知と愛 (新潮文庫)

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著者 : ヘッセ
制作 : 高橋 健二 
  • 新潮社 (1959年6月9日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (495ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102001103

知と愛 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 神に奉仕する学者ナルチスと、美に奉仕する芸術家ゴルトムント。
    そんな二人の友情の物語で″知と愛″という邦題は見事。
    対照的な生涯を送った二人が、最後に芸術を通して互いを認め、精神世界と思想を語る姿に感動しました。
    清廉と官能が織り成す精神性の美しさに心が洗われるようで。
    哲学的な作品でまだ理解しきれてない部分もあるので、大人になったらまた読み返したい。

  • 高校生活が始まってから70冊めに読んだ、個人的には記念すべき、思い入れのある本です。2年に1回ほど読み返しますが、毎回「前に読んだときの自分は、全然理解できていなかったな」と思うのです。きっと2年後も読みます。
    たくさんの経験が豊かな創造性につながること(音楽家である自分には身につまされるものがあります)、それがどんな運命であろうと自分の使命に従う決意の実行の辛さと幸せ、官能と苦悩の不思議な紙一重…こんなに充実(この言葉を使うのには少々の違和感がありますが)したひとつの人生を覗き見るのは、もはやただの「読書」ではなく「経験」です。私はキリスト教には詳しくありませんが、宗教画のテーマの一つ「放蕩息子の帰還」はこういう意味か、と思ったりもします。彫刻をやってみたくもなります(笑)
    高橋健治氏の訳は賛否両論あるようですが、私はヘッセの文章の美しさや誠実な言葉づかいを最も忠実に再現しているように思えて好きです。
    ヘッセの長編なら、本書が一番のおすすめです。

  • すごく苦しく醜く深く美しいお話。
    デミアンやおおかみはとっ散らかっているけれど、こちらはドイツらしく整っている。
    腐女子さんやゴスロリさんにも読んでほしい。

  • たぶん高校生くらいのときに読んで、いま再読。

    ナルスチ(知)とゴルトムント(愛)という対称関係は、ほかに「霊と肉」「理論と芸術」という対比にもなっていて、もともとけっこうヘッセの小説ってこういう対比がキッパリしていると思うのだけれど、本作においてはよりキッパリして実に小説らしい。

    修道院にはいったゴルトムントは高い精神と信仰心をあわせもつナルチスに惹かれ、彼をめざして勉強にはげむ。しかしナルチスはゴルトムントとの間の埋められぬ境界に気付き、むしろお互い正反対の性質を持つがゆえに重大な存在であることを説く。

    まだ若くたびたび混乱をおこし強情を張るゴルトムントと、彼に対し忍耐をもって理解を促すナルチス。ふたりの道を分かつことになると知りながら、ゴルトムントへの愛ゆえに彼の進むべき道を説くナルチス。そしてもたらされるふたりの和解――こういう友情を、ヘッセはほんとうに美しく描く。

    ゴルトムントは母なる道を歩む。母とは彼のうちにある幼少の記憶であり、官能と感性であり、また生と死がはげしく相剋するこの広い世界である。
    ここまでがだいたい第一部。

    ゴルトムントは旅に出る。そこで出会う女たちと浮気な愛を重ね、そして彼が決して手に入れることのできない騎士の娘リディアと出会う。

    後に出会うユダヤ娘レベッカとともに、彼はこのリディアを想起する。彼女たちは彼が本当に求めて手に入れられなかった愛を体現しており、それは秩序や信仰が支配する世界―同時にナルチスの住まうところでもある―であり、ゴルトムントが彼の道を歩みつづけるかぎり交わることのないもう一方の確かな道だ。
    (書きながら。こういうところ、深いなあ…)

    ゴルトムントはヴィクトルという旅人を打ち殺し、立ち寄った教会でそのことを懺悔する。彼は教会のマリア像に感動して、それを作ったニクラウス親方に師事する。
    そこで彼は彼の人生にひとつの意味を持たせるもの、すなわち芸術を発見するに至る。

    ナルチスを象ったヨハネ像を作り終え、ゴルトムントが明朗に芸術について語る場面はぼくにとって心地いい。この小説にとっての「春」がこの場面だろうと思う。

    第二部の終盤が「春」ならば、ペストの村々を放浪する第三部の序盤はさながら「冬」だろう。そしてぼくには、ここから物語の勢いが急に失速するように思える。その印象はラストのナルチスとの再会と対話の場面をもってしても盛り返せてない、とぼくには感じられる。

    その決定的な別れ道がどこにあったかといえば難しいが、第二部の終盤でふたたび旅に出ることに決める内的独白がどうもくさいと思う。

    p.275「彼が従わなければならないのは、芸術ではなくて、母の呼び声であった」「指をなおいっそう器用にすることが、何の役にたちえたろう?(略)名誉と名声、金と安定した生活とには達するが、同時に、あの神秘を開く唯一のよすがである内的な感覚を枯渇させ萎縮させるに至る」

    たしかにゴルトムントは感性の人であり同時に放浪癖を生れもっているように描かれているけれど、ここの論理はどうにも甘い気がする。その証拠に、というわけではなが、ゴルトムントは第三部の旅にすっかり飽いてるようにぼくには思えるのだ。もっといえば作者のむら気が出てきてしまったというか。

    ゴルトムントとナルチスの再会後の対話だっていまいちだよなあ。熱がないというか、比較するのはおかしいけどドストエフスキー並のドライブ感を期待してしまって裏切られたような感じではある。

    よって☆ひとつ減じよう…かとおもったけど、移り気な愛、より堅固な愛、そして官能や芸術についてなど、やはり考えさせられる文章がとても多かったので満点つけたろ。

  • レビューというのは自分から距離が離れていればこそ、気軽にホイホイ書けたのだ。ヘッセのレビューを書こうとすると、思い知らされる。

    苦しみを宿命づけられた生のなかで、人がその生と死を渡り仰せるだけの光ー平穏ー意味など、何かしらの確かさを見いだそうとする不断の努力。ヘッセという人の根底のテーマは一貫している。そして、そのような凄惨さの中に、美しく優しく人や世界が描かれる点も変わらない。

    「シッダールタ」や「荒野のおおかみ」の変奏として「知と愛」を捉えることが適切かは分からない。けれど「シッダールタ」では主人公シッダールタが1人でくぐり抜けた聖者の修行と俗人の生活という2つのアプローチを、ここではナルチスとゴルトムントという2人の主人公に分けている。そのことで得た成果は大きい。キャラクターはより一般的、具体的になって、2人が同時に生き、対話することが可能になった。追求の形はいわゆる宗教的な「求道」一つではないこと、異なる手段を選んだ他者から受けとるものがあること、そしてそこにこそ「愛」があること。。求道と恋愛のストーリーに垣根はなくなり、より複雑で生き生きした普遍性が生まれた。

    この「知」と「愛」の対話の構図は、多くの人にとって覚えのあるものなのではないかと思う。相手次第で時に自分はナルチスであり、またある時はゴルトムントであるような。

  • ヘッセの作品の中ではかなりボリュームのある長編なので、それまでの作品の主要なテーマが散りばめられている印象です。

    ナルチスと一緒にいる時のゴルトムントは好きだけど、中盤のゴルトムントはひたすら快楽の世界に生きてて甘すぎる生活に反感を持ってしまった。彼自身を完成させるピースであったとはいえ、ひたすら自分の美しさを武器にして女狂いの道を走り続けるのって・・・。それが彼の持って生まれた天分ということなんだろうけど。

    とりあえず、終盤にかけて良かった。序盤と終盤が好き。というかナルチスとの対話が好き。いや、ナルチスが素敵すぎる。知性を選んだ人の生き方に個人的には憧れました。

    「自分自身になれ。自分を実現せよ。」というヘッセお馴染みの思想が、この作品では一番色濃く表れているように感じた。

  • 同じくヘッセ作の『デミアン』『シッダールタ』ほどの衝撃はなかったものの、ストーリーでは優れていたのかもしれない『知と愛ーナルシスとゴルトムントー』。精神の世界と愛の世界に生きる2人の友人の物語。この「精神と愛」というのはすなわち「信仰と芸術」であり、「教会での規律ある生活と放浪の旅」の対比である。2人の極端な性質を持つ人間を、ヘッセは自分の中に住まわせていたのだろう。そしてその2人の矛盾は常にヘッセを悩ませた。しかしその矛盾こそは不完全な人間の証で、だからこそ人間は創作などを通して永遠を求め続ける、まさに人間が人間足り得るものになるための溝なのだ。私達は誰もが心にナルシスもゴルトムントを住まわせているのだろう。
    自分が自分になる事のみが達成されるべきことなのだ、というヘッセの核のメッセージも、ナルシスの言葉として登場します。
    ヘッセの作品はベッドで寝転んで読んでても、途中から「!」ってなって、正座して読んでしまうとこがあるなー。心に刷り込まれていく。私、ゼッタイこの作品忘れないわ、っていうかんじがしまふ。。

  • エロスとアガペーのプラトニックラブ。
    この友情はナルチスが戒律に縛られたカトリックの修道院院長であるから成り立ったようにも見える。何にせよ結局ナルチスはその名のギリシャ神話の通り、自分のものにできないものを愛する・叶わない恋という結末を迎えている。
    美とは二面性を備えたものであるという芸術論に共感。男であり女である、純潔であり官能である。対極な印象を合わせ持つ対象の神秘さに強く興味を惹かれる。美しい芸術は永遠である。
    精神に理想を描いているのならそれをアウトプットして実在させた方が満足を得られるような気がした。
    対極な友情、性、病気と死。いくらでもドロドロと汚くできる素材を扱いつつも胸が悪くなるような性描写に振り切ることもなく、きちんとコントロールして綺麗にまとめている文力に感心した。

    デミアンよりエピソードが豊富で退屈しなかった。
    ヘッセの一人の人間を二人に分割して描写する手法が好きだ。
    ナルチスの人生の方が興味深かったのでこっちの描写をもっと見たかった。
    キリスト教に明るくないので母性信仰という概念についてはちょっと理解に至らなかった。なぜ子供の種を持っている父親こそ生命の源とならないのだろう。

  • ヘッセの人生というのは、常に知性と感覚のせめぎ合いだったのだろう。この激しい二項対立を抱えて生き続けたと言ってもいい。知るとは何だ。目の前にあるこの美しい景色を感じるこの心はなんだ。彼は幼い時からそう思う心を非常に大事にしてきたに違いない。彼にとって学問は感覚抜きに行われる、純粋に抽象的なものであったのだろう。なぜ、感じられもしないそんなことをしなければならないのか。どこまでも素直な彼にとって、こんな理不尽なことはない。彼はそうして何もかも捨てて飛び出していくのであった。
    旅に生き、流れのなかに生き、とめどないひとの世でさすらうということは、別れが必然であり、定住はできない。ひとが好きなのに、ひとと別れねばならない。ずっと一緒にいられればいいのに、心がそれを望まない。そんなせめぎ合いの中、ゴルトムントは何を残せるのかと問い、ついに芸術というものを知る。しかし、その芸術さえも超え、ついに形而上の世界へ飛び出してしまうのだった。生きているということは、それ自体不思議で、魂は不滅なのだと彼は気付いたのだろう。そんな彼の生き様を抱えて、ナルチスは生きていかねばならないのだ。ナルチスの選んだ道はそういう生き方でしかないのだ。かくしてふたりは結局わかりあうことはなく、ゴルトムントはナルチスを置いてひとり旅立っていく。
    多分に『デミアン』や『シッダールタ』で培った精神分析や、諸行無常観が取り入れられている。ヘッセにとって、そうした考え方にどこかひかれるところや、新しい境地を見出したのは間違いないようだ。おそらく、二項対立という考え方をどうにかして乗り越えようとしていたに違いない。ずっと愛したい、けれど限りある命だからずっと一緒にはいられない。ここではないどこかへ行きたい、けれど安住の場所などなく、どこにもいられない。それならば、なぜ自分は今こうして生きているのか。それはすべてを生みだした母なる原型に帰るためなのだ。これこそ悟りであり、人間の目指すべきところではないか。彼はそう感じていた。
    いい意味でも悪い意味でも、ヘッセはいわゆる西洋的な信仰に裏打ちされて生きてきたゆえの発想なのだとは思う。しかし、知と愛はそれほどまでに対立するものなのか。「知る」ということと「感じる」ということはそれほどに違うのか。終盤ゴルトムントも触れており、ナルチスも気づいているが、心象のない思索というのはありえない。形式と内容というものはどうあがいてもそれ単一では存在しえない。形式のない内容、内容のない形式、そんなものはおおよそあり得ないのだ。
    二項対立という現象自体、そもそも、それを見出す第三者の存在なしにはありえない。二項対立を作りだすのは他でもない、この自分だ。内容と形式を分けているのは、他でもない内容と形式を併せ持ったこの自分でしかない。『シッダールタ』でみられたあの一体感というものが、この『知と愛』ではまったく感じられないのは、おそらく、この辺についての考察がヘッセ自身煮え切っていないからなのだと思う。母の姿を持たなくとも、ひとは愛だとか、死ということばを先に持ってしまっているのだ。その母という原型さえも、ことばの存在ありきでないといけないのだ。ほんとうに原型に帰るのなら、ことば自体を成り立たせている、ことば以前の存在を感じているはずではなかったのか。ゴルトムントはその生涯を終える際に、あのようなうわ言ではなく、ことばにならない叫びをあげるか、静かに何も語らず従容と消えていくべきではなかったのか。そう思わずにはいられない。

  • 知の追求者ナルチスと、芸術の道を進むゴルトムントの友情の物語です。物語は、ゴルトムント中心に語られますが、その心の中には常にナルチスがあります。
    昔読んだ時は、ゴルトムントに惹かれながら読みましたが、今回読み返してみたらナルチスの存在の大きさを感じました。

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