クヌルプ (新潮文庫)

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著者 : ヘッセ
制作 : 高橋 健二 
  • 新潮社 (1955年4月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (130ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102001059

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クヌルプ (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 二カ月ほど前、我が家に猫がやってきた。母が道端で鳴いていた黒い子猫を拾って来たのだ。その頃は目も開いておらず、当然餌も自力では食べられないため、注射器にミルクを入れて飲ませなければならなかった。時が経ち、日に日に成長した猫だったが、自分たち家族は彼のために様々な気を遣い、世話を焼かなければならなかった。その割に本人は飄々として自由気ままに過ごし、気の向いたままふらついて行く。呆れることもしばしばあったが、しかしそのぶん家族間の空気は和み、癒され、以前に比べて笑顔も増えた。すべて彼のおかげである。

    さて、この話の主人公クヌルプは、まさにこの猫のような人間である。
    自由気ままに放浪し、旅先の知り合いに世話を焼いてもらう。しかし、その憎めない性格ゆえに、訪ねる先々で倦厭されるどころか歓迎される。

    ヘッセと言えば「車輪の下」「デミアン」など重苦しい作品が代表作としてあげられるが、本作はそうではない。作者お得意の自然の描写はやはり美しく、主人公はアウトサイダーの人間ではあるが、優しい童話のような雰囲気さえ感じられる作品だった。ただその核にある物は決して軽々しいものではない。やはりそこには前述したふたつの代表作に通じる真理があるのだ。
    このことは訳者により巻末で詳しく述べられている。

  • 見た目がすっかり変わっていても、話をするとすぐにそれが誰だか思い出せるという主人公の在り方に心惹かれた。そういう風になりたいというわけでは決してないけれども。

  •  構成がトリッキーだと思います。作品が全部で3章ありますが、語り手が、それぞれの章で違うと思います。「3章」で出てきた町の医者が、「2章」のクヌルプの友人である語り手だと思います。時間軸で表すと2章→1章→3章の順に時間が進んでいると思います。
     作品を読んで、クヌルプは神話の人物の様だと思いました。語り手がそれぞれの章で違う理由は、一つはクヌルプの定住や束縛を嫌う人間性を表現するため、もう一つは例えばプロメテウスの様な神話の人物としてクヌルプを表現するためなのではないでしょうか。語り手が違うことによって、クヌルプという人物がいつの時代にも存在する事を、象徴的に表せていると思います。
     文学は個人と社会の間の摩擦や軋轢を取り除くことは出来ませんが、個人と社会の間にクッションの様に入り込んで、摩擦や軋轢を緩和する働きはあると思います。この作品中では、クヌルプが周りの人々に対してクッションの役目を果たしていると思います。この作品も、この作品を読んだ現実の人々にクッションの役割を果たすと思います。

  • 彼は彼らしく生きたのだ。

  • 自分自身を受け入れる、というテーマで読むのなら、『デミアン』の方が好みかな。

    どんな生き方であっても、その生き方にしかない良さがあって、神様が望んだこと。

  • 解説に小説としてのストーリーはないが、散文詩としてのまとまりがある、と記されている。その通りで筋らしいものはない。1部はクヌルプの気障なところが見える。2部は友との哲学的対話。3部がメインだろう。この最期に感じたクヌルプの人生の決着が、この小説の最も重要なシーンだと思われる。普通の人のように、人生に対して建設的に臨めなかったが、周囲に子供っぽい笑顔を振りまくクヌルプらしい人生だった、というわけだ。

    「彼は才能があったのに、何故落ちぶれてしまったんだろうか」という問いに対する答えがこの小説にある。
    落ちぶれた人クヌルプ…しかし彼は落ちぶれてなどいない。
    自由気ままな旅人だ。解説にはエリートより共感しやすいとあるが、共感の対象になるにはあまりにクヌルプは人好きのする性格だ。太宰治の人間失格を読んだ時のような気分だ。持つものが、道を踏み外して落ちぶれていくのに、共感は来さない。持たざるものが道を踏み外した悲しみより、幾分救いがあるからだ。

  • 初めて見た作品だったので。とはいうものの、『車輪の下』に次ぐ出版数を誇るとか。
    なんて愛おしい存在なんだろう。ただ与え続けるという役割を与えられた、このクヌルプという存在は。
    彼は自分を探したいだの、世界が見たいだの、そんな目的をもって旅人をやっているのではない。旅こそ彼の目的であり、望まれたことだ。だから、憧れはできても彼のように旅人に誰もかれもなれはしない。まさに在り難い。迎える人はきっとそれゆえに嬉しいのだろう。
    トリックスター的存在、いわば、非日常を体現したものの物語。けれど、非日常が生きるのは日常の中。本当に彼は一体誰なんだろう。風の又三郎のように、一陣の風のように、さっと吹いてさっとどこかへ過ぎ去ってしまう。
    そして、そんな存在にも探究のまなざしを忘れないヘッセの愛を感じる。彼のまなざしは、子ども心を忘れない無邪気な童話的なところがある一方で、ただひたすら「考える」そのことをし続ける、力強い一途なまなざしがある。

  • エリートコースを進む主人公の人生の歯車が少しずつ狂っていく、という大筋は「車輪の下」「デミアン」と似ているが、本作はそこまで暗さがなく、青春時代の楽しそうな描写が多い。放浪するに至るほどの苦悩ではないように感じて、あまり感情移入はできなかった。

  • 最期の神との対話は本当に美しい。自分らしく生きること、自分自身になること。それこそが人生の意義であることを再認識した。

  • クヌルプの流浪してても、装いを綺麗に、物を大切に扱うところが素敵だ。見習いたい。ラストはなかなかいい。

  • 13歳の時に味わった失恋と裏切りで、たった一度の人生を棒に振った主人公クヌルプ。とにかくものさみしい。ちゃんと生きよう。

  • やはりヘッセは文章が美しい。訳者の高橋さんの素晴らしい翻訳もあるのだろうけど。ヘッセは3冊目だけど、物語の主軸には結局ヘッセの人生が見え隠れしてる感じがする。なぜクヌルプが流浪の職工にならなければならなかったのか。理由を知った時、愕然とした。短い作品なのでまた読みたい。ヘッセは素晴らしいね。他の作品もどんどん読もう。2012/172

  • 思春期に読むべき一冊。ひたすらに美しい。自然美の追究。

  • 見どころがありそうなだけに惜しい作品。1クール目だけはおもしろいアニメみたいなかんじ。もっと跳躍できそうなのに、やはりいつものヘッセである。

    クヌルプの漂白の人生。彼は美青年で気ままで不思議なところがあり、かならず娘っこたちの目にとまる。彼のときおり口ずさむ詩や、生活をいとなむうえではいくらも役にたたない手先の器用さは「人々の息苦しい生活に一脈の明るさとくつろぎをもたらす。」

    作者のいうことを鵜呑みにすれば、そうなのだろう。けれどもぼくにはこのクヌルプという人物が真から人を和ませることのできる人物とはとても思えない。なぜなら彼の性格はやはりヘッセ的気難しさであって、それがクヌルプの柔和な性格といまいち融和しきれない感じをおぼえる。

    なにより生活を営む人たちに対するクヌルプの軽蔑がかなり徹底してることに驚く。彼の生活は社会の外にあって、アウトサイダーそのものであり、そのうえ「軽蔑」まで加われば、これはもう生活の内にある人々・インサイダーにとってみれば「破壊者」そのものであろうし。

    クヌルプが「聖」の属性をになっているのはわかるのだけれども、「俗」への軽蔑をみせる場面ではたしょう説教師的「聖」のありかたが垣間見える。まあ救世軍に入りたいとも言ってるし。けれどもクヌルプはけっきょく最後まで彼の「繊細さや敏感さ」を捨て去ることはなかった。ただぼくにとっては、年上の女にふられて漂白という、クヌルプのなまっちろさがいかにもうさんくさいのだ。

    彼は「繊細さや敏感さ」の世界に留まることを選び、俗と汚辱にまみれた生活とは縁を切っていたけれど、神がこのクヌルプを選ぶということは、はっきりと誤まりだったとぼくは思うのだ。とヘッセに言いたい。

    もはやヘッセとの対話という感じではあるが、二章の「クヌルプの思い出」は好き。

  • ヘッセはよんでいてつらい。くるしい。きつい。

  • もう一度、また少したったら読みたい。
    ありのままを受け入れること、そうなれるまであとどれくらいかかるだろうか。

  • あらゆる能力に秀で、誰からも愛された少年クヌルプが失恋にうちひしがれ、才能を持て余すさすらいの人生を送る。『シッダールタ』にもつながる魂の救済の物語。

    「きみは聖書に注文をつけすぎるよ。何が真実であるか、いったい人生ってものはどういうふうにできているか。そういうことはめいめい自分で考えだすほかはないんだ。本から学ぶことはできない。これがぼくの意見だ」(p33)

    「だが、それをぼくひとりで楽しんだわけじゃない。たいていの場合、仲間か、若い娘か、子どもが居合わせて、それをおもしろがってくれ、ぼくによくお礼を言ったものだ。それでいいことにしよう。それで満足しよう」(p89)

    引用は控えるが、最期の描写が美しい。とにかく美しい。

  • 2012年12月 03/96
    なんとなく気になって読んでみた。多彩な才能を持ち、それを湯水のように使ったクヌルプの少年期、青年期、老年期を描いた物語。終わり方がとてもスキでした。
    読んでる途中でなくして、見つかるまでに時間がかかったので改めて通して読み直したい。

  • 生活の芸術家、クヌルプの3の物語を描いた作品。「早春」「クヌルプの思いで」「最期」と題された思いでの中に、クヌルプという人間の豊かさが溢れている。


    中でも好きな場面が、「最期」でクヌルプが故郷に帰り、その少年時代を懐古するところだ。少し抜粋したい。

    「どの屋根にどのネコがいるか知らないことはなかった。どの庭でもその果実を食べてみなかったことはなかった。どの木でも、登ってみなかったのはなかった。そのこずえに緑色の夢の巣を彼が営まなかった木はなかった。この一片の世界は彼のものであり、このうえなく深い親密さでなじみ愛したものであった。ここでは低木の一つ一つ、庭の生がきの一つ一つが、彼にとって重大さを意味を歴史を持っていた。」(109p)


    クヌルプは初恋が失敗しそれ以来、持っていた才能をただ旅を楽しむだけ、時折クヌルプが訪れる旧友を楽しませるだけに使った。非凡さを持ちながらしかしまともにはなれなかったクヌルプは、それでも最期の神との対話で救われた。彼らしく生きたのだの。

  • 恋愛描写が綺麗すぎて感動した。
    物語の中に引き込まれていく本当に良い本。

  • どこか散文詩的な性格を持った小説。
    相変わらずヘッセは主人公に自分を投影させまくり。
    作品自体が忠告をその内に秘めてるというか、一言で要約すれば「恋愛ごときで中退するのはやめとけ」ってことかね。
    故郷の村をあてもなく彷徨う場面が好き。

  • 130ページ程度の短い作品で、物語もあらすじ通りであるけど、実に単刀直入にヘッセの思いが伝わってくる名作。
    長い放浪の末に、もはや取り返しのつかない人生に嘆くクヌルプ。自分はもっとまともな生活を選べたのじゃないか。死の間際、神様の声が聞こえてくる。

    「わたしが必要としたのは、あるがままのおまえにほかならないのだ。」

    別の何かになれたかもしれない人生なんて意味がないのだ、どの選択も間違ってなかったのだ、と。
    実に深いお言葉。自分の人生には自分だけの美点があるってことなんでしょう。他人の人生を歩んでは得られなかったものがね。

  • 孤独を自覚した上で、それでも一人で歩く人。

    終盤、それまでの来し方を振り返り、自身の人生に迷いを抱いだクヌルプの、神さまとの静かなやりとりがうつくしい。

    彼が真実から子供のように純真で、喜びでのみ人生を彩っていた人物だとしたら、それはそれで得がたく、貴重な存在ではあるけれど、読んでいて引き寄せられるような思いを抱くことはなかっただろう。それは人間ではなくて、なにか手の届かない、きれいで別の生き物だ。

    迷いを経た上で自身の孤独を受け入れたクヌルプだからこそ、その逡巡と肯定の過程をさびしくて愛おしいと思う。慈しみに似た共感を覚える。

  • 傍から見てその問題がどうなのかではなく、彼にとってどんな出来事だったのか。それを経て、彼はどう生きてきたのか。苦味が時間を抱き込んで、いつかほのかな甘味すら呼び込む。彼は抱えるものと共に、まるでゆるやかな風だった。これはハッピーエンドだろうか。最期に安息を感じる。

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