白痴(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (684ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010044

感想・レビュー・書評

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  • まさに『ブ、ブラヴォー・・・・・・』の一言に尽きます。
    ドストエフスキーの『白痴』といえば5大長編の一つということしかあまり語られることがなく、僕も「恋愛小説」という前知識くらいしかなかったのですが、これほどの美しくも凄まじい悲恋物語であったとは知りませんでした。
    本書は『文学史に輝く究極の恋愛小説』の一つと言っても過言ではないでしょう。

    ドストエフスキーと同じロシアの偉大な文豪で『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』で有名なレフ・トルストイも本書について
      「これはダイヤモンドだ。その値打ちを知っているものにとっては何千というダイヤモンドに匹敵する」
    と評したと言われています。

    どうしてもドストエフスキーというと『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』の2大傑作ばかりがクローズアップされてしまいますが、いやいやこの『白痴』、素晴らしいですよ。ちょっと世間の評価は低すぎるのではないでしょか?

    まさに本書はドストエフスキーの描いた究極の『愛』の形。
    ラストで描かれるこの静謐な情景。
    愛する者の遺体を目の前にして横たわる2人の恋敵。
    あまりにも感動的です・・・。

    この場面は、星の数ほどある世界中の恋愛文学のなかでも1、2位を争う美しいシーンなのではないでしょうか。
    もう僕の脳内ではその情景がありありと浮かび上がり、もし僕に絵心があったならばライフワークとしてその情景を描き続けたいくらいです(笑)。

    そしてなにより本書に描かれるキャラクターがみな素晴らしい。
    主人公レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキン公爵が中心となり、薄幸でありながらその手腕と美貌で全てを手に入れた究極の美女・ナスターシャ・フィリポヴィナ、ムイシュキン公爵の無垢な人柄に惹かれるエパンチン将軍家の美しき3姉妹の末娘、美少女アグラーヤ・イワーノヴナ・エパンチナ、ナスターシャをひたすら愛するやくざな大金持ち・パルフョーン・セミョーノヴィチ・ロゴージンの4名による究極の四角関係が形作られます。

    ムイシュキン公爵とロゴージンとの間で揺れ動く究極の美女・ナスターシャ。
    ムイシュキン公爵を健気に愛するツンデレ美少女・アグラーヤ。
    ナスターシャをどんな方法でも手に入れようとするやくざなロゴージン。
    そして、ナスターシャもアグラーヤも純粋に愛してしまうムイシュキン公爵(←っていうか、あんたの優柔不断が一番悪い)。

    もう、ここまでドロドロだと、笑いを通り越して感動すら覚えてしまいます。
    ラスト前で繰り広げられるムイシュキン公爵を目の前にしてのナスターシャとアグラーヤの文字通り『女同士の一騎討ち』は、もう世界文学史上、最もひどい、それこそ最悪の『修羅場』として記憶されるべきでしょう。
    1868年に上梓された本書、つまり今から150年前以上も前に描かれた『女同士の修羅場』は必見です。
    この修羅場のシーンから怒濤のラストまでの約100ページを読む為だけに、このドストエフスキーの『白痴』(総ページ数、約1400ページ)を読破すべきと僕は言いたいですね。
    はっきりいって度肝を抜かれます。


    ふう。
    素晴らしい物語でした。
    もし僕がムイシュキン公爵だったら、ナスターシャとアグラーヤのどちらを選ぶかなあ。
    ナスターシャもアグラーヤもどちらも超絶美女。
    ナスターシャの若き日のどん底生活から這い上がってきた苦労、そしてナスターシャが「自分のような穢れた女と一緒になったらあなたは不幸になってしまいますわ」という自虐的でありながらも、その尊い気持ちも痛いほど分かる。
    「今度うちに遊びに来ても、口きいてあげないんだからねっ!(※僕の脳内で再生されたアグラーヤのムイシュキン公爵に対するセリフなので若干原書とは異なります)」などとのたまう、箱入り娘アグラーヤの純粋無垢で思いっきりツンデレな可愛らしさも捨てがたい。(そう、150年以上も前からこの『ツンデレ』という萌(もえ)要素は確立されているのですw)
    ムイシュキン公爵が悩むのもよく分かります(笑)。

    しかし、僕だったらここは、究極の美の権化・ナスターシャでもなく、超ツンデレ美少女・アグラーヤでもなく、あえて『ヴェーラ・ルキヤーノヴナ』を選びたいところです。
      は?お前、それ誰やねん!全く今まで出てきてないやん、ええ加減にしいや!
    とここまで、この僕の上下巻に渡る冗長なレビューを読んでくれた人全員がこう思うと思います。

    そう、ヴェーラは準ヒロインでもなく、脇役キャラにちょっと毛が生えたような女性です。
    彼女は、ムイシュキン公爵が世話になっている小役人レーベジェフの娘で、ムイシュキン公爵の身の回りの世話を時々してくれる美少女なんですね。
    ムイシュキン公爵もヴェーラのことを『なんて可愛らしい娘さんなんだろう』と褒めており、ムイシュキン公爵の他にもいろいろな登場人物の口からその美しさが褒められているので、ヴェーラの美少女っぷりは間違いないところです。
    一説によるとこの『ヴェーラ』はドストエフスキーの姪のソフィア・イワーノヴナがモデルとされています。

    そしてこのヴェーラもムイシュキン公爵を陰ながら慕っており、ムイシュキン公爵がうちひしがれている時でも、そっとその心を慰めようといろいろと世話をしてくれるのです。
    どうです?素晴らしい女の子ではないでしょうか。
    もし、これからこの『白痴』を読んでみようかなって思う人がいたら、ちょっとこの『ヴェーラ』に気を止めていただけたら幸いです。

    本書は、150年以上も前に男女四角関係をその深層心理まで描きあげた傑作です。
    この小説のモチーフは現代の恋愛小説や映画にも多大な影響を与えたのではないでしょうか。例えばダスティン・ホフマン主演の名画『卒業』での名シーン、結婚式場から花嫁を奪っていくところなど、この『白痴』にでてくるあるシーンそのままです。

    という訳で、最後は訳の分からないレビューになりましたが、本書はドストエフスキーの描く恋愛小説の傑作あることは間違いありません。ドストエフスキーと言えばやはり『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』(実は『カラ兄』、僕は未読です・・・)ですが、読むべきドストエフスキーの傑作の一つにこの『白痴』も加えていただきたいと思います。

    • やまさん
      kazzu008さん
      おはようございます。
      いいね!有難う御座います。
      吉原裏同心シリーズは、今回で32作目になります。
      佐伯泰英さ...
      kazzu008さん
      おはようございます。
      いいね!有難う御座います。
      吉原裏同心シリーズは、今回で32作目になります。
      佐伯泰英さんの本は、最初に「居眠り磐音江戸双紙」を読んでから「鎌倉河岸捕物控」を除いて全ての作品を読んでいます。
      佐伯さんには、感謝をしています。
      居眠り磐音が出てからは、他の時代小説も字が大きくなってきましたし、多くの作家が書くようになりました。
      一時は、時代小説ブームが到来したと言われ、書店に行くと一番いい所に時代小説が並んでいました。
      わたしも、大活字本だけでなく文庫本も読めるようになりました。
      本当に感謝しています。

      やま
      2019/12/07
    • きのPさん
      このレビュー、いや、「ブ、ブラヴォー・・・」が本当に好きすぎて、つい何度もこのレビューを見にきてしまいます。笑

      kazzuさんのおかげで、...
      このレビュー、いや、「ブ、ブラヴォー・・・」が本当に好きすぎて、つい何度もこのレビューを見にきてしまいます。笑

      kazzuさんのおかげで、「白痴」がとても気になっています!!
      正直なところ、Amazonのカートにここ数ヶ月、ずーっと入ってます!!
      ですが、ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフ」ですら読むのにかなり難儀しましたので、果たして自分にこの作品を完読できるのかと不安になってしまい、注文確定ボタンを押せません。。。

      kazzuさん、こんな僕に、「白痴」を読む勇気を与えてくれないでしょうか?
      情けないお願いですが、宜しくお願い致します。。
      2020/07/09
    • kazzu008さん
      きのPさん。
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      コメントのお返事遅くなってすいません。

      確かにドストエフスキーを読み始め...
      きのPさん。
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      コメントのお返事遅くなってすいません。

      確かにドストエフスキーを読み始めるのは勇気がいりますよね。でも、この『白痴』はおすすめです。
      ドストエフスキー5大長編の唯一の恋愛ものですし、話も分かりやすいです。特に『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』を読破されたのなら問題なく楽しめると思います。

      特に本書に登場する女の子たちがみんな非常に魅力的なので、自分の好みの女性を思い浮かべて、脳内再生しながら読むのがおすすめの読み方ですねw。
      ぜひ、本書を読破して感想を語り合いましょう!!

      2020/07/11
  • 下巻の冒頭はドストエフスキーの独白(待ってました)!
    ロシアの歴史的背景に迫り、あれやこれやと批判しながらこねくり回す
    今回は「わが国には実務的な人間がいない」
    からはじまり、一体このトピックはどこへ向かうのか?
    …そうこんなふうに考えながら読むのがなかなかオツである(物語最後も、もう登場せずにはいられない!という感じで再登場)

    いつもの如く気になるキャラクター達でいっぱいなのだが、上巻ではリザヴェータ夫人、下巻はロゴージン(個人的に)かな
    ロシアにきて初めての知り合いとなったロゴージン
    最初の出会いはお互いに好意を持って始まった二人だが、気付けばライバルという悲しき運命に
    彼らの友情の行方も気になるが、ロゴージンの心の中の深い深い漆黒の闇が結構切ない
    あまり(ドストの割に)心理描写が語られない分、心を持っていかれた

    他に目立ったのは、イポリートという肺病の余命わずかな青年
    彼の滑稽さと究極の恥辱を描く
    かなりの嫌悪感と妙な共感
    触れられたくない心に土足で入ることを好んでいるかの皆の会話
    下巻ではイポリート君という死を前にしたパッとしない青年にスポットをあて、人間の醜さと滑稽さ、羞恥心をこれでもかと見せつけられる我々読者

    そして一応(失礼)メインである公爵の恋は…
    四角関係(なのかねぇ?)の行方は…
    「自分を世界じゅうの誰よりも堕落した、いちばん罪深い人間だ」と信じているナスターシャ
    自分の卑しさを証明するために公爵から逃げたナスターシャ
    彼女の追い詰めまくった自暴自棄な狂った破滅的な精神は最後まで圧倒され続け、これは一体どこが着地点なのだろう
    と興味深かったのだが…(うーん、そうきたか)
    そしてライバル女同士の修羅場
    相手をとことん精神的に追い詰める
    もう崖っぷちまで追い詰めて逃げ場を全て潰しにかかる…
    怖すぎるんだけど
    読んでいて関係ない私が気絶しそう…

    一方の主人公公爵
    公爵自身あわれんでいるだけでもうナスターシャを愛していないと気づくのだが…
    彼の苦悩と、なぜその道を選び行動したのか
    あの一瞬はなんだったのだろう…

    はぁ、ラストは凄まじかった
    ジェットコースターに乗って振り回されて、ヘトヘトになって
    そして最後がもう極めつけで…途中から酸欠になり、久しぶりに読書をしてグッタリしてしまった
    重たいヘドロの布団を被っている上から誰かがどすんどすんと不法侵入者が自由勝手にトランポリンしているみたいな感じ
    なぜここまで人間の本質に迫り、それを何のオブラートも使わず惜しげもなく開放していくのだ
    何度も言っているが一応恋愛モノとされているが、正直私には人間モノだろコレ…としか思えなかった
    とにかく多角的な読み物であるのは間違いないのだ
    そして後を引く引く、そして引きまくる
    途中までテンポよい展開でドストにしては明るく読みやすいと思っていたが、やはりそのまま単純には終わらない
    最後にきましたわ
    これぞドストエフスキーである

    • アテナイエさん
      ハイジさん、こんばんは(^^

      トルストイの独白を終始にわたって楽しめる人はそういないと思います。こういった忍耐を経ると、あとはなんでも...
      ハイジさん、こんばんは(^^

      トルストイの独白を終始にわたって楽しめる人はそういないと思います。こういった忍耐を経ると、あとはなんでも読める気がしますよね(笑)。

      こうしてドストを時系列的にみていると、はじめはそうでもなかったのですが、だんだん暗闇に向かって爆走し、たぶん底は『悪霊』かしら? ふとどこかで光をみつけてたどり着いたた(『カラマーゾフ』)といった、勝手な思いがしたりします。いずれにしても人間描写はすごいです。
      またドストのレビューを楽しみにしていますね♪
      2023/08/20
    • ハイジさん
      アテナイエさん
      ありがとうございます

      やはり彼の人生を背景に感じることが大切そうですね…

      また時を経て挑戦したいですね
      (時間は必要です...
      アテナイエさん
      ありがとうございます

      やはり彼の人生を背景に感じることが大切そうですね…

      また時を経て挑戦したいですね
      (時間は必要ですね
      立て続けはしんどい(笑))
      2023/08/20
    • アテナイエさん
      ハイジさん、暑すぎるので本はゆっくり楽しまれてくださいね~とくにドストの後は(笑)。わたしは史記をペースダウンして、エッセイや短歌を楽しんで...
      ハイジさん、暑すぎるので本はゆっくり楽しまれてくださいね~とくにドストの後は(笑)。わたしは史記をペースダウンして、エッセイや短歌を楽しんでいます(^^
      2023/08/20
  • アグラーヤとの結婚は確実と思われていたのに、まさかのどんでん返し。
    ムイシュキン公爵は結局ナスターシャを選ぶことになる。
    そのナスターシャがロゴージンに殺され、また公爵が白痴に戻ってしまうというのがとても切ない。
    ラストの、ロゴージンと公爵によるナスターシャの通夜のシーンが神秘的で美しい。

    あとがきを読んで、ドストエフスキーの伝えたかったことがよくわかった。
    「作者は「無条件に美しい人間」を周囲の人びとに「白痴」と呼ばせることによって読者に挑戦しているわけである。われわれはいったいいかなる人物を「白痴」の名で呼んでいるのか、と。」

  • あまりにも悲しい。
    そしてあまりにも愛おしい物語。

    泣けた。

    ドストエフスキーが自作で最も熱愛した作品らしい(あとがきに書いてあったが)。

    最も完成された美を備えた人を描こうとする大作家の理想的到達点はイエスキリスト。

    ドストエフスキーには彼だけが完全無欠の理想であり、その理想的型を備えたムイシュキン公爵が主人公である。


    恋愛小説と言う形を取りながら、
    完全無欠の善なる存在が、あらゆる罪の蔓延る
    この世に登場した場合、
    その存在はあまりにも滑稽に、
    『白痴』のように見えると言う悲しき現象を
    徹底的にリアルに、底知れぬ愛を持って描いている。

    悲劇的ヒロインであり傾国の美女ナスターシャは、純粋な魂と聡明な知性を持ちながら、過酷な運命によって情婦として育ち、憎悪に燃えて破滅に突っ走っている。

    あくまで純粋なる憐憫と人類的愛アガペの愛でもってナスターシャの魂そのものを救おうとするムイシュキン公爵。

    エゴイズムの権化であり利己主義の究極的人物ロゴージンは公爵とは対極的位置におり、彼は情欲的恋によってナスターシャを愛し、我がものにしようとする。公爵とはカインとアベルのような宿命的関係性にあるが、対極的愛でナスターシャを愛している2人。

    ナスターシャは本性では公爵が抱く無限の同情と尊敬を求めながら、自己に渦巻くドロドロの憎悪と罪の宿痾を恐れて、光の源である公爵に近づくことが出来ず、同じく破滅型のロゴージンと共に運命を共にする。

    その代わり、唯一本当の自分を見てくれた恩人の公爵には情婦ナスターシャと対極的位置にいる罪なき絶世の美女アグラーヤと結婚するように仕向ける。
    完全なる人には、完全なる相手が相応しいとでも言うように。


    アグラーヤはナスターシャに比肩するほどの美女であり、世間の汚さから隔絶された場所で育った天真爛漫な地位も財産もある完璧な女性。
    ナスターシャが憧れるほどの完全無欠の美の象徴である。

    アグラーヤは婚約者として申し分無い地位も名誉もある男を振り切り、白痴の公爵を選ぶ魂の純粋さを持っている。
    彼女もまたナスターシャのように、公爵の『清さ』に胸を打たれた一人なのだ。

    アグラーヤは天真爛漫だが馬鹿ではない。
    ナスターシャを無限の憐みで愛している公爵の気持ちに、気付かない訳がない。
    それが憐みと言う気持ちであっても、
    公爵が自分を思う愛より上回っていれば、それは苦痛になる。そこでアグラーヤは遂にナスターシャと一騎討ちに向かうのである。

    この作品の登場人物は一言で言うと可哀想なのだ。

    なにより可哀想なのは公爵だ。

    公爵の純粋性が、
    この世界が欺瞞や虚飾、利己主義や虚無に
    満ちていればいるほどくっきりと浮き彫りになり、
    特に後半、社交界と言う社会の上層部における
    知と財を武器にした虚栄と傲慢の駆け引き場所で
    まさに『白痴』のように見えてしまう。

    ムイシュキン公爵はただただ情の人だからだ。

    そんな真に愛すべき人が
    バカに見えてしまうことが本当に悲しいのである。

    ドストエフスキーは読者にも問いかけている。
    あなたが今バカのように見えている人物は
    どんな人ですか?と問いかけてくる。

    それはつまり、イエスキリストなのだ。

    当時の19世紀ロシアに突然現れた、
    現代に蘇ったキリスト本人なのである。

  • ドストエフスキーが作家としての到達点としてそれほどまでに描きたかった「無条件に美しい人間」は、現代、特に日本ではごく普通にいそうな正直者の人間像でしかないような気がしてしまった。それではこの小説、ムイシュキン公爵という登場人物の意義とは何かと言ったら、ドストエフスキーの小説に共通して登場する「ロシア的な」人々、すなわち狂気と隣り合わせの激情的な人々の中に、公爵のような人間を放り込んだところにあるのではないか。第4編冒頭の《ありふれた人たち》に関する作者の考察は、そのあたりを裏付けているとも言え印象的だった。

  • えらく時間がかかった。
    読書の時間をあまりとれていないのが一番の理由だが、ちょっと重いのだ。
    しかし残り100頁ぐらいからはすいすいと進んだな。
    ドストエフスキーはいつも最後にかけての物語の構築がうまいのだ。非常に引き込まれる。今回もまさしくそれだった。


    最近数年続いて年に一冊は読んでいるドストエフスキーシリーズ。
    今年は『白痴』にしてみた。
    誰かが究極の恋愛小説だと言っていたのを聞いたことがあったのだが、まさか、と考えていた。だってあまりにもドストエフスキーらしからぬからだ。
    しかし読み終わった今ではそれに間違いはなかったと思える。
    ほんと。それも極上の悲恋物だ。加えて恋愛のメインとなる二人だけに焦点をあてた物語としていないところが、さすがのドストエフスキーと言ったところだろう。思想と苦悩と絶妙な心理描写、そして強烈なキャラ設定。
    やはりさすがのドストエフスキー、素晴らしいかなドストエフスキー。もう一個ぐらい言ってみたいのだが思いつかんドストエフスキー。
    はてさてこの年でこの人をこんな賞賛するようになるとはおもわなんだ。



    物語の主人公は類い稀なるピュアな気質の持ち主であるムイシュキン公爵。
    すれていなくて、人を疑うことがない彼は誰に対しても無邪気で心優しい対応を示す。
    それを馬鹿だと揶揄する者も少なくないが、彼は多くの人に染み入るような存在で愛されもする。
    彼はとある病気での長期療養をスイスで行っていたのだが、ロシアに戻ってくる。物語のきっかけはその帰りの列車の中でまずロゴージンに出会うところから始まる。
    ロゴージンは父親の遺産によって莫大な財産を得た金持ちの息子で欲深く、強引で野生味の溢れる男。
    この二人、車中でとっても気の合う仲となるのが、その二人の間に出てくるのがナスターシャ・フィリポヴナという女性。
    このナスターシャは鋭利な美貌をした非常に美しい女性なのだが、ドストエフスキーの十八番とも言える、激しい気性の持ち主。彼女のその激しさは過去に端を発するのだが、それが今までの十八番の気性の荒い女性達とは少し違う”重さ”を持つ。彼女は己の過去の汚れに苦悩し、己の存在を肯定できず愛にも人生にも忠実に従うことができないのだ。
    二人の男は彼女のそう言った部分をも愛しながら、それに大きく振り回される。
    そこにまたムイシュキンの遠縁にあたるエパンチン将軍夫人のご令嬢でこれまた絶世の美女である:アグラーヤも登場するのだが、この四人と周囲を巻き込んで物語はさらに混迷してゆく。


    流れはざっとこんな感じ。
    見所はナスターシャだろうな。
    彼女の行動は今までのドストエフスキー作品からは想像も付かないような、昼ドラ的な展開を与える。
    やっぱり劇的なのだが、度合いがすごい。そしてそれがいい。
    こういったものまで書くのか、と言う驚きもあった。ドストエフスキーはロシア的な思想の混迷にまみれる怒れる大家というイメージがあったから。
    いや、ドラマチックな部分に惑わされたが、根本的な人間の苦悩を鮮やかに描く、と言う意味では他の作品とかわらぬ共通する部分があるのだろう。
    ナスターシャの持つあぁいった劇的な屈折も、過去を知った上で読み解けば非常にいじらしく、そして悲しくもある。
    要するに今回は主題が愛なのでちょっと驚いたのだろう。

    作中一番よかったのは最後に3人が横たわるシーン。
    『罪と罰』のあの老婆の殺害のシーンといい、ドストエフスキーは要の所での描写が卓越している。今まではくどくど思想的なことを登場人物に言わせていたのに、なんで?と思うこと多々。
    正直、もうちょっと掘ってから書こうかと思っていたのだが、どうも恋愛の部分の印象が私の中では強すぎて思想的な部分の印象が薄いのであがくのはやめた。


    時代や国の差、もしくは翻訳を挟んで多少、公爵のピュア具合がわからない所も見受けられるが、読んだ後には、まるで現代のドラマのような色あせない演出と描写がされていたなと驚く一冊。
    他の作品よりは入りやすいドスト作品なのでは、と個人的には思う。

  • 150年前のロシアの上流階級の人たちが、どんな風に語らい、どんなことに美徳を感じ、どんなことを野卑と感じるのか、2000年代の平凡な日本のサラリーマンには理解しづらかったです。でも、それ自体が『白痴』という小説の狙いなのではないか、という思いにいたりました。それがどういう意味かちょっと説明します。

    この物語の主人公、ムイシュキン公爵はスイスの精神療養所で育った世間知らずの純粋無垢な人なのです。ドストエフスキーは彼をして『無条件に美しい人』たらしめんとし、この小説を書きました。物語の中で、いろんな登場人物が彼の事を『バカ』と言います。でも、現代に生きる私の価値観からすると、彼が『バカ』である要素がなかなか読み取れないのです。バカどころか、歴史にも精通しているし、死に対して目を見張るような洞察を披露する場面もある。そんな彼がなぜ『バカ』と呼ばれるのか・・?どうやらその原因は『空気の読めなさ』にあるらしい。そんな時にそんな態度をとるものではない。こんな関係の人にこんな言葉を使ってはいけない、という暗黙のルール、それが療養所で育った彼には分からないのです。だから上流階級の会話に入った途端、彼がバカになってしまうのです。しかし、それは読者にも言える事なのです。これを読んでいるあなた(というか私だけか?)は公爵がなぜバカなのか分からない、そのことが何よりあなたがバカである証拠となります。なぜ婦人や娘達が公爵を笑っているのか分からない。なぜ笑われているの分からないその事によって、この場の空気から一歩遅れる。読者の立場は公爵の置かれた立場と重なり、ロシア的因習に生きる彼らからバカと呼ばれる『白痴』状態を追体験できる訳です。

    私からすると、公爵よりも、その他の登場人物の方がよっぽどの「バカ」なのです。
    会話の途中でいきなり『もうたくさん!もうたくさんよ!』とヒステリーに叫ぶリザヴェータ婦人の方が空気が読めないと感じるし、いきなり自分が書いた手紙を夜会の途中で1時間も読み上げるイポリートも変人だ。自分の道徳観で数々の人間に迷惑をかけるナスターシャも、それを甘んじて受け入れていたロゴージンも、「嫌い嫌い」と言い続けていたのにいつの間に公爵に恋していたアグラーヤも、騙そうとしていた相手に全てをさらけ出して謝る事が癖になっているレドベージェフも、みんなみんな空気の読めない変人ばかりでした。

    むしろ、公爵ほど素の人間もいないんじゃないか。確かに素直で純粋な面が強く押し出されているけれども、嫉妬もするし、嘲笑もする、言い訳もするし、嘘もつく、友達の女を取ろうとするし、愛してくれている人を目の前で裏切ったりもする普通の気の弱い青年でした。ドストエフスキーはこの小説で『無条件に美しい人間』を描く事ができたのでしょうか??僕にはその策略は失敗したと思います。エゴイストと粗暴さの権化として書かれたロゴージンもそこまで分からない奴ではない。嫉妬と虚栄心の強い、普通の男でした。
    『無条件に美しい人』と言われると『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャの方がふさわしい。
    『エゴと粗暴の権化』と言われるとドミートリィの方がそれに近い。
    ドストエフスキーが『白痴』で目指したのは、『無条件に美しい人』を描く事ではなく、どこにでもいる平凡な人間が『白痴』と呼ばれ破滅していく、そのことだったのではないか、と感じました。

    もの凄く大勢の登場人物が出ますが、読み終えてみると誰もが愛おしい。粗暴で野卑で自己中心的で、それでいて優しいから、誰もが傷ついていく。おそらく『白痴』なのは公爵だけではなく、ナスターシャであり、ロゴージンであり、アグラーヤであり、読者自身なのでしょう。あまりに普通すぎる彼らが繰りなす支離滅裂な行動に、『白痴』で『美しい』彼らの自己中心的な行動に、誰もがどこか共鳴してしまうから、この小説は時間や空間を超えて、世界的な普遍性を持っているのです。

    • ryceさん
      はじめまして。

      たった今、『白痴』読み終えたばかりです。
      ryosuke0032さんがおっしゃるように、私もムイシュキン公爵が“白痴”であ...
      はじめまして。

      たった今、『白痴』読み終えたばかりです。
      ryosuke0032さんがおっしゃるように、私もムイシュキン公爵が“白痴”であるということに疑問を抱いていました。
      こちらのレビューを拝見し、少しすっきりしました。
      2013/03/23
  • ラストが衝撃的です!まさかこう終わろうとは・・・
    たくさんの人の期待や未来が、結末にむかって崩れていく様がなんとも言えぬ切なさです
    江川卓さんの『謎とき『白痴』』とあわせて読むのがオススメ!

  • ドストエフスキーの「無条件に美しい人間」を作る試みである本作品はどのような結末を迎えたのだろうか?

    だれもが公爵の心の美しさに惹かれるが、結局は彼を憎む、疎むようになる。終局でのリザヴェーダ夫人のように、一歩離れたところからでないと付き合えないものということ?
    純粋無垢な人間はこの社会では生きられず、結局白痴でいるしかないということ?
    それとも我々の醜さを浮き彫りにするのが試みだった?

    ドストエフスキー作品を多く読んできましたが、この作品は苦手なようです。

    ただ以下のあとがきの文章が、読解の手助けになると思います。

    あまりに深読みする読者が、この言葉(白痴のこと)を「無垢の人」といったニュアンスで受け取ることのないよう注意しておく。作者は「無条件に美しい人間」を周囲の人びとに「白痴」と呼ばせることによって読者に挑戦しているわけである。われわれはいったいいかなる人物を「白痴」の名で呼んでいるのか、と。

    もちろん私は深読みしていました・・・

  • 背表紙にネタバレ載せるんじゃねぇッ・・・!!!

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著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ドストエフスキーの作品

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