ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (130ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102003015

感想・レビュー・書評

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  • 19世紀ロンドン、弁護士のアタスンは、友人のエンフィールドと散歩中に、不気味な家に出入りする奇妙な男の話を聞く。理由もなく見るものに嫌悪をかきたてるような容貌をしている小柄なその男は、偶然ぶつかった子供を踏みつけにしたという。男の名はエドワード・ハイド。アタスンはその名前に聞き覚えがあった。親友のヘンリー・ジーキル博士から預かっている遺言状に、ハイドという男に遺産を譲ると書かれていたのだ。なぜあんな悪党に?不思議に思ったアタスンは、ハイドについて調べ始めるが、その矢先ハイドによる殺人事件が起こり・・・。

    『ナボコフの文学講義』(https://booklog.jp/item/1/4309463827)を読んでから読み直したくなり、ものすごく久しぶりに再読。もはや読んだことがない人間にとっても「ジキルとハイド」といえば二重人格の代名詞のようになっているので、ほとんどの読者は当然のようにジキル博士とハイド氏が同一人物であると知った状態で読むことになるわけですが、作者スティーヴンソンはそこまで想定して書いていないので、前半はハイド氏とはいったい何者!?ジキル博士との関係は!?という謎を、第三者であるアタスン視点で引っ張り、読者をハラハラドキドキさせる仕様になっています。

    ハイド氏が死んだところで終盤は、アタスン宛の二通の遺書(一通はジーキル博士から、もう一通は二人の共通の友人であり先に亡くなったラニョンから)によって真相がわかる解決編となっています。ポイントは、この変身が偶然の産物ではなく、ジーキル博士自身が悪徳への欲望をはっきり自覚して実験を続けていたところでしょうか。

    ところでこのジーキル博士の欲望とは何だったのか。博士は社会的に立場のある、尊敬される立派な医者であり大学教授、その博士が、世間体を憚り、評判の失墜を恐れるような悪徳とは一体なんぞやという点について、今回改めて再読してみて、博士は同性愛者だったのではないか、という結論に落ち着きました。立派な地位がありすでに中年を越えているジーキル博士は、しかし独身。殺人や残虐の衝動を抑えられないというようなわけでもなく(ハイド氏の殺人は1件だけ)夜な夜な欲望を開放するために外出するというのは、やはりそういうことかと。アタスンは当初ジーキルがハイド氏に強請られているのではと推測しますが、その理由もおそらくしかり(とナボコフ先生も書いてたはず)まあ本筋とは関係ない部分なのでほんの邪推ですが。

  • ★3.5
    昔から陰に隠れて犯罪を犯してきたジーキル博士。
    それを自らの手で行いたくなるのはとても自然なことのように感じました。(犯罪は決して許されるものではないのですが、、)
    私は、100%の善人も100%の悪人もいないと思っています。
    もしも、ジーキル博士が発明した薬が目の前にあったら、皆さんはどうしますか?

  • 名望ある紳士ジーキル博士が発明した薬は、なんと自分の悪の部分のみを人格化するものだった。日に日に悪人ハイドに乗っ取られていくジーキル博士が選んだ道は。

    これぞ不朽の名作。怪奇小説の傑作。人間の本質に迫る心理スリラーとも言える。ちなみに約50年前に文庫で出版された時の値段は160円です。

  • 2021.2.11読了

    今年は古典も積極的に読もうと思っていたところ書棚にあった本書が目に留まり読むことにした。

    二重人格の代名詞とも言うべき古典的名作。
    1885年執筆1886年出版というから実に136年前の作品である。

    ジキル博士は極めて常識的な紳士であったが、なぜか無法者で人を人とも思わない反社会的性質を持つハイドという一目見るだけで誰でも嫌悪感を持つ男に財産を譲るという。

    ジキル博士の知人の弁護士の回顧録とジキル博士の独白との2部構成となっている。

    人の業の深さとその先にあるバッドエンドが、時代を超えて迫ってきた。

  • 結構さらっと読めちゃうやつ

  • ページ数少なめな有名文学作品。たしか2年前の古本市で50円で売られていたので買った。
    19世紀のイギリス人の暮らしぶりがうかがえた。

    怪奇小説。ラストの、いかにしてこの二重の人格ができていったのかが語られるパートは圧巻。内なる悪に耐えられなくなっていく姿が痛ましい。

    英国文学のunpleasantnessの解説にはなるほどと思った。身を取り繕って人生を愉しんでいるように見せ、内なる不愉快さを抑えつける。それを解放する役割としての探偵小説・怪奇譚・悪党譚・冒険譚・スリラー・スパイ物語。

  • はたしてどれだけの人間が、『ジーキル博士とハイド氏』を経験しただろう。70本にも及ぶ映画を通して、数多演じられてきた舞台を通して、或いは一つの寓話として人づてに耳にしただけという場合も多いだろう。いずれにせよ、本書の粗筋は広く人口に膾炙しており、様々な場面で援用され、同時に誤用されてきた。さながら、ジーキル博士が最初に調合した、混ぜ物を含んだ不純な薬品のように。

    「この短編は普通の散文小説というよりは、何か詩に近い作り話である」とスティーブン・グインが正しく述べている通り、本来この作品は通常理解されるような単純なサスペンスではない。著者が推理小説としての雛型を用意するためにこのテクストを編んだわけではないのは明らかである。この短編に濃縮された芳醇な味わいを知る為には、何よりもスティーブンソンその人を経由しなくてはならない。彼の語りに耳を傾け、彼の文体を読まなくてはならない。

    スティーブンソンによって描かれるジキルとハイドのコントラストは実に明快である。性格や言動だけにとどまらず、外見的な変化も顕著に描写され、それだけにこの「変身」が読者に与える印象は大きい。そして、大方の人間が知るところは主にこの劇的な変態の箇所に集中し、スティーブンソンが心血を注いだであろう細やかな展開は、殆ど全く無視されるという不幸な運命を辿ることになる。果ては安易な善悪の対立にまで単純化される始末で、たとえ有名税にしてもあまりに破格であると、僕などは思う。

    思い出そう。ジキル博士とハイド氏の物語は「詩に近い作り話」でもあり得るのだ。むしろ、そのようにして編まれた作品なのである。ジキルは1人の人間である。故に、完璧な善たり得ない。一方のハイドは、ジキルが自らの内に飼いならして来た悪の塊であり、その身体的具現である。ジキルの悪魔的部分はハイドとして人格を獲得し、やがて飼主であるジキルとその共通の身体を巡る闘争を繰り広げてゆく。

    ハイドとは、薬物による化学反応によって隔離され、剥ぎ取られたジキルである。それは他ならぬジキルが己らしからぬものであるとして否定し、隠蔽し、幽閉してきた過去でもある。時空と隔絶していた過去が開蔵された時、それは現在から未来へ連なる時間を獲得し、身体という空間をも同時に獲得した。トラウマ的抽象でしかなかった過去は、これまで自身に向けられてきた否定のエネルギーを振るうことでより具体的な自己を強化してゆく。ハイドにとっての「殺人」とは、否定という形式の究極的な発露(存在の積極的否定)であると言えよう。

    以上のように考えると、ハイドの発生以降ジキルが抱えることになる絶望的な苦悩も、より正確に理解出来る。これまで否定してきた自身の過去がそれ自体として人格を持ち、自身の身体を支配する。否定されてきた過去の現前であるハイドの存在を否定することは、即ちハイドの存在理由を一層強固にすることである。かといってハイドを受け入れることは、ハイド的要素を排除することで形成された自己を諦めることであり、それはもはやジキルという存在を捨て去ることに他ならない。そして、生みの親でもあるジキル博士は、既に存在してしまっているハイドという人格を拒絶する倫理的根拠を持ち得ない。

    物語はジキルの切迫した、痛切な独白を以って幕を下ろす。その最期に繰り返されるのは「私には関係がない」「私の知ったことではない」「神のみぞ知る」といった淡い諦念の数々だ。ジキルはハイドを否定出来なかった。出来ようはずもなかった。しかし生来温厚で善良な医師であった彼は、どうしてもハイドを肯定するわけにもいかなかった。結局、彼は死と生を同時に選んだ。時空を保持した具体的存在としての死と、ハイドの過去としての抽象的な生である。

    ジキルとハイドだけでなく、本編には他にも数人の、重要な登場人物がいる。彼らの果たす役割も芸術家スティーブンソンによって緻密に構成されており、物語の展開に大きく貢献している。文体や表現も極めて詩的に洗練されており、ものを書く人間なら彼の文章作法に学ぶことも多いだろう。

    『ジキル博士とハイド氏』を「知っている」と口を揃える人々にこそ、スティーブンソンを読んで欲しい。

  • イギリスの作家、スティーヴンソンの代表作。

    人間の内面にある悪の部分のみを抽出出来たなら、
    良心に苦しむことなく悪の道に突き進めるのに・・・。

    そのような誘惑に負けてしまうと、善の心なんて破壊されてしまう。

    そんなことを考えてしまう作品。

  • 自分のある部分を、どういう理由であれ、切りはなそうとするのは間違いらしい。

  • 人は誰しも自らに「悪」を内包し、それを取り繕うために「偽善者」となる。人間の醜さを具現化した非常に危険な作品です。

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