ゴリオ爺さん (新潮文庫)

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著者 : バルザック
制作 : 平岡 篤頼 
  • 新潮社 (1972年5月2日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (523ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102005057

ゴリオ爺さん (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ピケティ「21世紀の資本」で「r>g」(資本収益率>経済成長率)の具体例として、ヴォートランがラスティニャックに「結婚→遺産相続による収入>弁護士としての労働所得」を説くくだりが引用されていた。

    ゴリオ老人を破滅させたものは、娘への愛情を金銭で与えてしまった誤りではなく、成り上がった富裕層の財産など一晩で食らい尽くす、「パリ上流社会」という資本主義の果てにある、豪奢で魅惑的でそして不誠実な魔物の正体に気づけなかった純真さではないだろうか。

    中産階級の世界では、真っ当な商売を営んで幸運に恵まれれば成功できる労働所得的なルールが通用するが、上流社会とは、愛情や信頼や正義は真っ先に捨て去られ、財産は成功の証ではなく、評判のため、見栄のため、野望のために蕩尽するもので、中産階級出身者などはただの財布として扱われる別次元の世界だ。

    ラスティニャックはヴォートランと出会ったことで上流社会のルールを知り、金銭を「人から引き出すもの」として自分より下に扱うことで生き残った。ゴリオ老人は最期まで「自分が」働けさえすれば娘たちの窮地を救えると信じていたが、金銭を「出す」ということは金銭に支配される、つまりいつかは破滅する運命にあることには気づけなかった。

    ピケティも指摘していたが、この時代の小説に共通する特徴として、下宿代、年金、コーヒー代、賭博の掛け金、馬車代、薬代、埋葬代...等々の金銭がこと細かく記述されており(1フラン≒1000円?で読み替えた)、場面場面のリアリティを高めている。それだけでなく、登場人物の感情や思考、行動原理が端役に至るまで細かく肉付けされており(手紙でしか登場しないラスティニャックの母と妹でさえも人物像が浮かんでくる)、キャラとして立っている。

    解説によるとこの小説は「人間喜劇」と呼ばれるバルザックの作品「群」の中心だということだが納得した。

    読んでよかった。

  • 世間と言う真因はそのようなきらびやかな世界がどんなに偽善と妥協と搾取によって支えられているかを悟り、恐ろしくなる。ゴリオの爺さんもある種搾取される側の人生を堪能し、自らの幸福を他人に求めることで幸せを享受していたのだと思う。社交の場に乗り上げた途端、父親を恥ずかしく思うという娘たちの心情と、その成果を呪うという醜悪な非業の死もうまく描きあげられている。社交の場にありがちな心象風景を見事に描ききっている。何を持って生き甲斐とするか、人生をどう生きるべきなのか、世間とどう向き合うのか、色々と考えさせられる作品だ。

  • "さあ今度は、おれとお前(社会)のしょうぶだ!"…ラスティニャックの今後が非常に気になりました。

  • トマ・ピケティの「21世紀の資本」で触れられていたので、興味を持った。
    しかし、「21世紀の資本」は未読。一時帰国の際に立ち読みしたが、その重さと値段に物怖じしまったためだ。お茶を濁すようにEテレの「ピケティの白熱教室」を視聴。この中でも「ゴリオ爺さん」を題材にして、19世紀初頭のパリの人々の経済観念が説明されている。すなわち、法学生ラスティニャックに謎の人物ヴォートランが「弁護士として労働賃金を得るよりも、裕福な女性と結婚した方が大きな富を得られる」と説得するシーンが紹介され、富める者には構造的に富が集中していった当時の事情とウオール街のデモに代表される現在の格差の対比が述べられている。

    さて、本書「ゴリオ爺さん」だが、メチャクチャ面白い。羽田からジャカルタまでの8時間、退屈しないで済んだ。

    「人間喜劇」の中心に置かれる作品と言われている通り、パリの貧民街、貴族地区、新興ブルジョアジー地区に住む、それぞれの階層の人々が生き生きと描かれている。
    2人の美しい娘に全財産をつぎ込み、崩壊してしまう主人公のゴリオ爺さん、その身勝手な娘、出世のためパリの社交界へのコネを必死に探す法学生のラスティニャック。印象としては、この4人は常に自分の中に矛盾を抱えている。受けられないと既にわかっている愛情を求め、与えてしまった愛情に後悔し、時には良心の呵責に苦しんでいる。おそらく、格差の生じる社会では、生き残られないタイプなのだろう。臨終の間際、苦痛に苛まれながらのゴリオ爺さんの独白には寒気がした。一方、ラストでラスティニャックがパリに向って叫ぶ姿は、抱いていた自己矛盾を乗り越えた彼の未来を暗示する。

    謎の人物ヴォートラン、金に細かい下宿屋の女主人、誇り高いボーセアン子爵夫人を始め、一瞬しか登場しない召使いですら、キャラが立っていて魅力的。

    面白い小説ではあるが、当時のパリの状況を知らないと少々きつい。意外にウィキペディアの「ゴリオ爺さん」の項が充実していて、当時の家族関係、婚姻の効果、貴族とブルジョアジーの葛藤、ブルボン王朝王政復古下での人々の考え方など、本書を読むための事前知識が簡単に得られる。おすすめの★5つ。

  • ハチャメチャな爺さんの話かと思ったら、悲しく哀れを感じるお爺さんの話だった。終盤のお金がない娘二人と学生二人の対比が面白い。最後のラスティニャックの決意に応援してしまう。

  • ゴリオ爺さんを可哀想、と哀れめばいいのかわからない。

    課題で読んだ本ですが、なかなか入り込めず苦労しました。きれいだけじゃないフランスの生活が見える気がします。

  •  すごい小説というものは、確かに時代を超えて残る。例えば、『デイヴィッド・コパフィールド』『エマ』『ファウスト』『カラマーゾフの兄弟』。それらと同様の圧倒される感じを味わった。
     「人間喜劇」の構想を得て、最初にスターシステムを導入して描いた作品だという。これが初の試みだったとは、どれだけの緻密なプロットを用意して臨んだのかと驚く。主人公ゴリオの悲劇の性格ももちろん深いのだが、それ以上に、その後の作品にも繰り返し登場することになる主役級スター二人、ラスティニャックとヴォートランのキャラクターが素晴らしい。上昇志向、端麗な容姿、強い意志と感覚の鋭さという、魅力的なラスティニャックの視点で物語るというのは上手い。また、本編では半端な狂言回しといった退場のしかたになっているが、ヴォートランの謎めいた様子、世間に対する斜に構えた態度と裏腹な情熱、正体を暴かれた後の豪放なセリフなど、これも飛びぬけて豊かな造形だと思う。
     ヴォートランについてはゲイであることがさらっと述べられているが、時代をかんがみると不思議に感じた。この時代、同性愛者が小説に登場することにはタブー感や異様の印象は無かったのだろうか?

  • 金持ちとお近づきになると言うのは、存外金のかかるものだ。二人の愛娘のために私財を擲って、最後までむしり取られる老爺。老爺の末娘との恋に身をやつして、すかんぴんになる青年。末路は哀れだがこの二人のおめでたい男の交流には、救われる。古典新訳文庫借りて挫折したので改めて読みなおし。長ゼリフは鬱陶しかったが、面白かった。

  • モームはバルザックのことを指して「確実に天才と呼ぶにふさわしい人物」と評した。そしてそのような人物の作品を読むにあたってまずは『ゴリオ爺さん』から読むのがよい、と述べた。『ゴリオ爺さん』というのはフランス文学、いや文学全般においても重要な地位を持つ作品であることは今更いうに及ばないだろう。文学に携わる者としてはやはり一度は読んでおきたい作品である。
     しかし、今回は別として私は今までこの作品を2回読んだ。だが、面白くなくはなかったが、言うほどではないかな、という感想を抱いた。そして再び、今回この作品を読んだのだが、こんな面白い作品はあるのか、と自分の鑑賞力が変わったのを驚くと同時に、あたかも新しい優れた文学を発見したかの如く喜んだりする。ではこの作品が面白いのは一体どういう点なのか、それを簡単に説明したいと思う。

     文学において重要なのはとどのつまり人間関係にあるものだと私は考える。この考えは間違っていないはずである。というのもほとんどの文学は人間関係というものに重みを置いているからである。そしてその人間関係がどれほど巧みに描くのかがやはり作品の評価の分かれ目といったところだろう。そして人間関係を描く、というのはつまり人間が描かれるということは間違いあるまい。優れた人間関係とは、優れた人間描写である、といえる。では優れた人間描写とは何か、と聞かれたらそれはどれだけ現実の人間を反映させているのかという点が挙げられる。
     よく写実的な文学というのもあれば、空想的な文学もあるとしている。優れた文学作品は後者が多いが、私はここで主張したいのだが写実的なものと空想的なものとは必ずしも対極に位置するものではない、ということである。すなわち空想的な文学作品も、それが優れていればいるほど現実的なもの、つまりは写実的なものを反映させている。人間描写においても同様であり、なるほどそこに描かれる人間像は作者独創によるものだが、それが優れていればいるほど、現実の人間を踏まえた上で描かれる。別の言い方をすれば、空想的な人間像は、作者による現実の人間に対する観察力の違いにより、大きな質の差が生じるのである。大人になれば顕著だが、我々は現実離れした悪や善を持つ人間に文学で出くわすとどこか興が削がれる。現実ではありえないからだ。描く善や悪が、まったくの空想的なものなのか、現実を土台にした空想的なものなのかによって重さが変わる。

     『ゴリオ爺さん』においてはなるほど空想的であろうが現実というものを大いに反映させている。出世のために奔走する姿や、夫婦でのいざこざなどは確かに現実的である。その現実を踏まえた上でのラスティニヤックの献身的な行動や、ゴリオ爺さんの愛情というものは空想的であろうが、決して現実においてもあり得ないわけではない。彼らに限らず登場する人物は空想的であるが、写実的な要素が背後に隠されているのである。
     しかし、社会の偽善や出世といった欲望を本作品を描くが、それを玩味できるにはやはり読み手もまたそれらがある程度現実的なものだという世界観が熟していなければならない。世の中のことをあまり把握してない人物がこの作品を読んでもいまいちぴんとこない可能性がある。現に私がそうだった。

     いずれにせよ『ゴリオ爺さん』はまごうことなき名作である。描かれる人物像、そこで繰り広げられる世界観、人間関係というのは間違いなく作者の力量である。だが、それと同時に人を選ぶものでもあると、私は考える。しかし、考えても仕方があるまい。気になった人は読んでみるといいだろう。

  • 大学生の身でありながら学問はさぼりがちで
    人妻訪問にばかり精をだす
    ウージェーヌ・ラスティニャックがそうするのは
    社交界で人脈を作ることこそ、出世の早道と信ずるからであるが
    なにしろそのためには金がかかるのだった
    そんな彼の前に、二人の男が現れては破滅し、去っていく
    ジャック・コランとゴリオ爺さんだ
    一人は、資産家の娘を篭絡してしゃぶりつくすことをそそのかす悪党
    もう一人は、娘たちへの愛情だけを杖に生きてる惨めな老人
    ウージェーヌは、そのどちらにも一定の共感を抱くが
    しかし、どちらの示す道をも選ぶつもりはなかった
    いわば父性との決別
    それがナポレオン・ボナパルト斃れし後の
    フランス共和主義の気分というものだったのかもしれない

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ゴリオ爺さん (新潮文庫)の作品紹介

奢侈と虚栄、情欲とエゴイズムが錯綜するパリ社交界に暮す愛娘二人に全財産を注ぎ込んで、貧乏下宿の屋根裏部屋で窮死するゴリオ爺さん。その孤独な死を看取ったラスティニャックは、出世欲に駆られて、社交界に足を踏み入れたばかりの青年だった。破滅に向う激情を克明に追った本書は、作家の野心とエネルギーが頂点に達した時期に成り、小説群"人間喜劇"の要となる作品である。

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