)、「応援団」の呼称はすべて「応援部」に統一いたします、押忍!(←とか最近でも言うのかなぁ?)
この物語は、東大応援部の物語ですが、同時に、連戦連敗の東大野球部の物語でもあります。普通、応援の喜びは、勝利の喜びをともに分かちあうことにあるのではないのか、という想像は容易にできますが、じゃあ、その勝利になかなか立ち会えないときは?どうやって、その応援のモチベーションを保ち続けるのか? 試合中、今回もだめか・・・という気持ちをどう振り切るのか? 今時、上下関係の厳しい応援部で自分のことを「わたくし」だなんて、時代遅れではないのか? そもそも東大に入ってまで応援部?
そんな疑問は、すぐに吹き飛ばしてもらうことができた。野球部がなかなか勝利を手にできていない「事実」なんて、応援部の彼らは百も承知している。でもそれは、野球部を勝たせるための応援ができなかったからだ、と自分たちの未熟さを責め「拳立て100回、やらせていただき」、さらに厳しい練習へと向かわせるのです。
とはいえ、応援部の「使命」としてそのようなことは理解できても、一人の学生として、感情で整理できない部分も当然あります。この本では、そういった応援部員の心の中身までぐっと迫って引き出しているのがおもしろい。バンカラ東大生もやっぱり普通の学生。(あ、普通とは言っても賢いけど・・・・)
応援部員である自分と自分の素の気持ちとの葛藤に悩んだり、逃げ出したり、割り切ったり・・・そんな人間らしさが垣間見ることができて、美談だけでない内容になんとなくほっとしつつ、どんどん東大応援部の世界に引き込まれていきました。
特に印象的だったシーンは、夏合宿の最終日、試合を想定して仮想の通し試合の応援練習をするというところ。チアリーダーもブラスバンドももちろん一緒に。一球一球想定した試合運び、見えない対戦校と戦っている見えない野球部員の名前を叫び、得点したと言っては興奮のままに演奏し、叫び、手を振り、踊る・・・。
応援がこの部の使命とはいえ、ここまで、なりきってできるものなのか。ちょっとぞくっとすると同時に、ここまでの準備をしてのぞむ東大応援部の晴れ姿を、神宮で観てみたいなあと思ったのでした。
この取材がされてから、もう数年の時間が経っていて、単行本から文庫版になるときのあとがきにもあるように、応援部の姿もだいぶ変わったのだろうと思う。さらにそのあときからも時間が流れている。もう、以前のように、自己犠牲は美しい、とか、自分たちが未熟だから、応援が足りないから野球部がに勝ちを届けられないのだ、なんて真顔で言う人たちは、ひょっとしてもういないのかもしれない。
それならなおさら、この本に出会えてよかったな、と思えるのです。
でもどこかで、こんな人間くさくて、そして、硬派でお茶目な「応援部の常識」が、ひっそりと生き続けていたらいいな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
夕方の講堂前。聞こえてくる学ラン姿の男たちの野太い声。ジャージ姿で練習に励むチアガール。
東の雄が東大なら私の職場は西の雄なので、そういった光景は日常的に目にする。そのたびにしょっぱい感傷を覚えながらも、応援部なる人々の実態については実はよく知らなかった。
華やかで可愛いチアガールには憧れたものの、男の子なら自分がプレイヤーになりたいものじゃないの?何故応援する側に?チアガールとお近づきになるため?と邪推していた。ごめんなさい。
こんなにも体育会系でバンカラ気質で、過酷な練習にさらされる部活だったとは。殴られ、ビンタされ、拳立てでボロボロになる練習。応援するのはスポーツ強豪校とは違い、阪神並みに負け続きの東大野球部。勝てないチームを矛盾に満ちた葛藤を抱えながらも声を枯らして応援する。ただそれだけの為に、単位やプライベート、楽しげなキャンパスライフを投げ打って。
私には到底真似できない。何故彼らがそこまでするのかも、きっと完全には理解出来ていない。けれど、ひたすら眩しく羨ましくなった。プレイヤーにならなくても、体育会系でこんなに熱くなれる場所があったのか。
訳もわからず無我夢中で打ち込んできた人、矛盾や理不尽な出来事に何度も辞めようと思いながらも四年間やりきった人、退部と復部に揺れながらもやはり戻ってきた人。皆にエールと花束を。 -
元々、応援団という集団が好きなので、面白かったです。東大という、はじめから勝てないだろうと思われる運動部を応援するところに所属する、というそもそもの動機ってなんだろ・・・という興味もあったのですが、あまりそこのところには触れられてなかった。実際、そこを考えては入部していないのかも、とも。でも、応援を重ねていくうちに、勝てない、また勝てない・・・と、応援部の存在意義、自分たちの活動の意味を哲学的な考察まで持っていくところに感動。また、滅多にない勝利のとき(立教戦だった)の彼らの喜びの大きさったら!「学生注目!」(なんだ!「勝ってるじゃないか!」(そうだ!)のやり取りには涙が出ましたよ、私。そして、応援部所属の吹奏楽部・チアー部には当然女子もいるわけで、彼女たちの思いや引退時のコールには、(この本ではあくまで脇役なんだけど)もう涙・涙・・。理不尽なことがすごく多かったり、また講義に出れなくて留年したり、と誰にでも応援部入るといいよ、とは言えないけど、(だいたい、東大に入らないといけないわけだしね)4年間、燃焼した部員に得られるものの大きさを教えてくれた一冊でした。そうそう、何年生であっても応援部に4年間在籍したら引退しなければいけない、という決まりも面白い、というか、これはリーズナブル、と思いました。
-
あまりに(熱|暑)すぎるノンフィクション。
筆者が意図的に距離を置いて淡々と事実を伝えているのも、この本の熱気があってこそ活きてきます。
東大理系出身としては、
・野球部が勝つなんて夢物語。応援しても報われない
・平日が潰れる部活なんてあり得ない
という感じを持っていました。
だとすると、応援部というのはもう完全に異世界。
更に読了後、時代の波をシャットダウンするかのような、恐ろしいほどの伝統の濃さを感じました。
時代の波に、少なくともこの物語が描かれた頃までは抵抗できていた。
そんな異世界の中で4年間を過ごすとどうなるか、そしてそんな立場で応援している時のあまりにもレアすぎる勝利の味がどうかといった所を、愉しませて頂きました。
-
応援部という特殊さに加え、「なぜ東大生が・・・」「勝てないのに応援する意義とは」の2つが加わり、メンバー自身をも苦しめていく。
この応援部で起こる出来事は全て漫画やテレビドラマの世界のような、しかし全て真実である。リーダー達の一人前になっていく姿、それを見る残りのパートのメンバー。はっきり言う。応援部の人たちは考え方が他の人と違っていて、応援部を当たり前のようにこなしているのではない。それは違う。2回練習から逃亡し、退部届けまで書いた3年生ですらいる。それでも応援部のメンバーは自己を問い続ける。卒団した先輩までもが後輩の説得に当たる。「お前の気持ちは本当なのか。」
そして、彼ら彼女らは一様に気付いていく。「応援部の中にしか自分の役割が果たせる場所はなく、その役割は充実していて、何事にも変えがたい。応援部を辞めたところで、これに勝る居場所など無いのだと。」
筆者最相葉月の応援部との距離感が絶妙だ。あとがきでも書いているが、文章の端々に応援部という異様ではあるが、20前後の若者が自分の全てを投げ出して、真剣にぶつかる姿に理解を示し、無上の愛着を持っていることが伝わってくる。
単なる趣味で読んだ本だが、ある意味哲学を示しているような気がする。見出しても見つからないかもしれない矛盾、理不尽、それに対する答え。こうした応援部の実情は今の日本の不透明さに似たものを持つ。4年間という期間限定ではあるもののこれに全力で臨む彼らの真摯な姿に心打たれた。 -
思わず硬派ではないオレも、目頭にウルッときた・・。
いたなあ・・こういうヤツラ。ガクランをこよなく愛する熱血の男たち。
大学に入ってから、最初に授業の説明を受ける際に教室に妙な違和感があった。
それはガクランを着ている連中が教師のサポートをおこない、やたら声のデカいこと。
テキパキと働く彼らと、受験勉強をやっと潜り抜けて大学に入り、ボーッとしているオレたち。
同じ大学生なのに、随分と違うものだ・・あいつら何なんだ?
なんであいつらは、大学に入ってまでこんなことしているのだろう?そう思った。
オレも東京六大学のはしくれであったため、神宮の大学野球は何度か行った。
応援団の統率の取れた応援方法には、別の楽しみがあった。
野球部のチャンスに水をかぶり、声をからし、ガクランの汗が塩となり白くにじむ。
そして負けたら、大学まで走って帰るという・・。
就職する際に、応援団やスポーツ部の連中は会社ウケするし、就職に有利だという話をよく聞いた。
しかし、だからといって運動部に入ろうとは1回も思わなかった。
大学に入っても、自由が無いし、理不尽なことで先輩に殴られるわ・・
そんな4年間を過ごすなんてバカバカしい・・そう思っていた。
ナンパな4年間の大学生を送ったオレ。
しかしそんなオレも、心のどこかではそこまで一つのことに夢中になれる彼らをうららましく思っていたのか。
この本の途中途中で、ちょっとグッとくるシーンが何度もあった。
自己犠牲の姿は決していいものではないかもしれないが、感動を呼ぶ。
でももう一度大学生活を送れることになったとしても・・やはり、応援団には入らないと思うけど(笑)
-
最相葉月(1963年~)氏は、関西学院大学法学部卒、広告会社、出版社、PR誌編集事務所勤務を経て、フリーのノンフィクションライター。『絶対音感』で小学館ノンフィクション大賞(1998年)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』で講談社ノンフィクション賞(2007年)、大佛次郎賞、日本SF大賞等を受賞。
本書は2003年に出版、2007年に文庫化された。
内容は、東京大学応援部に1年間(2002年)密着取材し、11人のリーダーを中心に、神宮(野球部)応援の舞台裏にスポットをあてて描いたノンフィクションである。尚、2002年の六大学秋季リーグ戦では、東大は立大から4年振りの勝ち点を挙げており(その後は、2017年秋に法大から勝ち点を挙げたのが15年振り)、それが本作品にドラマ性を加えている。(もちろん、それは偶々なのだが)
私は50過ぎのシニア世代に属するので、本書に描かれたような世界が存在する(というか、本書の取材から20年経った現在においては、存在した、と過去形で書くべきかも知れない)ことは知っているし、メンタリティ的にも理解はできるのだが、読後感は少々複雑なものであった。(というのは、そこには体罰や過度な上下関係のような、前時代的とも言える慣習が存在するからである)
それでも、本作品から最も強く感じられるのは、強固な意志と粘り強さを持ってひとつのことに打ち込むこと、そして、それを人と分かち合うことの、素晴らしさであり、掛け替えのなさである。本書の中で、メンバーは、自らがスポーツをする立場ではなく、それを応援する立場であること(つまり、自らの応援が試合の勝敗に直接結びつくものではない)、加えて、東大野球部は六大学の中で非常に弱く、自分たちの応援が、試合の勝利というわかりやすい形で報われることが少ないことに、自問自答し、苦悩するのであるが、その答えは、「ひとつのこと」がたまたま「応援」だったということに尽きるのではあるまいか。
著者は「文庫版のためのあとがき」で、取材から僅か5年の後に、神宮での応援において(最低限の)統制・マナーすら守られておらず、また、各大学の応援部員が激減している状況を憂いているのだが、私もそうした状況を知ったなら、やはり寂しく思うだろう。東大応援部のような存在は、(在り方に多少の変化は必要であるとしても)無くなって欲しくはないのだ。
解説で作家の三浦しおんは次のように書いている。
(この物語は)「これと思い定めたただひとつのことを選び取ることのできた、幸運な、しかしその幸運に見合うだけの意志にあふれた人々の、輝く生を読者に伝える。私たちはスポーツそのものに感動するのではない。スポーツをする人間、そしてそれを我がことのように一心に見つめ、応援せずにはいられない人間の姿に、感動するのだ。」
(2022年11月了) -
マイミクのてつやんさんにお借りしました。
同じ筆者の「絶対音感」を読んで面白かったので、こちらも読んでみたいと思いました。
とても熱い内容の本でした! 読んでいて止まらない。あっという間に読み切りました。それぞれの場面の描写が緻密で、光景が目の前に浮かんでくるようです。
絶対音感といい、応援部といい、題材の選び方がほんとうにすごい。なので、題材を選んだ時点で半分は「勝ち」のようなものですが、それをまた綿密なインタビューで掘り下げていく。よくもまぁ、これだけの人に話を聞いたものだと思う。(没にしたものもあるだろうから、紙面に表れている以上に、人と話をしているに違いない)
そして、タイトルだ。フィクションじゃないのに「物語」となっている。そうしないではいられなかったんだろうな・・・。全部事実のはずなのに「物語」と呼ぶしかないぐらいドラマチックな応援部の生活が描かれています。
一読の価値あり! -
東京大学応援部の活動を追った、ドキュメンタリー。
絶対服従の理不尽なしごき、授業に出ることもままならない忙しさ、試合を楽しむことなくグラウンドに背を向けて必死に応援して試合を楽しむことが出来ない虚しさ、そして極めつけは、試合に負け続けるのは明らかにチームが弱すぎるからなのに、試合に負けたのは応援が足りないからだ、という先輩から受ける理不尽な叱責。
こんな部活動、あり得ないし絶対御免被りたいが、何故か読んでいて感動を誘うものがある。 -
青春だ、羨ましい。