仮想儀礼(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (601ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101484174

感想・レビュー・書評

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  • 何とかNHK BSドラマの最終回前に読了することが出来た、しかしドラマの方にはがっかりだ、金のかかるところは全てカットして物語も原作の皮相的な部分しか描かれていないようだ、いま昨今批判されている原作改変の脚色に原作者は批判しないのだろうか、もう諦めてしまっているのだろうか、こんな事では誰もテレビを見なくなってしまいそうだ。さて本作の後編はただひたすら落ちていく教団が最後は完全にカルトに陥り破滅してしまうと言う物語ではあるが、もっと恐ろしいのは権力を振りかざす政治家とデマに煽られる民衆と言うところだろうか。

  • おっもしろかったー!

  •  新興宗教の聖泉真法会の教祖、桐生慧海。ある意味では貧乏な教祖様である。あまり欲もない。
     宗教的なカリスマ性もない。公務員的な生活規範とカウンセラー的であるとも言える。
     桐生は教祖というものが、自分にはむいていないとも思っているが、信じたい人はやはり教祖様でないと宗教は成り立たない。信じる人によって、教祖は持ち上げられていく。
    「すべての生命を尊び、すべての生命を愛する。我は神のうちにあり、神は我のうちにあり」
     結局仏像なんていらないものであり、祈ることで自分の中に神をつくる。
    ゲームブックの『グゲ王国の秘法』という大きなシナリオで、聖泉真法会は作られていった。
    信者が、7000人になったところで、上巻は終わる。下巻は、その組み立てたものが、すざましいスピードで崩壊していく。この編集能力の凄さ。
     森田社長の弁当屋が、インドネシアに進出して稼働をしたことで大きな飛躍をするが、焼き討ちされたことで、崩壊が始まる。斎藤工場長が、インドネシアの工員たちに、聖泉真法会のルールを押し付けることによる工員たちの反乱だった。インドネシアの最大の宗教はイスラム教。そんな中で仏教的行事を押し付けることが危険なものであった。工場はほとんど全焼する。結局、インドネシアを撤退せざるを得ない状況にまで追い込まれる。森田社長は、聖泉真法会の大きな支援者。会社がうまくいかなければ、支援もしにくくなる。そして、社長は解任され、娘婿が社長になることで、聖泉真法会は、研修所から退去を通告される。
     聖泉真法会に国税庁の査察が入る。脱税の容疑であるが、もっと大きな狙いは、恵法三倫会の回向法儒の脱税と国会議員への贈賄事件だった。ネパールにおける学校建設や病院建設にも桐生慧海は協賛していた。そのことで巻き添えを食らうことになる。回向法儒は、殺人事件も起こしていた。聖泉真法会のダーティイメージが広がり、良識層の信者が離れていくことになる。
     新興宗教においても、リスク管理が必要なのだ。
     4人の女性の信者たちの家に、桐生慧海が経済的理由でころがりこむことで、ハーレムと噂されるようになり、その女信者の家族たちが取り戻そうとする運動が起こり、街から出ていけと看板まで出るようになる。それは、有力な国会議員の秘書の妹が信者なので、あらゆる形で聖泉真法会の評価を下げていく。そして、信者たちの家が放火され、ワゴンで逃げることになる。もはや転落するしかない。
     教祖である桐生慧海よりも女性たちの中には、新人が強く、独特の宗教に発展させ、桐生慧海は、実は教祖なんかではなく、詐欺だったと主張するが、女たちは全く聞き入れない。この展開がなんとも言えない。もはや、女性たちのいうことを聞くしかない状況に追いやられる。教祖を乗り越える信者たち。このなんとも言えない展開が、人間の本性と狂気を明らかにして、喜劇のような宗教が、悲劇の宗教になっていく。女たちの豹変が、宗教ゆえの狂信なのだろうねえ。サリン事件を引き起こした宗教は、追い詰められたことによる狂信だったのかと思う。宗教を信じるゆえに、人を殺すことさえ合理化する。ふーむ。ゾクゾクするほどの宗教小説だった。これも篠田節子の代表作だね。

  • p.58
    多くのものを受容し、肥え太ってきた組織は、不純なものを排除し、先鋭化しようとする内側からの欲求に、常に対峙しなければならない。
    p.91
    「去っていかないでください、うちを」
    p.222
    「自分の人生が自分のもので、いかようにも切り開けるなどというのは、何一つ持たずに生まれてきた者の戯言だ」

    面白かったです。後半の展開がちょっとありきたりかなーと思ってしまいましたが、一気に読んでしまいました。
    SNSが発達して、リーマンショックやら東日本大震災やら人種差別やらコロナやらオリンピックやらがある現代だとどんなストーリーになるのか?そんな小説があったら読んでみたいです。

  • 上巻は正直言ってダラダラとめりはりがなく、何度か脱落しそうになった。しかし下巻では篠田節子の面目躍如。引きずり込まれるように読んだ。発端は食い詰めたふたりの中年男が、手っ取り早く大金を手にする手段として宗教教団を立ち上げた。教祖になった正彦が書いたゲームのストーリーブックから抜き出した教義で。信者は順調に増えていき、パトロンとなる企業もついた。とは言うものの正彦は常識人。新興宗教のガツガツさも、カルト教団の排他性もなく、教えと言えば常識の範囲内の穏やかな心の安定を得るための生き方だけ。しかし脱税、パトロン企業の奸計にひっかかり、評判は地に落ち、カルト教団の烙印を押されてしまう。女性信者が次々に持ち込む家庭不和、肉親による性的虐待など問題は山積。教祖が尻拭いをして回る羽目に。マスコミ、世論、娘を取り戻そうとする家族が仕掛ける数々の暴力事件に堪えている。嘘からでたエセ宗教が暴走し、女性信者が肉付けをし、もう教祖でさえとめることができない。篠田作品には珍しく男性が主人公なのだが、後半は5人の女性信者の狂気が描かれており、秀逸。

  • すげえ力技の小説。
    勿論、力だけではなく上手い小説でもあるんだけど、読み終わった後の疲労感が「オモロかった」より「読み遂げたぁ」という感想になるあたりが、力でガツんとホームラン打たれた感がするのである。

    新興宗教をテーマにしている小説。宗教観については個人的な見解も色々だろうし、そこをなんやかやというつもりはない。宗教とか救済とかその手の事についてどう書いてあるか気になる人は、この作品を読んで自身の感想をもてばよいと思う。

    「絶対信じる」と言うた側はそこで思考停止する言い訳をしてるのであって、またそれを受け入れた側が思考停止を認めた段階で相手を人間として扱っていないことになる。

    マスコミが言うていることが正しいのではないということ、大新聞がNHKが報道したんだから正しいというのは、「絶対」を信じる思考停止に似た心境なんだろう。この小説は「絶対」に信じる存在の危うさ、信じられることの危険性を一つのテーマにしてるのかなと思った。

    某知り合いが「Mバーガーはミミズの肉使ってる」と大勢の場で言うた事があって「そんな噂バラまくなよ。ここにかって関係者おるかも知れんねんで」と言い返したら「だってテレビで言うてたからホンマやろ」と…。この知り合いを稚拙と笑うのは簡単だけど、その手のギミックに引っかかってるは俺含めて結構多いのではないか?

    弱ってる時は寄る辺を欲するものである。それはもう絶対必要なんだけど、回復したら自分で立てるようにしとかないと、思考も筋肉も使わないと衰えるもんなんだということである。

  • やっと読み終わった。

    この本は友達のおすすめで出会った本。読み始めはおもしろそうだなーという漠然とした、どちらかというコメディ要素もあるのかなと勝手に想像を膨らませていた。

    ところが物語は宗教を興すという、意外な展開をみせる。
    そんな簡単にいくのかと思うほど、トントンと話は進み、わたしものめり込んでしまっていた。


    だけど、途端に事態は急降下。
    人間の欲や本能、心の奥底の深くて暗い隠された部分が見え隠れする。
    正直読んでいて、不快なときもあったし、終わったあとは疲れたなという思いが強かった。
    でもそれを含めて本当に面白かった。
    面白いという表現がいいのかわからないけど。

    人は究極という悲劇や、心のストレスなどを受けたとき、
    その環境の影響から、こんなにも人としての内面や感覚が理解できないようなことになってしまうものなのかと、漠然と怖くなった。

    人は弱い。
    弱くて、でも強い。


    結局、最後はどうなんだろう。
    これは洗脳なの?といまだに私も謎。

  • 上巻はトントン拍子に教団が大きくなり、普通はこんな簡単にできひんよな〜と感じるところもあったんやけど、下巻のあれよあれよという間にガンガン転落いく様はさらにリアリティを感じて、ああ〜もうこれ以上落ちていって欲しくないなあとだんだん読むのが苦しくなってくるんやけど、ほぼよどむことなく一気に最後まで読めました。

    でも一気に読めるんやけど、これは相当体力がいります。
    こんなに骨太の小説を読むのは久しぶりかもです。
    読み終わったあとはぼーっとして、頭のなかがぐるぐる回って、現実世界に帰るまでにものすごい時間がかかりました。

    仮想儀礼を読む前までは、新興宗教とか占いとかうさんくさいな〜、なんか信者のひとってだまされてる感があって気の毒〜、とか思っておったのですが、今となってはこの小説みたいなことってホンマにあるのかも。と感じております。それくらい、後半はすごくリアルに感じました。

  • 金目当てでエセ宗教を立ち上げる二人の男のいわば栄枯盛衰。世の中をこういうアングルから見た事はなかったので新鮮、かつ、宗教というものが一部の人間の心の闇に巣食う過程が実にリアルで恐ろしい。
    ある意味ミイラ取りがミイラになる・・・最後まで緻密で読ませる怖いサスペンス。主人公が最後まで「普通の人間」であり続けるのが救いか。

  • この本は鏡リュウジ (占星術研究家)さんが推薦していた本なのですが、下巻を読むと「なるほどなぁ」と納得します。


    一つの歯車が狂い出すと、やがて全ての機能が狂い出していく・・。
    なのにその動きは停止することなく、最初に動かした者も手には負えない。
    それは読者にも想像できそうにない、あらぬ方向へ暴走し始めていく・・。

    虚業、ゲーム本から作り上げられた宗教ビジネスが、似非教祖の手の及ばないところにまで変貌し、制御不可能になって怖れをなした教祖自身がその中にズブズブと飲み込まれてゆく・・逃げることも許されず。

    とても怖いですし、異質なものが一旦社会で採り上げられてしまうと、もう社会(マスコミ)・市民運動・政治的圧力などと言う外部からの攻撃を受け、しかも内部からも醜く崩れていく・・。


    その中で、教祖桐生と矢口の奇妙な連帯感とお互いを自身の半身のように必要とし、頼り、嫌悪し、愛する(?)・・心の変化。

    知的でプライドの高い桐生よりも、笑みを絶やさず、愚かで素直ですぐ騙されやすい矢口の方が、最後には本当に仏の境地に至ったのではないかと思えるぐらい崇高に見えました。


    信者の心の闇も一筋縄ではいかなくて、彼らの「生き辛さ」に半ば嫌悪感を持つ桐生と、骨身を削ろうとする矢口。

    救われたと思ったら、次にはもっとどす黒い闇がまたたちこめて来る。

    ホント、怖いです・・これ。

    桐生にも矢口にも、本当の悪党になるほどの勇気もなく(?)
    良心が時折顔を出してしまうのが、人間らしいというか、こんな結果になった原因なのかもと・・。
    甘くないんですよね、宗教をビジネスにしようなんて。

    (「千石イエス」になりたくない)と思う桐生は、それよりも過酷な運命を辿ることになりました。

    ラストでは、嵐が去った後のような不思議な感覚を得ます。

著者プロフィール

篠田節子 (しのだ・せつこ)
1955年東京都生まれ。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。97年『ゴサインタン‐神の座‐』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。ほかの著書に『夏の災厄』『弥勒』『田舎のポルシェ』『失われた岬』、エッセイ『介護のうしろから「がん」が来た!』など多数。20年紫綬褒章受章。

「2022年 『セカンドチャンス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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