- Amazon.co.jp ・本 (686ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102010204
感想・レビュー・書評
-
ドストエフスキー版ラブコメと勝手に解釈。
こんなポップなのも書くんだと意外な一面を見た感じ。
まぁポップとは言っても後の大作群と比べてだが。
一見、はたから見ると呆れると言うか、現代で繰り広げられたら
勝手にやってくれといったナターシャとアリョーシャの恋だが、
ところがどっこい、これはただの味付けであって悲劇はその奥にある。
大まかな流れ、作品を支えているのはもちろん二人の恋物語。
しかしそこには、イフメーネフとワルコフスキー公爵の長年にわたる因縁。
そしてワーニャが出逢うスミス老人の孫娘ネリーが物語の鍵を握る。
虐げられた人々とはうまく言ったもので、
ここでいう虐げられた人々と言うのは
アリョーシャに振り回されるナターシャでも
勿論ワルコフスキーにハメられたイフメーネフでもなく、
母親の遺言をその最期まで貫き通したネリーその人なのではないだろうか。
この物語の一番の悲劇の象徴なのがネリーなのである。
決して誰かが救われるとかそういった内容でもなく、
決して悪は最後は淘汰されるといった内容でもない。
一人の少女がただ悲劇を背負って生まれ、その悲劇を全うして終わる。
その中で、ただ踊らされている悲恋と謳われるもう一つの物語。
ただただ、本当に悲しいお話なのである。
それでもこの少女の悲劇を以て、救われた何かがあると信じたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一つの長大なメロドラマである。小説を読むことの――ここしばらく味わっていたのとは別の種類の――楽しさを、思い起こさせてくれた。これまで読んできたようなロシア文学に特有の退屈さ・冗長さ(地主階級や小役人による殆ど無内容としか思えぬ埒の開かないお喋りの如き)は些かも感じられず、物語が実に力動的に展開する。或る意味で、娯楽小説といえる部分もあるかもしれない(冒頭に於ける老人の死に始まり、少女ネリーの死によって物語は閉じらるが、この少女の物語が小説にミステリ的な趣さえ与えている)。
アリョーシャは、徹底的に主体性が無く意志薄弱な男として描かれている。更に、彼は自分の思っていることを相手に話さないではいられない。こうした、外面(仮面)と区別される内面がない=自我の分裂がない=裏表がない=幼児的でさえある彼の性質が、ナターシャやカーチャの母性的な愛情を惹きつけるのか・・・?
一方、マスロボーエフの役回り――俗物的でありながら虐げる側には立たない――は、「解説」にある通り、確かに興味深い。
そして狡猾な俗物たるワルコフスキー。彼はニヒリズムを通過してしまった人間の一つの雛型であろう。理想や美徳に一切の価値を見出さず、それを信奉する者を徹底して貶め、自らの富・権力・快楽を i.e. 即物的な価値を徹底的に追求するべく、仮面を被り悪を為す――しかも悪に対して確信的な自覚を持って。ここにはニーチェやフロイトの先駆けを見出し得る。
"すべての人間の美徳の根元にはきわめて深いエゴイズムがある・・・。"
"なぜならば道徳というやつは、本質的には快適さと同じことであって、つまり、快適な生活のためにのみ発明されたものだからです。"
"世界のすべてが滅びようとも、われわれだけは決して滅びない。世界が存在し始めたとき以来、われわれはずっと存在し続けてきたのです。・・・つまり自然そのものがわれわれを保護してくれるんです・・・。"
僕自身は、ニヒリズム後の人間には、「露悪的即物主義」の他にも可能性が在り得るのではないかと思っている。がしかし、ともかくも我々人間はついにニヒリズムを経験してしまっている訳で、時計の針は戻らない。よって、ドストエフスキーがニヒリズムの中の人間を描いたとするならば、彼の作品が今後永遠に読まれ続けるのも、宜なるかな。哲学がニーチェ以前に戻れないように、文学もドストエフスキー以前には帰れないのだろう。
最後に、ナターシャとワーニャの幸福が暗示されているところが、嬉しい。 -
軽薄純情な青年アリョーシャと清純ヒステリックなナターシャの恋物語を中心とした人間ドラマ。冒頭から出てくる老人と犬(アゾルカ)がけっこう重要な役回りだったり、ネリーの意外な素性だったりと構成が巧みなように思う。語り手がドストエフスキー的な人物(デビュー作は当たってその後はうまくいっていない状態)というのも面白い。
人間に対する観察力というか洞察力が深いのか虐げる側と虐げられる側はあっても単純な善悪の話はない。公爵の考え方(ゲスなところはあるが)も現代人には同調できる面もあるのではあるまいか。どちらかというと悪意なく天使のように悪魔的所業を行うアリーシャのほうがゲス野郎な気もする。自分の知人でホストに嵌った女性がいたが状況的に似ていて時代を超えた普遍性が感じ取れる。
577ページからのナターシャの愛情に対する自己分析が印象的。
個人的には本当の主人公はネリーだと思うし、そのためか読み終わったときに何ともいえない深い余韻を覚えた。
恋愛・親子関係が上手くいっていない人にもお勧めしたい傑作。 -
名作なので読んでみました。
-
もちろん『罪と罰』には遥か及びませんが、なかなかに引き込まれました。文豪の佳作。
-
【印象】
二重底、三角関係、四人目はいない。
クズ父子やぐちゃぐちゃな愛憎、人間の両面的分裂を楽しめる人へお薦めします。
【類別】
小説。
ロマンスの要素が多め。
【脚本構成】
主人公と同程度の鈍感を持つなら、物語展開の楽しみを味わいつくせるでしょう。
本作は小説家である主人公によって執筆された手記の形を成すため、作中作の色も帯びています。
【表現】
文体は平易であり、地の文は一人称視点。
頁221で「ぶたれたっていい!」を反復する表現に錯乱を感じます。 -
再読である。タイト通りの虐げられた人々が登場する。再読した理由は中身を忘れていたからだが、本書はドストエフスキーの小説に登場する特徴的な人間(すなわち、悪者、かわいそうな子ども、聡明な女性)がだいたい出てきており、この作品あってその後の「罪と罰」とかの高名な小説ができたのだろうなと納得したものである。
-
人間に対しての希望みたいなところと、限界みたいなところを描いた小説という印象で、構成が所々スムーズじゃない感じはしたけども、そういう細かいところを吹き飛ばすような迫力を今回もドストエフスキーからは感じたなぁ・・・!