赤と黒(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (521ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102008041

感想・レビュー・書評

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  •  いやあ、知らなかったなあ。
     19世紀パリでは、男がいつまでも変わらぬまごころを誓い、深く愛していると相手に思わせれば思わせるほど、相手の女性の心では男を下げることになったんだって。毎朝恋人を失いそうだと思うのでなければ、パリの女性は恋人を愛することが出来なかったんだって。
     めんどくさー。よっぽど退屈してたんだね。
    小説の後にあった、D・グルフォット・パペラさんという人による、この小説の書評に分かりやすく書いてあったりよ。ところでパペラさんて誰?ええ?フランスではスタンダールという名前のイタリアの住民?

  • うーん、当時のフランスの社会や文化を知らないせいなのか、よく分からないところが多かったです。
    主人公の性格も、印象がコロコロ変わってつかみきれなかったし、大していい男に思えなかったなぁ。
    レーナル夫人も、もうちょっとしっかりしてくれないとイライラする。

    パリの社交界へ出て、マチルドとの情熱的な恋からラストにかけてはまぁまぁ読めました。
    けど、全体的に冗長で、心理小説の傑作といわれるほど心理描写が巧いとも思えなかった。
    政治的なことや時代的なことがよく分かってなかったからでしょうかね。

  • 国語便覧に載るような有名な小説なので、読んでおこうと思い手にとった。平たく言うと材木屋のせがれのジュリヤン・ソレルが貴族社会で成り上がろうとして、挫折する話である。読み終わってから知ったが、実話に着想を得ているという。

    赤は軍服、黒は僧服を表している(諸説あり)。本当は副題に「1830年代記」と付されているらしいが、新潮文庫版にはなかった。原書は1830年刊行なので、「1830年記では」という疑問が頭をよぎった。
    文学史的には主観的リアリズム小説の先駆であり、心理小説、社会小説の傑作とされている。バルザックと比較されることも多いようだが、文学史に明るくないのでよくわからない。王政復古時代の雰囲気をよく描き出しているという定評もある。

    ジュリヤン・ソレルはラスコーリニコフと並んで有名な主人公だと思う。どちらも象徴的なキャラクターである。人によって占める位置は違っても、誰の脳にもジュリヤンやラスコーリニコフらしき何かがもともと住み着いていると思っている。

    『赤と黒』を読むと、自分の心中にぼんやりと渦巻くだけだった反抗心や自負心にジュリヤンと名前が付けられ、はっきりとした形を作る。「こちとら家のローンや年金問題で汲々としているというのに、代々資産家の連中は金が生んだ金で十分生活ができ、生活費の算段に頭を悩ますことがないのだからな!能力も性格もよくなるというものだ!やりきれんわい!」と騒ぎ出す。反社会性の強いラスコーリニコフと違って、ジュリヤンはルサンチマンを溜め込んで身を亡ぼすこともない地に足の着いた野心家である。彼を脳内に招けば、嫉妬や見栄に駆られて、自らの価値を下げるような真似もしなくなる気がする。

    それをもって人におすすめできるかといえば、そうでもないけど、私は読んでよかったと思った。

  • これがなぜ教科書にも出てくるような名作なのか?が、最後の解説を読んでわかった。
    当時のフランスの時代背景とか政治とか文化とか、その辺りをわかっていると何倍も楽しめるんだろうな。
    実際にあった事件を題材にしてるらしく、このような現実を描き、等身大の人物が主人公の小説、というのが画期的だったために、文学的にも価値が高いのだとか。
    なるほど。

  • 主人公の、野心、純粋さ、情熱的なところ、

    ものすごく愛おしいと思いました。

    自分のもっとも好きな本の一冊です。

  • 短絡的な行為と言うものは愚かな行為と受け取られるものである。
    有名な例であげるのならば、「太陽がまぶしくて殺した」と言うのがあるが、そういった行為というのは小説においては非常に劇的なものになるが、いざそれが現実となると、それは人に反感、と言うか愚かな印象を与えてしまうものである。
    それはなぜか、
    けして小説というのが空想の産物であるから、と言うだけではない。
    それ以外にも理由はあると私は思う。
    それを特に痛感した。
    それが「赤と黒」から私が得たものである。



    古典小説を読むことにおいて重要なのは、「あげあし取りをしない」ということだと思う。
    技法やストーリーという部分で疑問や物足りなさを抱いてしまうのは、中世の人々に携帯電話でメールすら送れないのかよ、とぶーたれるようなものである。
    そこに完成度をけして求めてはいけない。
    あくまでこれは現代に至るまでの道程なのだから、ひとつのモデルケースとして私たちはそれを受け取らねばいけない。
    「赤と黒」についてモデルケースとして特に注目すべきところは心模様だと私は思う。
    ここまでか、ここまでかというほど、しつこく心の内が描かれるのだが、それも作者がして、ではなくて登場人物が己の心境をまるで窓を開け放つように独白してくるのだ。
    そう、心理描写ではなく”独白”の心模様が時に駆け引きに、野心に、身に戻る結果に大きな影響を及ぼし、物語は進行してゆく。
    スタンダールは心模様を浮き彫りにさせるためか、それとは対極にあるといえる情景を描くという行為をほとんど省いてしまっている。
    物語冒頭の舞台情景の詳しい説明から見て取れるように、おそらくスタンダールの時代にはそういう技法が全くなかったというわけではなだろう。
    ましてやこの時代にこそ詩人は珍重された存在であったはずだ。
    仮にスタンダールの時代に情景描写という技法が小説内において大きな役割を得ていなかったとしても、情景描写はあまりにも少なく単純な場面転換すら時に私は見失ってしまった。
    だから、ここまでくるとおそらくこれは故意に行われているのだろうと思わざるを得ない。
    そう考えてみると『思う』という行為の緻密な駆け引きや頭脳戦があるのかと思いきや、物語は主題を絞らずに意外にも主人公の野心的な人生や恋愛、そして背景にある政治など多岐にわたる題材を持ち出してくる。
    はじめこそそれが鼻についたが、終わって考えてみれば一人の人間の生き様を内面を浮き彫りにして描くにはしごくまっとうな選択である。
    ジュリアンの場合、野心が頭をもたげるあまりに心の真実を裏切ってしまうと言うのがいわば当初の彼の持ち味だった。
    その打算と細やかな恋愛心理の描写は、つまらない人間に恋愛相談をするよりもよっぽど的確である。
    徹底しただけはあると、感慨したが、さっきも言ったように心理をもってして小説を描いたことによって情景がないがしろにされたことにより、「余韻」と言うものがこの小説に存在しなかったのが正直、私にはつらかった。
    ありのままなのだ。
    小説特有の誇張や装飾、もしくは展開を匂わす情景描写がないことによって物語は生もののまま私の前に示される。
    いわば、言いわけをしないと言うのは潔がいいが、食べ続けているとつらくなる。
    おまけにスタンダールは当時の世相を絶対にはずしたくなかった。
    そして階級と政治、しかしそれを打ち破るおままごとのような大衆に媚びた物は書きたくないとみてとれる。
    個人の思考と政治はけして遠いものではないが、個人を通してダイナミックに描くにしてはジュリヤンは凡庸な野心家すぎた。
    翻弄されてゆくジュリアンは当初の野心をいつの間にか流し、そうして愛に行き着いた。
    そこでも心模様がついて回るが、ここでの主体は駆け引き。
    それもサイケデリックとも言えるような女性相手のゲーム。
    野心と愛の葛藤を失ったジュリアンの失速具合はおぉっとこっちの気を煽ってくれるような楽しさはあったが、『余韻』なく描かれると淡泊すぎて疲れてしまうものである。
    スタンダールは正直すぎる。
    と、結局あげ足をとっているのだが、純粋に楽しむにしては正直当時のフランスの詳しい政治的背景、いや、それよりもフランス流の風刺という予備知識を持っていなかった私が悪かったのだろうな。



    ジュリヤンの最期の様が淡泊で、それも良い意味で意外でよかった。
    そこに無駄な独白がなかったからだろうな。
    余韻は良しとしてもそのスマートさを求めるのも、好み、いや場違いなのだろうけどね。
    誰がジュリアンを殺したのか、彼の虚栄心が、育ちが、環境が、愛が彼を殺したのか、
    そう考えもするが、どれも違うような気がする。
    いや、論じること自体が少しお門違いのような気がしてしまうのだ。
    彼はどうあれ、時代のを映す鏡だったのだろうな。
    しかしながら期待したような、題名の大きな意味がつかめなかったのが心残りか、
    「赤と白」と言う案もあがっていたって、笑ってしまった。
    この物語で結局こんなにぶーたれていたら「クレーブの奥方」なんてずっと読めないきがする、今日この頃。



  • ヨーロッパ自然主義文学の代表的作品。今の時代にそんなことはどうでもいいか。単なる恋愛小説家と思っていたけど…
    ーーーーーー
    ナポレオン没落後、武勲による立身の望みを失った貧しい青年ジュリアン・ソレルが、僧侶階級に身を投じ、その才智と美貌とで貴族階級に食い入って、野望のためにいかに戦いそして恋したか。率直で力強い性格をもったジュリアンという青年像を創出し、恋愛心理の複雑な葛藤を描ききったフランス心理小説の最高峰。この小説は一平民青年ジュリアン・ソレルの野心をとおして、貴族・僧侶・ブルジョアジーの三者がしのぎをけずる7月革命前夜の反動的で陰鬱なフランス政界と社会を、痛烈な諷刺をこめて描き出した社会小説である。

  • 教科書に載る名作とはいえさすがに19世紀初頭の文学、全然頭に入らず。やはり価値観や社会情勢が身についていないと難しいか。予想通り最後は主人公の死とわかりやすいものだった。まあそれまでの貴族ヨイショ文学に対して反ブルジョワジーという観点というだけで革新的な一冊だったのだろう。

  • キショいほどの記憶力を発揮するジュリヤンは貴族のオッサンにその能力を買われ、パリにくる。仕事上、とあるサロンに通うようになるのだが、メッチャ美人の超ド級ツンデレ侯爵令嬢が居た!
    前半はその心理的攻防を克明かつ執拗に描いていく。

    確かに恋愛小説と言えるが、ハーレクイン的な甘く感傷を揺さぶられることはほぼない。描き方はクールかつドライである。間違っても湖上の妖精だとか、そういった類いのモノは出現しない。

    幕切れは新約聖書に出てくるサロメや、現代で言うならば School daysを想起させる。なかなかエグい展開となるが、これも愛の成せるわざである。
    レーナル夫人は旦那に始末されたのでは?と予想している。

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著者プロフィール

スタンダール(本名アンリ―・ヘール)は、フランス革命からはじまるフランスの歴史的な激動時代を生き抜いた、フランスの代表的な作家。著書に「赤と黒」「パルムの僧院」「恋愛論」など。

「2016年 『ディズニープリンセス 「恋愛論」 Disney Princess Theory of Love』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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