殺人犯はそこにいる (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
4.29
  • (735)
  • (489)
  • (208)
  • (34)
  • (9)
本棚登録 : 5863
感想 : 556
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (509ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101492223

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 警察の闇。マスコミの闇。社会の闇。日本に渦巻く闇が体験したことの無いほどの濃さで表れているからこそ恐ろしく、最後まで目が離せなかった。

    著者の叫びも虚しくこの本の話題は去ってしまった。だからまた何度も同じことを繰り返し、被害者や遺族の苦しみを増産させ続けるのだろうと日本社会の在り方について考えさせられる本だった。

  • 冤罪事件として有名な「足利事件」を含む、栃木・群馬で起きた幼女誘拐/殺人事件の調査報道記録。

    長年服役していた男性が、DNA型の再鑑定により無罪で釈放された当時の報道を覚えている。

    著者の清水氏は、その冤罪照明の奔走し、
    真犯人追及のために独自取材を続け、
    報道の力で国家権力に抗う。

    どこまでも本気で、どこまでも正義だ。
    その姿は決して青臭くなどないし
    報道の在り方を教えてくれる。

    ペンは剣よりも強し。
    人を救う正しさのために。

  • 冤罪そして司法の穴について触れた記者ならではの実体験・実話が面白かった。
    人間は権力を自らの力だと勘違いしてしまうものだと改めて考えさせられた。

  • 巨大な組織の前に、こんなにも無力に
    泣き寝入りしなければならない人たちが
    いることを非常に辛く思う。
    塀の中から真実が明るみになると
    信じ続けて無実を訴え続けた人、
    真実の為に何年も奔走した著者、
    突然悲しみの淵に立たされた遺族の方々、
    その裏で時効の蜜を吸って逃げ果せた犯人。
    この本を読んだ人は皆、どこか他人事に
    感じていた犯罪事件について、
    もう知らぬ存ぜぬで通すことはできないのでは。
    これからは情報を鵜呑みにするのではなく、
    俯瞰的にみることが大事だと思う。
    人の人生を左右する重要な証拠が、
    こんなに脆く崩れやすいことが、とても恐ろしい。

  • 報道、記者への考え方が変わりました。
    情報をたくさん入手しやすい時代だからこそ、今この本に出会えて良かったなと。

    難しい話が多いですが、読んでいると登場人物の感情がとても伝わってきやすく、憤りや怒り、時々救われる様な想いをまるでその場にいるようにイメージできたので最後まで読むことが出来ました。

    隠蔽とか、小さな会社等でも本当によくありますが、せめて警察や政府は正義の味方であってほしいです。

  • 家人(高校生)が社会の授業か何かで勧められた本を図書館で借りてきたのでいつものごとく横から家人より先に読了。冤罪ものはフィクションノンフィクション問わず気が重くなるので、パラパラと眺めるだけにしようと思っていたのだがついつい引き込まれ読破してしまった。
    本書で取り上げられている事件のことは全然知らなかったが、警察組織や検察組織のやり方はこれまでいくつかのフィクションやドキュメントで見たことのあるものだった。また、取材側の問題意識は漠然とこんなものだろうなと思ってはいたが、同業者からこんなに赤裸々に書いてしまって大丈夫なのかと心配になるほどに率直な描写が続く。マチズモという言葉も馬鹿らしいほどの硬直したそれぞれの組織の都合により、人生が左右されてしまうことは本当に恐ろしい。こういう機構は同じような状態に陥りやすいだろうから日本が特にひどいとまでは思わないが、問題があることは間違いない。できるだけ問題意識を広く共有するためにも、ぜひ多くの人に読んで欲しい本であった。
    本を借りてきた家人が読み終わった先ごろ、9年前の「餃子の王将社長射殺事件」が一気に急展開し、各マスメディアも連日報じる騒ぎとなった。ニュースを聞いていた家人がポツリと「どうしてこんなに時間が経ってからこんなふうに話が進むんだろう」と漏らしたので、こういう本を読んでからこういうニュースを聞くと、いろいろ考えるよね、としばし話し合った。この本を読んで視野が広がったことが伺え、重苦しい内容ではあったが啓蒙的な良書と再認識した。
    それにしてもこの著者名、本名だろうけどペンネームのような清々しさ。胸にモヤモヤを抱えている時にこんな人が取材に来たら、いろんなことを洗い流してくれると期待させられてしまうお名前である。天職ってやつか。

  • ほんの雑誌、2022、7月号の「いま、ルポタージュが熱い!」のランキングを見て買いました。
    大変読みやすく、誰にでも読める読み口で書いてくれています。ルポ形式のものは、実は読みかけることがあっても、なかなか最後まで読めず終わってしまうことが多かった中で、夢中になって一気に読みました。
    煽るような内容ではなく、一つひとつ、きちんと積み上げてあり、やはり「正しく知らせる」人が世の中にいることの重要さを考えさせられました。

  • 清水さんのように「真実」を拾える生き方を心がけようと思った。
    事件発生当時より情報に溢れた現社会で生き抜くためには、思い込みに囚われず、日々流れている情報を見極め、伝聞の伝聞にならないように考えながら生きようと思う。

    この作品は、北関東連続幼女誘拐殺人事件に限らず、たくさんの風化させてはいけない事柄を振り返るためにも大勢の人に読み継がれ、一人一人が考えて生きていくためのバイブルだと思う。

  • 清水潔(1958年~)氏は、新聞社・出版社にカメラマンとして勤務後、「FOCUS」編集部記者を経て、日本テレビ報道局記者/特別解説委員、早大ジャーナリズム大学院非常勤講師。
    著者は、雑誌記者時代から事件・事故等の調査報道を展開し、1999年に起きた桶川ストーカー殺人事件では、警察よりも先に容疑者を割り出したほか、被害者から上がっていた告訴状を警察がもみ消していたことを突き止め、それらを本にした『桶川ストーカー殺人事件―遺言』(2000年)で、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」、「JCJ大賞」等を受賞した。
    本書は、1979年、1984年、1990年に栃木県足利市で起こった幼女殺人事件、1987年、1996年に足利市に隣接する群馬県太田市で起こった幼女誘拐殺人事件という、わずか半径10キロ圏内で起きた5つの幼女誘拐・殺害事件を、同一犯による連続誘拐・殺害事件と捉え(警察は、うち一つの事件の犯人を逮捕し、無期懲役の有罪を確定させていたため、連続事件とは認めていなかった)、真相を追った迫真のルポルタージュである。著者は、2007年に本格的に取材し始め、その取材の過程・結果は、日本テレビを中心に様々な媒体で報道されたが、本書はそれらをまとめ、2013年に出版、2016年に文庫化されたもので、「新潮ドキュメント賞」、「日本推理作家協会賞」等を受賞。
    私は不覚にも、上記の報道を全く見ていなかったのだが、今般手に取って、あまりの内容に、一気に読み切ってしまった。
    読み終えてみて、敢えて大上段に、我々は本書から何を読み取るべきかと考えてみると、一つは、著者の活動を通して、調査報道(広く言えばジャーナリズム)のあるべき姿を知ることであろう。実際、ジャーナリストの牧野洋氏は、本書の解説で「調査報道のバイブル」と絶賛している。
    そして、もう一つは(ジャーナリストではない人間には、こちらがより大事なのだが)、本書が明らかにした、この事件の置かれている(置かれてきた)状況に、日本の社会の闇・問題点のひとつが凝縮されているということを再認識することなのではないだろうか。足利事件の冤罪、真犯人が今も野放しにされている事実、DNA鑑定に関する事実の隠蔽等、この事件についての大半の問題の根底にあるのは、警察・検察・裁判所の自己防衛の意識である。過去に下した判断の間違いを認められないばかりに、嘘や矛盾が塗り重ねられていく。。。古くは太平洋戦争でも、近年も次から次へと発覚する大企業の不正隠蔽でも、(最初に判断を間違うことは、人間である以上已む無しとしても)判断の間違いをずっと修正できなかったことが、最終的に取り返しがつかないような結果を招いているのだ。そして、そのような体質は、「空気」や「世間」や「恥の文化」に支配されてきた日本人に、特に色濃いものであることは違いない。
    一人の被害女児の母親は検察にこう言ったという。「捜査が間違っていたのであれば、ちゃんと謝るべきです。・・・ごめんなさいが言えなくてどうするの」 この事件への司法の対応が許せないのは論を俟たないのだが、一方で、他山の石として自らを省みる必要がないか、考えなければならないとも思うのである。
    連続幼女誘拐殺人事件の真相を追いつつ、現代日本の闇を明らかにした、力作ノンフィクションと言えるだろう。
    (2022年8月了)

  • この本の解説を執筆した牧野洋さんはこの本を調査報道のバイブルと称した。ジャーナリストへの偏見として、情報の非対称性を利用して情報操作をしたり、根拠のないまま情報を流したり、独自取材と称してプライバシーを簡単に侵害したりという印象があり、軽蔑する人も多い職業のように思われる。情報を得る上で最も重要なのは正しさだろう。速さでも量でもない。メールに写真を添付するとき、速く多く届けたいのであれば画素を多少粗くすることも構わないかもしれない。しかし、情報は速さや量の為に正しさを犠牲にしたり、曖昧なまま流したりすることはできない。提供者が独断でそれをすることは許されることではない。筆者のジャーナリストとしてのあり方はその点でとても真摯である。ただの横流しスクープではなく、報道者として正しさを再検証する。誤った情報は警察発信のものでもしっかり否定する。調査報道の“調査”の部分は情報の正しさを担保する上でとても重要になる。筆者の実体験を参考にその方法を知れるこの本はまさに調査報道のバイブルである。また、私は今までスクープを幾つもの種類に分類できるとは考えておらず、ジャーナリズムとは情報収集して世間に報告するものだとおもっていた。一般人の手に届くところに情報を輸送するという点で優れたビジネスである一方で、そのシンプルな構造がジャーナリズムの価値を軽く考える人をたくさん産んでいるのだと思われた。しかし本書でジャーナリズムの本質は、世間に問うことだと感じた。こんな世の中でいいのか。あなたはこの世界線でどのような振る舞いを選択するのかと。偏った報告をして世論を誘導するのではなく、問いを発信して世論を扇動する。それが報道であろう。それを気づかせてくれるという点でも本書は調査報道のバイブルといえる書である。その問いを創出する上でジャーナリズムは世間の認識や正論とみなされたものと事実を見比べ噛み合わない点を緻密に探す。研究でも同様だろう。既存の論理と噛み合わない事実から問いが生まれる。この書は私にとって卒論研究のバイブルともなった。

    北関東連続幼女殺人事件に関しては、今後同様の事件が繰り返されないためにも、また、被害者遺族雪辱を晴らすためにも、真犯人は捕まえられなければならない。しかしこの期に及んでも警察は調査を行わない。犯人はほぼ明らかになっている。しかし野放しにする。何故か。それは、過去の調査で用いられたDNA型判定の誤りを認めることになるから。そしてそれを認めると、既に執行された死刑が冤罪である可能性が高まるから。そして警察の威信と信用を失うことになるからだ。この問題を解消する上で必要なのは警察が変わることではなく私たち世間が変わることだと考える。犯人を逮捕することで、過去の死刑が冤罪であることが明らかになることは言うなれば自然の摂理でどうしようもないことである。しかしそれによって、警察が威信と信用を失うことはその行動主体は世論であるからだ。また、これに関しても警察は受動的であり、どうしようもない。警察の行動を阻む障壁を撤廃できるのは警察以外の私たちだけである。つまり、失敗を許容する土壌を作る必要がある。人の命が失われることすら許容することは容易ではない。しかし、不可逆的な過去を責めれば責めるほど未来に暗雲を漂わせることになる。目には目を歯には歯を。大きな失敗をすればそれだけ責められる。そんな社会形態は確かに犯罪抑止につながるかもしれない。しかし、失敗してもそれを受け入れ、反省、再試行、リトライのチャンスを与えることで、失敗をバネに前進できる社会を形成できるのではないか。

全556件中 71 - 80件を表示

著者プロフィール

昭和23年生。皇學館大学学事顧問、名誉教授。博士(法律学)。
主な著書に、式内社研究会編纂『式内社調査報告』全25巻(共編著、皇学館大学出版部、昭和51~平成2年)、『類聚符宣抄の研究』(国書刊行会、昭和57年)、『新校 本朝月令』神道資料叢刊八(皇學館大學神道研究所、平成14年)。

「2020年 『神武天皇論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

清水潔の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×