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この作品からのみんなの引用
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音楽では正しいってことは、一文の値打ちもないと思うんです。音楽では正しいとか、趣味や教養やそういういっさいのものを持つとかいうことは、問題じゃないんです
― 209ページ -
動物たちはみんな真実だってこと。何をしたらいいか、どう振舞ったらいいか、わからないでまごまごしている動物なんかいやしない、
― 181ページ -
われわれ不滅な人間たちは、まじめにとることを好まない。われわれは冗談を愛する。まじめさは時間に関係することなのだ。これだけのことは君に打ちあけておくが、まじめさは時間を尊重しすぎることから生じるのだ。私も昔は時間の値打ちを尊重しすぎた。それで百歳になろうと思った。だが、永遠の中には時間は存在しないんだよ。永遠は瞬間にすぎない。一つの冗談に十分なだけの長さだ。
― 153ページ
みんなの感想・レビュー・書評
後期ヘッセ作品の真骨頂。ヘッセ特有の甘さは薄れて、シビアな人生観に満ちています。どの思想も他人事とは思えず夢中になって読みました。読み手によって評価のブレが激しそうな作品だけど、自分にとっては掛け値なしに最高の小説でした。
主人公ハリー・ハラーの空想が入り混じった手記が本編で、その前に実際のハリーの動向を知っていた人物からのメッセージが綴られており、物語の謎を解くヒントに。
結局のところ、苦悩と思索の末に、多面的な自分を味わって生きることを学んでいく話かなと。現代文明や戦争への批判といった面よりも、自分を解放して人生を味わい尽くすという生の肯定が強調されていて、全体的にポジティブな印象を受けました。
途中いかにもヒッピー的な思想が見えたり、時代を先取りしていたのも凄いですが、これからの時代においても共感を呼ぶ作品だと思います。
やっぱりヘッセはすごい。個人のある感情についてメタに、俯瞰的に言及することは誰にも可能だ。しかしそれに対してさらにメタの視点で言及することは少し困難だ。これを自由に使いこなす人間が小説家というものだと思う。しかしこれだけでは二流である。一流はさらにそれらに関してメタレベルで表現することができる。ヘッセのすごいところは、さらにこのもうひとつ上のレベルにときどき「ひょいっ」と上がってしまうところである。ヘッセは最初から高みにのぼったりしない。いつも私の手の届きそうなところにいて、いよいよ捕えたかと思うとするっと脇を擦り抜け一段のぼる。繰り返すうちについに私は追いつけなくなってその背中をじっと見つめる。荒野のおおかみという小説はこのようなおいかけっこを人間の心の奥底にあるくらい部分で行った小説であった。
10代に読んだときよりもより内容が理解できた。
ヘルマン・ヘッセは、大人になっても子供の心を持ち続けた稀有な作家と思う。
デミアンを読んだことを承けて読む.
作者であるヘルマン・ヘッセの心理が,外的な出来事と綯い交ぜになって表現されたような作であった.
自省的な主人公のハリーハラーが,ヘルミーネという女性と出会い,少しずつ解放された思考になっていく.ハリーハラーは作者と同じイニシャルで,ヘルミーネは作者の女性名である.
中盤あたりまでは不思議な現実の出来事のように書かれるが,最後の部分では目まぐるしく場面が変わり,夢の中の出来事のように描かれており,安部公房の小説を連想した.
主人公ハリー・ハラーは著者ヘルマン・ヘッセの一部であり、完全な思索の人である。行動の人からみると主人公は世迷言を言っているハムレットの様なものであり、あれこれ思索しもナチズムの暴走を止められなかった訳であるから、文人の価値を考えさせられる。途中で読むのを止めて仕舞った。再読だったが印象に残っていなかった。
1927年(昭和2年) ヘッセが50歳の時の作品。
同じ年に紀行『ニュルンベルクの旅』を出版。
フーゴー・バルがヘッセ50歳の誕生記念に最初の伝記『ヘッセ伝』を出版。その直後バルは41歳で逝去。
ルート・ヴェンガーと離婚。
心は自分が全てと繋がっていることを知っている。
目の前のことに集中している時、没入しきっている時、過去に存在した全て、未來に存在する全てに確信を持てる。
微笑みを学べ。
1927年にドイツで発表された作品。
第一次世界大戦を省みるどころか、再び戦争に向かおうとしている社会を疑うこともなく生きる市民を批判する「アウトサイダー」の立場(おおかみ)の立場をとりながらも、まぎれもなく市民的行動の一部に加担している自分の葛藤が描かれています。そしてそんな自分は自殺によってしか報われない、と考え死を望むハリー・ハラーが主人公。彼はヘッセの自画像だそうです。
この葛藤はまさに、神経が不安定であったヘッセが色濃く表現されていて、
その如何ともし難い苦痛には時に目を覆いたくなります。
一方で、一般論や世の中の体制によって作られる考えを排除し、確固たる「自己」を追求すべきであるという考えは、ヘッセの作品で一貫してみられるスタンスで、現代にも通ずるヒントであるように思います。
想像と違う、と感じるも読んでゆくうちに思った通りだったと思い、しかし最後にははて、と考えてしまう一冊。 ヘッセの数ある作品の中でこの作品を賞賛する声は多々聞く。 男性が特に多い、読み終わった今となっては何となく頷ける。 題名だけ見てみるとメルヘンな響きだが、読み始めて数行でまったく違うと言うことに気がつく。 たとえばオオカミと羊を登場させてそれを現代の風潮に絡める物語と... 続きを読む »
共感しすぎて初めて読んだ気がしない本。
それでいて先人は刺激的で、まだ見たことのない世界まで連れて行ってくれる。現実の日常でもなかなか得られないような交流が、本を介して作者との間に生まれるのだから、作者の力にただただ頭が下がるばかり。体の奥から勇気が湧いてくる。
もっと頑張ろう、楽しもう。一度きりの人生を。ひとつだけの世界を。
文学史上、最高の天才、ヘルマンヘッセが50歳の時に書いた名著。内面の危機、時代の変動、文化の変動、文体の爛熟、全てが調和した、奇跡の作品。
精神分析、文学の勉強、執筆修行の後に再読して、改めてその素晴らしさに触れられた。アインシュタインの相対性理論よりも理解できる者が少ないと言われるだけのことはあると思った。
構成、語彙、内容、小道具について、多くを吸収することが出来た。特に内容について。書いても理解されないのではないかと不安に思っていた部分について、勇気を以って取り組むことが出来そうだ。
自分が抱いている自分のイメージがどれだけ偏っていて、狭いものであるかを強く感じさせられる一冊でした。わたしもハリー同様、新しいことに踏み出すことにためらってしまうし、固定観念をかなり強く持っているところがあるので、ハリーがヘルミーネやマリア、パブロとの会話の中で抱く感情がわかりすぎて読むのが辛かったくらいです。生きているだけでとても価値があるということ、そして人生は短いからこそたくさんのことに挑戦することで輝きを増すということを改めて感じることのできた作品でした。
タイトルが「共同体の中で友愛関係を失い追放された異人である人狼」を連想させ、ぱらぱらっとめくったページに書いてあった、 「今夜4時から魔術劇場 ――入場は狂人だけ―― 入場料として知性を払うこと。 だれでもの入場はお断り。ヘルミーネは地獄にいる。」 「ハリーの死刑執行」 などに心惹かれたので読んだ。 序盤のハリーの心理描写などがよかったが、途中退屈して読むのを中断していた。 200... 続きを読む »
最後に向うほどに面白い!ってすごいことだな。
読み終えたら自分も一つ強くなったような、そんな気がしてしまう本。
自分だけじゃないよ、と。
こういう人いっぱいいそうー。
読みづらい。
びっくりするほど読みづらい。そして分からない。
ヘルミーナとのやりとりは面白い。
ところでパブロがやばかった。萌えた!!
これは究極に腹黒いというか超越した。
最初に出てきた時の描写がいいんだ。
パブロの本性をひとつもにおわしていないから。
いいな〜パブロ。
いつかまた読み返したい。
一回いろんなこと外側から考えてみる必要ってあるんだと思う。
でも普通にやってると、外側から見るってこともなかなかどうやっていいのかわからない。
で、そんなときに読んでみると良い。
すごくいい本。
でものめりこみすぎると良くないと思う。
でも、心のどこかにこういう部分をちょっと持ってる人が好き。
読むのに非常に時間がかかった。話が現実と幻想を行き来しているし、第一人称で描かれているし、構造がムヅカシかった。もちろん読みごたえ十分。この作品は世界へむけて描かれたものなのかな。主人公は既読の「デミアン」「シッダールタ」「知と愛」と同じく、現実世界の背後の永遠の世界を求める、というようなヘッセ自身の投影なのだろうけど、悟るのではなく現実社会に打ち砕かれる、というところがこの作品の特徴。近代世界への強烈な揶揄というか。
最後の狂気じみた劇場での幻想の場面の、言葉の使い方が美しい!!これは翻訳の高橋さんの手柄なのかな。やっぱりドイツ語で読んでみたい。
2007.6.12の感想
字が大きくなって読みずらかった。
まったく出版社は余計なことをする。
ヘッセのリズムが狂っちゃうじゃんか。
厭世家の恋のはなし。
堕ちたエリート。不思議なアンナ。
諭すような眼差し。
狼、ノックアウト。
曖昧な現象の中でいくつもの啓示。
「いかにして、愛によって、人を殺すか」
この命題は今も忘れない。

根本はデミアンと通じるものがあると思ったけど たぶんもう少し年をとってからじゃないと本当には分からないな





